サファイア

日記です。

父の命日

2008-03-19 00:29:01 | 思ったこと

晴れているようだねぇ、午前中はパソコン三昧です。
もうソロソロ外出してみようか?と
出かけたが、どこに行く気も起こらない
で、行った所が古着屋。
春物の気の利いたモノがあるかしらん?とキョロキョロ見渡すが、無いねぇ。
帰って来て、気が付いた。
明日3月19日は、父 正行の命日です。
生きていたら? 
私の年60+母との差21+父母の差12=93才の筈
いつ頃亡くなったのか? 既に離婚していたので定かではないけれど・・・
確か、高校を出た年に安芸津の本家で法事があったように?思う。
だから姉弟3人だけが呼ばれて行ったように記憶している。
親族 皆に挨拶して料理を作る手伝いをした。
安芸津の名産の白魚を吸い物にして、皆さんに出したが 私は苦手だった!
分家の太郎おじさんの奥さん、つまり伯母ちゃんに逢うのは久し振りでした。
小学4年から夏休みになると3年ほど、安芸津へ預けられた時以来だった。
手作りのマヨネーズはコクがあって美味かったなぁ~
白いご飯につけて食べると美味くて~好きだった
今では高い枇杷はバケツ一杯モイデあり、食べたい放題だった!ょ。
手の指がアクで真っ黒になるほど食べた。
アイスキャンデー屋が荷台に旗を付けて「チリンチりん」と、売りに来ていた
滅多に食べなかったけど、砂糖水を凍らせたような味がしたものだった。
昼からは、海へ続く小さい川で潜りをして遊んだ。
あれから~? 50年くらいだね。
父の法事からも42年は経っているのでは無いだろうか?
入退院を繰り返す父を、母は見限った。
ある意味 自分で蒔いた種?の父の最期を知らない。
こんな時、犠牲になるのは 必ず子供だ。
私が10才の時、弟は5才で祖母のカツさんの愛情を一心に受けていた。
気が付いた時には父が誰か?知らない子供で、タマに病院から帰宅した人が
「勉強を教えてやろう!」と言うのが鬱陶しい存在だった
父の思い出話になると必ずソウ言っていましたからねぇ、余程の事でしょう。
生まれるとスグ母は仕事を始め、抱いている姿を見たことはありません。
その上、父にもそういう感情でしたから・・・可哀想でしたね。
自分の感情を思いっきり出した事は?? 無いような気がします。
でもね、最期の顔は父にソックリでしたょ。
お父さんっ子の私も、ついには父から離れて行きました。
そうしないと、経済力の無い父では学校にも通えませんからねぇ
裁判所で姉弟3人が一致団結して『母方に親権』を訴えるのに、必死でした。
ソンナコンナがあって、長~い!苦節?十年・・・
お父さん、
ツイ10日前に弟がそちらに行きましたので、よろしくお願いします
お父さんより少し長生きの55才でしたょ。
そちらには未だ着いていないと思いますが、そういう訳で素っ気無い態度だった
のです 
今度は優しくしてやってくださいね。
お骨を少し持って、お墓に挨拶に伺いますから・・・。








コメント
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