Sam'sダイアリー

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1枚の写真・・・その8-真夏の祭典「鈴鹿8耐」 

2012-07-21 08:00:00 | 1枚の写真
梅雨も明け、連日30℃を超える猛暑 本格的な夏の到来である。

そして「鈴鹿8時間耐久オートバイレース」がいよいよ来週7月26日から始まる。
今年で35年目を迎える「真夏の祭典 鈴鹿8耐」 ・・・

決勝は7月29日(日)11時30分スタート・・・8時間後の「ゴール」を目指して、1.200km以上をひた走る。
気温30℃オーバー、路面温度50度超の過酷な条件の中、スプリントレース並みのタイムで周回を重ねるライダーとマシン。それを支えるメカニック、スタッフはもちろん、レースを観戦している観客にとっても、ひたすら暑さとの勝負である。


その「鈴鹿8耐」 ピーク時は16~7万人もの観客が詰めかけ、サーキット内の移動もままならないぐらいの入場者数であったがワークスの撤退、海外からの有名ライダーも参加しなくなったこともあり、年々観客動員数が少なくなっている。 それでも「鈴鹿8耐」はイベントも盛りだくさんで、他のレースよりは多い。
また、普段見ることが出来ないベテランライダーも多く参戦するので おおいに見る価値がある!


1978年「第1回インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース」・・・
「真夏の祭典 鈴鹿8耐」のスタートの年だ。 まだ世界選手権になっていなかったレースである。

カワサキもこの記念すべき第1回に 「和田 将弘/清原 明彦」選手のペアで参戦した。

マシンはZ1・Z2?・・・NO! 「KR350」である。


<清原選手ライディングのKR350 8耐仕様>




今思えばGPマシンでの耐久レース参戦  意味があったのか疑問が残るが?

8耐に出走させるためヘッドライト・テールランプを装着。ジャネレーターも装備、カウルの改修と外観だけは「8耐仕様」になったが、エンジンは基本的にGPスペックのままである。はたして8時間完走できるのか?
思いはいろいろあったが とにかくレースは始まった。


予選1位は「杉本五十洋/デッビッド・エムデ」組の2サイクル「TZ750」、2位は「ウエス・クーリー/マイク・ボールドウィン」組の「ヨシムラSUZUKI-GS1000」、3位は「グレーム・クロスビー/トニー・ハットン組」の「カワサキZ1」、4位は「クリスチャン・レオン/ジャン・クロードシュマラン」組の「ワークスホンダRCB1000」、そして「KR350」は排気量のハンディもあったが5位につけた。

4サイクル大型スポーツスポーツ車を持たないヤマハは ほとんどがTZ250・350改での参戦、レギュレーションも確立されていない混走である

<予選結果>




そしてレース当日 1978年7月30日 晴れ すでに30℃を超えた気温の中 
11時30分 カウントダウンとともに一斉にスタート・・・



レースは「クーリー/ボールドウィン」組がスタートから快走し、レース序盤でほとんどのチームを周回遅れにした。しかし、レース序盤でのピット作業でトラブルが発生。ヤマハTZ750改を駆る「杉本/エムデ」組が逆転する。 だが「杉本/エムデ」組もその後のピット作業で手間取り、「クーリー/ボールドウィン」組が再逆転。

結果194周を走破した「ヨシムラレーシング」の「ウエス・クーリー/マイク・ボールドウィン」組が「ワークスホンダRCB1000」を破り 初代勝者となった。2位に「杉本/エムデ」組。そして3位には、途中ガス欠でスプーンカーブからマシンを押して戻ってきた「ハットン/クロスビー」組が入った。

ちなみに「和田/清原」組の「KR350」は131週目にウォーターポンプギヤの破損でオーバーヒート、ヘッドガスケットが吹き抜けリタイアとなった。


<レース結果>





8耐も1980年から世界選手権に組み込まれ、1984年からコカ・コーラが冠スポンサーになったころから「真夏の祭典」として定着し、次第に人気が高まってきた。バブル期を象徴するように、このころは有名人やタレントがこぞってチーム監督として参加し、よりいっそう人気が出てきた時代である。

ちなみにカワサキは幾度か表彰台に立つことが出来たが、優勝したのは1993年第16回の
TT-F1マシンレギュレーションの最終年に「スコット・ラッセル/アーロン・スライト」組の1回だけである。

8耐だけはいくら勝とうと努力をしてもなかなか勝てないレースである。
いくらマシンの性能が良くても、一流のライダーが乗っても、チームワークが良くても・・・
運も味方する

それにしても当時はキャンギャルなど皆無!・・・当然コース上でのパラソルサービスなし、ケータリングサービスなし、男臭さプンプン オイルの焼ける匂いプンプンであった。



今は8耐だけでなく、国内のオートバイレース全体の観客動員数が極端に少なくなっている。
また若者がバイク・車に興味を示さない時代になっている。それほど魅力が無いのか?

1978年の第1回から いくどとなく、あの焼け付くような暑さの中で「鈴鹿8耐」を戦ってきたか・・・
ウイーク中、毎晩ホテルに帰るのは深夜、日が変わっている時もしばしばあった。

「真夏の祭典 鈴鹿8耐」・・・・・2001年「Kawasaki Racing Team」として参戦した 最後の年
今はただただ 懐かしい思い出である。









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2 コメント

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この現場に居たなんて! (kakogawalionya)
2012-07-21 21:32:24
この現場に居たなんて!

本当にバイクが?一番熱かった時代ですね?
M.ボールドウィンもW.クーリーも大好きなライダーですが・・・・ビデオでしか知らない世代です。

それにしても2STも4STも一緒くたで排気量も何でもあり?今に思えばホントめちゃくちゃやけどワクワクどきどきしますね!

その現場に居られた方にこうしてコメントを送っているいうのが、なにか信じられない感じで・・・・

よくよく考えたら・・・・キーボードを打つ手が震えます!
なにを おっしゃる・・・ (sam-wd3)
2012-07-22 01:00:29
なにを おっしゃる (kakogawalionya)さん! これが、私の仕事でした。

今思えば、私はラッキーでしたね。いい上司に恵まれて、結構好きなようにさせてもらいました。

しかし、「メーカー」としてのレース参戦は勝つこと。そういう意味では、ずいぶんしんどい想いをしてきました。

まあ~いい思い出ですね!

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