中年男のエレジー 郷愁

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鶴田浩二の唄に代役はない

2013年02月22日 15時44分09秒 | 日記
 テレビ東京の番組で「木曜8時のコンサート2時間スペシャル」が今夜放送され、小林旭さんや西郷輝彦さんの懐かしい歌声を聞きながら久しぶりにのんびりとしていました。
  しかし、画面に作詞・宮川哲夫、作曲・吉田正のテロップとともに、「街のサンドイッチマン」の曲名が紹介され、タンタン、タララララ、ララララララララ、タンタン、タラ…と懐かしい演奏が始まったまでは良かったものの…
 
 「お父さん、良かったねー」
 「なァに、がー」
 「歌ってもらって」
 「何を言っとるんだー×××」
 
 歌うのは私が生涯のファンとなる「鶴田浩二」さんではなく、渥美二郎なる演歌歌手ではないか。昭和28年に発売された曲ではあるが、この歌を歌うことを作曲者の吉田正さんはどう思い、何よりも鶴田浩二さんはどう思うのか。難しい著作権とか、法律は許しても、似ても似つかぬイメージで歌われては鶴田浩二さんのために作られた曲ではなくなってしまうではないか。
 
街のサンドイッチマン http://www.youtube.com/watch?v=p_Pc9hGe-m8
 
 「映画俳優の鶴田浩二でございます」…鶴田浩二さんがステージで歌う場合に必ず冒頭に挨拶した一言ですが、この一言を巡って鶴田さんは吉田正さんと大喧嘩をし、歌についてはプロとしての厳しさ、難しさを熟知していたことから生涯貫きとおした哲学でもありました。
 
 街のサンドイッチマンについても、昭和28年に吉田正さんがビクターのスタジオで「これはダメな曲だ」と断って弾いた曲であったが、この曲を聞いた鶴田浩二さんが「この歌はいい歌だ」と宮川哲夫さんの詩の一編を気にいって引っ張り出し、「さすらいの湖畔」のB面で発売されている。
  鶴田浩二さんにとっては代表作となるこの曲も、すぐには人気がでず、発売された翌年になって当時のサラリーマンの心理と重なり合って大流行し、翌年の「赤と黒のブルース」から31年の「好きだった」の大ヒットにつながっていきました。
 
 「酒でも飲んで少し砕けろや」との鶴田さんの一言が、それまでほとんど酒の飲めなかった吉田さんを変え、「大衆歌謡は、書斎に閉じこもって書くものではない。絶えず世の中に肌で接していてこそ書けるものなのだ」と、この曲の誕生が作曲家の人生も変えていきました。
  曲の誕生秘話については、大学の後輩となる杉井輝応さんが、平成9年に発行された「鶴田浩二」に詳しく記されているが、作曲家の吉田正さんと俳優の鶴田浩二さんが酒を酌み交わしながら世情とともに誕生して披露されたもので、鶴田さんの曲は映画の主題歌となっている例が多く、映画のイメージにも影響することから、プロの歌手であっても、金(ギャラ)をもらって人々に歌って聞かせられるものではなく、金を払ってカラオケで歌うしかないのである。
 
 現実に、吉田正さんや鶴田浩二さんが現存していたら、絶対に渥美二郎がテレビで歌って聞かせることはできなかった曲で、「歌は人間の心を伝えるものだ。人間の肌の温かさを感じさせるものだ。生身の人間の愛おしさを感じさせるのが歌だ」と語っていた鶴田浩二さんしか表現のできない曲でもあり、本日の歌声には寂しさとともに、怒りが込み上げてきました。
  少なくとも渥美二郎が、杉井さんの「鶴田浩二」を熟読しても、鶴田さんの曲を歌えるのかを知りたいものですが、何でもかんでも現役で、しかも、盛りの過ぎた歌手が歌う必要もなく、当時の映像と鶴田浩二さんの実声を聞くしかないのである。
 
 ただし、久しぶりに、鶴田浩二さんのことが家庭の話題となり、家内は「勝手に言っててよッ」とかなり立腹のようですが、過去に記した一言に添付したユーチューブが無効になっており、改めて添付してテレビの前で(車内では毎日聞いております)唄声を聞けたことには感謝です。
                                  2月21日の一言
 
名もない男の詩  http://www.youtube.com/watch?v=df2PokRsRps         
 
                                       ヤフーブログからの転載です