先日、テレビで「姫路城の謎の隠し部屋」として乾小天守最上階が紹介されていました。2月に特別公開しているので、少々大袈裟と思いましたが、普通に考えると広々とした格子のない窓、そして、その窓の一部は火灯窓。防御性が貧弱な小天守は不思議な部屋と言えるかもしれません。
三左衛門はこう考えています。乾小天守最上階は城主、池田輝政とその家族が初期に籠城する部屋。
輝政の正妻は将軍徳川家康の次女、督姫。籠城と言えども、不粋な部屋に閉じ込めるわけにはいきません。火灯窓が付いた格式の高い乾小天守が相応しい。それに乾小天守は台所櫓と意外なほど近いのです。
これは乾小天守と東小天守を結ぶロの渡櫓にある扉で、この扉は台所櫓につながっています。だから、台所櫓で調理した食事はたやすく乾小天守へ運ぶ事が出来ます。一方、食事を大天守の最上階へ運ぶとすれば、重たい二重扉を開き地下から階段を上がっていかなければなりません。乾小天守の方がずっと便利です。
更に乾小天守は以前ご紹介した厠にも近いのです。
但し、厠へ行くには一旦外へ出なければなりません。小天守出入口と厠の位置関係は次の写真をご覧ください。
ところで、この写真はなかなか撮れません。と言うのはこの場所はいつも大変混雑しており、しかも暗くかつ広角レンズでないと撮れないからです。そこで、著名な城郭写真家の岡泰行氏にご無理を言って写真をお借りしました。岡泰行氏は有名な城郭サイト「お城めぐりFAN」の管理者で姫路城の記載も大変充実しております。姫路城天守内部の説明でこれ程詳しいのものを三左衛門は知りません。姫路城天守のサイトはこちらから。
一読をお勧めします。
さて、上の写真の右側階段が小天守の出入口、左側の扉が厠の入口です。
厠へ行くには小天守の出入口から外へ出なければならないのですが、その扉は木製の引き戸、女性でも簡単に開けられます。まるで、勝手口の様です。
以前、『漆喰土扉どころかこれではまるで「勝手口」ではありませんか!』と書きましたが、訂正します。この出入口はまさしく勝手口です。乾小天守から厠へ或いはちょっと外へ行きたい時にこの勝手口を使うつもりだったのではないでしょうか。
もちろん、敵が近づいて来ると輝政と督姫達は大天守へ移動する計画だったと思われます。そして、勝手口から誰もいなくなった小天守に進入した敵を大天守から建物ごと攻撃する作戦だった、と三左衛門は推理しています。
やっぱり考えすぎでしょうか?
三左衛門はこう考えています。乾小天守最上階は城主、池田輝政とその家族が初期に籠城する部屋。
輝政の正妻は将軍徳川家康の次女、督姫。籠城と言えども、不粋な部屋に閉じ込めるわけにはいきません。火灯窓が付いた格式の高い乾小天守が相応しい。それに乾小天守は台所櫓と意外なほど近いのです。
これは乾小天守と東小天守を結ぶロの渡櫓にある扉で、この扉は台所櫓につながっています。だから、台所櫓で調理した食事はたやすく乾小天守へ運ぶ事が出来ます。一方、食事を大天守の最上階へ運ぶとすれば、重たい二重扉を開き地下から階段を上がっていかなければなりません。乾小天守の方がずっと便利です。
更に乾小天守は以前ご紹介した厠にも近いのです。
但し、厠へ行くには一旦外へ出なければなりません。小天守出入口と厠の位置関係は次の写真をご覧ください。
ところで、この写真はなかなか撮れません。と言うのはこの場所はいつも大変混雑しており、しかも暗くかつ広角レンズでないと撮れないからです。そこで、著名な城郭写真家の岡泰行氏にご無理を言って写真をお借りしました。岡泰行氏は有名な城郭サイト「お城めぐりFAN」の管理者で姫路城の記載も大変充実しております。姫路城天守内部の説明でこれ程詳しいのものを三左衛門は知りません。姫路城天守のサイトはこちらから。
一読をお勧めします。
さて、上の写真の右側階段が小天守の出入口、左側の扉が厠の入口です。
厠へ行くには小天守の出入口から外へ出なければならないのですが、その扉は木製の引き戸、女性でも簡単に開けられます。まるで、勝手口の様です。
以前、『漆喰土扉どころかこれではまるで「勝手口」ではありませんか!』と書きましたが、訂正します。この出入口はまさしく勝手口です。乾小天守から厠へ或いはちょっと外へ行きたい時にこの勝手口を使うつもりだったのではないでしょうか。
もちろん、敵が近づいて来ると輝政と督姫達は大天守へ移動する計画だったと思われます。そして、勝手口から誰もいなくなった小天守に進入した敵を大天守から建物ごと攻撃する作戦だった、と三左衛門は推理しています。
やっぱり考えすぎでしょうか?