縄文人の反乱 日本を大事に

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●十三湖(じゅうさんこ)●地元津軽地区では「十三潟(じゅうさんがた)」●交易港「十三湊」

2012年03月14日 22時32分15秒 | 色んな情報
●十三湖(じゅうさんこ)●地元津軽地区では「十三潟(じゅうさんがた)」●交易港「十三湊」
色んな呼び名が有り聞いた事はある。
記憶には中央政権の事も余り教えられずまして投句のことはほとんど習っていない。
『成吉思汗(ジンギスカン)の秘密』高木彬光 を始めて手に取り少し東北に興味を持ったことがある。
日本の教育は偏りが多くておぼろに思い出すけれどもと言うくらいしか全般に歴史を習っていない様に思える。
中央政権に重点を置かれていたようだけど今考えて見ると痒いところには手が届かない。
何かもう少しが足りなくて学校の勉強がつまらなかったように覚えている。
今改めて色々と調べて見ると初めて来久陽な事が多くて この頭ではとうてい理解出来ていない。
凄く面白いのに子供の頃のトラウマと言うモノに邪魔されている感じ。
基本は大事だと改めて思った。
小学生から平易に書かれた歴史書は何冊も読ませるべきではないかな。
ゲームにバカリ気が行き過ぎているように思える。
大人が知らない事がこれだけあるのでは子供に勧める事は出来ないのではと感じた。
だから可笑しくなる人が多いのかな。
 
 
★十三湖(じゅうさんこ)http://bit.ly/x2crT9
青森県津軽半島北西部の日本海岸にある汽水湖である。
地元津軽地区では「十三潟(じゅうさんがた)」とも呼ばれる。
津軽国定公園内に位置する。周辺自治体は五所川原市(旧市浦村)、北津軽郡中泊町(旧中里町)、つがる市(旧車力村)である。周囲30キロメートル、水深は最大3.0メートルに過ぎない。南方より岩木川が流入する。
独特の荒涼とした風景に囲まれている。
特産物はシジミである。宍道湖、小川原湖と並ぶ日本有数のシジミ産地である。シジミ漁については十三漁業協同組合、車力漁業協同組合がある。
資源保護のために1日の漁獲制限や禁漁区禁漁期間を決めるなどしてヤマトシジミの資源維持につとめている。
中世には日本海沿岸の交易港「十三湊」の在った場所であり、津軽地方の有力豪族であった安倍氏・安藤氏(安東氏)の拠点として栄えたが、近世以前に衰退した。資料は少ないが、1991年から発掘調査が行われ、研究が進められ、実態が明らかになってきている。
オオハクチョウ、コハクチョウの渡来地として知られ「十三湖のハクチョウ」として県の天然記念物に指定されている。
 
★十三湊(とさみなと)http://bit.ly/zjxls5
日本の中世から近世にかけて、青森県五所川原市(旧市浦村)の十三湖の辺りにあった湊である。
近世以降「じゅうさんみなと」と呼ばれるようになる。
鎌倉時代後期には豪族安東氏の本拠地で、北海道のアイヌと和人との間の重要交易拠点でもあった。
天然の良港で、『廻船式目』では三津七湊の1つに数えられる、当時の博多湊に並び称される港湾都市だった。
その後、朝鮮半島、中国などと貿易が行われていたことは、国立歴史民俗博物館、富山大学、青森県教育委員会、市浦村教育委員会、中央大学などによる十三湊遺跡の発掘調査によって明らかになりつつある。
遺跡は東西に延びる土塁を境に、北側には安東氏や家臣たちの館、南側には町屋が整然と配置されていた。
奥州藤原氏の藤原秀栄建立の檀林寺があることから、平泉との交流もうかがえる。
 
