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姫路城英語ガイドのひとりごと

姫路城英語ボランティアガイドでの出来事や姫路城のあれこれを綴ります。

隠し狭間

2009年10月18日 | 作事
姫路城の建物の狭間は、外側がすべて白漆喰で塗り込めらているので隠し狭間と言われています。隠し狭間は外部から見てそこに狭間があることを、わからせないようにしているもので、いざ戦闘の時に突然内側から奇襲攻撃できる狭間です。



でも、この写真からわかるように、外側から狭間があるのは容易に察知できます。
彦根城の隠し狭間は外側から全くわからないのに・・・

三左衛門はこれが不思議で仕方がなかった。これでは意味がないのではないか。ところが、広島大学の三浦教授によると、ハトやスズメが入ってくるので、普段はふたで閉めてあるそうです。これは目にウロコでした。よく考えると開けっ放しにしておくと、雨風も入ってくるし・・



「隠し狭間」という言葉に惑わされて、防御のためと勝手に思っていたのです。
ちょうど、「石落し」が石という言葉に惑わされて、石を落とす穴だと思ってしまうのと同じです。

ところが、ところが、目からウロコが落ちたはずなのに、まだウロコがありました。姫路城の土塀には「隠し狭間」つまりふた付きの狭間もあるのです。



黒田純、中野みゆき、森谷瑛子氏の労作「わたし達の姫路城」によると、姫路城の土塀の狭間の数は419、そのうち87は隠し狭間なのです。
土塀だから鳥も雨も関係ないし、いったいなぜ狭間にふたがあるのでしょうか?
登城回数が増えるにつれ、疑問も増える姫路城です

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天守階段

2009年10月11日 | 作事
火天の城の見せ場の一つは指図(図面)争いです。
信長が見ているその場で、主人公の総棟梁、岡部又衛門がそれぞれの城の模型に火をつけ、自分の模型が一番燃えにくい事を証明します。なぜ燃えにくいかというと、又衛門だけが信長の命に背き、吹き抜けの天主を作らなかったからです。吹き抜けにすると、そこが煙突の役目をし、あっという間に火が回るのを彼は知っていたのです。だから吹き抜けにはしなかった。

姫路城大天守にも同じような知恵があります。
現在、姫路城大天守には上りと下りの階段がそれぞれありますが、下り階段は観光客の便宜を図って、昭和の大修理の時に作られたものです。もともとは各階1ヶ所ずつしかありません。それが証拠に上り階段には下からの敵兵の侵入を防ぐため、扉がついていますが、下り階段にはついていません。



さて、その階段ですが、各階同じ位置にはありません。4階、5階などは次の階段に行くため部屋を横断しなければならないのです。しかし、もし階段が同じ位置にあるとすれば、階段が煙突の役目を果たすでしょう。少しでも火のまわりを遅くするには階段の位置を変えた方が良いし、階段の扉も一定の効果があると思われます。但し、大工棟梁の桜井源兵衛さんが意識してそうしたのかは定かではありません。

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必見!火天の城

2009年09月13日 | 作事
お城好きの間で話題沸騰の映画、「火天の城」を早速見て来ました。
予想に違わず素晴らしい映画でした。



このポスターを見ただけでもうワクワクしてくるでしょう。三左衛門もそうでした。
安土城築城の話で、主人公は作事を担当した熱田神宮の宮大工。
姫路城渡櫓で展示している作事の作業風景そっくりの場面が出て来ます。ちょうなを使っている場面や木組、懸魚を作っている場面、圧巻は石曳き、親柱(映画ではこう表現していました。心柱のこと)を立ち上げる場面、そしてクライマックスの柱を修正するシーン等々。レッカーなどのない時代、人力だけでどのようにして工事したかがよく分かりました。

少し気になったのは材木が綺麗すぎること。
姫路城で使われている木はあれ程きれいに成型していない。梁なんか曲がったままで使われているし、だいたいオリジナルの木はヒノキがあまり使われていない。
それと、脇役のキャスティングがいまいち。秀吉役の河本なんか全然ダメ。

とはいっても、ストーリーもそこそこおもしろく、普通の人(?)が見ても楽しめると思います。但し、合戦のシーンはほとんどありません

言うまでもなくお城好きの人は必見です
ガイドの人はマストです
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雨水抜きその3

2009年09月13日 | 作事
従来の雨水抜きはこんな感じです。
天守群ではまだ改修されていません。このままで良いのでは

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葉っぱ

2009年09月10日 | 作事
昨夜、NHKの歴史秘話ヒストリアで姫路城が取り上げられました。大変よくできた番組でしたが、内容そのものは初心者(?)レベルで、新たに得るものはありませんでした。ところが、最後の最後においしい話が出て来ました。
「姫路城の落書きその2」で取り上げたタラヨウの葉っぱです。

