●風狂の道●風教の道●風流
婆娑羅(ばさら)や数寄(すき)とともに侘び・寂び(わび・さび)と対峙する存在で有るように見えたけれども又含んで居るようだ。
傾く(かぶく)などは含んで居るようだ。
この辺りの事はどうも私の頭では結び付くのに理解出来ない。
ヤハリいつまで経っても頭の回転は良くないようで。
折角楽しいと思って調べたけれどもシッカリとした説明が出来ない。
★わび・さび(侘・寂)http://bit.ly/zwWv3J
日本の美意識の1つ。一般的に、質素で静かなものを指す。
本来侘(わび)と寂(さび)は別の概念であるが、現代ではひとまとめにされて語られることが多い。
★ばさらと(婆娑羅) http://bit.ly/xXnoG4
日本の中世、南北朝時代の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉であり、実際に当時の流行語として用いられた。
婆娑羅など幾つかの漢字表記があり、梵語(サンスクリット語)で「vajra = 金剛石(ダイヤモンド)」を意味するが意味の転訛は不明であるとされる。
身分秩序を無視して公家や天皇といった時の権威を軽んじて反撥し、奢侈な振る舞いや粋で華美な服装を好む美意識であり、後の戦国時代における下剋上の風潮の萌芽となった。
足利直義主導の下に、室町幕府の基本方針として編まれた『建武式目』では、ばさらを禁止している。
ばさらに対して批判的な古典『太平記』には、足利氏筆頭執事の高師直や、近江国(滋賀県)の守護大名の佐々木道誉(高氏)、美濃国(岐阜県)の守護大名の土岐頼遠などのばさら的な言動・行動が記されている。これらの大名は「ばさら大名」と呼称されている。
★ふう‐きょう〔‐ケウ〕【風教】大辞泉
1.徳をもって人々を教え導くこと。風化。
「全国男子の―はいわゆる武士道をもって陶冶する事」〈藤村・夜明け前〉
2.風習。
「社会の―は愈(いよいよ)封建制度に適して発達せり」〈田口・日本開化小史〉
★ふう‐きょう[:ケウ]【風教】日本国語大辞典
〔名〕風俗と教化。徳によって人民をよい方へ導くこと。風化。
★ふうきょう―けう【風教】三省堂 大辞林
(1) 徳によって人々を教化すること。
(2) 風習。習俗。
「社会の―は愈よ封建制度に適して発達せり/日本開化小史(卯吉)」
★「風教」の用例一覧
・日本基督教団生活綱領(Wikisource) http://bit.ly/yIuv3V
その分を尽くして皇運を扶翼し奉るべし。
誠実に教義を奉じ、主日を守り、公礼拝に与り、聖餐に陪し、教会に対する義務に服すべし。
敬虔の修行を積み家庭を潔め社会風教の改善に力むべし。
・宮本百合子「チャタレー夫人の恋人」の起訴につよく抗議する(青空文庫) http://bit.ly/z5oAtJ
公安のために、風教のために「チャタレー夫人の恋人」の関係者を起訴されるなら、それより幾千倍かの人々の不信と怒りを買っている公団の腐敗についての責任が明瞭にされることを欲します。
・北村透谷 粋を論じて「伽羅枕」に及ぶ(青空文庫) http://bit.ly/FPuV5n
抑も当時武門の権勢漸く内に衰へて、華美を競ひ遊惰を事とするに及びて、風教を依持す可き者とては僅(わづか)に朱子学を宗とする儒教ありしのみ。
而して儒教の風教を支配する事能はざるは、往時以太利(イタリー)に羅馬(ローマ)教の勢力地に堕ちて、教会は唯だ集会所たるが如き観ありしと同様の事実なり。
★道楽の道 hat http://bit.ly/znwbOS
仮に「蘭道」というものがあったらとの前提で、私の勝手な認識ですが「五つの道」があると思っております。
全く何の根拠も無い遊びの戯言ということで、誤解なきようにお願いします。
第一は「趣味の道」で、誰もが最初に入るスタートであり、また戻ってくるゴールでもあります。
第二は「道楽の道」に入り、趣味に溺れきり、だんだん深みにのめり込む過程であります。
第三は「風狂の道」です。所謂「蘭キチ」と言われ「蘭こそ我が命」と熱が入る時期であります。
第四は「名人の道」に辿り着き、この世界にこの人有りと、世に知られる技量の持ち主となる最高峰に登りつめます。
しかしまだ上には上が有り、究極の段階として
第五に「仙味の道」があると想像したのです。蘭の心を理解し、尊び、その一鉢の蘭に心を託し蘭を楽しむと言う最初の趣味の集大成と
なる段階です。