★安東氏(あんどうし)
日本の中世に本州日本海側最北端の陸奥国津軽地方から出羽国秋田郡の一帯を支配した武家。
津軽安藤氏とも。
なお、アンドウの表記について諸史料では主として鎌倉時代から南北朝時代にかけての津軽時代には「安藤氏」、室町時代中期以降の秋田時代には「安東氏」とされている例が多いことから、個人名表記は概ね15世紀半ばまでを「安藤」、以降を「安東」とするが、本稿では便宜上、氏族名は「安東」で統一する。
安倍貞任の子孫を称し、本姓を安倍とした。
鎌倉時代には津軽地方を本拠地に御内人として蝦夷沙汰代官職となり、のち二家に分裂し檜山郡と秋田郡に割拠したが、室町時代には京都御扶持衆に組み入れられたと推定され、後に統合し戦国大名となった。
近世以降は秋田氏を名乗り近世大名として存続し、明治維新後は子爵となった。
 
★安倍 貞任 (あべ の さだとう)http://bit.ly/ys8DQq
平安時代中期の武将。安倍氏の棟梁・奥六郡の俘囚の豪族安倍頼時の第2子。
安倍厨川次郎貞任とも。
妹聟に藤原経清がいる。
 
★本姓(ほんせい)http://bit.ly/zZWvsn
明治以前の日本において、「氏(うじ)」のこと。
名字(苗字)とは異なる「本来の姓」という意味であり、単純に姓とも言うが、「姓(かばね)」のことではない。
 
★姓(カバネ)http://bit.ly/wJVDV5
古代日本のヤマト王権において、大王(おおきみ)から有力な氏族に与えられた、王権との関係・地位を示す称号である。
以下、特別の補足がない限り「氏」は「うじ」、「姓」は「かばね」と読む。
 
★大王(おおきみ)http://bit.ly/x9wmGF
一般に3世紀から7世紀までの時期に成立した大和王権(倭国)の首長を指す歴史用語。
5世紀後半までに大王、治天下大王(あめのしたしろしめすおおきみ)の称号が成立し、この称号が飛鳥浄御原令の編纂が始まった680年代まで日本国内で用いられた。
なお、初期においては統一王権の王とするかどうかで学説が分かれる。
 
★ヤマト王権(ヤマトおうけん)http://bit.ly/ypkebB
3世紀から始まる古墳時代に「王」「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国の王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織である。
大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が広く認知されているが、近年は「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる(詳細は「名称について」の節を参照)。
 
★倭国(わこく)http://bit.ly/zrh7ui
古代の中国の諸王朝やその周辺諸国が、当時日本列島にあった政治勢力、国家を指して、なよなかな女性や人に委ねる(ゆだねる)という語義の漢字「倭」を用いた呼称。
漢字の朝鮮半島における百済や新羅に対応する語である。
2世紀から7世紀まで、倭国と対外的に称している史料が散見されるが、倭国および倭国王の勢力範囲に関しては諸説ある。
7世紀後半に、対外的な国号を日本に改めている。
なお、倭人については紀元前2世紀頃から『漢書』地理志などの史料に現れている。
 
★倭 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD
 倭(わ、やまと、ワ、ヰ、ウェイ(中国南方音)、ゥオー(中国北方音))は、
紀元前から中国各王朝が日本列島を中心とする地域およびその住人を指す際に用いた呼称。
紀元前後頃から7世紀末頃に国号を「日本」に変更するまで、日本列島の政治勢力も倭もしくは倭国(わこく)と自称した。
倭の住人を倭人(わじん)という。和、俀とも記す。
※倭の政治組織・国家については「倭国」、倭の住人・種族については「倭人」をそれぞれ参照のこと。
奈良盆地(のちの大和国)の古名。倭人ないしヤマト王権自身による呼称。「大倭」とも記す。
 
★倭人(わじん)http://bit.ly/wYkN9y
中国の人々の名付けた日本人(現在日本列島と呼ばれている土地に住んでいた人)の古い呼称。韓(三韓)、濊などに対応する語。
 
★倭人【わじん】百科事典マイペディアの解説.
中国で用いわれた日本人の古称。ひろく東方の異民族をさすともいう。
《魏志(ぎし)倭人伝》によれば,身体には朱丹を塗り,男子は布を体に巻き,入墨(いれずみ)で尊卑を区別,女子は貫頭衣(かんとうい)を着る。
 
