道州制が論議され始めてから随分経ったような気がしますが、私の居住する新潟県の立場が極めて不安定なので、それについて触れてみたいと思います。
現在の47都道府県を9~13ののブロック(道州)に再編する、というのが「道州制」です。市町村で行われた「平成の大合併」よりもひと段階上のレベルでの再編になるわけで、国から地方へのさまざまな権限の委譲がなされます。地方分権による小さな政府の実現ですね。
北海道や九州・沖縄など、どのような分け方をされても変わりようがない地域と、我が新潟県のように分け方ひとつであっちに行ったりこっちに来たりするところとでは、道州制の組み合わせによって受ける影響が格段に違ってきます。
かいつまんで言いますと、再編には3つの案が提示されていて、そのうちの2つ(11,13道州案)では、新潟は北陸グループ(富山・石川・福井・新潟)に、もう1つ(9道州案)のほうでは、北関東+信越グループ(群馬・栃木・茨城・長野・新潟)になります。
これまでも、例えば私たちの小児科学会の区分けでは、新潟は東北ブロックに入っていて「7番目」の東北(の県)として活動していますし、天気予報などでは、新潟は関東甲信越の天気として取り扱われています。昔、小学校の社会科の授業では北陸4県として中部地方に入れて教えられました。どうも、新潟の「国境」には明確な線引きの基準はないようです。「国境」といえば・・・
まだ清水トンネルを蒸気機関車が走っていた時分には、川端康成が「雪国」の冒頭で書いたように、「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった・・・」という異国のような遠隔地という認識が、東京を初めとする首都圏の人々にはあったはず。
同じように、京・大阪からみても、難所といわれる親不知子不知の海岸を越えた先、ということで「越後」とよばれたくらい、トンネルをくぐるのに匹敵する遠い異国だったと言えます。そして、越後の先は、もう「蝦夷地」だった。そこから先は未開の地で、詳しいことは分かっていなかったのです。
陸づたいには明らかに便が悪いため、米などの農作物の運搬は必然的に海運によって行われました。北前船です。佐渡島の地元言葉には今でも京訛りが色濃く残っているという話は、以前のブログでも述べました。
さて、こうしてみると、新潟はその周囲をはっきりと「国境」によって閉ざされていることが分かります。すなわち、高い山が陸地を隔てていて、残りはもう海しかありませんから、どのように道州制で区切られようと、隣接した他県との連帯はムズカシく、その敷居は高いわけです。どっちを向いても、その方向のグループには異質なものを感じてしまいます。かといって単独で特別州を樹立するわけにもまいりません・・・まいりませんから、参ってしまいました。
このようにどっちつかずだと、道州制が布かれた後の「道州都」になど、新潟市は絶対になれっこないということです。どっちに転がっても「端っこ」の県ですからね。しかも敷居が高い。「醜いアヒルの子」的な扱いになるのは避けられません。してみると、道州制は新潟県にとっては幸せ薄い制度なのかも知れません。
国境(県境)を封鎖して、自給自足の生活を強いられたとするなら、新潟県はおそらく全国屈指の「強い」県になるのではないでしょうか。北海道は別格だし、沖縄もしぶとそうですが、本土の中では一番じゃないかと思ってしまいます。第一次産業がしっかりしているし、水も豊かだし、発電も可能。そういった自給率の高さが、競争社会から取り残されて、長らく大学進学率を低迷させた元凶でもあるのですが、考えようによっては自然環境に恵まれた幸せな県だからとも言えます。
いずれこの「道州制」の区分けに結論が出るでしょうが、最も不安定な立場の新潟は、どのみち主導権を握れる立場にはなれそうもないので、冷ややかに成り行きを見守るしかないと思っています。サイコロの目がどう出ようと、余所からの実入りは少なさそうですから。。。
現在の47都道府県を9~13ののブロック(道州)に再編する、というのが「道州制」です。市町村で行われた「平成の大合併」よりもひと段階上のレベルでの再編になるわけで、国から地方へのさまざまな権限の委譲がなされます。地方分権による小さな政府の実現ですね。
北海道や九州・沖縄など、どのような分け方をされても変わりようがない地域と、我が新潟県のように分け方ひとつであっちに行ったりこっちに来たりするところとでは、道州制の組み合わせによって受ける影響が格段に違ってきます。
