大天守への入口は4箇所あります。それぞれの入口の扉は二重扉で外側は防火用の漆喰を塗り込めた土扉、内側はくろがね造りの堅牢な板扉となっています。
上の写真は靴脱ぎ場から大天守地下へ入る入口です。漆喰の土壁が防火シャッターの役割をはたしているのがよく分かります。
これは東小天守へつながるイの渡櫓からの入口です。
同じような漆喰土扉と鉄張りの板扉の二重扉になっています。
こちらは地下の「流し」横にある扉です。
台所櫓からの入口ですが、普段は閉じられたままなので外側の状態は見ることが出来ません。
実はこのようになっています。
萩原一義編著「城郭建築の至宝 姫路城」より
さて、問題は大天守1階から「二の渡櫓」そして西小天守へつながる入口です。
こちらも通常閉じられていますので、外側が全く分かりません。写真も捜しましたが見つかりませんでした。そこで、昭和の大修理で活躍された元文部技官 西村吉一さんにお尋ねしたところ工事報告書の写真を見せて頂きました。すると、予想通り写真の板扉には鉄板が貼ってあり、その外側は漆喰土扉でした。
この様に大天守入口は防火仕様かつ堅固な造りになっています。
ところが、不思議なことに小天守の入口は極めて貧弱な造りです。
次の図をご覧ください(大天守入口周辺は実に複雑な構造になっていますが、都合上簡略化しています)
現在の天守群出口が小天守のへの入口です。
内側から見ると
どうですか?漆喰土扉どころかこれではまるで「勝手口」ではありませんか!
ある時期天守への入口と出口が反対になったことがありました。現在の出口から天守へ入って行ったのですが、三左衛門はその時大変な違和感を感じました。なんだこの扉は?敵兵を迎え撃つという感じでは全くない。ところが、この扉に関する質問は外国人からも日本人のお城マニアからも受けたことがありません。でも、不思議だと思いませんか?
そこで、三左衛門はある推理をしてみました。その推理は次回で。
上の写真は靴脱ぎ場から大天守地下へ入る入口です。漆喰の土壁が防火シャッターの役割をはたしているのがよく分かります。
これは東小天守へつながるイの渡櫓からの入口です。
同じような漆喰土扉と鉄張りの板扉の二重扉になっています。
こちらは地下の「流し」横にある扉です。
台所櫓からの入口ですが、普段は閉じられたままなので外側の状態は見ることが出来ません。
実はこのようになっています。
萩原一義編著「城郭建築の至宝 姫路城」より
さて、問題は大天守1階から「二の渡櫓」そして西小天守へつながる入口です。
こちらも通常閉じられていますので、外側が全く分かりません。写真も捜しましたが見つかりませんでした。そこで、昭和の大修理で活躍された元文部技官 西村吉一さんにお尋ねしたところ工事報告書の写真を見せて頂きました。すると、予想通り写真の板扉には鉄板が貼ってあり、その外側は漆喰土扉でした。
この様に大天守入口は防火仕様かつ堅固な造りになっています。
ところが、不思議なことに小天守の入口は極めて貧弱な造りです。
次の図をご覧ください(大天守入口周辺は実に複雑な構造になっていますが、都合上簡略化しています)
現在の天守群出口が小天守のへの入口です。
内側から見ると
どうですか?漆喰土扉どころかこれではまるで「勝手口」ではありませんか!
ある時期天守への入口と出口が反対になったことがありました。現在の出口から天守へ入って行ったのですが、三左衛門はその時大変な違和感を感じました。なんだこの扉は?敵兵を迎え撃つという感じでは全くない。ところが、この扉に関する質問は外国人からも日本人のお城マニアからも受けたことがありません。でも、不思議だと思いませんか?
そこで、三左衛門はある推理をしてみました。その推理は次回で。