自民党の古賀選対委員長が東国原宮崎県知事に次期衆院選への出馬要請をし、それに対して、東国原知事が「総裁候補とすること」「全国知事会のマニュフェストを一言一句変えずに自民党のマニュフェストにすること」などを条件として、大騒動になっています。
自民党からは当然のごとく、激しい反発が湧き起りました。「お笑い芸人が…」とか、「顔を洗って出直して来い」とか、いろいろありますが、結局はよくある「男の嫉妬」でしょうね。自民党の国会議員という井戸の中にいれば、衆議院1回生、2回生はもちろんのこと、衆議院議員にすらなっていない者が「総裁になる」と発言すること自体が冗談としか思えないのです。それが、国民とかい離した自民村の常識なのです。しかし、これは世の中の非常識であります。
世の中が安定している時期には、自民村の常識でも通用します。つまり、1回生議員は議会でのヤジや体を張った抗議などで汗を流し、当選2~3回で政務次官をやり、当選5~6回で大臣を経験、子分を増やして、総裁選へというまだろっこしい手続きです。しかし、世の中が大激変している時にそんな悠長なことを言っていられないわけです。今、やらなければいけないことを出来る人は誰かということです。例えて言えば、火事が起こった時に責任者の指示が出るまでじっとしていたら、焼け死んでしまいます。仮に責任者がいても、その人がオロオロしていたり、無能だったら、同じく死んでしまいます。どんな立場の人であれ、「火事だァ~」と大声をあげて周囲に知らせて避難を指示し、安全に誘導できる人が、その場のリーダーなのです。
有権者が選んだ議員はその他大勢の中に埋もれてしまい、総理大臣を直接選べない国政に比べ、知事というのは直接県民に選ばれ、リーダーとしての手腕が大いに問われる職です。そんな職に就いて、体を張った行動力で90%の支持を得ている知事が、自浄能力を欠いた政権政党のトップに就いたって、国民の感覚から言ったらまったくおかしくないわけです。そこに気づかないからこその自民党のていたらくであり、今回の反発です。アメリカの大統領選挙だって同じです。上院議員経験の浅いオバマ氏が大統領選に出馬することに対し、「顔を洗って出直して来い」と誰か言ったでしょうか?
一方、東国原知事が90%の支持(逆に言うと国政への転身の反対)を受けながら、国政への意欲を示すことも分からなくはありません。いかに県内で支持を集めても、結局は法律や国の行政機構の壁に阻まれて、思ったことが出来ない場面が多々あるからです。ただし、先に述べたように国政では、一議員になるともっと思ったことが出来ないからこそ、石原慎太郎や北川正恭など国政から知事に転身する人も多いのです。だから、東国原知事は自民党の非常識とも思える条件を突きつけたのです。それがない限り、力を発揮することが出来ないからです。
今回の騒動がどう落ち着くか分かりませんが、今の日本の従来型のシステムからはリーダーが生まれにくくなっていることははっきりしているようです。東国原知事にしても、橋下大阪知事にしても、マスメディアからの転身で色眼鏡で見られますが、私利私欲を捨て、行動力を持ったリーダーシップは、永田町という狭い領域で業界常識にうつつを抜かす国会議員よりはるかに、リーダーにふさわしいように思います。次の選挙は、新しいシステムへの第一歩になるといいですね。
そして、変なしがらみや男の嫉妬ではなく、はっきりした実力と行動力でリーダーシップが問われるスポーツでたまったストレスを発散したいものです。