今日の読売新聞「編集手帳」のネタが面白かったです。
「もてる男の十か条」がそれで、もともとは落語「いもりの黒焼」に出てくるのだそうです。読みやすいように箇条書きにしてみます。
一見栄(いちみえ)・・・身なり
二(に)男(おとこ)・・・顔かたち
三金(さんかね)・・・財力
四芸(しげい)・・・才能?
五精(ごせい)・・・勤勉(精力じゃなかったのか。。。)
六おぼこ・・・純情
七ゼリフ・・・言葉づかい?
八(や)力(ぢから)・・・体力(健康)?
九(きゅう)肝(きも)・・・度胸
十(と)評(ひょう)判(ばん)・・・人望
分かりやすいように、意図するところも書き添えました。
「?」がついているのは、私が勝手に書いたもの。他は本文からの引用です。
すべてを身につけようというのは無理ですが、このうちのひとつでもあればいいらしいので、ちょっと胸をなで下ろしています。
さて、その「ひとつでも」ですが、どれを選ぼうか・・・いや、どれなら認めてもらえるか、かなり悩ましいです。
一見栄(いちみえ)・・・身なり
どうみても、見栄えのするほうではありません。着ているものも、流行にはほど遠く、「さっそう」というよりは「ダサイ」ほうに分類されそう。ここは素直に「×」をつけましょう。
二(に)男(おとこ)・・・顔かたち
これは、選ぼうにも選べない。ま、親から貰った顔カタチですので、むしろ開き直っておきましょう。これでイイノダ。
三金(さんかね)・・・財力
あまり固執するほうではありませんし、起きて半畳寝て一畳、というのが信条ですので、あの世に逝く前にプラスマイナス「0」になっていればよしとしています。有り余ってはいないが、困るほどではない、といったところ。自慢にはなりません。
四芸(しげい)・・・才能?
自分で勝手に「才能」と訳してしまいましたが、文字通りの「芸」だとすると、多少はあるほうかな~。歌を歌ったり、絵を描いたり、囲碁を打ったり、こうしてブログを書き綴ったりと、多趣味であることは間違いない。で、それぞれのめり込むタチではある。。。が、いかんせん、「才能」となると、とたんにすべてが消滅してしまいます。どれをとっても中途半端。人様に自慢できるほどのものはありません。
五精(ごせい)・・・勤勉(精力じゃなかった)
てっきり精力絶倫のことかと思っていたのですが、違いました。お恥ずかしや。勤勉かといわれれば、それもムズカシイ。まあ、そつなく職務を全うしている、とだけ申し上げておきましょう。
六おぼこ・・・純情
ようやく当てはまりそうな項目にたどり着きました。え? ホントかい、って? 年甲斐もなく自慢しますが、いまだに中高生並みの純情さを持っているつもりでいます。もっとも、今どきの中高生が純情かどうかは知りませんが。私らの時代の中高生のままに、今も生きているつもりなのです。本人がそうだと申し上げているので、誰も否定できないでしょ。(^^ゞ
七ゼリフ・・・言葉づかい?
これが案外、曲者(くせもの)なのです。自覚がない。言葉を選んで喋っているつもりでも、やれ冷たい、やれ突き刺さる、そんなふうに「誤解」されることがあります。「真実は人の心を傷つける」のだと思っています。そう思っているのなら、思うだけにして口に出さなければいいんですよね。表向きはもっとやんわりと、傷つけないように喋らないと、ね。(自戒)
八(や)力(ぢから)・・・体力(健康)?
これは、見た目と違って、意外と華奢なつくりをしているんです。といいつつ、今現在は何ひとつ薬を服用することなく、健康に生活しています。ことさらにスポーツに汗を流すわけでもなく、食事に気をつけているわけでもないのですが、そういう無手勝流で生きていることが健康の証しのようです。年も年ですので、マッチョな体づくりにも興味がありません。ま、メタボは避けねばなりませんが。
九(きゅう)肝(きも)・・・度胸
自信を持って否定いたします。度胸、ありません。バンジージャンプなんて、死んでも出来ません。フリー・フォールも失神してしまいます。飛行機も、乗るたびに「覚悟」をしているくらいです。競馬・競輪もしません。麻雀、ほとんど負けていました(今はしませんが)。度胸はないのですが、諦観は早いです。なるようにしかならん、ですね。
十(と)評(ひょう)判(ばん)・・・人望
評判は、本人には聞こえないところで広まるものですから、自分自身のことについてあれこれ気にしても仕方がありません。評判づくりのために、自分をつくる(いつわる)ことのほうが問題でしょう。よっぽど反社会的な行いをしない限り、たいていのことは許容されるみたいです。許容される過程で、評判の高低差が出来ることは、諦めて受け入れるつもでいでいます。
さてさて、以上10項目について私見を述べましたが、ここから何をお読み取りになったでしょうか?
ジツは、私が一番「売り」にしているのが、「芸」であり、一番どうでもいいと思っているのが、「男」(顔)なんですね。
意識しないで書いていたのですが、説明文が最も長いのが「芸」、最も簡素なのが「男」についてでした。そのあたりに、知らず知らず自分の思い入れが反映しているみたいです。「売り」たいところと、どうしようもないところ、案外きちんとわきまえているのかな~。
ところで、冒頭に挙げたように、この十か条のうち、ひとつでもあればいいらしいとなると、果たして、私は合格なのか否か。。。おそらくは、こういった項目に、いちいち我が身を当てはめて考えてみる、そういう姿勢が、案外一番の「売り」なのかもしれません。そう、私の取り得は、「律儀(りちぎ)」。今、結論が出ました。
「もてる男の十か条」がそれで、もともとは落語「いもりの黒焼」に出てくるのだそうです。読みやすいように箇条書きにしてみます。
一見栄(いちみえ)・・・身なり
二(に)男(おとこ)・・・顔かたち
三金(さんかね)・・・財力
四芸(しげい)・・・才能?