なお、前提条件として蘭を金儲けや投機に身を窶す人たちはこの道には入れていません。
★日比谷公園の紅葉 http://bit.ly/wsFlrm
松尾芭蕉に、「この道や行く人なしに秋の暮れ」という句がある。
芭蕉最晩年の句である。
思うにこの句は、辞世の句と呼ばれる「旅に病んで夢は枯れ野を駆けめぐる」よりも、ずっと、芭蕉の最後の心境を伝えている句ではないかと感じられる。
つまり「この道」とは、具体的に「東海道」とか「奥州街道」という「道」を指すのではなく、
芭蕉が志す「俳諧の道」あるいは「風雅・風狂」の「道」を指すのではないかと推測する。
「風雅・風狂」とは、句のために命を捧げ尽くし、その道に狂うことをもいとわないことを言う。
★一休宗純(いっきゅうそうじゅん)http://bit.ly/w8w1BV
室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。説話のモデルとして知られる。
・男色はもとより仏教の戒律で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の森侍者(しんじしゃ)という側女や岐翁紹禎という実子の弟子がいた。
・木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を批判したものであったとされる。
★『増殖する俳句歳時記』検索:幸田露伴 http://bit.ly/xlPgxo
1998年8月13日 そんなものが「何ぢゃ」らほいと、作者はいささか突っ張った感じで、風狂の気のおもむくままに遊んでしまおうとしている。世間に背を向ける無理は承知で、無理を通そうというのだ。こうなると、風狂の道もラクじゃないのである。
★飛鳥への道 http://bit.ly/xa8xOx
芭蕉はこの旅の後に向井去来など生涯の弟子を得ることになり、その後五年間にわたる関西での日々や弟子との蜜月の日々を経て、生涯のテーマである現実社会への欲望を捨てて人生そのものを芸術化するという、風雅の道、風狂の道へと突き進んでいく。
★冬の季語:水牛歳時記 http://bit.ly/FP9Ryj
しかし何と言っても「枯野」のイメージを決定づけた句は芭蕉の『旅に病んで夢は枯野をかけ廻る』であろう。
辞世の句という背景を知らなくても、一生を俳句という風狂の道に捧げた詩人の心意気が伝わってくるし、壮絶な感じも受ける。
★不易流行から軽みへ http://bit.ly/FQ7DiZ
その後、風狂の道を極めたいとの思いを強くした芭蕉は、歌枕名所旧跡を訪ね歩き、漂泊の旅を重ねます。
四十六歳で奥羽北陸の旅(『奥のほそ道』紀行)から帰ると、「不易流行」の説を唱え始めます。
★風流 フレッシュアイペディア http://bit.ly/zJI7Dl
風流(ふりゅう)とは、中世以後の日本において高揚した美意識の1つ。人目を驚かすために華美な趣向を凝らした意匠を指し、婆娑羅や数寄とともに侘び・寂びと対峙する存在として認識された。
後にはこうした意匠に沿った芸能や美術・建築などにも用いられた。
★風流 フレッシュアイペディア http://bit.ly/ApgI8U
風流島(たばこじま) 風流活人剣 風流滑稽譚・仙人 武風流・→骨法(格闘技).. 風流踊(ふりゅうおどり) などがある
★風流とは 盆踊り用語 Weblio辞書 http://bit.ly/FPbxqu
・ふうりゅう―りう【風流】三省堂 大辞林
(名・形動)[文]ナリ
〔古くは「ふりゅう」とも〕
(1)おちついた優雅な趣のあること。みやびやかなこと。また、そのさま。風雅。
「―な茶室」
・ふりゅう―りう【風流】
(1)「ふうりゅう(風流)」に同じ。
・「風流」に似た言葉»
風雅 花鳥風月 敏感 おもしろい
・風流(ふりゅう) 盆踊り用語辞典
日本芸能史、盆踊り史のキー概念。
「風流」は非常に古い言葉で、時代を追って意味が少しづつずれていく。
平安時代は 貴族階級の美意識を表すものであった。
中世は「人目を引く趣向」といった意味になり、「1回切りの趣向」が重視された。
しかし江戸時代を境に1回性の趣向は失われ、芸態は定着していく。
中世における代表的な風流芸能である「風流踊り」は、現在の盆踊りの初期形態の一つである。
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風流拍子物(ふりゅうはやしもの)