>これは姫山原生林に生えているタラヨウの葉であるという説があります。
>タラヨウの葉は厚く、水分が多いので火をつけても燃えない、だからこの木を植えたと言われています。それ故、この葉っぱの切込みは火除けのお呪いだと・・

ところが、番組ではこの葉っぱも番付だと示唆していました。
これはテレビの画面を写したものです。



番組協力者のテロップに西村吉一氏の名前があったので、彼の説かもしれません。
大変参考になりました。
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雨水抜きその2

2009年09月06日 | 作事
現在、室内側の多くの雨水抜きが改修されています。



錆びにくくするためでしょうか、溝を真鍮で覆いそれをビスで固定してあります。皆さん不粋だと思いませんか?

それと本日気付いたのですが、雨水抜きは武者窓の下にしか取り付けられていません。西の丸を例に取れば、原生林側にだけ雨水抜きはあり、庭側にはありません。なぜでしょう?またまた宿題ができました



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雨水が出ない雨水抜き

2009年08月31日 | 作事
先日、どしゃぶりの豪雨の中、城内をフルコースで案内しました。大変なツアーでしたが、普段はあまり見る事がない、瓦の排水溝を流れる雨水や勢いよく排水口から流れ出る雨水を見る事ができました。(この穴は忍者が通る抜け穴ではありませんぞ。)





もちろん滴水瓦の切れ目から流れ落ちる雨水も見ました。
カメラを持っていればよかったのですが残念

ところで、城内の建物にはこんな鉄砲のような鉄の筒がそこかしこで見られます。





これは雨水抜きと言って、窓から室内へ入った雨水を筒を通して外へ出すしくみなんですが、三左衛門はその筒から水が出ているのを見たことがありません。先日の豪雨の時も出ていませんでした
姫路城は軒が深いからでしょうか?? それならこんな雨水抜きは要らないのでは?
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高麗瓦と滴水瓦

2009年08月13日 | 作事
滴水瓦は別名高麗瓦と呼ばれています。
豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加し、陶工や瓦職人を連れて帰った加藤清正が熊本城を築いた時、彼ら渡来朝鮮人が滴水瓦を造ったのがその名の由来です。輝政はその手法を姫路城に取り入れましたが、その瓦を造ったのは地元播州の瓦匠です。

韓国からの旅行者にこの瓦の技法は貴国から学んだというと、たいてい目を白黒させます。韓国の古い建物の瓦はこんな形だったかな、という感じです。でも、天守展示物の中で、Korean Roof Tile の文字を見つけると、なんとなく納得しています。



これは中国で見た滴水瓦です。
でも、よく見ると瓦の先端は切り取られていません。
日本製の方が優れているような気がします。
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忍者と滴水瓦

2009年08月02日 | 作事
姫路城はごくごく一部の建物を除いて、雨樋がありません。それは忍者が壁を登る時、雨樋があると分銅をつけたロープが引っ掛かりやすいので、わざと付けていない、というような説明をしていたガイドが何人もいました。もう10年以上も前のことです。今はさすがにいないでしょう。

雨樋は雨水を軒先で受けて地上に流すために取り付けるもので、それがないと屋根から直接水が落ち、足もとがぬかるんだり、建物に入る時濡れたりすので取り付けられるようになりました。だから、歴史的にはかなり新しく、慶長年間にあったかどうか疑わしいです。それに姫路城に残っている建物は御殿ではありませんし・・
当然ながら忍者とは全く関係がありません。

姫路城には雨樋の代わりに滴水瓦があります。




雨水の落ちる先端部分は切り取られ、
そして、その下にはちゃんと瓦で作った排水溝があります。



さて、池田さんの家紋揚羽が見えます。軒丸瓦には七三桐紋が見えます。では、この桐紋は誰の家紋でしょうか?
実は、これも池田さんの家紋で、輝政が正四位から正三位に昇格した時にこの誉を記念して作った紋だと言われています。

かつて、鬼師(瓦師)の故小林平一さんがこの瓦を見て、桐の花の間を揚羽蝶が飛んでいると書かれているのを読んだ事があります。恐るべし輝政。

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これも落書き?

2009年07月24日 | 作事
姫路城大天守最上階の長押に面白い詰め物(?)が幾つかあるのをご存じですか?
例えば、こんなものです。



星形の模様が見てとれます。また、こんなものもあります。



これなんかはどうでしょう?
ひわいな感じがしないでもありません



色々探してみたのですが、大天守最上階以外では確認できませんでした。
また、この詰め物に関して書かれたものを見た事がありません。
何か意味があるのでしょうか?それとも慶長大工さんの落書きでしょうか?


