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八王子市散田町在住のスポーツ好き親父の戯言!

八王子市の学童野球チーム散田ドラゴンズ元管理人(2007年3月~2016年2月)のブログです。

2010年06月09日 08時38分54秒 | 指導・育成のうんちく

先日読んだ佐野眞一著『宮本常一が見た日本』の宮本常一という人は、多くの人に慕われ、師と仰がれているようですが、その宮本常一が師と仰いだのが、渋沢敬三だそうです。渋沢敬三は、日本資本主義の父とも言われた渋沢栄一の孫で、自身も優れた民俗学者であり、私財を投じて多くの学者を支援したパトロンでもあったそうです。

 

「ほんとうの教育者はと問われて」という新聞アンケートに対して、宮本常一は渋沢について次のように答えたそうです。

『私はこの師を持ったことを心から幸福であると思った。私などおしゃべりで、人に向かってしゃべりすぎる。しかし渋沢先生は話をきく人であった。相手の話をきくことによって相手を成長させていった。ただ聞くのではなく、聞くことの中に指導があった。見おとして来たこと、調査の方法のあやまりなどを相手に気付かせていったのである。そしてそのような指導法のあることをこの師によって教えられた』

これは今流行りのコーチングの手法そのものです。

 

渋沢敬三は、パトロンではありましたが、いわゆる大金持ちの道楽ではなく、自身も優れた学者、教育者であり、むやみやたらと金をばらまいたわけではないようです。むしろ、必要最低限の援助をしただけで、宮本常一自身もずっと経済的には厳しい生活をしたようです。いろいろ招聘の話もあったようですが、次の言葉を胸に刻んでいたからでしょうか。

 

『敬三は宮本によく言った。「君には学者になってもらいたくない。学者はたくさんいる。しかし本当の学問が育つためにはよい学問的な資料が必要だ。とくに民俗学にはその資料が乏しい。君はその発掘者になってもらいたい。そういう作業は苦労ばかり多くて報われることは少ない。しかし君はそれに耐えていける人だと思う」』

 

なかなか言えない言葉ですね。「苦労しなさい、君なら耐えられる」って、自分自身よほど身を慎み、相手の人生を受け止める覚悟がなければ言えない言葉です。また、言われた方もよほどの信頼がなければ、その通りのことはできないでしょう。この師にして、この弟子ありということでしょう。

 

『「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況をみていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたもののなかにこそ大切なものがある。それを見つけていくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになることだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものも多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまねばならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要を認められないときは黙ってしかも人の気にならないようにそこにいることだ」

渋沢が静かに語りかける言葉は、宮本の心に強くしみとおった。』

 

主には、学問の心得について述べているのでしょうが、人生そのものについての身の処し方についての言葉にもなっています。これを実践することはなかなか難しいことですが、こうした言葉を語りかけてくれる師を持てる人は幸せですね。

 

野球やスポーツの世界でも、本当に優れた指導者は、技術論だけではなく、このような人を育てる術にたけているように思います。学問でも、スポーツでも、専門的な技術は必要条件でありますが、人間性が伴ってはじめて必要十分条件が満たされるのでしょう

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