盆踊りの先行芸能。
婆娑羅(ばさら)や数寄(すき)とともに侘び・寂び(わび・さび)と対峙する存在で有るように見えたけれども又含んで居るようだ。
傾く(かぶく)などは含んで居るようだ。
この辺りの事はどうも私の頭では結び付くのに理解出来ない。
ヤハリいつまで経っても頭の回転は良くないようで。
折角楽しいと思って調べたけれどもシッカリとした説明が出来ない。
★わび・さび(侘・寂)http://bit.ly/zwWv3J
日本の美意識の1つ。一般的に、質素で静かなものを指す。
本来侘(わび)と寂(さび)は別の概念であるが、現代ではひとまとめにされて語られることが多い。
★ばさらと(婆娑羅) http://bit.ly/xXnoG4
日本の中世、南北朝時代の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉であり、実際に当時の流行語として用いられた。
婆娑羅など幾つかの漢字表記があり、梵語(サンスクリット語)で「vajra = 金剛石(ダイヤモンド)」を意味するが意味の転訛は不明であるとされる。
身分秩序を無視して公家や天皇といった時の権威を軽んじて反撥し、奢侈な振る舞いや粋で華美な服装を好む美意識であり、後の戦国時代における下剋上の風潮の萌芽となった。
足利直義主導の下に、室町幕府の基本方針として編まれた『建武式目』では、ばさらを禁止している。
ばさらに対して批判的な古典『太平記』には、足利氏筆頭執事の高師直や、近江国(滋賀県)の守護大名の佐々木道誉(高氏)、美濃国(岐阜県)の守護大名の土岐頼遠などのばさら的な言動・行動が記されている。これらの大名は「ばさら大名」と呼称されている。
★ふう‐きょう〔‐ケウ〕【風教】大辞泉
1.徳をもって人々を教え導くこと。風化。
「全国男子の―はいわゆる武士道をもって陶冶する事」〈藤村・夜明け前〉
2.風習。
「社会の―は愈(いよいよ)封建制度に適して発達せり」〈田口・日本開化小史〉
★ふう‐きょう[:ケウ]【風教】日本国語大辞典
〔名〕風俗と教化。徳によって人民をよい方へ導くこと。風化。
★ふうきょう―けう【風教】三省堂 大辞林
(1) 徳によって人々を教化すること。
(2) 風習。習俗。
「社会の―は愈よ封建制度に適して発達せり/日本開化小史(卯吉)」
★「風教」の用例一覧
・日本基督教団生活綱領(Wikisource) http://bit.ly/yIuv3V
その分を尽くして皇運を扶翼し奉るべし。
誠実に教義を奉じ、主日を守り、公礼拝に与り、聖餐に陪し、教会に対する義務に服すべし。
敬虔の修行を積み家庭を潔め社会風教の改善に力むべし。
・宮本百合子「チャタレー夫人の恋人」の起訴につよく抗議する(青空文庫) http://bit.ly/z5oAtJ
公安のために、風教のために「チャタレー夫人の恋人」の関係者を起訴されるなら、それより幾千倍かの人々の不信と怒りを買っている公団の腐敗についての責任が明瞭にされることを欲します。
・北村透谷 粋を論じて「伽羅枕」に及ぶ(青空文庫) http://bit.ly/FPuV5n
抑も当時武門の権勢漸く内に衰へて、華美を競ひ遊惰を事とするに及びて、風教を依持す可き者とては僅(わづか)に朱子学を宗とする儒教ありしのみ。
而して儒教の風教を支配する事能はざるは、往時以太利(イタリー)に羅馬(ローマ)教の勢力地に堕ちて、教会は唯だ集会所たるが如き観ありしと同様の事実なり。
★道楽の道 hat http://bit.ly/znwbOS
仮に「蘭道」というものがあったらとの前提で、私の勝手な認識ですが「五つの道」があると思っております。
全く何の根拠も無い遊びの戯言ということで、誤解なきようにお願いします。
第一は「趣味の道」で、誰もが最初に入るスタートであり、また戻ってくるゴールでもあります。
第二は「道楽の道」に入り、趣味に溺れきり、だんだん深みにのめり込む過程であります。
第三は「風狂の道」です。所謂「蘭キチ」と言われ「蘭こそ我が命」と熱が入る時期であります。
第四は「名人の道」に辿り着き、この世界にこの人有りと、世に知られる技量の持ち主となる最高峰に登りつめます。
しかしまだ上には上が有り、究極の段階として
第五に「仙味の道」があると想像したのです。蘭の心を理解し、尊び、その一鉢の蘭に心を託し蘭を楽しむと言う最初の趣味の集大成と
なる段階です。
なお、前提条件として蘭を金儲けや投機に身を窶す人たちはこの道には入れていません。
