さるぶつGOO

宗派や宗教団体の壁をガン無視して、自由な「信仰のある生活」を楽しみたいと思います。

要するに、恥ずべし痛むべし。僧侶は悲泣せよ。ってことだと思う。

2020-06-07 12:42:43 | 仏教講座
日本政府が、香港に対する中国政府の動きに反対する声明への参加を拒否してしまったと聞き、たいへん、凹んでいます。


https://news.yahoo.co.jp/pickup/6361814


いつも思います。
個人(企業)の利得は、大勢の命よりも優先されるのか?と。
香港のことは、対岸の火事ではありません。
僧侶は政治に口を出してはいけないというのが、信条なので、台湾の民主化運動からも離れ、長いこと黙っていましたが、これは、政治の問題ではありません。
人の命の、人権の、自由の問題です。


台湾を応援すれば「右」、中国を応援すれば「左」、各論は問わない。
もう、ただただ、うんざりしています。
もう長いこと「極右」指定されて暮らしてきましたが、私の政治思想は、「中道左派」です。
それは、どうでもいいことですね。


政治家だけではなく、「中国詣で」に励む、坊さんや仏教学者、たくさんいます。
「仏教は中国から来たんだから」
「仏教徒は交流しなければ」
だとか、鼻の下を伸ばしています。


交流相手が「中国共産党」の出先機関に限られているということ。
文化大革命で壊滅させられた中国仏教界が、どんな資金で、一見、復活したのか。
実は、復興ではなく、共産党による、中身総入れ替えの「乗っ取り」でしかないこと。
要するに、復活した「中国仏教」なるものは、共産党の民衆支配のツールであること。
その「中国共産党」は、仏教徒やイスラム教徒の弾圧、虐殺を、現在進行形で続けていること。


そんなことには、まったく目もくれず、ニコニコと握手して、
「いやあ、向こうも、えらく喜んでくれてねえ・・・・。」
と、帰国した後で、紙切れを見せびらかす。


似たようなことは、少し前まで、台湾でもありました。
台湾の仏教界は、国民党の終生議員である、ある僧侶に牛耳られていました。
仏教が、国民党に支配されていたのです。
その影響か、今でも、台湾の仏教界は「親中派」が影響力を持っています。
現政権である親民党の集会で、僧侶の姿を見ることは、めったにありませんが、国民党のデモ参加者には、組織的に参加しているとしか思えない、僧侶の姿が目立ちます。


インドのの場合は、政治的ではありませんが、
「やっぱり、インドは良いよ。」
「お釈迦様のお生まれになった国なんだから、行かないとねえ。」
なんて話を、頻繁に聞かされます。
学生を「インドツアー」に参加させ、コミッション抜いてる教授とかもいました。


「え?仏教が滅んだ国ですけど?」
「差別が蔓延し、宗教的悲劇が、今でも、そこらに転がってる国ですけど?」
「だから、今、新しいインド仏教が、頑張って戦ってらっしゃるんですけど?」
「何しに行くんですか?差別体験ですか?」
と、つい、こぼすと。
「もっと、大らかに考えないと、仏教者なんだから。」
と、挑発されてしまいます。


「大らか」というのは、虐げられている人たちを見て、見ないふりをして、美味い物食べて、飲んで、土産売りのしつこさに文句を言って、ありがたがって、「その国を見て来た」気になることでしょうか?


どこにいようと、僧侶が思考開始する場所は、苦しんでいる人々、虐げられている人々、悩み喘ぐ人々、そんな普通の人々が立っている場所でなきゃいけないんじゃないですか?


「大乗仏教」って、そういうことですよね?


『ボンベイ』というインド映画の名作があります。


https://movies.yahoo.co.jp/movie/84144/


この映画のラストに流れる曲の歌詞に、号泣してしまいました。
「仏陀が生まれたこの国で、人と人とが殺し合う(だいたいです、すいません)」
猛烈に痛かったです。
「痛み、恥じ、悲泣しろ」
と、親鸞聖人も仰せです。


ショックのあまり、若干無理言ってるかもしれません。