姫路の城下町は内堀、中堀、外堀の三重の堀によって、内曲輪、中曲輪、外曲輪と分けられていました。内曲輪は天守や御殿がある城の中心部です。中曲輪は武士が住んでいた地域です。そして、外曲輪には町人が居住していて一部寺社や武家地もありました。現在の国道2号線は中曲輪と外曲輪を分けていた中堀を埋めて建設されました。
さて、その埋められた国道2号線の歩道を歩いているとこんな鉄平石があります。
これは石垣があった事を示す「しるし」なのです。
写真の場所はちょうど中ノ門の石垣があった所です。
この中ノ門を2号線に沿って東へ行くと総社門跡がありますがそこにもこんな鉄平石が貼ってあります。
さらに総社門跡にはなんと車道にも「しるし」があります。
復元図からイメージが湧きますでしょうか?Google Maps から見るとこんな感じです。
先にあげた写真はすべて東側から西へ向かって撮ったものです。だから、右手つまり北側に土塁が見えます。ところが、国道2号線の南側の歩道を歩いていると、そこにも鉄平石が貼ってある所が見つかります。
三左衛門はこれを見つけた時、大変困惑してしまいました。
中堀は北の土塁と南の石垣に挟まれていたのだろうか???
そこで色々調べてみたところこんな資料がありました。姫路市埋蔵文化財センター「姫路城世界遺産登録30周年記念展 姫路城」
黒い線が引かれているところは石垣です。だから中堀の南側に接している所は間違いなく石垣です!でも、納得できません。堀の北側は高い土塁なのになぜ南側に高い石垣を積んだのでしょうか。
えっ、高い石垣?高い?どこにも高石垣とは書いていない!
そう、三左衛門は石垣は高いものと勝手に思い込んでいたのです。中堀南側の石垣は防衛のための高石垣ではなく護岸の石垣だったかもしれんません。
これは内堀ですが、ちょうど矢印の様な堤を守る石垣だったのしょう。早とちりでした。
皆さんも一度国道2号線をじっくり歩いてみませんか?色々発見があるものです。
中濠ツアー
<追記>
ブログを読み直しているとなんと最初に貼り付けた写真に石垣の手掛かりがありました。凡例に注目。必死で資料を探したのに・・・
さて、その埋められた国道2号線の歩道を歩いているとこんな鉄平石があります。
これは石垣があった事を示す「しるし」なのです。
写真の場所はちょうど中ノ門の石垣があった所です。
この中ノ門を2号線に沿って東へ行くと総社門跡がありますがそこにもこんな鉄平石が貼ってあります。
さらに総社門跡にはなんと車道にも「しるし」があります。
復元図からイメージが湧きますでしょうか?Google Maps から見るとこんな感じです。
先にあげた写真はすべて東側から西へ向かって撮ったものです。だから、右手つまり北側に土塁が見えます。ところが、国道2号線の南側の歩道を歩いていると、そこにも鉄平石が貼ってある所が見つかります。
三左衛門はこれを見つけた時、大変困惑してしまいました。
中堀は北の土塁と南の石垣に挟まれていたのだろうか???
そこで色々調べてみたところこんな資料がありました。姫路市埋蔵文化財センター「姫路城世界遺産登録30周年記念展 姫路城」
黒い線が引かれているところは石垣です。だから中堀の南側に接している所は間違いなく石垣です!でも、納得できません。堀の北側は高い土塁なのになぜ南側に高い石垣を積んだのでしょうか。
えっ、高い石垣?高い?どこにも高石垣とは書いていない!
そう、三左衛門は石垣は高いものと勝手に思い込んでいたのです。中堀南側の石垣は防衛のための高石垣ではなく護岸の石垣だったかもしれんません。
これは内堀ですが、ちょうど矢印の様な堤を守る石垣だったのしょう。早とちりでした。
皆さんも一度国道2号線をじっくり歩いてみませんか?色々発見があるものです。
中濠ツアー
<追記>
ブログを読み直しているとなんと最初に貼り付けた写真に石垣の手掛かりがありました。凡例に注目。必死で資料を探したのに・・・