★日比谷公園の紅葉 http://bit.ly/wsFlrm
松尾芭蕉に、「この道や行く人なしに秋の暮れ」という句がある。
芭蕉最晩年の句である。
思うにこの句は、辞世の句と呼ばれる「旅に病んで夢は枯れ野を駆けめぐる」よりも、ずっと、芭蕉の最後の心境を伝えている句ではないかと感じられる。
つまり「この道」とは、具体的に「東海道」とか「奥州街道」という「道」を指すのではなく、
芭蕉が志す「俳諧の道」あるいは「風雅・風狂」の「道」を指すのではないかと推測する。
「風雅・風狂」とは、句のために命を捧げ尽くし、その道に狂うことをもいとわないことを言う。
★一休宗純(いっきゅうそうじゅん)http://bit.ly/w8w1BV
室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。説話のモデルとして知られる。
・男色はもとより仏教の戒律で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の森侍者(しんじしゃ)という側女や岐翁紹禎という実子の弟子がいた。
・木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を批判したものであったとされる。
★『増殖する俳句歳時記』検索:幸田露伴 http://bit.ly/xlPgxo
1998年8月13日 そんなものが「何ぢゃ」らほいと、作者はいささか突っ張った感じで、風狂の気のおもむくままに遊んでしまおうとしている。世間に背を向ける無理は承知で、無理を通そうというのだ。こうなると、風狂の道もラクじゃないのである。
★飛鳥への道 http://bit.ly/xa8xOx
芭蕉はこの旅の後に向井去来など生涯の弟子を得ることになり、その後五年間にわたる関西での日々や弟子との蜜月の日々を経て、生涯のテーマである現実社会への欲望を捨てて人生そのものを芸術化するという、風雅の道、風狂の道へと突き進んでいく。
★冬の季語:水牛歳時記 http://bit.ly/FP9Ryj
しかし何と言っても「枯野」のイメージを決定づけた句は芭蕉の『旅に病んで夢は枯野をかけ廻る』であろう。
辞世の句という背景を知らなくても、一生を俳句という風狂の道に捧げた詩人の心意気が伝わってくるし、壮絶な感じも受ける。
★不易流行から軽みへ http://bit.ly/FQ7DiZ
その後、風狂の道を極めたいとの思いを強くした芭蕉は、歌枕名所旧跡を訪ね歩き、漂泊の旅を重ねます。
四十六歳で奥羽北陸の旅(『奥のほそ道』紀行)から帰ると、「不易流行」の説を唱え始めます。
★風流 フレッシュアイペディア http://bit.ly/zJI7Dl
風流(ふりゅう)とは、中世以後の日本において高揚した美意識の1つ。人目を驚かすために華美な趣向を凝らした意匠を指し、婆娑羅や数寄とともに侘び・寂びと対峙する存在として認識された。
後にはこうした意匠に沿った芸能や美術・建築などにも用いられた。
★風流 フレッシュアイペディア http://bit.ly/ApgI8U
風流島(たばこじま) 風流活人剣 風流滑稽譚・仙人 武風流・→骨法(格闘技).. 風流踊(ふりゅうおどり) などがある
★風流とは 盆踊り用語 Weblio辞書 http://bit.ly/FPbxqu
・ふうりゅう―りう【風流】三省堂 大辞林
(名・形動)[文]ナリ
〔古くは「ふりゅう」とも〕
(1)おちついた優雅な趣のあること。みやびやかなこと。また、そのさま。風雅。
「―な茶室」
・ふりゅう―りう【風流】
(1)「ふうりゅう(風流)」に同じ。
・「風流」に似た言葉»
風雅 花鳥風月 敏感 おもしろい
・風流(ふりゅう) 盆踊り用語辞典
日本芸能史、盆踊り史のキー概念。
「風流」は非常に古い言葉で、時代を追って意味が少しづつずれていく。
平安時代は 貴族階級の美意識を表すものであった。
中世は「人目を引く趣向」といった意味になり、「1回切りの趣向」が重視された。
しかし江戸時代を境に1回性の趣向は失われ、芸態は定着していく。
中世における代表的な風流芸能である「風流踊り」は、現在の盆踊りの初期形態の一つである。
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風流拍子物(ふりゅうはやしもの)
盆踊りの先行芸能。