かいつまんで言いますと、再編には3つの案が提示されていて、そのうちの2つ(11,13道州案)では、新潟は北陸グループ(富山・石川・福井・新潟)に、もう1つ(9道州案)のほうでは、北関東+信越グループ(群馬・栃木・茨城・長野・新潟)になります。
これまでも、例えば私たちの小児科学会の区分けでは、新潟は東北ブロックに入っていて「7番目」の東北(の県)として活動していますし、天気予報などでは、新潟は関東甲信越の天気として取り扱われています。昔、小学校の社会科の授業では北陸4県として中部地方に入れて教えられました。どうも、新潟の「国境」には明確な線引きの基準はないようです。「国境」といえば・・・
まだ清水トンネルを蒸気機関車が走っていた時分には、川端康成が「雪国」の冒頭で書いたように、「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった・・・」という異国のような遠隔地という認識が、東京を初めとする首都圏の人々にはあったはず。
同じように、京・大阪からみても、難所といわれる親不知子不知の海岸を越えた先、ということで「越後」とよばれたくらい、トンネルをくぐるのに匹敵する遠い異国だったと言えます。そして、越後の先は、もう「蝦夷地」だった。そこから先は未開の地で、詳しいことは分かっていなかったのです。
陸づたいには明らかに便が悪いため、米などの農作物の運搬は必然的に海運によって行われました。北前船です。佐渡島の地元言葉には今でも京訛りが色濃く残っているという話は、以前のブログでも述べました。
さて、こうしてみると、新潟はその周囲をはっきりと「国境」によって閉ざされていることが分かります。すなわち、高い山が陸地を隔てていて、残りはもう海しかありませんから、どのように道州制で区切られようと、隣接した他県との連帯はムズカシく、その敷居は高いわけです。どっちを向いても、その方向のグループには異質なものを感じてしまいます。かといって単独で特別州を樹立するわけにもまいりません・・・まいりませんから、参ってしまいました。
このようにどっちつかずだと、道州制が布かれた後の「道州都」になど、新潟市は絶対になれっこないということです。どっちに転がっても「端っこ」の県ですからね。しかも敷居が高い。「醜いアヒルの子」的な扱いになるのは避けられません。してみると、道州制は新潟県にとっては幸せ薄い制度なのかも知れません。
国境(県境)を封鎖して、自給自足の生活を強いられたとするなら、新潟県はおそらく全国屈指の「強い」県になるのではないでしょうか。北海道は別格だし、沖縄もしぶとそうですが、本土の中では一番じゃないかと思ってしまいます。第一次産業がしっかりしているし、水も豊かだし、発電も可能。そういった自給率の高さが、競争社会から取り残されて、長らく大学進学率を低迷させた元凶でもあるのですが、考えようによっては自然環境に恵まれた幸せな県だからとも言えます。
いずれこの「道州制」の区分けに結論が出るでしょうが、最も不安定な立場の新潟は、どのみち主導権を握れる立場にはなれそうもないので、冷ややかに成り行きを見守るしかないと思っています。サイコロの目がどう出ようと、余所からの実入りは少なさそうですから。。。

新潟県はおそらく全国屈指の「強い」県
さいとう先生がいらっしゃる新潟の底力にノックアウトです。
第一次産業がしっかりしているし、水も豊かだし、発電も可能。なるほど新潟ならではの事ばかり
田中角栄さんを生んだ新潟は、やはり流石だと思いました。
うーたまと齋藤先生の会話が超人気だったようです。
ありがとうございました
その鬱屈した冬が終わり、春を迎えたときの歓びは、喩えようもありません。今、5月の新潟は、一年で一番過ごしやすく美しい季節です。
明日からの3日間、新潟市の朱鷺メッセで「新潟ラーメン博」が開かれます。県内の30店舗ほどの「有名店」が軒を連ねて・・・というか、巨大展示場にブースを並べて、なのですが、全店舗一杯600円でラーメンを提供するのです。
ラーメンにはちょっとしたこだわりのある私です。行かないわけには参りません。日曜日に出かける予定です。2杯は食べてきたいけど、おなかが保つかどうか。。。
一日閲覧数600アップですか、スゴイですね。「じゃがブログ」は足もとにも及びません。もっとシモネタを多用したほうが良いのでしょうか。。。なワケありませんよね。また楽しい会話をしにお訪ねいたします。(^o^)
http://yamashika.cocolog-nifty.com/chiki/
道州制にさらにご興味のある方は、山中さまのブログをご覧になってみてください。