★『尊卑分脈』http://bit.ly/y55EYB
『尊卑分脈』(正しくは『尊卑分脉』、そんぴぶんみゃく)は、日本の初期の系図集。正式名称は新編纂圖本朝尊卑分脈系譜雜類要集である。
通常は「尊卑分脈」と略されて呼ばれる。別名に諸家大系図がある。
姓氏調査の基本図書のひとつで、南北朝時代から室町時代初期に完成した。
編者は洞院公定で、主に永和3年(1377年)から応永2年(1395年)にかけて編纂された。
ただし、公定死後も養子満季、孫の実煕ら洞院家の人によって編集・改変・訂正・追加が行われた。室町時代以降、広く増補改訂されたため、異本が多く、30巻本・20巻本・14巻本が流布した。
成立当初は帝皇系図・神祇道系図・宿曜道系図を伴ったらしいが失われ、現存する部分は源平藤橘のうち藤原・源の両氏(いずれも長く宮廷社会の中枢にいた)に詳しい。
直線で父系を結び、女性は后妃など極めて一握りの人を除き「女子」と省略される(紫式部など有名な女性も例外ではない)。
系図に名の見える男性官人には、実名とともに生母・官歴・没年月日と享年の注記を含む略伝が付され、最も貴重である。平安時代および鎌倉時代に関する記載は一級の史料として採用される。公定死後の部分に関しては他の史料との整合性や比較批評が必要とされる。
また、加筆されている部分も同様である。
 
★倭【わ】世界大百科事典 第2版の解説.
7世紀以前の日本の呼び名。
中国人が付けた名であるが,対外関係では7世紀後半まで自称として使われていた。
日本語の一人称代名詞〈わ〉(吾)によるとする説が古くから唱えられている。
最近は身長,体型など人種的特徴によるとする説もある。
後漢に成立した《説文解字》に〈倭は順(しなやか)なる貌(すがた)なり。
人に従い委の声〉とある。転じて背が丸く曲がって低い人を指すといわれる。
なお倭はもと委と書いたと説くのは《経典釈文》の誤解。

●神代文字 ●祝詞

2012年03月14日 10時29分30秒 | 色んな情報
●神代文字   ●出雲文字
全体では判っているもので区分けされて全部で48種類有る。
その内八種類ほどしか取り上げてこなかった。
復古神道思想が無ければこれだけのモノが世に出ることは無かった。
創作物だと結論が出たモノは幾つかある。
創作にしても一代でそこまで出来るのは 相当に教養が高くて人物でないと出来るモノではない。
多方面に造詣が熱く通じるモノも沢山持ち合わせないと。
それだけ日本は挿画熱いという事になる。
現代もマルクスからクリスチャンやら神道 仏教 共産主義までありとあらゆるモノが揃っている日本でないと無理。
それだけ我々は自慢しても良いし誇りを持っても良いと思う。
プライドと誇りは人の持つ最低の財産では無かろうか。
戦後長きに渡り自虐的に教育されて育ってきたけれども人は根底に持つモノはこれでは無かろうか。
英語が良いと惑わされて横文字ばかりの世になってしまった。
なのに仕事言われる言葉をコギャルなどと言われる子供までが毎日知らずに使っている。
マダマダ捨てたモノではない。
一つでも多くの言葉を彼等に教え伝えて上げるのが知っているモノの勤め イヤ義務ではないかな。
指名全うできる様に頑張らないと。
其れには日本を楽しむこと。
 
 
★出雲文字(いずももじ)http://bit.ly/xod5b7
出雲の石窟で発見されたと伝えられる神代文字。
日本語の五十音を表す50種の文字からなる。ほかに一から十までの数を表す文字と、「百」「千」「万」の位を表す文字がある。
 