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姫路城の落書きその2

2009年07月12日 | 作事
大天守3階の壁際に葉っぱの形をした切込みがあります。





これは姫山原生林に生えているタラヨウの葉であるという説があります。
タラヨウの葉は厚く、水分が多いので火をつけても燃えない、だからこの木を植えたと言われています。それ故、この葉っぱの切込みは火除けのお呪いだと・・

でも、ひょっとしたら大工さんの遊び心だったかもしれません。とすると、落書きと一緒?何年前の落書きかは定かではありませんが。

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姫路城の落書き

2009年06月14日 | 作事
先日、姫路城に落書きが400以上発見されたと話題になりました。
でも、その中には「番付」と呼ばれる柱や梁に彫り込まれた各部材の位置や接合部分を示す記号を落書きと勘違いした市民も多くいるとか。例えば、



三左衛門の息子が小学生の時に見つけました。
大天守三階の暗くて低い位置にあります。ちょうど子供の目線です。

これはガイドなら誰でも知っている番付。

「六中め南通ちどりむね」という文字が見えます。
六階南側千鳥破風の棟という意味でしょうか? 
普通、番付は分かりにくい所に切り込まれるのですが、この階に限って南北の梁のよく分かるところにあるため、オリジナルの番付けかどうか判明しかねます。ひょっとして、昭和の大修理の時の大工さんが切り込んだ落書きかもしれません




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塩櫓

2009年02月08日 | 作事
今日アメリカ人を案内中、隣でこんな声が聞こえました。
「腰曲輪ってどういう意味だ?」
三左衛門曰く
「このあたりは人間でいえば、腰の部分。だから腰曲輪と言うんですよ」
「そうか、ありがとう。」と感謝されました

腰の曲輪といえば、塩櫓があります。多量の塩を保存していた倉庫です。
では、何のためにこんなたくさん塩を蓄えていたのでしょうか?
まさかおにぎりや調味料でこんなに多くの塩は要らないでしょう。
三左衛門は当然首実検のためと思っていたのですが、この話を VEGA のメンバーにすると、ほとんどのメンバーが「え~~っ!」

後で調べてみると、塩は色々な働きがあるのには驚きました。
食料の保存、味噌、梅干つくり、魚や肉、野菜等の腐敗防止
馬にも食べさせたとか・・・
弾薬作りにも塩が必要だったとか。

塩は本当に大切だったのですね。
「敵に塩を送る」はわかる気持ちがします。

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姫路城は地震に強いのか、弱いのか?

2009年01月12日 | 作事
元日の神戸新聞に興味深い記事が載っていたので紹介します。

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0001637549.shtml


>財団法人「建築研究協会」(京都市)が大修理の事前調査を担当し、二〇〇六年二月、「震度6弱以上で四階以上が激しく揺れて、柱が折れ壁が崩れる恐れがある」との結果を公表した。

姫路城は地震に強いと信じていましたので、この結果が公表された時は大変驚きました。阪神大震災の時、姫路も震度4でかなり揺れました。ところが、大天守最上階の刑部神社に奉納されているお神酒の一升ビンが倒れなかったのです。すごいでしょう。外国人もびっくりです。なのに、柱が折れるだと・・

でも、今回

>大地震で大破の懸念があるとされてきた世界遺産の国宝姫路城大天守は、震度6強の揺れにも耐え得ることが、姫路市教育委員会などの最近の調査で分かった。漆喰(しっくい)を塗り込めた城郭の壁が耐震に寄与。地盤も強固なためという。四百年前に築城された近世城郭建築の最高峰は、十分な耐震性も備えていることが証明された。

>多淵名誉教授は大修理について「見栄えが悪くなるような補強は不要ではないか」と話している。

嬉しいではないですか。どんな耐震補強をするのか三左衛門は怯えていたのですから。

下の写真も大加戸コレクションから。
西の心柱の継手でしょうか?こういう修理方法なら文句はないのですが




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流し

2008年12月08日 | 作事
大天守地階に大きな流しがあります。
外国人ゲストに毎回、「これは何だと思いますか?」と質問するのですが、正解を聞いた事がありません。「風呂?」が一番多い答え。

ところが、先日ガイド中にとんでもないものを見ました。
あの流しで寝ころんでいる日本人旅行客がいたのです。ガイド中にもかかわらず思わず、大きな声で
「どこに入っているんや!国宝やど!!!!」

でも、すぐには立ち上がらず、後ろから怒声で
「オイ、オイ」と威嚇されました。とんでもない奴がいるもんです。無視して英語を喋っているといつの間に居ませんでしたが・・

もう何千人もの外国人を案内してきましたが、酒の匂いがするゲストには未だ出会った事がありません。一方、バスで飲んでいるのでしょうか、酒気おびの日本人旅行者は結構います。最低限のマナーだけでも守って欲しいものです。

ところで、その時案内していたイタリア人に
「これは何だと思う?」と訊くと
「ベッドか?」と彼は笑って答えました



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