原作改変に関する考察
アニメ化する際に原作付きアニメで必ず話題になるのが原作の改変についての賛否である
原作からアニメに行くことが多い私の様な人間からすると
あえて改変しようとする理由については理解できないのですが
まず改変を支持する意見から分析してみることに
そうして分析していくと内包しているものに視聴者と制作者で差があると思われましたのでこの観点で大きく分類して行きます
◇◇◇視聴者としての意見◇◇◇
■原作通りやっても面白くない
これが一番多く見かける意見ですよね
確かに見る側からすれば一理ある意見です。ただし、その中身を冷静になって考えてみると少し趣が変わってきます
その一:同じものを見たくない
多数派の原作通りやっても面白くないと言う人たちの中でも一番目に付くのがこの意見でしょう
これは
「内容や結末は既に知っているのだから見ても仕方がない」
→だから改変すべき
と言う意見です
確かにこの意見はネタバレが面白さを奪うようにある種の事実を示しています
しかし同時にこの意見にはとても不思議なことが含まれているのです
それは
「あなたは同じ本を読み返す事がないのですか?」
ということです
本を読む人の多くは
気に入った本の
→内容の確認
→感動の再生
のためや
過去の自分との差を感じるため
などで
全く同じ本を読み返すことがあるのではないでしょうか?
もし読み返すことがあるのなら
この論理自体が原則成り立たない訳です
もちろん読み返したくなるほどの作品じゃないという意見はあるでしょうが
そもそも
アニメ化されている=ある程度の評価
と言えるわけで
読み返しをされる程の評価をされている可能性は十分あるわけです
ということは
もしあなたがその作品を大して評価していないと言うのであれば
より評価している人間の意見にそこは譲ればいいと思うし
そうでなくても
ただ
同じ筋のアニメを見るのがつまらない
というのであれば
それこそ
「大本である原作だけ読んでアニメはみなければいい」
わけですよ
中には
俺はどうしてもアニメでみたいんだ
というような人も見かけたことがありますが
それなら
「なぜ最初から原作を読むのか?と小一時間説教」してやりたい訳ですw
まぁ中には一度読んだ本の内容は絶対忘れないし作品に関する考察も全く間違ったことがないとかいう
凄まじく高いスペックや理解度を持つ人がいたりするかもしれません
そういう人の存在を
否定するつもりはないですし
まぁそんな人の意見なら
仕方ないとも思うのですが
むしろそういう人は
もうアニメなんかみてないで
その優秀な能力を使って
新たに作品を産み出した方がいいのではないかと思います
というか冗談抜きで
この位の読解能力があるなら
原作設定とアニメの差異
それらがどう表現されているかなど
細かい部分まで見ているはずで
それならたかだか話の筋が同じ程度では同じものには見えないと思うので
つまりそのレベルは既に超越してる可能性があるわけです
何が言いたいのかというと原作を読んだ時点で原作準拠で面白いと思える全ての又は理想的なアニメ表現については既に頭の中でイメージされていなければ
原作通りで面白くないなんて畏れ多くて言えないので
その位の能力はある人と言うことですよね?
ホントにアニメ視聴者で収まっちゃいけない人だと思うのですがどうでしょうか?
