縄文人の反乱 日本を大事に

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●風狂の道●風教の道●風流

2012年03月18日 19時30分52秒 | 色んな情報
●風狂の道●風教の道●風流
婆娑羅(ばさら)や数寄(すき)とともに侘び・寂び(わび・さび)と対峙する存在で有るように見えたけれども又含んで居るようだ。
傾く(かぶく)などは含んで居るようだ。
この辺りの事はどうも私の頭では結び付くのに理解出来ない。
ヤハリいつまで経っても頭の回転は良くないようで。
折角楽しいと思って調べたけれどもシッカリとした説明が出来ない。
 
 
★わび・さび(侘・寂)http://bit.ly/zwWv3J
日本の美意識の1つ。一般的に、質素で静かなものを指す。
本来侘(わび)と寂(さび)は別の概念であるが、現代ではひとまとめにされて語られることが多い。
 
★ばさらと(婆娑羅) http://bit.ly/xXnoG4
日本の中世、南北朝時代の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉であり、実際に当時の流行語として用いられた。
婆娑羅など幾つかの漢字表記があり、梵語(サンスクリット語)で「vajra = 金剛石(ダイヤモンド)」を意味するが意味の転訛は不明であるとされる。
身分秩序を無視して公家や天皇といった時の権威を軽んじて反撥し、奢侈な振る舞いや粋で華美な服装を好む美意識であり、後の戦国時代における下剋上の風潮の萌芽となった。
足利直義主導の下に、室町幕府の基本方針として編まれた『建武式目』では、ばさらを禁止している。
ばさらに対して批判的な古典『太平記』には、足利氏筆頭執事の高師直や、近江国(滋賀県)の守護大名の佐々木道誉(高氏)、美濃国(岐阜県)の守護大名の土岐頼遠などのばさら的な言動・行動が記されている。これらの大名は「ばさら大名」と呼称されている。
 
★ふう‐きょう〔‐ケウ〕【風教】大辞泉
1.徳をもって人々を教え導くこと。風化。
「全国男子の―はいわゆる武士道をもって陶冶する事」〈藤村・夜明け前〉
2.風習。
「社会の―は愈(いよいよ)封建制度に適して発達せり」〈田口・日本開化小史〉
★ふう‐きょう[:ケウ]【風教】日本国語大辞典
〔名〕風俗と教化。徳によって人民をよい方へ導くこと。風化。
★ふうきょう―けう【風教】三省堂 大辞林
(1) 徳によって人々を教化すること。
(2) 風習。習俗。
「社会の―は愈よ封建制度に適して発達せり/日本開化小史(卯吉)」
★「風教」の用例一覧
・日本基督教団生活綱領(Wikisource) http://bit.ly/yIuv3V
その分を尽くして皇運を扶翼し奉るべし。
誠実に教義を奉じ、主日を守り、公礼拝に与り、聖餐に陪し、教会に対する義務に服すべし。
敬虔の修行を積み家庭を潔め社会風教の改善に力むべし。
・宮本百合子「チャタレー夫人の恋人」の起訴につよく抗議する(青空文庫) http://bit.ly/z5oAtJ
公安のために、風教のために「チャタレー夫人の恋人」の関係者を起訴されるなら、それより幾千倍かの人々の不信と怒りを買っている公団の腐敗についての責任が明瞭にされることを欲します。
・北村透谷 粋を論じて「伽羅枕」に及ぶ(青空文庫) http://bit.ly/FPuV5n
抑も当時武門の権勢漸く内に衰へて、華美を競ひ遊惰を事とするに及びて、風教を依持す可き者とては僅(わづか)に朱子学を宗とする儒教ありしのみ。
而して儒教の風教を支配する事能はざるは、往時以太利(イタリー)に羅馬(ローマ)教の勢力地に堕ちて、教会は唯だ集会所たるが如き観ありしと同様の事実なり。
 
★道楽の道 hat http://bit.ly/znwbOS
仮に「蘭道」というものがあったらとの前提で、私の勝手な認識ですが「五つの道」があると思っております。
全く何の根拠も無い遊びの戯言ということで、誤解なきようにお願いします。
 第一は「趣味の道」で、誰もが最初に入るスタートであり、また戻ってくるゴールでもあります。
 第二は「道楽の道」に入り、趣味に溺れきり、だんだん深みにのめり込む過程であります。
 第三は「風狂の道」です。所謂「蘭キチ」と言われ「蘭こそ我が命」と熱が入る時期であります。
 第四は「名人の道」に辿り着き、この世界にこの人有りと、世に知られる技量の持ち主となる最高峰に登りつめます。
             しかしまだ上には上が有り、究極の段階として
 第五に「仙味の道」があると想像したのです。蘭の心を理解し、尊び、その一鉢の蘭に心を託し蘭を楽しむと言う最初の趣味の集大成と
            なる段階です。
 なお、前提条件として蘭を金儲けや投機に身を窶す人たちはこの道には入れていません。
 
