姫路城はごくごく一部の建物を除いて、雨樋がありません。それは忍者が壁を登る時、雨樋があると分銅をつけたロープが引っ掛かりやすいので、わざと付けていない、というような説明をしていたガイドが何人もいました。もう10年以上も前のことです。今はさすがにいないでしょう。
雨樋は雨水を軒先で受けて地上に流すために取り付けるもので、それがないと屋根から直接水が落ち、足もとがぬかるんだり、建物に入る時濡れたりすので取り付けられるようになりました。だから、歴史的にはかなり新しく、慶長年間にあったかどうか疑わしいです。それに姫路城に残っている建物は御殿ではありませんし・・
当然ながら忍者とは全く関係がありません。
姫路城には雨樋の代わりに滴水瓦があります。

雨水の落ちる先端部分は切り取られ、
そして、その下にはちゃんと瓦で作った排水溝があります。

さて、池田さんの家紋揚羽が見えます。軒丸瓦には七三桐紋が見えます。では、この桐紋は誰の家紋でしょうか?
実は、これも池田さんの家紋で、輝政が正四位から正三位に昇格した時にこの誉を記念して作った紋だと言われています。
かつて、鬼師(瓦師)の故小林平一さんがこの瓦を見て、桐の花の間を揚羽蝶が飛んでいると書かれているのを読んだ事があります。恐るべし輝政。
雨樋は雨水を軒先で受けて地上に流すために取り付けるもので、それがないと屋根から直接水が落ち、足もとがぬかるんだり、建物に入る時濡れたりすので取り付けられるようになりました。だから、歴史的にはかなり新しく、慶長年間にあったかどうか疑わしいです。それに姫路城に残っている建物は御殿ではありませんし・・
当然ながら忍者とは全く関係がありません。
姫路城には雨樋の代わりに滴水瓦があります。

雨水の落ちる先端部分は切り取られ、
そして、その下にはちゃんと瓦で作った排水溝があります。

さて、池田さんの家紋揚羽が見えます。軒丸瓦には七三桐紋が見えます。では、この桐紋は誰の家紋でしょうか?
実は、これも池田さんの家紋で、輝政が正四位から正三位に昇格した時にこの誉を記念して作った紋だと言われています。
かつて、鬼師(瓦師)の故小林平一さんがこの瓦を見て、桐の花の間を揚羽蝶が飛んでいると書かれているのを読んだ事があります。恐るべし輝政。
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