さてさて
色々と思うところもあったので
屁理屈をこねてみましたw
思うところがある人もいるかもしれませんが次に行きましょう
その二:原作が面白くないので変えるべき
この意見はひどく傲慢なものや聞こえるかもしれませんが
同じものを見たくないと言うよりは積極的で理解が出来る意見です
つまり原作を読んだ上での短所を理解した上での改善点を示すわけで
回り回っていつか作品の質の向上につながる可能性もあるわけですから
ただしたまに見かける
理由もなしに
ハーレムはやめてくれとか
ロリババは駄目だとかいうのは
単なる作品の特徴に対する否定に過ぎないので注意が必要です
総じて指摘として
もっともだと思える意見は
アニメや原作を確認した上での指摘が
当たり前ですがほとんどで
改変は中身次第と考えている人が多く
今回の改変すべきという意見とは別に考えた方が良いでしょう
つまりここでの結論は
「作品読んでて言ってるなら次に繋がるように具体化してみたらいいんじゃない?見たことない人は見てから発言しようね」
ってことですね
さてこの原作が面白くない云々は一見良いように見えますが
これはあくまでも視聴者側の意見だからいいのであって
制作側の観点から考えるとその評価には注意が必要です
では次に制作側の観点から
原作通りが面白くないということについて考えてみましょう
◇◇◇制作側としての意見◇◇◇
その一:原作が面白くないので変えるべき
視聴者の意見でもコメントしましたが
制作側においてはこの意見は少し
趣の違った意味を持つ意見となります
制作側が原作改変をした場合に
一番多く言及されているのが
このタイプのコメントだと思います
「原作のキャラや展開が気に入らない」
というところからはじまり
中には
「原作は面白くないので読んでいない」
と曰う御仁すら少なくない訳で
ファンからしたらじゃあ最初っから受けるんじゃねーよ
って言いたくなるわけですが
そもそもその面白くもない作品が
なぜアニメ化なり映画化なりされることになったかを理解できていない時点で
その作品の魅力を引き出すことなんて出来るわけ無いですよね
そもそも真っ当な言語能力を持った制作陣なら
例え個人的には面白くなかったとしても
「この作品の魅力は◯◯だと思うので◯◯を生かしながら□□的な工夫をすることで更に面白いものになるように原作者やスタッフと相談しながら一つの作品として創り上げていきたい」
位のことは言えると思うし
そういう姿勢が次に繋がると思うわけです
そう考えれば安易に
「原作は読んでいない」とか
「原作は面白くないので」とか
言ったり記事にされたり
してしまう監督などは
この程度の表現能力もない
無能な監督だと言わざるをえないですよね
ちょっとニュアンスは異なるように聞こえますが
変な先入観が付くといけないので
原作は読まないように演者に指示する監督にしても
「原作は是非読んでみて欲しいがフラットな気持ちで演技してほしいので撮影が完了してからにして欲しい」
位のことも言えない訳ですから
その作品のレベルは推して知るべしな訳です
アニメ制作現場における
仕事の引き合いがどういう仕組みになっているのかわかりませんが
企画段階で全体のプロットや作品の売りをどこに設定しどう作るのか位の
コンペとかやらないんですかね?
まぁ時折漏れ聞こえてくる制作スケジュールから考えるとそういった余裕は無さそうですけどね
面白いと思わないなら
引き受けるなというのが理想ではありますがこれも難しいのでしょう
だとしたら例え自分の意図に即さない仕事でも謙虚に面白いものを創る努力をすればいいと思うんですけどね
その二:同じものを作っても意味がない
これは「その一」よりも
もっと積極的な理由で
同じものは誰でも作れるのだから自分の価値を示そうと思ったら同じものを作っても意味はないと考える意見の事で
凄く意欲的な意見ですが
殆ど成功例をみたことがありません
それは実は当たり前の話で
こういうメンタルで仕事をすると
例えばアニメ感想を書いてみるとわかりますが変えるべき所を探しすぎると
粗探しばかりになって面白い所を書き忘れちゃったりするように
変えるべきところを探した結果
結果的に面白くない作品を変えるべきという「その一」と同じメンタル
つまり作品の面白い所を見られない状態に陥るからだからではないかと思います
そもそも原作に準拠して面白いものが作れない程度の人に原作をアレンジして面白いものがつくれるとは思えないんですけど
まぁ自分の才能に自信があるからこそ
そういう感覚になるんでしょうが
こう言った場合に良く聞く
原作者に無断でとか原作者の意向は無視でみたいなものは
原作を破壊される原作者の気持ちも汲み取れないということであり
そんな人に人の気持ちを表現することができるわけないように
大抵お話し以前の問題で失敗していることが多い気がします
まぁそんなに才能あるならオリジナルででやれよって感じですけどね
実際に本当に面白いものならこのご時世なら自主制作でも十分ビジネスになり得るわけですから
いかに自己の力を過信した世間知らずで独りよがりな考えだと思います
そして一番気に入らないのは
本当なら
うまく料理してあげれば
人気が出たかもしれない作品を
その独りよがりで潰しても
のうのうと次の作品の監督とかが出来る現状だったりします
原作の質の差は確かにありますが
何を面白いと思うかは個人の嗜好に左右されるわけで
そうしたニッチな部分を綱渡りで渡って創り上げてきた原作人気を
アニメ化がドン底に落とすのを何度も見てきた人間からすると
同じクリエイターとして互いの作品を尊重しようという矜恃はないのかなと思うわけです
せめてまだ人気も固まってない中堅以下の作品くらいはこれが最後かもしれないと思えば原作者の意見をなるべくならとりあげてほしいというのは我儘なんですかね?