★「麻賀多神社」「古代出雲文字発見」http://bit.ly/zRonGs http://bit.ly/yRg6Pk
麻賀多神社は延喜式巻九(神祇九 神名 上)下総国 十一座【大一座、小十座】印旛郡の一座 【小】 麻賀多神社と記されている。
延喜式:藤原時平・忠平が延喜(905年)に醍醐天皇の命によって編纂された律令の施行細目。
神社名巻九(神祇九)には朝廷に把握されていた神社名が列挙されている。
つまり10世紀当時既に著名だった神社であり、平成の現在まで確実に千年以上経ているということである。
 
★麻賀多神社 神代文字 出雲文字  http://bit.ly/yRg6Pk
 
★阿伎留神社 神字歌解析報告(Adobe PDF) http://bit.ly/AuLHI8
★岩刻(ペトログラフ)文字 http://bit.ly/xSxiqL
 
★神前結婚式 京都・亀岡 縁結び日本一の神社 出雲大神宮 結婚式動画
http://www.youtube.com/watch?v=7GN3Hh5AtIY
 
★パワースポットNavi http://www.powerspotnavi.com/
★出雲大神宮(京都の縁結びの開運神社 http://bit.ly/zWSWy6
 
★祓い詞(祓詞 はらいことば)/開運の社 はらいのことば
http://www.youtube.com/watch?v=g72fndrROmY
 
★日本一 開運 パワー文字top 開運の社 パワー文字「福」
http://www.youtube.com/watch?v=XHuLmMSV4Oo
 
★開運の音楽top
http://www.youtube.com/watch?v=bK_vL1IBNy4
 
★ホツマを語る 大宮司朗 vs 武田崇元 http://bit.ly/Ao5AB6
これがじつはホツマ文字の異体字ともいうべき出雲文字で書かれた一種の禁厭秘辞の巻物で、「外より感げたる病を禁厭ひ治す大名持の奇しき告辞」云々と書いてあったわけです。
それで、ホツマに関しては偽書説もあるわけですが、水位先生はこう述べておられ...
 
★銅鏡の文字について http://bit.ly/wBCAp2
似ているものとしては、出雲文字の「ヤ・也」、 カローシュティ文字の「チ・千」。
★杉本先生のマークの意味 http://bit.ly/wlyY92
右側も先生のサインであり、出雲文字でまひとと描いてあります。
★『禁厭秘辞』(きんえんひじ)とは、宮地堅磐(宮地水位)による著作物。http://bit.ly/AoSUg9
出雲文字で筆記された古い巻物の伝法で外患病を取り除く禁厭の唱え文を註釈している。
水位はこの時期にその他に『五臓文集』、『神道洗霊式』、『永言集』、『続々和漢名数』等も書き残している。
★宮地堅磐(みやぢ かきわ、嘉永5年11月8日(1852年12月18日)-明治38年3月2日(1904年3月2日))
潮江天満宮の神職。祖父は美作。http://bit.ly/AAx8Vp
幼名は政衛(まさえ)。後に清海、中和(ちゅうわ)、後年大病後は再来(よりき)と称す。道号は水位(すいい)、中嶽、大有洞人とも称す。
家の名は苔生舎(こけむしのや)。諱は政昭。一般的には堅磐よりも「宮地水位」の名の方がよく使われる。
 
★平田 篤胤  http://bit.ly/wUzEyQ
 平田 篤胤(ひらた あつたね、1776年10月6日(安永5年8月24日)-1843年11月2日(天保14年閏9月11日))
江戸時代後期に国学者・神道家・思想家・医者。
出羽久保田藩(現在の秋田市)出身。
成人後備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。
幼名を正吉、通称を半兵衛。元服してからは胤行、享和年間以降は篤胤と称した。
号は気吹舎(いぶきのや)、家號を真菅乃屋(ますげのや)。医者としては玄琢を使う。
死後、神霊能真柱大人(かむたまのみはしらのうし)の名を白川家より贈られている。
復古神道(古道学)の大成者であり、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人(うし)の中の一人として位置付けられている。
 