★日比谷公園の紅葉 http://bit.ly/wsFlrm
松尾芭蕉に、「この道や行く人なしに秋の暮れ」という句がある。
芭蕉最晩年の句である。
思うにこの句は、辞世の句と呼ばれる「旅に病んで夢は枯れ野を駆けめぐる」よりも、ずっと、芭蕉の最後の心境を伝えている句ではないかと感じられる。
つまり「この道」とは、具体的に「東海道」とか「奥州街道」という「道」を指すのではなく、
芭蕉が志す「俳諧の道」あるいは「風雅・風狂」の「道」を指すのではないかと推測する。
「風雅・風狂」とは、句のために命を捧げ尽くし、その道に狂うことをもいとわないことを言う。
 
★一休宗純(いっきゅうそうじゅん)http://bit.ly/w8w1BV
室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。説話のモデルとして知られる。
・男色はもとより仏教の戒律で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の森侍者(しんじしゃ)という側女や岐翁紹禎という実子の弟子がいた。
・木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を批判したものであったとされる。
 
★『増殖する俳句歳時記』検索:幸田露伴 http://bit.ly/xlPgxo
1998年8月13日 そんなものが「何ぢゃ」らほいと、作者はいささか突っ張った感じで、風狂の気のおもむくままに遊んでしまおうとしている。世間に背を向ける無理は承知で、無理を通そうというのだ。こうなると、風狂の道もラクじゃないのである。
 
★飛鳥への道 http://bit.ly/xa8xOx
芭蕉はこの旅の後に向井去来など生涯の弟子を得ることになり、その後五年間にわたる関西での日々や弟子との蜜月の日々を経て、生涯のテーマである現実社会への欲望を捨てて人生そのものを芸術化するという、風雅の道、風狂の道へと突き進んでいく。
 
★冬の季語:水牛歳時記 http://bit.ly/FP9Ryj
しかし何と言っても「枯野」のイメージを決定づけた句は芭蕉の『旅に病んで夢は枯野をかけ廻る』であろう。
辞世の句という背景を知らなくても、一生を俳句という風狂の道に捧げた詩人の心意気が伝わってくるし、壮絶な感じも受ける。
 
★不易流行から軽みへ http://bit.ly/FQ7DiZ
その後、風狂の道を極めたいとの思いを強くした芭蕉は、歌枕名所旧跡を訪ね歩き、漂泊の旅を重ねます。
四十六歳で奥羽北陸の旅(『奥のほそ道』紀行)から帰ると、「不易流行」の説を唱え始めます。
 
★風流 フレッシュアイペディア http://bit.ly/zJI7Dl
 風流(ふりゅう)とは、中世以後の日本において高揚した美意識の1つ。人目を驚かすために華美な趣向を凝らした意匠を指し、婆娑羅や数寄とともに侘び・寂びと対峙する存在として認識された。
後にはこうした意匠に沿った芸能や美術・建築などにも用いられた。
 
★風流 フレッシュアイペディア http://bit.ly/ApgI8U
風流島(たばこじま) 風流活人剣 風流滑稽譚・仙人 武風流・→骨法(格闘技).. 風流踊(ふりゅうおどり) などがある
 
★風流とは 盆踊り用語 Weblio辞書 http://bit.ly/FPbxqu
・ふうりゅう―りう【風流】三省堂 大辞林
(名・形動)[文]ナリ
〔古くは「ふりゅう」とも〕
(1)おちついた優雅な趣のあること。みやびやかなこと。また、そのさま。風雅。
「―な茶室」
・ふりゅう―りう【風流】
(1)「ふうりゅう(風流)」に同じ。
 
・「風流」に似た言葉»
風雅 花鳥風月 敏感 おもしろい

・風流(ふりゅう) 盆踊り用語辞典
日本芸能史、盆踊り史のキー概念。
「風流」は非常に古い言葉で、時代を追って意味が少しづつずれていく。
平安時代は 貴族階級の美意識を表すものであった。
中世は「人目を引く趣向」といった意味になり、「1回切りの趣向」が重視された。
しかし江戸時代を境に1回性の趣向は失われ、芸態は定着していく。
中世における代表的な風流芸能である「風流踊り」は、現在の盆踊りの初期形態の一つである。
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風流拍子物(ふりゅうはやしもの)
盆踊りの先行芸能。