■原作改変の成功例
ここまで原作改変を槍玉にあげてきましたが私の立場は必ずしも改変反対ではありません
ではどういう場合に原作改変が認められるのか
原作改変での1番の成功例をあげるなら
宮崎駿さんではないでしょうか
宮崎駿は
魔女の宅急便など原作ありのものもたくさん扱っていることで有名ですが同時に映画ではかなり意欲的な改変を加え、それが宮崎駿ワールドとして確立されたものになっているのも周知のことかと思います
こういった改変が自然に受け入れられてしまうのは原作の知名度が低いというという理由だけでなく
改変された物語が世界観をもって受け手に語りかけてくるからだと思うわけです
こういった事を可能にしているのは
アルプスの少女ハイジを作った時にはスイスにロケハンに行きイメージを作ったりするような
実は原作通り
細かく言えば原作が内包しているイメージに忠実であれという
宮崎駿の拘りがあるからで
これが作品が
原作付きのものであろうと
オリジナル作品であろうと
貫かれていることが伝わってくる世界観を創り出しているのではないでしょうか
まぁそもそも自著である書籍版のナウシカは映画を超えているという話もよく聞く位ですからオリジナル作品を創り出すクリエイターの能力としても優れていると言っていいわけです
■結論
結局のところ
オリジナルを作れるほどのクリエイト能力を持ち原作のイメージをどのように生かすかを重視しているからこそ
その結果として原作に加えられた変更についてもきちんと作品として受け入れられるのであり
原作通りが面白くないとか原作通りやっても意味がない程度のメンタルで創った作品が面白くなるほうが奇跡に近いのです
それは結果として原作改変に殆ど成功がない事が逆に証明していると思います
もちろん時間的な制約やその他の事情で止むを得ずその表現を強いられている場合も少なからずあるわけでその場合には同情しかないのですが
昨今のファンにはその辺りの事情すら伝わることも多いので必ずしも不当な評価になるわけではないことも理解しておくべきでしょう
■最後に
こんな駄文を必死に書いていたら
実写化に対する批判がどうこうというのが話題になっているようで
自分の考えをまとめておきます
最近だと一番わかりやすいのが
「僕は友達が少ない」
通称はがないの実写化でしょう

人気ラノベの実写化ということて
軽妙な会話とイベント
濃ゆい性格と魅力的な女の子達が
ブリキ先生の絵との相乗効果により
さらに魅力的に描かれている作品だけに
実写化するにあたって
どんな人を連れてきても原作を読んでいる人間の大部分が納得するものにはならないというのは当然わかっていたわけですが
それでも作品に原作愛があれば応援を兼ねて観に行くくらいの気持ちでいたところに
小鷹=銀髪
小鳩=黒髪
というキャストを見た瞬間に
観に行けないと思ったわけです
これは作品を読んでればわかることですが
小鷹はくすんだ金と黒の混じったプリン頭
小鳩は綺麗な金髪
という設定になっています
この設定だけとらえて批判している人もいますが
私からすれば
これはもう少し深くて
不良みたいな容姿のせいで
ぼっちな小鷹は当然ながら
作中で髪を黒く染めることを提案されるわけですが
「綺麗な金髪碧眼で産まれた小鳩と違ってイギリス人の母親の形質を引き継いだ唯一の部分だから」
として断るわけです
兄妹の仲が非常に良いことを考えれば
親の形質を大事にすると同時に小鳩にも他人との違いを意識させたくないという配慮もあるのだと思うのです
逆に言えば小鳩の髪が黒いのに
自分の髪の色にこだわる小鷹というのは
小鳩のことなどうでもいい
自分の事しか考えていない性格であるということに等しく
そんな人間が人の顔色伺って
声をかけられず
友達を作れないなんてことはなく
余程性格が悪いくらいしか考えられない
では隣人部とは?
