中年男のエレジー 郷愁

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菅元首相の四国遍路結願の報を読んで

2013年11月29日 01時31分02秒 | 遍路

 元首相の管直人さんが、9月29日に四国八十八ヶ所の結願寺となる大窪寺に到着し、四国遍路を満願としていたことを、私は本日まて確認しておらず、「満願になった」とは聞いていたものの、過去のお遍路のように大きく報道されなかったことに寂しさは隠せませんが、よくぞ全てを歩いたものと称賛を送りたいと思います。

菅元首相 お遍路「約1200キロを歩き、ようやく結願」 
 民主党の菅直人元首相は29日、四国霊場88カ所を巡る「お遍路」を終えた。自身のブログで、88番札所の大窪寺(香川県さぬき市)に同日午後に到着したと報告。
 「約1200キロを歩き、ようやく結願することができました」と書き込んだ。お遍路を始めたのは平成16年7月。参院選東京選挙区で無所属候補を支援したとして党員資格停止中の菅氏だが、これで心機一転、出直しを図る?              
                        産経ニュース 2013.9.29
 
管直人オフィシャルブログ
結願
今日午後、88番札所の大窪寺に到着。2004年7月、お遍路で四国を歩き始め、約1200キロを歩き、ようやく結願することができました。     9月29日
 
続結願
昨日は私の結願を、生まれ故郷の仲間が20人余り大窪寺に集まり、出迎えてくれた。嬉しい限り。
お遍路で歩き始めたのは2004年7月、結願まで9年かかった。衆院選に初出馬した1976年から政権交代まで、33年年かかった。次の政権交代はいつになるか。それまでには原発ゼロを実現しておきたい。小泉元総理の原発ゼロ積極発言は大歓迎。     9月30日
 
続続結願
 結願から2日、何かほっとし、気持ちも疲れも和らいできた。9年がかりで1200キロを歩いたお遍路は私の人生にとってやはり大事業であった。
 この間に東日本大震災とそれに伴う福島原発事故が起き、私自身、総理という立場で全力を尽くした。
 今はあらためて原点に返って、残された人生をどう生きるかを考えている。    10月1日
 
 菅さんは、2004年7月から四国八十八カ所巡りを開始しており、「年金未納問題で党代表を退き、直後に妻がクモ膜下出血で倒れたものの、幸い大きな障害が残ることもなく生き延びられ、人生を振り返るいい機会だと行動に移した」と週刊朝日の取材に語っております。
 
 「初回は妻だけに話して準備し、単身徳島県へ。秘書にも知らせていなかったのに、1番札所の霊山寺で支度中にマスコミが集まってきた。後で住職が記者に連絡したと聞き、驚きました」などは、自らのスケジュールを予告して歩いているとのウワサとは違っていました。
 
途中の顛末は、週刊朝日13年10月18日号か下記を参照してください                             http://dot.asahi.com/news/politics/2013101000042.html
 
 「9月29日に88番大窪寺で最後のご朱印をいただきました。門をくぐる際、すがすがしい達成感と同時に寂しさも感じた。長年の宿題で、楽しみでもありましたから。菅笠と金剛杖、納経帳は、お守り代わりに自宅に置いてあります。今は改めて原点に立ち返り、残りの人生で何ができるかを考えたい」と結ばれていました。
 
 数年前の話になりますが、松山市の手前の峠から下る遍路道を、「ここを菅さんが歩いたんだ」と、同行者を乗せて車で走ったことがありましたが、車でもエンジンが悲鳴をあげるような遍路道を菅さんが歩いたことに驚いたことがありました。
 
 歩き遍路の人々が悲鳴をあげる「遍路ころがし」の焼山寺や、一日では次の札所に到着しない高知県の室戸岬や足摺岬、私は翌日に足が動かなくなった横峰寺についても、菅さんは苦痛を隠して笑顔でカメラに収まり、行き交う人々と挨拶して遍路を続けていました。
 
 私は議員になる14年前より以前から無党派で、自民党だけでなく民主党も大嫌いな政党でしたが、菅さんの市民派としての野党時代の活動は嫌いではなく、個人的な好き嫌いも多少はあるものの、四国を通しで歩いたことはありませんが、歩き遍路の体験からすれば、体力と脚力だけでなく強い精神力には驚かされました。
 
  菅さんが満願した後のネットへの書き込みを読むと、中傷記事が多く、読者として読めば見事に笑えるコメントが氾濫しています。下記を参照して下さい。
 
そのまま冥途に行けよ
歩く恥さらし
今度は地獄で永遠にお遍路してろ
涅槃まで行ってこい
香川じゃなくて福島に行け
 
結果としてお遍路を達成しても
 人格的に能力的になんの効果もないと証明されましたw
 これって一般のお遍路に対する嫌がらせだろうw
 
 週刊朝日の取材に対して、菅さん自身が「人生を振り返るいい機会だと行動に移した」と述べており、お遍路に旅立つきっかけは様々で、お遍路の動機の善し悪しは論ずるものではなく、菅さんが全て自分の足で歩き続けた四国遍路を第三者が評価できるものではありません。
 
 「政治活動では目的を果たしたら戻る『点から点』の移動 … 歩き遍路は自分の感覚で動き、過程を楽しむ。時間の流れが全く違うんです」とか、「歩いている最中は足を踏み出すだけで精いっぱい。『無心』です。歩くこと自体でリフレッシュされ、気持ちが豊かになりました」など、歩く事で菅さんが得た感覚は間違いなく今後の活動に役立つと思われます。
 