五精(ごせい)・・・勤勉(精力じゃなかったのか。。。)
六おぼこ・・・純情
七ゼリフ・・・言葉づかい?
八(や)力(ぢから)・・・体力(健康)?
九(きゅう)肝(きも)・・・度胸
十(と)評(ひょう)判(ばん)・・・人望
分かりやすいように、意図するところも書き添えました。
「?」がついているのは、私が勝手に書いたもの。他は本文からの引用です。
すべてを身につけようというのは無理ですが、このうちのひとつでもあればいいらしいので、ちょっと胸をなで下ろしています。
さて、その「ひとつでも」ですが、どれを選ぼうか・・・いや、どれなら認めてもらえるか、かなり悩ましいです。
一見栄(いちみえ)・・・身なり
どうみても、見栄えのするほうではありません。着ているものも、流行にはほど遠く、「さっそう」というよりは「ダサイ」ほうに分類されそう。ここは素直に「×」をつけましょう。
二(に)男(おとこ)・・・顔かたち
これは、選ぼうにも選べない。ま、親から貰った顔カタチですので、むしろ開き直っておきましょう。これでイイノダ。
三金(さんかね)・・・財力
あまり固執するほうではありませんし、起きて半畳寝て一畳、というのが信条ですので、あの世に逝く前にプラスマイナス「0」になっていればよしとしています。有り余ってはいないが、困るほどではない、といったところ。自慢にはなりません。
四芸(しげい)・・・才能?
自分で勝手に「才能」と訳してしまいましたが、文字通りの「芸」だとすると、多少はあるほうかな~。歌を歌ったり、絵を描いたり、囲碁を打ったり、こうしてブログを書き綴ったりと、多趣味であることは間違いない。で、それぞれのめり込むタチではある。。。が、いかんせん、「才能」となると、とたんにすべてが消滅してしまいます。どれをとっても中途半端。人様に自慢できるほどのものはありません。
五精(ごせい)・・・勤勉(精力じゃなかった)
てっきり精力絶倫のことかと思っていたのですが、違いました。お恥ずかしや。勤勉かといわれれば、それもムズカシイ。まあ、そつなく職務を全うしている、とだけ申し上げておきましょう。
六おぼこ・・・純情
ようやく当てはまりそうな項目にたどり着きました。え? ホントかい、って? 年甲斐もなく自慢しますが、いまだに中高生並みの純情さを持っているつもりでいます。もっとも、今どきの中高生が純情かどうかは知りませんが。私らの時代の中高生のままに、今も生きているつもりなのです。本人がそうだと申し上げているので、誰も否定できないでしょ。(^^ゞ
七ゼリフ・・・言葉づかい?
これが案外、曲者(くせもの)なのです。自覚がない。言葉を選んで喋っているつもりでも、やれ冷たい、やれ突き刺さる、そんなふうに「誤解」されることがあります。「真実は人の心を傷つける」のだと思っています。そう思っているのなら、思うだけにして口に出さなければいいんですよね。表向きはもっとやんわりと、傷つけないように喋らないと、ね。(自戒)
八(や)力(ぢから)・・・体力(健康)?
これは、見た目と違って、意外と華奢なつくりをしているんです。といいつつ、今現在は何ひとつ薬を服用することなく、健康に生活しています。ことさらにスポーツに汗を流すわけでもなく、食事に気をつけているわけでもないのですが、そういう無手勝流で生きていることが健康の証しのようです。年も年ですので、マッチョな体づくりにも興味がありません。ま、メタボは避けねばなりませんが。
九(きゅう)肝(きも)・・・度胸
自信を持って否定いたします。度胸、ありません。バンジージャンプなんて、死んでも出来ません。フリー・フォールも失神してしまいます。飛行機も、乗るたびに「覚悟」をしているくらいです。競馬・競輪もしません。麻雀、ほとんど負けていました(今はしませんが)。度胸はないのですが、諦観は早いです。なるようにしかならん、ですね。
十(と)評(ひょう)判(ばん)・・・人望
評判は、本人には聞こえないところで広まるものですから、自分自身のことについてあれこれ気にしても仕方がありません。評判づくりのために、自分をつくる(いつわる)ことのほうが問題でしょう。よっぽど反社会的な行いをしない限り、たいていのことは許容されるみたいです。許容される過程で、評判の高低差が出来ることは、諦めて受け入れるつもでいでいます。
さてさて、以上10項目について私見を述べましたが、ここから何をお読み取りになったでしょうか?
ジツは、私が一番「売り」にしているのが、「芸」であり、一番どうでもいいと思っているのが、「男」(顔)なんですね。
意識しないで書いていたのですが、説明文が最も長いのが「芸」、最も簡素なのが「男」についてでした。そのあたりに、知らず知らず自分の思い入れが反映しているみたいです。「売り」たいところと、どうしようもないところ、案外きちんとわきまえているのかな~。
ところで、冒頭に挙げたように、この十か条のうち、ひとつでもあればいいらしいとなると、果たして、私は合格なのか否か。。。おそらくは、こういった項目に、いちいち我が身を当てはめて考えてみる、そういう姿勢が、案外一番の「売り」なのかもしれません。そう、私の取り得は、「律儀(りちぎ)」。今、結論が出ました。
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