猫むっちゃんと私

捨て猫むっちゃんが09年4月8日に産んだ7匹の子猫の里親探しで始めたブログですが、、

徳冨蘆花

2021年06月29日 | 公開する記事
今回は話があちこちに飛び、長くなりそうなので、
久しぶりにパソコンで書いている。

徳富蘆花といえば、名前を知らない人はないと言うほど有名だけど、
何をした人かと聞かれれば「う~ん」と首をかしげる人が多いと思う。

私が知っている蘆花と言えば、同志社大学で新島襄に教えを受けたが、
その妻、新島八重が夫の事を「襄、襄」と呼び捨てにし、夫の前をどんどん歩くので、
「この女、新島先生の事を尻に敷いて許せん!」と、友人達と言い合い、
八重の事を、のえ(多分これは妖怪の名前)と呼んでいじめたらしい。

大河ドラマの「八重の桜」をググってみれば、八重の生き越この方分かり、
そのようないじめなど、へでも無いことは瞭然だけど。。

ただ、国民保険などない時代だったので、長生きし子を持たなかった八重の困窮を、
蘆花たち友人は援助したそうだけど。

それから、多分蘆花ではなく、兄蘇峰だと思うけど、

新政府は性急に人材育成を図り、年若い子女達をアメリカに留学させる企画を立てたが、
官軍の親たちはそのような危険に思われる留学に子女を向かわせようとはせず、
ただ、賊軍として会津戦争を生き残った親達が10代の4人の少女達を、
教育を受けることを生き延びるすべとして選び、留学に向かわせた。
その中の一番年若いのが津田梅子で、
梅子よりも年長で兄は東大の初代学長になったのが、
後に西郷隆盛の従弟の大山巌の妻となった大山捨松である。
捨松という名は芸者風だけどそうではなくて、
「捨てて待つ」との親の切なる心情から付けられた名前で
当時の官僚は維新の時に助けられた芸者さんを妻に迎えていたが、
捨松はそうではなく、
アメリカの援助団体や津田梅子らと、日本の婦女子教育を広めたく、
元勲大山の力を借りたく後妻の話を受けたというのが本当だと思う。

ここで蘇峰か、蘆花か覚えてない(検索かければ分かる)のだけど、
捨松をモデルにして悪口三昧の小説を書いている。


所で、
私は最近この徳富蘆花の甥という人と知り合って
すごく良い人で話が面白く陽気なおじ様で、
お店をしているのでブログに書いていいで、と言ってもらったので、
取材しようと思ってます。

ただちょっとこのページ悪口?書いたかもなので最初に謝っておきます。
 としちゃん、すみません。