写真と言うよりもカタログの表紙である
1970年前半はホンダ・ヤマハ・スズキが相次いてトライアルバイクを発売し
トライアルブームが巻き起こった。カワサキもしかりである。
これはカワサキが1975年にトライアルバイク「WAKASAKI KT250」を
発売するために作成したカタログの表紙である
トライアルマシンの開発は早くから海外ではドン・スミスで実践テストを行い
国内はモトクロスライダーから転向した「山本 隆」「加藤 文博」両ライダーが
レースに参戦しながら並行して開発を行っていた
そして市販車の国内用カタログ表紙を飾ったのが「加藤 文博」選手である
今見れば上から下までライムグリーンで「何と野暮ったいコスチューム」・・・
と思うのは私だけではないと思う
しかしカワサキのトライアルレース活動もそんなに長くは続かなかった
1977年に「加藤 文博」選手はヤマハに移籍。プロの契約ライダーとなる
ヤマハでも優秀な成績を収め、現在は以前にも紹介した丹波市青垣町で
「ロール・アウト」と言うパラグライダースクールの校長をしている。
なんともノスタルジックな1枚である
おまけ・・・「60おじさん」のブログより写真お借りしました。
「60おじさん」あしからず!
この写真はバイクならぬパラグライダーのタンデムでピースサインを
決めている「60おじさん」こと「山本 隆」さんとパイロットは「ロール・アウト」の
校長こと「加藤 文博」君
元カワサキトライアルライダー・・・現在のナイスショット!
1970年前半はホンダ・ヤマハ・スズキが相次いてトライアルバイクを発売し
トライアルブームが巻き起こった。カワサキもしかりである。
これはカワサキが1975年にトライアルバイク「WAKASAKI KT250」を
発売するために作成したカタログの表紙である
トライアルマシンの開発は早くから海外ではドン・スミスで実践テストを行い
国内はモトクロスライダーから転向した「山本 隆」「加藤 文博」両ライダーが
レースに参戦しながら並行して開発を行っていた
そして市販車の国内用カタログ表紙を飾ったのが「加藤 文博」選手である
今見れば上から下までライムグリーンで「何と野暮ったいコスチューム」・・・
と思うのは私だけではないと思う
しかしカワサキのトライアルレース活動もそんなに長くは続かなかった
1977年に「加藤 文博」選手はヤマハに移籍。プロの契約ライダーとなる
ヤマハでも優秀な成績を収め、現在は以前にも紹介した丹波市青垣町で
「ロール・アウト」と言うパラグライダースクールの校長をしている。
なんともノスタルジックな1枚である
おまけ・・・「60おじさん」のブログより写真お借りしました。
「60おじさん」あしからず!
この写真はバイクならぬパラグライダーのタンデムでピースサインを
決めている「60おじさん」こと「山本 隆」さんとパイロットは「ロール・アウト」の
校長こと「加藤 文博」君
元カワサキトライアルライダー・・・現在のナイスショット!
『山本Racing』に所属して御二方には
トライアルの"いろは"をみっちり教えていただきました
素晴らしいツーショットですね!!
見習わないといけませんね。
しかし高所恐怖症の私にはこれはチョット無理!
当日はとても爽快な時間を旧友加藤と持つことが実現しました。
良く皆さん高所恐怖症と言われますが、何て事無いですよ、私も若いときは高いところが好きで高圧線鉄塔のカラスの巣を見に登ったり、高い松ノ木に登ったり、店の屋根へハシゴ無しで登ったりしたもんですが今では足がすくみます!
でも今回はテンションが上がっていたのか、絶対の信頼をおいているカトウちゃんだからなのか、全くノープレムでした。
皆さんもカトウパラグライダースクールで、初秋の美しい丹波地を堪能して下さい。
カトウちゃんも60おじさんも若いですなあ~
チョット付いて行けませんわ・・・
ところでアネックスパークで撮影したVTRはいつ放映ですか?
媒体は、サプリのカタログ・通販専門CM、TV・場合によってはお茶の間にも流れる可能性ありと言うことでした。
地域などまだ聞いていません。