●刺又(さすまた)・棘(とげ、刺、朿)・【刺す】・「差す」・【刺す竹の】

2012年03月18日 15時46分38秒 | 色んな情報
●刺又(さすまた)・棘(とげ、刺、朿)・【刺す】・「差す」・【刺す竹の】
<< 美夜さんの日記に 
差し色の青が
私の想いを
貴方に伝える
の一句があり何の事だと調べて見た。結論は判らず仕舞い。
デモ日本語って面白くて楽しい使い方をする。
確か刺し子というモノも有った様な。
最近の私は物思えがトンと落ちてしまった様で ボケが大分進んだかな。
誰か教えて。
 
 
★棘(とげ、刺、朿)http://bit.ly/FP49Pi
生物または人工物の表面における、固く細長く頂点の鋭い円錐形の突起のこと。
生物体または人工物を保護する役割で存在することが多い。
また、比喩的に心に傷を与えるような言動に対して「棘のある」という言い方もする。
前者の棘も後者の棘も、必要以上に多いと思われるときは「とげとげ」という擬態語で修飾される。
 
★いら【刺】 大辞泉
1.草木のとげ。いらら。
2.魚の背びれのとげ。
3.イラクサのこと。
★さす【刺す】 大辞泉
さ・す【刺す】
[動サ五(四)]《「差す」と同語源》
1.
A.先の鋭くとがったものを中に突き入れる。突き立てる。突き通す。
「指にとげを―・す」「短刀で胸を―・す」「魚をくしに―・す」
B.(「螫す」とも書く)毒虫などが針を皮膚に突き入れる。「ハチに―・される」
2.厚いものに針を突き入れて縫う。また、針で結びつづる。「ぞうきんを―・す」「網を―・す」
3.もちざおで小鳥や虫を捕らえる。「鳥を―・す」
4.(「差す」とも書く)舟を進めるためにさおを水底に突き立てる。「さおを―・す」
5.野球で、走者にボールをタッチしてアウトにする。「本塁で―・される」
6.
A.目・鼻・舌などの感覚器官を鋭く刺激する。「異臭が鼻を―・す」「舌を―・す味」
B.心に強い痛みを感じさせる。ショックを与える。「その一言が私の胸を―・した」
[可能].させる
[用法]
さす・つく――「針で肌を刺す(突く)」のように、先の鋭い物を押し付ける意では、相通じて用いられる。
◇「刺す」はその動作の結果として、対象の内部に入り、あるいはつらぬく意が中心となる。「肉をくしに刺す」「とげを刺す」
◇「突く」は物の先端を一つ所に強く当てる動作に意味の中心がある。「相手の胸を突いて倒す」「釣鐘をつく」
◇「銛(もり)で魚を突く」「槍(やり)で突く」など、「突く」は刺し通すことにも言うが、この場合も、物の先を勢いよく目標に当てるという動作が主になる。
◇「鼻を刺す(突く)臭気」「胸を刺す(突く)言葉」などでも両語とも使われるが、「刺す」は刺激や痛みの鋭さに、「突く」は衝撃の強さにそれぞれ重点がある。

[下接句]
釘(くぎ)を刺す・鹿(しか)の角を蜂(はち)が刺す・寸鉄人を刺す・止(とど)めを刺す・寝鳥を刺す・骨を刺す
▼【螫す】 (虫が) 蜂(はち)が螫す 食う .
★さす   大辞泉
焼き畑のこと。武蔵国に多くある「指谷(さすがや)」という地名はこれに基づくといわれる。
★さ‐す【×叉▽手】 大辞泉
1.腕を組むこと。転じて、手出しをしないこと。拱手(きょうしゅ)。
2.⇒しゃしゅ(叉手)
「さしゅ(叉手)1」に同じ。
「―して首を伸べて」〈太平記・一〇〉
★さ‐す【×扠▽首】 大辞泉
切妻屋根の両端に、それぞれ棟木(むなぎ)を受けるために合掌形に組む材。古くは上部を交差させて組んだ丸太。
 
