菱の門は三左衛門が一番好きな門です。じっくりガイドするとあっという間に1時間経ってしまいます。
3回も記事にしているのにまたまた菱の門ネタです(^^;) そのきっかけはある日本語ガイドさんの説明でした。
「柱の上にヒシの花のマークが付いているので菱の門と言われています」
えっヒシの花?三左衛門はずっとヒシの葉と説明していました。マークというのは下の木彫りの紋のことです。
下の写真は英語ガイド仲間の松山さんからお借りしました。
姫路市教育委員会発行の「世界遺産姫路城 公式ガイドブック」によると「2本の鏡柱上部の冠木に大きな木彫りの菱紋がついているのでその名がある」とあります。さらに、沼田頼輔著「日本紋章学」によると「菱紋は斜方形に象れるものにして、これを菱といふは、その形の茎葉に似たるが故に名付けられたものにして・・」「而してその発達も斜方形のものより始まりて、後に写実的の菱葉に移り、・・」だから、ヒシの花よりも葉の方が近しいと思いますがどうでしょう?
正直に言いますと、三左衛門はしっかりとした根拠もなくこの菱紋をヒシの葉と思い込んでいました。でも、英語ガイド仲間に大正15年発刊のこの本を教えてもらい再確認することが出来ました(VEGAのメンバーは博識が高い…)
ところが、菱の門の新しい案内板にはなんと「菱の門の名称は、鏡柱上部の冠木に木製の花菱が飾られていることに由来します・・」と書かれています。「花菱」は菱紋の一種で、まさしく花です。しかしながら「花菱」は菱形の文様を四分してそれを四弁の花に見立てたものであって、必ずしもヒシの花というわけではありません。花菱という文様なんですね。案内板の英文は the wooden flower emblems と書かれています。
ところで、今は亡き英語ガイドの大先輩にはこう教えてもらった事があります。「菱の門は近くにヒシがたくさん生えていたので菱の門と名付けられた。菱紋は後から付けられた紋であり、元からあったものではない」けれど、三左衛門はその話に疑問を感じていました。どこにもそんな話は書かれていないし、ヒシが生えているのならそのあたりは湿地でなければならないし・・
そこで気になり調べてみました。すると、こんな文献がありました。
「姫路城案内」(昭和9年、史蹟姫路城管理事務所)
そのなかで、「門の名は築城以前この邊に菱川があった、それから起つて居ります。」という一文を見つけました。なんと菱川という川があったようです。そこで更に調べると、この菱川を見つけました。下の古地図をご覧ください。
「姫路誌」(大正元年、姫路市役所)
下の古地図の所に菱川という文字が見えます。そう菱の門辺りですね。ということは、築城以前に菱川があり、築城後も菱川の痕跡が残っていたのでしょう。
以上、二つの文献より菱の門は「菱川」がその名前の由来であると考えられます。木彫りの菱紋もしくは花菱紋が取り付けられているからその名が付いたわけではなさそうです。でも、でも、これは三左衛門のひとりごとです。信用してはダメですよ。
それにしても、大先輩が教えてくれた「菱の門は近くにヒシがたくさん生えていたので菱の門と名付けられた。」という話は門の近くに川があったという事を考えると、当たらずとも遠からずですね。インターネットがない時代によく研究されていたと今更思い、己の不勉強さを反省するばかりです。
「参考にさせていただいています」のコメントなのですが、個人情報を書きすぎたので消していただけますか?ごめんなさい!
色々なページを読ませていただいています。有難うございます。また別途コメントさせていただきます。
菱の門の由来、本当に面白く読ませていただきました。花菱が実は、菱の葉を花の形に並べたもの・・・など、勉強になることばかりです。
おまけに「菱川」が門の辺りにあったとは・・・。その説が有力だと私も思います。
今後も参考にさせていただきます。