さるぶつGOO

宗派や宗教団体の壁をガン無視して、自由な「信仰のある生活」を楽しみたいと思います。

なぜ、ペットを成仏させてはいけないのだろうか?

2020-06-05 14:37:55 | 仏教講座
なぜだかわかりませんが、私が育った環境では、浄土真宗は、ペット供養をしてはいけない、という空気が支配していました。
「へえ、そういうものなんだ」
と、長い間、深く考えたこともありませんでしたが、ある時、所属していた大学の教授会で、ある教授が、私のことを、
「彼はペット供養をしているので、大事な仕事は任せられない」
というような発言をし、問題になったことがあります。
まったく身に覚えがなかったので、後に、その教授からは謝罪されました。
その頃はすでに、何も期待してはいなかったので、「はいはい」と、笑って済ませましたが、
「俺、頼まれれば、やる!」と、力強く思いました。


「坊さんは、頼まれたことは、ひとまず引き受けろ。引き受けてから、どう実行するかを考えろ。」
というのが、その当時からの私の信条で、今もそう教えているわけですよ。
「真宗はそんなことしないんです!」
という、よくあるスタイルに抵抗があるからです。
「塩をまくなんて、とんでもない!」
と、力んでもしょうがないでしょ?
塩がまきたいなら、まかせてあげればいいじゃないか。
そんな、どうでもいいことで、ガタガタ言うなよ。
と、思っています。


葬儀屋さんを細かいことで叱りつけてるお坊様も、たまに見かけます。
「なんか、ここの葬儀屋さん、私の顔色ばかり窺って気持ち悪いな」
と、思って、話を聞くと、そんな力む坊さんが多い土地柄だったりします。
良いお葬式にすることが、私たちの責任であるなら、葬儀屋さんとはチームですよね?
無暗に威張るのも、媚びるのも、間違いだと思います。


それはそうとして、信条もさることながら、考えてみました。
というか、なぜ、ペット供養がダメなのか?ということを、皆さんに聞いて歩きました。
真宗は人間も供養しない(という建前)ひとまず、脇に置いた話です。
先輩方の答は、概ね、
「動物は念仏できない」
「浄土に畜生はいない」
「動物は、一度人間に生まれ変わらないと成仏できない」
後は忘れましたが、似たり寄ったりだったと思います。
「アホか?」
という感想しかありませんでした。
どれも論理破綻しているからです。
浄土真宗の人が、「本覚思想」を毛嫌いする理由がわかったような気がしました。
本当は紙一重の違いしかない「天台思想」を、全否定したいのかもしれませんが・・・・・。


「この人たちは、理屈抜きに、人間が一番偉いと思ってる」
「人間がというよりは、自分たちが、かもね」
と、理解することにしました。


親鸞聖人の「諸仏」の位置付けは、簡単に言えば、
「人と阿弥陀如来とを結ぶ働きをするもの」
と、考えれば良いといます。
仏と縁を持たないものに、「仏縁」をもたらしてくださる方、それが「諸仏」ですね。
「ご先祖様」は、亡くなって、「成仏」された、その瞬間から、私たちと阿弥陀様を結ぼうと、一生懸命にお働きくださいます。
その働きが、ご先祖様が「仏」となられた証であると考るのです。


と、すれば、ですよ。
「ペットを供養したい」という思いを抱かせ、人を仏へと誘っておられる「亡きおペットさま」は、「諸仏」に他ならないのではないかと、私は思うのです。