★さ・す【差す/指す】 大辞泉
[動サ五(四)]
1.(差す)
A.(「射す」とも書く)まっすぐに光が照り入る。光が当たる。「西日が―・す」
B.潮が満ちてくる。また、水が増して入り込む。しみ込む。「潮が―・す」「氾濫した川の水が床下まで―・してきた」「井戸に廃水が―・す」
C.何かのしるし・気配などが自然と外に現れる。「ほおに血の気が―・す」「景気にかげりが―・す」
D.ある種の気分・気持ちが生じる。きざしてくる。「眠けが―・す」「魔が―・す」「気が―・す(=気ガトガメル)」
E.平熱より高くなる。熱が出る。「熱が―・す」
F.枝や根が伸び広がる。草木が伸びて出る。「枝葉が―・す」
2.(指す・差す)
A.指などで目標とする物や場所・方向を示す。指さす。「指で―・して教える」「後ろ指を―・される」「時計の針が七時を―・している」
B.人や物をそれと決めて示す。指名する。また、密告する。「文中のそれは何を―・しますか」「生徒を―・して答えさせる」「犯人を警察に―・す」
C.その方向へ向かう。目ざす。「南を―・して飛ぶ」
D.物差しで寸法を測る。
「縦横の寸法を―・してみた」〈三重吉・桑の実〉.
E.指物を作る。
E.将棋で、駒を動かす。また、対局する。「将棋を―・す」「一局―・す」
F.物を手で持って上げる。両手で高く上げる。「米俵を―・す」
G.傘などをかざす。
H.肩に担ぐ。になう。「駕籠(かご)を―・す」
I.舞で、手を前方に伸ばす。「―・す手引く手」
J.相撲で、相手の脇の下に手を入れる。「右を―・す」
K.競馬などで、ゴールの直前で先行するものを追い抜く。「―・して首の差で勝つ」
3.
A.雲などが、立ちのぼる。
「八雲―・す出雲の児らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ」〈万・四三〇〉
B.さしつかえる。
「ちとお寺に―・す事ある」〈浄・薩摩歌〉
[可能].させる
◆「指す」「差す」「射す」「刺す」「注す」「点す」「挿す」「鎖す」などと、いろいろに漢字が当てられるが、本来は同一の語。
 
★さすたけ‐の【刺す竹の】
[枕]《「さすだけの」とも》「君」「皇子(みこ)」「大宮」「舎人(とねり)」などにかかる。「さす」は生え伸びる意で、竹が勢いよく生長するところから、君・宮廷をたたえる意で用いたものという。
「―大宮人の踏み平(なら)し通ひし道は」〈万・一〇四七〉
 
★刺又 Wikipedia http://bit.ly/FPCOfh
 刺又(さすまた)とは、相手の動きを封じ込める武具及び捕具。刺股、刺叉とも書く。
U字形の金具に2-3メートルの柄がついており、金具の部分で相手の首や腕などを壁や地面に押しつけて捕らえる。また先端金具の両端には折り返し部分が付いており、これを対象者の衣服の袖等に絡めて引き倒す際にも利用される。
元々は江戸時代に作られた物で、暴れる犯罪者の動きを封じ込めるために捕物用として使われた。
柄が長いため、ナイフのような小型の刃物や刀などを持った相手と距離をおいて、安全に対応することができる。
ただ、構造や機能から飛び道具一般への対応は基本的にできない[1]。
 
★刺胞動物(しほうどうぶつ)
 刺胞動物門に属する約11,000種にのぼる動物の総称である。
ほぼ全てが水界に生息し、大部分が海産である。
「刺胞」と呼ばれる、毒液を注入する針(刺糸)を備えた細胞内小器官をもつ細胞があることからこの名で呼ばれる。
体は単純で、二胚葉動物である。
クラゲやイソギンチャク、ウミトサカ、ウミエラ、サンゴなどが刺胞動物に属する。
かつては有櫛動物(クシクラゲ類)と共に腔腸動物門として分類されていたが、有櫛動物は刺胞動物とは体制が大きく異なることから、現在では異なる門として整理されている。
刺胞動物は先カンブリア期の地層に既に、化石として姿をとどめている。
 
★刺し網(さしあみ。刺網とも)http://bit.ly/wM6f2v
魚類などの水生動物を捕獲するための漁網の一種である。
刺し網は、目標とする魚種が遊泳・通過する場所を遮断するように網を張り、その網目に魚の頭部を入り込ませる(これを網目に刺すという)ことによって漁獲するための漁具である。
この刺し網を用いておこなう漁法を刺網漁という。
刺網漁は、北アメリカの太平洋岸における漁法としては一般的な方法である。
また、1980年代においては、日本、韓国、台湾の漁船によって、流し網(後述)は非常に多く使用された。
 
★さす 国語辞書 goo辞書 http://bit.ly/FQcmio 65の言葉と熟語

●南極大陸●南極観測●白瀬 矗(のぶ)●タロとジロ

2012年03月18日 12時21分43秒 | 色んな情報
●南極大陸●南極観測●白瀬 矗(のぶ)●タロとジロ
南極大陸は色んなドラマとロマンを含んだ地球最後の夢になるのではないだろうか。
シベリア凍土 ヒマラヤ山脈 アマゾンの奥地 他にも色々と有るけれども ここほどのモノは無いのでは。
最近では『地底探検』の穴の話題もあった。
ナチスの残党の話も。
マダマダ目の離せない地域である。
 
 
★南極観測船「しらせ」、かじ損傷 船内越冬・救援を一時検討 http://bit.ly/FP1zdk 産経新聞(2012年3月18日)
 
