鮎毛バリ釣りと金沢サクラマス情報その2

金澤孔雀鮎毛バリ本舗 「けばりや中山」
加賀伝統工芸研究所 ・毛バリ部門

手取川取水の用水の水は、稲刈りで必要ない、山庄放水路から放水してください

2016-08-31 07:44:00 | 年月別鮎毛バリ名入り鮎釣果関連情報
手取川取水の用水の水は、稲刈りで必要ない、山庄放水路から放水してください

2016年

☆手取川が雨で濁った泥水は、用水に取水しない。

☆泥水になった時は、手取川の水は用水に流さない

本流から容量の大きい海に流す。

海流の向きから遠浅の海岸ができる材料になる。

必要のある場所に流す。







みちの駅しらやまさんの上流に見える手取川の堰堤


白山頭首こうの総工費60億円「魚道」から遡上した鮎。




7か用水取水口から


産卵鮎が


用水に引き込まれて、

産卵できずに

死んでいます

☆産卵した鮎が生まれてから

泳げない稚魚が

海岸まで流される時間制限が2日間です。

河口の産卵床で生まれると

海岸まで2日で流される


しかし、

☆田んぼの用水で産卵した鮎の卵が稚魚になって

海岸に流れていくことできますか?

ほぼ、不可能

生命の循環が断ち切られます。


用水の取水口たった1つの切り替えで

助かる生命は、はかりしれない。

☆稲刈り済んだ田んぼの用水に水は、来年3月までいらない。







稲刈り済んだ


用水に

水は

必要ない



台風10号の雨で

石川平野の用水は、

泥水があふれてる


7か用水300億円の用水修理費用で潤った

いらなくなった水は、


用水発電が終わったら

手取川本流に水とおち鮎戻してください。

もう、十分に儲けたでしょ


そんだけしても


バチあたらん


用水に鮎や、


手取川上流「中の川」の土砂崩れした泥水を流して

用水に泥流して

沈殿させると


泥で埋まった用水

泥上げ費用を

白山頭首こうにある


7か用水の取水管理者に


泥上げの実費 請求書 いくぞ

取水口の


開閉している管理責任者に


泥上げの費用


請求するしかない


よく考えて

土砂崩れで流れ流れてきた

手取川上流の土砂崩れ中の川土砂に

接着材が付いてます。

ヘリコプターで何百トンも散布してます。

そんなのが泥水の主たるものです。


茶色の泥水が

手取川右岸(上流から見て右側)

白山市、野々市、金沢の用水に流れてます。

白山市、野々市、金沢の用水の底に溜まったら

はがせない


普通の

泥水と


わけが違う

強力接着材入りの泥水




☆用水の水を引き込んだ

ホタルや希少生物の

ビオトープ

ヤゴが

生きられません

秋なのに


「赤とんぼ」が飛んでない


不思議な秋


いつまで続くかな



9・2
コメントありがとうございます。

魚道の補修工事費用と取水される用水補修費用の金額は、新聞に書いてありました。

なにせ、古いので。

この巨大堰堤は、明治の設計者が、抜群に頭がよかったらしく

堰堤のど真ん中に、スリットが10メートル幅で堰堤の底までの鋼鉄水門があります。

堰堤上流にたまった、砂や土砂、大きな石を下流に流せる構造になっています。


昭和の40年代は、稲刈りが終わる10月から数か月、水門開いてました。


夏は、閉めた水門の下の隙間から水が漏れて(^^;

そこに、いっぱい鮎いました。

魚道も壊れてませんでした。

上流の支流 大日川の15キロメートル区間、

上野地区から別宮、左礫、杖川まで鮎の友釣りでお祭り騒ぎでした。

大日川は、基本、濁りがはいらない。山が低いので水温高い。

鮎が大きくなってお盆は尺アユ釣れてました。

そんな河川でした。


今後、大日川の河合と江津の間の壊れた魚道が修理されると

大日川は、元にもどります。

経済効果は、はかりしれません。

なんで、修理しないんでしょうね。数メートルの魚道1つ修理するだけで

自然のサイクルが戻る。

放流しなくても、天然遡上の鮎400万匹が遡上できるのに


もったいない。

小松空港から、タクシーで30分で釣り場が15キロあるようになる。

自然の循環を人間が作った、用水取水用の堰堤1つで

断ち切る

昭和に釣れて、


平成に釣れなくなった手取川上流の支流大日川の鮎

原因なにか、調べるとすぐ、いくつか問題点がでてくる。3つあれば、多い方だ


金かけない、簡易魚道の実例、多摩川にあった。

土嚢を少し積む。

いくらでもほうほうある。

30億円もいらないよ。

上流の幅数メートルの大日川の壊れた堰堤。

土嚢袋を積んで、魚道修理してみる許可を管理者が出せるかどうか

ただそれだけ。

大日川は、国管理?県管理?


あのー実は、このあたりの川管理者、昭和9年の洪水後の改修で、

管理責任者は、あいまいで

放置された場所です。


昭和10年の手取川災害の河川改修の国家プロジェクトから、見捨てられた区間です。

記録見てみると

書いてあります。

いまだに河川改修放置されてる場所かもしれない。現行は、調べてもわからない。























コメント
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