阪神淡路大震災は、1995年1月17日に起きました。関東からは遠い関西での出来事でしたが、あまりの出来事にいまだに忘れられない日です。
まだ、中野区の社宅に住んでいる時でした。仕事に出かける準備をして出かけるまで、ずっとテレビニュースを見ていたことを今でも鮮明に覚えています。朝もやにけむるような神戸の街の遠景の画面のところどころに、狼煙のように火事の煙がたなびいていました。
その時点では、被害状況の詳細は分かっていませんでしたが、「これはとんでもないことになった」ということが画面を通しても伝わってきました。
昨日3月11日(金)の地震も同じです。東京にいる自分自身が本当に命の危険を感じるような揺れを感じ、その後、震源が遠く離れた宮城沖だという報道を聞き、「これはとんでもないことになる」と感じました。
昨夜、やっとのことで帰宅してそれまでワンセグなどで断片的に見ていた情報をテレビで確認すると、本当にとんでもないことになっていました。阪神大震災のような火もありましたが、今回の巨大地震の恐ろしさは、津波でした。東北・北海道の海岸沿いの人は、津波の怖さは知っていますが、ここまでの津波を経験した人は当然いません。地震後30分から1時間ほどの時間はあったようですが、お年寄りなど体の自由がきかない人はすぐに避難できなかった可能性はあります。そして、浜辺だけでなく、数キロにもわたって流れ込む巨大津波では、逃れようもなかったでしょう。
そして、2時46分の最初の揺れは、宮城沖でマグニチュード8.8という日本観測史上最大の巨大地震だったことに加え、十数分後の余震もマグニチュード7台で場所は、茨城沖まで南下し、さらに岩手沖でも同規模の余震が起きるなど、広範囲にわたったことが、この地震の巨大さを表しています(13日マグニチュード9.0と修正されました)。
さらに、震源地に近い福島原発の炉心の溶解が始まり、それを止めるために、一部放射能を含むガスを放出する作業をしてるさなかに、爆発が起きて、一気に緊張が走りました。最悪の事態は避けられたようですが、まだまあ予断を許さない状況です。
3月11日も忘れられない日となりそうです。被災者の方には、一刻も早く、飲み物、食べ物、暖かくして寝られる場所を確保してあげてほしいですし、落ち着いてからは、一日も早く生活を立て直す手段を講じてほしいと思います。私たちも、できる限りのことをしたいですね。