みたいな感じで
いろんな意味で前提が崩壊していて原作の魅力を貶めているようにしか思えないのです
そして
この程度の簡単な設定の不自然さを
キャストや脚本面で考慮出来ない監督なのだと思えば
原作読者にとっては不愉快なことが多いのだろうなと簡単に想像ができ
そんな風に様子を伺ってると
アニメはみない、演者には何も見せない発言だったり
実際に原作ファンなら絶対にしない配役があるなど
劇場で観てたらもの投げるレベルで観に行かなくて正解だったようですw
結局原作の面白さやイメージを大事にしながら作ろうとしていればそれは伝わるものであり
それは必ずしも実際に観なければわからないものではないということで
そういった配慮のない作品が多いからこそ実写化に対して批判がでるのであって
そういう状況を作り上げてしまった
過去作と無能な制作こそがクソなんだと思いますね

アニメ化する際に原作付きアニメで必ず話題になるのが原作の改変についての賛否である
原作からアニメに行くことが多い私の様な人間からすると
あえて改変しようとする理由については理解できないのですが
まず改変を支持する意見から分析してみることに
そうして分析していくと内包しているものに視聴者と制作者で差があると思われましたのでこの観点で大きく分類して行きます
◇◇◇視聴者としての意見◇◇◇
■原作通りやっても面白くない
これが一番多く見かける意見ですよね
確かに見る側からすれば一理ある意見です。ただし、その中身を冷静になって考えてみると少し趣が変わってきます
その一:同じものを見たくない
多数派の原作通りやっても面白くないと言う人たちの中でも一番目に付くのがこの意見でしょう
これは
「内容や結末は既に知っているのだから見ても仕方がない」
→だから改変すべき
と言う意見です
確かにこの意見はネタバレが面白さを奪うようにある種の事実を示しています
しかし同時にこの意見にはとても不思議なことが含まれているのです
それは
「あなたは同じ本を読み返す事がないのですか?」
ということです
本を読む人の多くは
気に入った本の
→内容の確認
→感動の再生
のためや
過去の自分との差を感じるため
などで
全く同じ本を読み返すことがあるのではないでしょうか?