★本居 宣長  http://bit.ly/A4n9Uh
 本居 宣長(もとおり のりなが、1730年6月21日(享保15年5月7日) - 1801年11月5日(享和元年9月29日))
江戸時代の国学者・文献学者・医師。
名は栄貞。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。
号は芝蘭、瞬庵、春庵、自宅の鈴屋(すずのや)にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人(すずのやのうし)と呼ばれた。
当時、既に解読不能に陥っていた『古事記』の解読に成功し、『古事記伝』を著した。紀州徳川家に「玉くしげ別本」の中で寛刑主義をすすめた。
 
★荷田春満  http://bit.ly/y4UEg6
 荷田春満(かだ の あずままろ、寛文9年1月3日(1669年2月3日)- 元文元年7月2日(1736年8月8日))
江戸時代中期の国学者・歌人。
通称斎宮(いつき)。
初名は信盛と称し、のちに東丸。
父は伏見稲荷神社(現在の伏見稲荷大社)の社家で御殿預職の羽倉信詮(はくら のぶあき)。
母は細川忠興の家臣深尾氏の娘貝子。
 
★賀茂 真淵  http://bit.ly/xUY7bQ
 賀茂 真淵(かものまぶち、元禄10年3月4日(1697年4月24日) - 明和6年10月30日(1769年11月27日)
江戸時代の国学者、歌人。通称三四。
真淵は出生地の敷智(ふち)郡にちなんだ雅号で、淵満(ふちまろ)とも称した。
 
★復古神道(ふっこしんとう)http://bit.ly/yGScNx
江戸時代、国学者たちによって提唱された神道。
「古神道」、「古道」ともいう。
 
★古神道(こしんとう)とは、http://bit.ly/A0xtAB
1.仏教以前の日本の宗教。原始神道。
2.江戸時代の復古神道の流れを汲み、幕末から明治にかけて成立した神道系新宗教運動。
  仏教以前の日本の宗教を理想としている。
  通常はこちらをいう。
  大本などに影響を与えた。
  神道天行居や古神道仙法教などの教団が存在している。
 
●開運の手水/出雲大神宮(京都、亀岡) 手水舎 開運の社
http://www.youtube.com/watch?v=-ghQpxSvtXI

●神代文字 ●祝詞

2012年03月14日 10時29分30秒 | 色んな情報
●神代文字 ●祝詞
何度か書いてきたけど日本人の手で紡ぎ出されたモノに変わりはない。
偽書と決め付けるのも一つだけれど記紀も偽書だと言われている。
何故かと言えば原本は一つも残っていない。
古文書と言われるモノは総て写本である。
写本というモノは必ず書き写すモノが居る。
書き写すモノは少々の教養が有るモノでは勤まらない。
ある程度 高い教養を身に付けたモノでないと書く写している最中に判読しなければ成らない部分が沢山出てくる。
写本者の義亮が発揮される部分である。
発想と想像力がここで活かされる。
並の教養ではこの辺りで行き詰まってしまう。
時には一ページ全部が虫喰いで続かなくなる。
ここで教養が発揮される。
色んな物事を知っている人は創造働かして作文をしただろう。
だから偽書だと言われる所以になる。
今底本とされている裏にはこういう事もある事を頭に入れておかないと行けない。
もう一つ作成された頃の権力者が自分達の都合の良いように編纂していると言うこと。
どの時代でも利権というモノは必ず働く。
絶対に正しいモノとは本当にこの世に存在するのか。
遺伝子操作で色んな作物を作り出している。
人が最小単位で徹底できるのは精々五人くらいまでと学問では定義されている。
それ以上になれば色んな意見が出てきて収集が付かなくなる。
定義とか定説はその為に必要になってくる。
人は欲望の固まりである。
欲が無くなれば生きていけないのでは無かろうか。
世の中には何億 イヤモット多いかも知れない程 ネットには色んな表現をする人が居る。
ある人は掲示板で ある人はブログで。
自分を披露している。
私もその一人に過ぎないけど。
色んな意見を言い合いそこで話し合いでこういうモノとか自然にルールなどが出来ていく。
守らない人も居る。
法律に違反するモノはここで犯罪者になる。
其れが世の中 人の集まる社会のルールで ルール違反者は排除されていく。
排除されるのは悪いモノだけでは無くてそのことに関わるモノの都合でもそうされる。
ウソも方便。
デモ間違ったことでも定義づけられたり 何万ベンも主張され続ければそれば本当になる事もある。
人の心を操っている人たちには都合の良いことだけど。
正しい正しく無いで決め付けることで発展することもあるけど。
悪を善にして 善を悪にすることもある。
社会とはそんなモノで構成されている。
デモ飛んでも無い事が今はトンでも有りになる時代で有る。
信じているなら楽しい事をした方が体にも良いのでは無いかな。
生活を楽しむのは大事な事である。
 