★【用語解説】しらせ
 平成21年5月に就役した南極観測船。
 宗谷、ふじ、先代しらせに続く4代目観測船。
 世界屈指の砕氷力を誇り、厚さ約1・5メートルまでの氷中を時速約5・6キロで進む。
 船名は日本の南極探検の先駆者、白瀬矗(のぶ)陸軍中尉にちなんだ南極の「白瀬氷河」に由来する。
 
★白瀬 矗(のぶ) http://bit.ly/yXbigN
 白瀬 矗(しらせ のぶ、文久元年6月13日(1861年7月20日) - 昭和21年(1946年)9月4日)
日本の陸軍軍人、南極探検家。
最終階級は陸軍輜重兵中尉。
1893年(明治26年)に予備役編入、幸田露伴の兄である郡司成忠大尉が率いる千島探検隊(千島報效義会)に加わる。
 
★南極観測船(なんきょくかんそくせん)http://bit.ly/xojlOc
南極への物資補給・人員派遣や観測・実験任務に携わる船(調査船)のことである。
任務の特性上、砕氷を始めとする高度な能力が求められる。
日本においては1957年(昭和32年)から1962年(昭和37年)までの南極観測船運用(第1~6次)は海上保安庁により行なわれたが、1965年(昭和40年)から海上自衛隊により運用が行なわれている。南極地域の観測及び南極地域観測隊の日本と南極との往復に以下の艦船が用いられた。
・初代:宗谷(1957~1962)
・2代:ふじ(1965~1983)
・3代:初代しらせ(1983~2008)
・4代:しらせ・2代目(2009~)
このうち宗谷は、もともと第二次世界大戦前にソビエト連邦の発注により造られたもので、南極観測船として造られたものではない。
なお、2008年度はオーストラリアの民間砕氷船オーロラ・オーストラリスが用いられた。
 
★南極観測船「宗谷」 http://bit.ly/FP1PJz http://bit.ly/FPAobr http://bit.ly/y1lW5s
★南極観測船「しらせ」(初代) http://bit.ly/xsezwY http://bit.ly/yepkCN http://bit.ly/FPAdgx
★南極観測船「しらせ」(二代) http://bit.ly/xgezTM http://bit.ly/FSJlRb http://bit.ly/xcOYEx
 
★宗谷 (船) http://bit.ly/AtccGm
 宗谷(そうや、船番号: PL107)
日本の砕氷船である。日本海軍では特務艦、海上保安庁では巡視船として服務した。
日本における初代南極観測船になり、現存する数少ない旧帝国海軍艦艇である。
現在でも船籍を有しており、船舶法の適用対象で、必要であれば舫を解いて航行できる。
 
★ふじ (砕氷艦) http://bit.ly/xuGs37
 ふじ(JMSDF AGB FUJI class)は、日本の文部省の二代目南極観測船。
海上自衛隊艦番号AGB-5001。
1965年(昭和40年)7月に竣工。同年から南極観測船としての役割を宗谷より引継ぎ、1983年(昭和58年)まで海上自衛隊により運用され南極地域観測隊輸送に従事した。
退役の後は南極観測に関する博物館として名古屋港ガーデンふ頭に係留され一般公開されている。
後継艦は「しらせ」(初代)。
 
★しらせ (砕氷艦) http://bit.ly/A1X77b
 しらせ(JMSDF AGB SHIRASE(first) class)は、元文部科学省の三代目南極観測船。現在の気象観測船SHIRASE。
艦番号AGB-5002。南極地域観測隊の南極観測の任務に利用されていた。
こんごう型護衛艦やましゅう型補給艦が竣工するまでは海上自衛隊の運用する中では最大の規模だった。
 
★しらせ (砕氷艦・2代) http://bit.ly/FSPI77
 しらせ (JMSDF AGB SHIRASE (Second) class) は、文部科学省・国立極地研究所のために海上自衛隊が保有する南極観測船。
艦番号AGB-5003。初代「しらせ」の老朽化に伴い、代替艦として整備された。
平成17年(2005年)度予算で調達されたことから17AGBと略称され、文部科学省によって建造計画が進められた。
 
★砕氷船 http://bit.ly/zsQOyW
 砕氷船(さいひょうせん)は水面の氷を割りながら進む船のこと。砕氷船は北極海や南極海、凍結河川など氷で覆われた水域を航行するために、構造の強化や砕氷設備など特別に設計・建造されている。
砕氷船の多くは軍用、あるいは探査用であるが、一般の商船や観光用のものもある。
軍事組織が保有したり、軍艦に順ずるものについては、砕氷艦(さいひょうかん)とも呼ばれる。
 
