この台地は、たかだか20メートル程度の低い丘陵なのだが、周辺の平野の中から抜きん出ていて目立つ丘なのだ。
江戸川東岸に位置するこの高台には、里見公園があり、その一角に国府台城の跡があって、これが国府台合戦の古戦場なのである。
天文7年(1538)、永禄7年(1564)の2回にわたり小田原の北条氏と足利勢の小弓公方及び安房の里見氏がここで激戦を繰り広げたのである。2回目の激戦では、里見氏が敗戦して多くの武将が命を落としたとのことである。
(この里見氏は、曲亭馬琴の南総里見八犬伝にも登場する安房の豪族である。)


城跡からは広い江戸川を挟んで、江戸が一望できる。
時代が下って徳川家康が江戸に入府すると、この城から見下ろされるのは用心が悪いというので、廃城にされたという。

国府台城は、西に江戸川の流れを要し、防備に活かせる造りになっている。
国府台合戦のころには、利根川や鬼怒川はまだ銚子方面に向かっておらず、今の荒川、中川、江戸川を乱流していたはずなのだ。
城の北側は、矢切。矢切の渡しがあって、船で向こうへ渡ると寅さんの柴又になるのだった。