Sam'sダイアリー

日々の出来事、これまでの出来事を思いつくまま書き込んでいきます。

1枚の写真・・・その2-「1972年全日本モトクロスグランプリ」

2011-08-19 19:26:34 | 1枚の写真
   昔の資料を探すためにネット検索していたら
   懐かしい1枚の白黒写真を発見した。
   個人のブログに掲載されていた写真だが多分当時の
   観客かレース関係者のかたが撮影したものと思う?

        
      <写真をクリックで拡大表示


   この写真は「1972年全日本モトクロスグランプリ」・・・
   場所は神鍋スキー場特設コース

   写真中央つなぎのユニフォームを着て背中を向けているのが私・・・
   その横で同じくつなぎを着て横を向いているのは「加藤文博」選手
   彼は当時社員ライダーだった。
   今は丹波市青垣町で「ロール・アウト」と言うパラグライダースクールの  
   校長をしている。
   同い年の彼は「健さん」(高倉 健)にあこがれいつもスポーツ刈り・・・
   いまだかって加藤ちゃんの長髪は見たことが無い


   写真に写っているマシンはゼッケン10がこの年「スズキ」から
   移籍してきた「川崎利広」選手の125ccと250cc。

   余談だが当時私はこの「利広」を公私ともに面倒を見るように
   上司に言われた・・・今ではこんなことはまずないが
   浜松から明石に移り住むためのアパート探しから、引越し手伝い
   生活用品の買い出しまで
   そしてレースでは彼のメカニックと・・・本来はエンジン開発が
   メイン業務だがレースでは「利広」のメカニックを担当した

   ゼッケン24は前年ジュニアクラス(現国内A級クラス)で125cc・250cc
   両クラスチャンピオンを制覇し2階級特進でセニアクラス(現国際A級クラス)に
   なった「竹沢正治」選手のマシン

   125ccはロータリーバルブのF6MS。
   250ccはそれまでのF81MSからピストンバルブなったF11MSである
   マシン名の最後の「S」はスペシャルを意味するファクトリーマシンである


   このレースで印象的だったのは、この年から初の2サイクル250ccマシンで
   本格参戦してきた「ホンダ」である。前年「スズキ」でチャンピオン獲得の
   「上野広一」3位の「吉村太一」両選手を引き抜き挑んだレース・・・
   GPと言うことで本田宗一郎社長や高松宮殿下もお見えになりレースが
   スタートした。
   そして見事に「吉村」選手が本田宗一郎社長の目の前で初優勝した。
   確かこの時は藤井璋美さんが監督をされていたと思ったが・・・

   神鍋では初優勝の時に開けようと早くから用意していたシャンパンの
   包みがボロボロだったという話はよく耳にする。








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2 コメント

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Unknown (sedona)
2011-08-20 01:25:50
待ってました、第2弾!
1972年の全日本モトクロス神鍋大会は
友達とバイクで観戦に行きました。
Samさん、あのテントの中におられたんですね
利広さんは天才的なセンスを持ったライダーでしたね。
現在の全日本ではあんなに雄大なコースはないのでまた神鍋で全日本が開催されると面白いのですが・・・
レースにはS2で行きましたが
この後、F11に替えました
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お待たせ! (sam-wd3)
2011-08-20 09:39:09
sedonaさん、お待たせ!第2弾です。
そうですね。利広に竹沢選手の根性があったらベストでしたね。
確かに昔はスキー場の特設コースがたくさんあり雄大でした。
しかし現在では環境問題や設備の面で無理でしょうね。
懐かしいシーンです。

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