★昭和基地 http://bit.ly/FP4EdB
 昭和基地(しょうわきち)は、南極圏内の東オングル島にある日本の観測基地。
南緯69度00分22秒 東経39度35分24秒 / 南緯69.00611度 東経39.59度 / -69.00611; 39.59座標: 南緯69度00分22秒 東経39度35分24秒 / 南緯69.00611度 東経39.59度 / -69.00611; 39.59、標高29.18m。
基地の名称は建設された時代の元号「昭和」にちなむ。
 
★みずほ基地 http://bit.ly/xfEa5q
南極にある日本の基地
日本の南極観測基地(■昭和基地、■あすか基地、■みずほ基地、■ドームふじ基地)
みずほ基地(みずほきち)は、日本の南極観測基地の一つ。南極大陸の南緯70度41分53秒 東経44度19分54秒 / 南緯70.69806度 東経44.33167度 / -70.69806; 44.33167座標: 南緯70度41分53秒 東経44度19分54秒 / 南緯70.69806度 東経44.33167度 / -70.69806; 44.33167、昭和基地から南東約270kmの位置にある。
標高2230m。この周辺の高原を、日本では「みずほ高原」と呼んでおり、命名はこれにちなむ。
 
★南極地域観測隊(なんきょくちいきかんそくたい)http://bit.ly/yJvdtI
南極大陸の天文・気象・地質・生物学の観測を行うために日本が南極に派遣する調査隊の名称。通常は南極観測隊と呼ばれる。
 
★南極観測基地の一覧 http://bit.ly/xLm79c
2006年時点で30ヶ国以上が南極に観測基地を設けている。
そのすべての国が南極条約に加盟しており、通年もしくは夏季に、南極大陸もしくはその周辺海域および島嶼において科学的調査を行っている。
大陸もしくはその周辺地域には夏季に4000人、冬季に1000人の調査員が研究している。
南極点にも基地は設置されているが、観測基地の設置地点は南極半島およびその周辺が最も多くなっている。
 
★南極条約(なんきょくじょうやく)http://bit.ly/xOihWH
南極地域の平和的利用を定めた条約。
当時南極における調査研究に協力体制を築いていた日本、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ソビエト連邦(現ロシア)、アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、チリ、ニュージーランド、ノルウェー、南アフリカの12か国が1959年12月1日に南極条約を採択した。
◎条約の概要は下記のとおり。
・南極地域の平和的利用(軍事的利用の禁止)
・科学的調査の自由と国際協力
・南極地域における領土主権、請求権の凍結
・核爆発、放射性廃棄物の処分の禁止
・条約の遵守を確保するための監視員の設置
・南極地域に関する共通の利害関係のある事項についての協議の実施
・条約の原則および目的を促進するための措置を立案する会合の開催
◎条約締結国は、2011年12月15日時点で49か国である
 
★南極大陸(なんきょくたいりく、英: Antarctica)http://bit.ly/FP4zSh
地球上で最も南に位置する大陸である。
南極地域最大の陸地であり、南極点を含んでいる。
面積は1千4百万平方キロメートルであり、六大陸のうちオーストラリア大陸に次いで2番目に小さく、地球の全陸地面積の8.9%を占める。
南極海に囲まれ、南極横断山脈によって地域的には東南極と西南極に分けられる。南極大陸の特徴は平均標高が高いことと、高度分布が他の大陸とは異なることで、平均標高は2,200mと六大陸中で最も高く、2位のアジア大陸の平均標高960mの2倍以上の値である。
南極大陸以外は、もっとも低地が多いオーストラリア大陸 (97.8%) はもちろん、高地の比率が高いアジア大陸 (70.7%) であっても7割を超えるが、南極大陸では14.2%に過ぎない。
年間を通じて気候は非常に寒冷であり、全面積の96%が氷雪気候(EF)に区分され、ほぼ雪と氷の世界で全土の98%が氷で覆われている。気温が低く水蒸気の供給が少ないため、海岸部分ほとんど降水がなく、大陸の内部は世界で最も大きい砂漠ともいえる。
このため、沿岸地域にペンギン、アザラシ、蘚類、地衣類、藻類など、寒さに耐えることのできる僅かな動植物を除き、生物はほとんど棲息せず、歴史上一度も人間が永住したことのない唯一の大陸である。
 
★南極の地理(なんきょくのちり)http://bit.ly/x0VsUE
対象にするのは、南極周辺に限られるため氷の世界といってもよい。
南極大陸は地球の南半球に位置し、南極点からやや離れたところを中心に非対称に広がり、南極圏の南側にほぼ収まる。世界の大洋の南部に取り巻かれるが、出典によってはこれを南極海とも、太平洋・大西洋・インド洋の南部ともいう。
面積は14,000,000km2を超え、大陸としては5番目の広さで、ヨーロッパの約1.3倍にあたる。
 