もし読み返すことがあるのなら
この論理自体が原則成り立たない訳です
もちろん読み返したくなるほどの作品じゃないという意見はあるでしょうが
そもそも
アニメ化されている=ある程度の評価
と言えるわけで
読み返しをされる程の評価をされている可能性は十分あるわけです
ということは
もしあなたがその作品を大して評価していないと言うのであれば
より評価している人間の意見にそこは譲ればいいと思うし
そうでなくても
ただ
同じ筋のアニメを見るのがつまらない
というのであれば
それこそ
「大本である原作だけ読んでアニメはみなければいい」
わけですよ
中には
俺はどうしてもアニメでみたいんだ
というような人も見かけたことがありますが
それなら
「なぜ最初から原作を読むのか?と小一時間説教」してやりたい訳ですw
まぁ中には一度読んだ本の内容は絶対忘れないし作品に関する考察も全く間違ったことがないとかいう
凄まじく高いスペックや理解度を持つ人がいたりするかもしれません
そういう人の存在を
否定するつもりはないですし
まぁそんな人の意見なら
仕方ないとも思うのですが
むしろそういう人は
もうアニメなんかみてないで
その優秀な能力を使って
新たに作品を産み出した方がいいのではないかと思います
というか冗談抜きで
この位の読解能力があるなら
原作設定とアニメの差異
それらがどう表現されているかなど
細かい部分まで見ているはずで
それならたかだか話の筋が同じ程度では同じものには見えないと思うので
つまりそのレベルは既に超越してる可能性があるわけです
何が言いたいのかというと原作を読んだ時点で原作準拠で面白いと思える全ての又は理想的なアニメ表現については既に頭の中でイメージされていなければ
原作通りで面白くないなんて畏れ多くて言えないので
その位の能力はある人と言うことですよね?
ホントにアニメ視聴者で収まっちゃいけない人だと思うのですがどうでしょうか?
さてさて
色々と思うところもあったので
屁理屈をこねてみましたw
思うところがある人もいるかもしれませんが次に行きましょう
その二:原作が面白くないので変えるべき
この意見はひどく傲慢なものや聞こえるかもしれませんが
同じものを見たくないと言うよりは積極的で理解が出来る意見です
つまり原作を読んだ上での短所を理解した上での改善点を示すわけで
回り回っていつか作品の質の向上につながる可能性もあるわけですから
ただしたまに見かける
理由もなしに
ハーレムはやめてくれとか
ロリババは駄目だとかいうのは
単なる作品の特徴に対する否定に過ぎないので注意が必要です
総じて指摘として
もっともだと思える意見は
アニメや原作を確認した上での指摘が
当たり前ですがほとんどで
改変は中身次第と考えている人が多く
今回の改変すべきという意見とは別に考えた方が良いでしょう
つまりここでの結論は
「作品読んでて言ってるなら次に繋がるように具体化してみたらいいんじゃない?見たことない人は見てから発言しようね」
ってことですね
さてこの原作が面白くない云々は一見良いように見えますが
これはあくまでも視聴者側の意見だからいいのであって
制作側の観点から考えるとその評価には注意が必要です
では次に制作側の観点から
原作通りが面白くないということについて考えてみましょう
◇◇◇制作側としての意見◇◇◇
その一:原作が面白くないので変えるべき
視聴者の意見でもコメントしましたが
制作側においてはこの意見は少し
趣の違った意味を持つ意見となります
制作側が原作改変をした場合に
一番多く言及されているのが
このタイプのコメントだと思います
「原作のキャラや展開が気に入らない」
というところからはじまり
中には
「原作は面白くないので読んでいない」
と曰う御仁すら少なくない訳で
ファンからしたらじゃあ最初っから受けるんじゃねーよ
って言いたくなるわけですが
そもそもその面白くもない作品が
なぜアニメ化なり映画化なりされることになったかを理解できていない時点で
その作品の魅力を引き出すことなんて出来るわけ無いですよね
そもそも真っ当な言語能力を持った制作陣なら
例え個人的には面白くなかったとしても
「この作品の魅力は◯◯だと思うので◯◯を生かしながら□□的な工夫をすることで更に面白いものになるように原作者やスタッフと相談しながら一つの作品として創り上げていきたい」
位のことは言えると思うし
そういう姿勢が次に繋がると思うわけです
そう考えれば安易に
「原作は読んでいない」とか
「原作は面白くないので」とか
言ったり記事にされたり
してしまう監督などは
この程度の表現能力もない
無能な監督だと言わざるをえないですよね
ちょっとニュアンスは異なるように聞こえますが
変な先入観が付くといけないので
原作は読まないように演者に指示する監督にしても
「原作は是非読んでみて欲しいがフラットな気持ちで演技してほしいので撮影が完了してからにして欲しい」
位のことも言えない訳ですから
その作品のレベルは推して知るべしな訳です
アニメ制作現場における
仕事の引き合いがどういう仕組みになっているのかわかりませんが
企画段階で全体のプロットや作品の売りをどこに設定しどう作るのか位の
コンペとかやらないんですかね?
