またまた言葉の話で恐縮です。「しんげん」といえば、地震の震源か武田信玄、「かんげん」といえば酸化還元か管弦楽、ふつうはそっちのほうを思い浮かべますが、今回は両方とも「~言」なので、これらとの関連はありません。
「箴言」と「諌言」。・・・さてさて、どっちが「しんげん」で「かんげん」やら。。。
私の場合、このふたつの熟語の読み方を、長いこといい加減なままに放置して、ときどき逆に使ったりしてたような気がします。
「箴言」(しんげん):いましめとなる短い句。教訓の意味をもった短い言葉。格言。
「諌言」(かんげん):いさめること。また、その言葉。
これがそれぞれの正しい読みと意味です。。。するとまた、「いましめる」と「いさめる」が似通っているもんだから、知識の引き出しにしまうとき、誤ってしまう可能性があるんですね~。滅多に使わないこともあって、知らないうちに引き出しの中身が入れ替わってたりします。これを機会に、しっかり頭に入れとかないと。。。
さてさて、これだけで終わらせないで、もうひと言付け加えます。なぜ、私はこの二つの言葉を間違えてしまうのか、その理由を考察してみました。
「鰊」・・・これは魚の「にしん」です。「諌言」の「諌」の旁(つくり)と似てますよね。「にしん」の「しん」と仲間のような気になって、つい「しん」と読んでしまいそうになります。
「筧」・・・これは「かけい」と読みます。竹の節を抜いて水を引く通路を作ったものですが、竹冠(かんむり)を使っているのと、「寛」という字に似ていることから、なんとなく「かん」と読んでしまう。「箴言」の「箴」も竹冠なので、仲間意識が働いて、こっちのほうも「かん」と読みたくなります・・・よね?
といった事情から、私の中では「箴言」と「諌言」が絶えず流動的に読みを換えてしまっていた、そのように分析してみました。
~さっき雨がザーッと降りました。
「箴言」と「諌言」。・・・さてさて、どっちが「しんげん」で「かんげん」やら。。。
私の場合、このふたつの熟語の読み方を、長いこといい加減なままに放置して、ときどき逆に使ったりしてたような気がします。
「箴言」(しんげん):いましめとなる短い句。教訓の意味をもった短い言葉。格言。
「諌言」(かんげん):いさめること。また、その言葉。
これがそれぞれの正しい読みと意味です。。。するとまた、「いましめる」と「いさめる」が似通っているもんだから、知識の引き出しにしまうとき、誤ってしまう可能性があるんですね~。滅多に使わないこともあって、知らないうちに引き出しの中身が入れ替わってたりします。これを機会に、しっかり頭に入れとかないと。。。
さてさて、これだけで終わらせないで、もうひと言付け加えます。なぜ、私はこの二つの言葉を間違えてしまうのか、その理由を考察してみました。
「鰊」・・・これは魚の「にしん」です。「諌言」の「諌」の旁(つくり)と似てますよね。「にしん」の「しん」と仲間のような気になって、つい「しん」と読んでしまいそうになります。
「筧」・・・これは「かけい」と読みます。竹の節を抜いて水を引く通路を作ったものですが、竹冠(かんむり)を使っているのと、「寛」という字に似ていることから、なんとなく「かん」と読んでしまう。「箴言」の「箴」も竹冠なので、仲間意識が働いて、こっちのほうも「かん」と読みたくなります・・・よね?
といった事情から、私の中では「箴言」と「諌言」が絶えず流動的に読みを換えてしまっていた、そのように分析してみました。

テレビっ子なので。
そうそう・・・
パイレーツの第2作は、DVDレンタルを待つことにしました。
ダビンチコードも見逃しているし。。。