★タロとジロ http://bit.ly/xSgVj4
 タロ(1955年(昭和30年)10月 - 1970年(昭和45年)8月11日)
 ジロ(1955年(昭和30年)10月 - 1960年(昭和35年)7月9日)
日本による初期の南極地域観測隊に同行した樺太犬の兄弟。
南極に取り残されながら共に生存し、1年後に救出されたことで有名になる。

●安藤は安房の藤原のの書き込みから派生記事

2012年03月18日 00時20分11秒 | 色んな情報
●安藤は安房の藤原のの書き込みから派生記事
題目を見ると一見簡単なように見えるけれども調べて見ると日本という国の底深さが見えてくる。
も一つの見込め内部は有るけれども藤原と言う一つの名字が 上は天皇家から色んな方向に派生している。
今世間を騒がせている「夫婦別姓」「みよいと・悪魔・天使」などの命名。
簡単に考える現代の親に成る人はこんな事識らないのだろう。
今日見たあるブログで幼稚園の学芸会で主役だけでなくて脇役まで何人もが同じ設定の人物を演じ。
ブログの制作者は疑問と同時に怒気を押さえるのに一生懸命だったと。
順番決めずに大きくして世の中に子供送り出しても決して役に立つような子は育たないと。
こういう日本の長い由緒の有る歴史を知らない人がドンドン増えている。
自虐的という自分を虐めて過保護にしていてはいつまで経っても世の中良くならないのでは無いかな。
 
 
★藤原氏(ふじわらうじ、ふじわらし)http://bit.ly/yDGktU
「藤原」を氏・本姓とする氏族で、日本の古代から近世までの貴族。略称は藤氏(とうし)。
 
★遠江国(とおとうみのくに)http://bit.ly/FP92bH
浜松藩が上総鶴舞藩、相良藩が上総小久保藩、横須賀藩が安房花房藩に転 封。 1968年(明治元年). 11月7日 - 掛川藩が上総柴山藩に .... 藤原氏範(従五位上): 承和15年(848年)任官(権守). 文室助雄(従五位上):嘉祥3年(850年)任官
 
★奥州藤原氏の祖・藤原経清 http://bit.ly/FOyTg9
★武士の発生と成立 http://bit.ly/FPaq86
★[苗字(地名含)の由来] http://bit.ly/FPrWen
安藤, ①安房の藤原氏 ②安部氏と結んだ藤原氏
★「年を経し 糸の乱れの苦しさに」 -安倍貞任- http://bit.ly/w80kZa
★藤紋    http://bit.ly/z96qsS
しかし、『宗長手記』で「藤原氏の紋に藤はない」と言っているように、正系の紋章とは違います。
★安藤・安東姓の由来 http://bit.ly/xqiEBm
どうやって創出されたか,
1, 安藤と安東は同様に扱われているが、別々に発生 したの ではないかと思われる。
2, 安藤,
①安房守となった藤原氏が、安藤と称した。安芸守との説もある。
②安倍貞任(奥羽地方)の後裔が平安時代後期に、藤原氏の名を取って安藤と称した。
③安東氏が藤原氏の名を取って安藤とした。
④源氏一族が安藤を称した。
 
★「氏・姓・名字・苗字」とは?-名前の日本史② http://bit.ly/yrSDBD
また武家藤原氏の分立もすさまじい。
うち佐藤氏の起源には諸説があり、「佐渡守藤原・衛門佐藤原・兵衛佐藤原・下野国佐野荘司藤原」のいずれかが略されたものという。
これは④官職名にちなむ例です。
武家藤原氏にはこの④が特に多い。
【④の例】
●安房守藤原→安藤氏。
●伊勢守藤原→伊藤氏。
●近衛尉藤原→衛藤氏。
●遠江守藤原→遠藤氏。
●加賀守藤原→加藤氏。
●木工助藤原→工藤氏。
●近江守藤原→近藤氏。
●斎頭藤原→斎藤氏。
●首馬首藤原→首藤氏。
●内舎人藤原→内藤氏。
●兵衛尉藤原→兵藤氏。
●尾張守藤原→尾藤氏。
 