 
★神代文字 http://bit.ly/rCPWcr
★神代文字岩 http://bit.ly/wCBHm5
★神代文字総覧 http://bit.ly/xTPn47
★神代文字の一覧 http://bit.ly/zOIzNs
★日本神代の叡智 http://bit.ly/yIWDE8
★神代文字の真偽 http://bit.ly/zU0Dgb
★神話の森のブログ http://nire.main.jp/rouman/
★古史古伝と神代文字 http://bit.ly/wj8yX7
★神代文字 神話の森 http://bit.ly/AtsDSA
★神代文字-日本的霊性 http://bit.ly/w55JsX
★神代文字について 書の霊智塾 http://bit.ly/fpowm5
★神代文字 アルティーワールド http://bit.ly/xtI3rF
★神代文字信者にもわかる國語音韻史 http://bit.ly/xk1VDC
★『神代(かみよ)文字』実践会 http://bit.ly/xkfmc4
★山本光輝先生 魂の覚醒 アキル文字
http://www.youtube.com/watch?v=jzRQZ2H68eM
 
★山本光輝先生 言霊を書くということ
http://www.youtube.com/watch?v=jFM43jjf4eM&feature=related
 
★山本光輝先生
http://www.youtube.com/watch?v=gT5s2UdRUvE&feature=related
 
★ひふみ祝詞(のりと) 一二三神示 ヒフミ 千田寛仁石上神宮訳文付き
http://www.youtube.com/watch?v=BpW1rEkm55E&feature=related
 
★天津祝詞 (出口王仁三郎、大本)
http://www.youtube.com/watch?v=vJNEcSboXxg&feature=related
 
★ひふみ神示と天皇家
http://www.youtube.com/watch?v=k-sERl3Dd_s
http://www.youtube.com/watch?v=odBkpJxGfsw&feature=fvwrel
http://www.youtube.com/watch?v=Rsjjg-U9dM8&feature=fvwrel
http://www.youtube.com/watch?v=1WsLLs4jmOw&feature=related
 
★大祓詞(おおはらえのことば)
http://www.youtube.com/watch?v=IjIhA4GSTp4&feature=related
 
★祝詞 Wikipedia http://bit.ly/rKQ70D
★大祓詞 Wikipedia http://bit.ly/zeIohX
★おすすめ祝詞集(祝詞メニュー) http://bit.ly/x6BzPZ
★「祝詞の意味と奏上の考え方」  http://bit.ly/yTquwT
★祝詞を読んでみましょう   http://bit.ly/yx7E5H
★愛しきものたち 神代文字の石 http://bit.ly/yks8UI http://bit.ly/A0h1qH
★神代文字について http://bit.ly/A6CHcY
★神代文字が語る神国日本の真実の歴史とは http://amba.to/wYm6TI
★神代文字 橋本敬三 http://bit.ly/A1fweR
★神代文字 http://bit.ly/xIcIdm
★神代文字は実在する!?:イザ! http://bit.ly/z3v9LX

★神代文字のこと http://bit.ly/yVgDGn

★日本の古代文字論 http://bit.ly/xrO8dC
 日本の古代文字は、
1)神代文字・・天津神第1代から第7代までの間に作られた文字(32種)
2)太古文字・・人祖第1代天皇から同22代天皇までの間に作られた文字(16種)に大別されている。