まぁ時折漏れ聞こえてくる制作スケジュールから考えるとそういった余裕は無さそうですけどね
面白いと思わないなら
引き受けるなというのが理想ではありますがこれも難しいのでしょう
だとしたら例え自分の意図に即さない仕事でも謙虚に面白いものを創る努力をすればいいと思うんですけどね
その二:同じものを作っても意味がない
これは「その一」よりも
もっと積極的な理由で
同じものは誰でも作れるのだから自分の価値を示そうと思ったら同じものを作っても意味はないと考える意見の事で
凄く意欲的な意見ですが
殆ど成功例をみたことがありません
それは実は当たり前の話で
こういうメンタルで仕事をすると
例えばアニメ感想を書いてみるとわかりますが変えるべき所を探しすぎると
粗探しばかりになって面白い所を書き忘れちゃったりするように
変えるべきところを探した結果
結果的に面白くない作品を変えるべきという「その一」と同じメンタル
つまり作品の面白い所を見られない状態に陥るからだからではないかと思います
そもそも原作に準拠して面白いものが作れない程度の人に原作をアレンジして面白いものがつくれるとは思えないんですけど
まぁ自分の才能に自信があるからこそ
そういう感覚になるんでしょうが
こう言った場合に良く聞く
原作者に無断でとか原作者の意向は無視でみたいなものは
原作を破壊される原作者の気持ちも汲み取れないということであり
そんな人に人の気持ちを表現することができるわけないように
大抵お話し以前の問題で失敗していることが多い気がします
まぁそんなに才能あるならオリジナルででやれよって感じですけどね
実際に本当に面白いものならこのご時世なら自主制作でも十分ビジネスになり得るわけですから
いかに自己の力を過信した世間知らずで独りよがりな考えだと思います
そして一番気に入らないのは
本当なら
うまく料理してあげれば
人気が出たかもしれない作品を
その独りよがりで潰しても
のうのうと次の作品の監督とかが出来る現状だったりします
原作の質の差は確かにありますが
何を面白いと思うかは個人の嗜好に左右されるわけで
そうしたニッチな部分を綱渡りで渡って創り上げてきた原作人気を
アニメ化がドン底に落とすのを何度も見てきた人間からすると
同じクリエイターとして互いの作品を尊重しようという矜恃はないのかなと思うわけです
せめてまだ人気も固まってない中堅以下の作品くらいはこれが最後かもしれないと思えば原作者の意見をなるべくならとりあげてほしいというのは我儘なんですかね?