★「中臣=藤原氏」の発生-名前の日本史⑪ http://bit.ly/AkIN19
★藤原氏 現在苗字でも浸透しており    http://bit.ly/xbhAML
現在苗字でも浸透しており、その勢力が衰えることなく現在に至っていることは驚異的なことです。
藤原姓が多いことから、「藤」だけを名前に残し、地名を加えた姓もあります。
例えば、尾藤(尾張)・加藤(加賀)・武藤(武蔵)・安藤(安房)・・・
★「新しい歴史教科書」ーその嘘の構造と歴史的位置ー http://bit.ly/FOAqqR
参河国(さめ・アカウオ)・遠江国(カツオ・ザコ)・駿河国(カツオ)・伊豆国(カツオ)・安房国(アワビ)・武蔵国(フナ)・下総国(アワビ)
後の平安時代のことであるが、藤原純友の乱で瀬戸内海の水路が使えなくなり平安京に入る米が不足して非常な値上がり が起きた事が記録にも見えている。
この事件は唐の滅亡・渤海の滅亡を受けて北方世界の政治的安定が崩れ、それに連動して北方諸民族の争いが激化したことと関連があるのではないかと推定されている(中世鎌倉 時代の幕府滅亡の原因となった「蝦夷」反乱・安藤氏の内紛も同様のものと考えられている)。
 
★美しい国 神社のお話(七)
現代の藤原氏の多くは全国各地に存在する藤原という地名が発祥と考えられていますが、
安藤 - 安房に移った藤原氏。
伊藤 - 伊勢に移った藤原氏。
江藤 - 近江に移った藤原氏。
衛藤 - 衛府に務めた藤原氏。
加藤 - 加賀に移った藤原氏。
紀藤 - 紀伊に移った藤原氏。
工藤 - 木工寮頭を務めた藤原氏。
後藤 - 備後に移った藤原氏。単に藤原氏の後裔を示す場合。
近藤 - 近衛を務めた藤原氏。
左藤 - 左衛門尉(さえもんのじょう)。
佐藤 - 佐渡、佐野に移った藤原氏。佐(すけ)など律令制の役職との合体も含まれる。
斎藤 - 斎宮寮頭を努めた藤原氏。
藤重 - 藤原氏の繁栄を祈した。
尾藤 - 尾張に移った藤原氏。
以上は、苗字の由来であり、これらの苗字だから藤原氏の子孫とは限りません。
★安藤田辺家系図 http://bit.ly/FPi5Gn
★福島県の主要大名 http://bit.ly/xytgBB
平安朝後期には奥州藤原氏の勢力圏に入りましたが、源頼朝は藤原氏を滅ぼして御 家人や旧族の諸家に地頭職を付与しました。
 
★「サイトウ」の謎 http://bit.ly/FONlDF
「斎藤」は、藤原利仁の次男、藤原叙用が斎宮頭になったときに「斎藤」と称したのを起源とするらしい。
この説が本当なら、これは10世紀(平安時代中期)のことである...とのこと。
★藤原氏   藤裔会(とうえいかい) ウィキペディア http://bit.ly/FOAsec
年1回、秋頃に全国の藤原氏の末裔が奈良市の春日大社に集まり、親睦を兼ねた会合などを執り行っている。
 
★藤原五摂家の現在の当主は? - Yahoo!知恵袋 http://bit.ly/yHRItO
平安神宮宮司や藤裔会会長をしておられます。
 
★九条道弘(くじょう みちひろ、1933年 - )は、日本の神官。 http://bit.ly/FOL5Rm
五摂家の一つ、元公爵九条家の現当主。
平安神宮宮司、藤裔会会長。
 
★小山 和伸(おやま かずのぶ、1955年2月18日 - )は、日本の経済学者、経済学博士。
日本文化チャンネル桜「報道ワイド日本 Weekend」でキャスターを務める他、藤原秀郷流小山氏(鎌倉~室町時代、代々下野国の守護・地頭職、栃木県小山市に現存する鷲城跡、祇園城跡、中久喜城跡は国の史跡に指定)の末裔として、藤裔会の東京支部役員、本部理事を務める。
 
★藤裔会|「心」和やかに、いつまでも元気で綺麗に! http://amba.to/ww858H
★貴族と華族(4) http://bit.ly/ykOP5K
アウンサンスーチーさんは、アウンサン将軍の娘スーチーであって、姓はない。
この人に限らず、ビルマ族あるいは他の民族では、そもそも姓を名乗る習慣がないらしい。
★室町時代・東国の室町守護大名衆、有力国人衆のページ 陸奥、出羽、常陸、越後 http://bit.ly/yIWSLi
 
★名字の由来 http://bit.ly/yocXDB
他氏と結びついた藤原氏の名字安藤: 安倍+藤原海藤: 海部+藤原江藤: 大江+藤原
 
★氏姓解説総覧 http://bit.ly/xE2wi4
青山氏は、藤原秀郷の末蒲生氏の一族と、藤原北家大納言花山院師賢の孫青山師重を始祖とする青山氏がある。
★宝塔寺 源氏物語にも登場 藤原氏が創建の寺 http://bit.ly/FOEQhJ