この写真は1975年9月カリフォルニア州オンタリオモータースピードウェイでの
プラクティス中に発生し、無残にクラッシュしたKR750・・・
*注:オンタリオモータースピードウェイは1980年に閉鎖
1975年は空冷750ccH2Rの後続モデルとしてKR750がデビューした年である。
スズキがすでにTR750水冷3気筒を走らせていたので 水冷化は「must」であった。
参戦計画は1975年「デイトナ」をデビュー戦としたが、計画は遅れに遅れ
部品がそろい1号機のエンジンが組上がったのが1974年11月の末・・・
それからのベンチテストは必死であった。 当然 年末年始の休みは無し
なんとか間に合わせてデイトナに持ち込んだが結果は目に見えていた。
その年の後半 9月のAMAオンタリオレースに再びチャレンジ。
US・UK・日本と カワサキは総勢5名のライダーでレースに挑どみ
日本からは和田将弘、(故)阿部孝夫 両ライダーが参戦した。
そしてプラクティスが始まって間もなく あわやの大惨事が・・・・
ふと 最終コーナーに目をやるとライムグリーンのマシンが1台
5~6m宙に舞ってクラッシュした。
走行している5台のマシンは同じデザイン、カラーリング、ライダーの
つなぎもグリーンで同じ、一瞬 日本チームか?・・・と思ったが前を通過
クラッシュしたのはUKチームの「ミック・グラント」のマシンであった。
幸い大きな怪我も無かったようで、起き上がりコースサイドに避難するのが
確認でき ホットした。
ピットに戻って帰たミックは打撲だけで済んだが顔面蒼白・・・
原因は最終コーナーを立ちあがり、加速を始めた時にリアタイヤがバーストして
タイヤの一部がシートカウルに突き刺さり リアが瞬時にロックされたため
宙に舞い上がった。
このころはエンジンの出力特性も 影響しているが
タイヤの性能が マシンのパワーに追い付いていなかった時代である
当時はホントにタイヤが負けてましたね。
そういえばKR、JARIでよく焼き付いてました() 一度、焼き付いて惰性で走行してる阿部さんのKRをバイクで後ろから押してピットまで押して行った事がありました~
今のようにデータロガーを搭載して情報収集が出来ない時代
ライダー評価を我々が適格に判断し、感と経験が試されていた時代でした
今でも和田さんの粋なオシャレを思い出しています・・・
通勤カーにW1マフラーなど等‥(^^♪
加藤兄弟に宜しく・・・お伝いください。
最後に和田さんの健康と、より一層の幸せを想っています。
1950 TAKE・MASA
どういうルートから、私のブログを見つけてくれたのかわからないが
竹沢君からコメントが来るとは思っていなかったので、嬉しいね!
元気にやってる?
噂では最近レジェンドライダーとして、またMXを始めたとか!
張り切り過ぎてアクシデントがあったと聞いて、マシンにまたがると
相変わらず、昔の負けん気は健在だなあ~と感心してました。(ほどほどに!)
私も42年間カワサキにいましたが、今年の12月末を持ってリタイアです。
おいおいカワサキ時代の回想録をブログにアップしようと思っているので
時々は見てください。 今回はコメントありがとう!