■原作改変の成功例
ここまで原作改変を槍玉にあげてきましたが私の立場は必ずしも改変反対ではありません
ではどういう場合に原作改変が認められるのか
原作改変での1番の成功例をあげるなら
宮崎駿さんではないでしょうか
宮崎駿は
魔女の宅急便など原作ありのものもたくさん扱っていることで有名ですが同時に映画ではかなり意欲的な改変を加え、それが宮崎駿ワールドとして確立されたものになっているのも周知のことかと思います
こういった改変が自然に受け入れられてしまうのは原作の知名度が低いというという理由だけでなく
改変された物語が世界観をもって受け手に語りかけてくるからだと思うわけです
こういった事を可能にしているのは
アルプスの少女ハイジを作った時にはスイスにロケハンに行きイメージを作ったりするような
実は原作通り
細かく言えば原作が内包しているイメージに忠実であれという
宮崎駿の拘りがあるからで
これが作品が
原作付きのものであろうと
オリジナル作品であろうと
貫かれていることが伝わってくる世界観を創り出しているのではないでしょうか
まぁそもそも自著である書籍版のナウシカは映画を超えているという話もよく聞く位ですからオリジナル作品を創り出すクリエイターの能力としても優れていると言っていいわけです
■結論
結局のところ
オリジナルを作れるほどのクリエイト能力を持ち原作のイメージをどのように生かすかを重視しているからこそ
その結果として原作に加えられた変更についてもきちんと作品として受け入れられるのであり
原作通りが面白くないとか原作通りやっても意味がない程度のメンタルで創った作品が面白くなるほうが奇跡に近いのです
それは結果として原作改変に殆ど成功がない事が逆に証明していると思います
もちろん時間的な制約やその他の事情で止むを得ずその表現を強いられている場合も少なからずあるわけでその場合には同情しかないのですが
昨今のファンにはその辺りの事情すら伝わることも多いので必ずしも不当な評価になるわけではないことも理解しておくべきでしょう
■最後に
こんな駄文を必死に書いていたら
実写化に対する批判がどうこうというのが話題になっているようで
自分の考えをまとめておきます
最近だと一番わかりやすいのが
「僕は友達が少ない」
通称はがないの実写化でしょう

人気ラノベの実写化ということて
軽妙な会話とイベント
濃ゆい性格と魅力的な女の子達が
ブリキ先生の絵との相乗効果により
さらに魅力的に描かれている作品だけに
実写化するにあたって
どんな人を連れてきても原作を読んでいる人間の大部分が納得するものにはならないというのは当然わかっていたわけですが
それでも作品に原作愛があれば応援を兼ねて観に行くくらいの気持ちでいたところに
小鷹=銀髪
小鳩=黒髪
というキャストを見た瞬間に
観に行けないと思ったわけです
これは作品を読んでればわかることですが
小鷹はくすんだ金と黒の混じったプリン頭
小鳩は綺麗な金髪
という設定になっています
この設定だけとらえて批判している人もいますが
私からすれば
これはもう少し深くて
不良みたいな容姿のせいで
ぼっちな小鷹は当然ながら
作中で髪を黒く染めることを提案されるわけですが
「綺麗な金髪碧眼で産まれた小鳩と違ってイギリス人の母親の形質を引き継いだ唯一の部分だから」
として断るわけです
兄妹の仲が非常に良いことを考えれば
親の形質を大事にすると同時に小鳩にも他人との違いを意識させたくないという配慮もあるのだと思うのです
逆に言えば小鳩の髪が黒いのに
自分の髪の色にこだわる小鷹というのは
小鳩のことなどうでもいい
自分の事しか考えていない性格であるということに等しく
そんな人間が人の顔色伺って
声をかけられず
友達を作れないなんてことはなく
余程性格が悪いくらいしか考えられない
では隣人部とは?
みたいな感じで
いろんな意味で前提が崩壊していて原作の魅力を貶めているようにしか思えないのです
そして
この程度の簡単な設定の不自然さを
キャストや脚本面で考慮出来ない監督なのだと思えば
原作読者にとっては不愉快なことが多いのだろうなと簡単に想像ができ
そんな風に様子を伺ってると
アニメはみない、演者には何も見せない発言だったり
実際に原作ファンなら絶対にしない配役があるなど
劇場で観てたらもの投げるレベルで観に行かなくて正解だったようですw
結局原作の面白さやイメージを大事にしながら作ろうとしていればそれは伝わるものであり
それは必ずしも実際に観なければわからないものではないということで
そういった配慮のない作品が多いからこそ実写化に対して批判がでるのであって
そういう状況を作り上げてしまった
過去作と無能な制作こそがクソなんだと思いますね

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