 四国を歩いて党首に返り咲き、四国を歩いて総理大臣となった菅さんには、原発に頼らぬ社会を実現するために、もう一仕事頑張って欲しいと思います。
 
 本日私は菅さんの公式ページに(下記に添付した)メッセージを送付したところ、「自動返信です」の断りがありましたが返信があり、「今後の活動の参考にさせて頂きます」と記されておりました。
 
 元首相であっても、影響力は無くなってはおらず、地域に根ざした市民活動や、若者の理解者として頑張って欲しいものです。
                             
 
私が送付したメールです
 
愛知県津島市で、無党派・無所属の市議会議員をしています。
私は平成13年から四国遍路をはじめ、現在は四国八十八ヶ所と別格霊場会の公認先達になっています 
私も当初は管さんの人気とり程度に考えておりましたが、動機は何であれ、あれだけの距離を歩きとおした体力と脚力には感服するしかありません。
高知県の足摺岬までの道のりと、松山までのお遍路は車でも大変な距離となります。
ネット上で管さんのお遍路を揶揄する一言を目にしますが、とにかく四国を歩いて一周することの大変さは、歩いた者しか判りません。
まだ、年齢的にも体力的にもがんばれると思いますので、私の故郷出身の市川房枝さんのように、市民目線で、脱原発や、これからは四国の空海が修業した禅定などで、心の病に悩む若者などとともに、精神的支柱になって頑張ってほしいと熱望しています。
来年は、空海によって四国遍路道が開創されて千二百年になります。
地域の中には、多くの悩める人々が引きこもっています。そんな人々のために是非とも行動して欲しいものです。
四国遍路の結願おめでとうございました。
もっと、もっと、頑張ってください。
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四国遍路 慈眼寺の穴禅定

2013年11月13日 23時44分10秒 | 遍路

 今月8日(金)に訪れていた四国別格二十霊場第3番慈眼寺で、四国八十八ヶ所霊場の第20番鶴林寺の奥の院にあたり、弘法大師(空海)が19才の時に、ここで修業中に鍾乳洞を発見し、邪気祓いのため護摩をたいて洞窟を清め、悪魔悪霊を洞窟内に封じ込め、結縁灌頂の秘法を修められたと言われる行場です。
 
※不動堂(左)と大師堂(右)
 

慈眼寺 徳島県勝浦郡上勝町正木

        TEL:0885-45-0044 
 
 四国遍路の大多数は八十八ヶ所だけ廻り、奥の院や別格霊場まで足を運ぶ人は少ないものの、弘法大師が7才の時に山から飛び降りたと言われる「捨身ヶ嶽禅定」も奥の院で、太龍ヶ嶽禅定も奥の院です。
 

 別格二十霊場を巡拝する人も多く、20ヶ寺を廻って集めた数珠を自慢げに見せられる人もありますが、ほとんどの巡拝者は慈眼寺の本堂に参らず、大師堂に手をあわせて、隣の納経所で朱印をもらっただけで帰ってしまいます。
 
 実は私もその一人で、穴禅定の存在すら知らず、本堂とともに行ったことがありませんでした。

 私が初めて穴禅定に入ったのは5年前で、あまりの非日常的な体験のため、入った瞬間からパニックとなり、このままでは穴から出られない恐怖心から、案内する導師の女性の言葉を真剣に聞いて、すがるように退出しました。
 
 その後は絶対に欠かせない訪問となりましたが、ここに入ることで健康を実感させられます。 

 上から2枚目の写真が本堂への入り口で、その下の写真のような坂道を登りかけると足腰の苦痛と、呼吸の苦しさに顔をゆがめる頃に4枚目の石の大師像が現れ、ここで半分くらいでしょうか。
 
※左の写真が本堂です

 

 

 このお寺の開基は弘法大師より古い行基菩薩により、ご本尊は薬師如来(真言・おん ころころ まとうぎ そわか)が安置されています。
 
 左の写真は、穴禅定ではなく、入り口の岩場で、私のように生活習慣病で太った人は、岩場を通り抜けられるか柱の間を通れるか確認されます。
 

 ここから案内の導師について岩場を登ると、左のような頑丈な鉄の柵に施錠された入り口があり、この中に入って真言を唱えたあと、時計やメガネなどを外してから入ります。
 
 「メガネがなかったら見えんだろー」と、私の恩師は激怒しましたが、穴の中はローソク1本の光で進むため、メガネは必要がありません。
 

 左の写真はガイドブックからの転用ですが、大師堂の横で穴禅定用の白衣に着替えた姿で、案内されるままに手足を動かして岩の隙間を通過していきます。
 
 ここで素直に行動できない人は、岩の隙間に身体がはさまれて動けなかったり、足が前に進まず苦痛を味わうこととなります。
  

 メガネで激怒した恩師も元は校長先生ですが、一緒に同行したお医者さんも屁理屈ばかりで、奥にたどり着くまで苦痛を味わい、ここでは素直になれないと出口まで戻ってこれません。 
 
 穴禅定では、日頃ワンマンでプライドの高い人でも、奥の大師像に祈願して、穴を這いずって出る頃には赤ちゃんのように素直になっています。

 私にとっても、日頃の傲慢となった生活を反省する機会となっており、太りすぎれば入れないことから、健康管理の機会ともなっています。ここで、時間を忘れてまっさらな気持ちになるのもお勧めです。
 
慈眼寺のHP

 私にとっては一年ぶりの参拝となりましたが、本堂からの下りには見事な紅葉が鑑賞でき、遠くの山並みを眺めながら、時間を超えた悠久の自然と会話ができているような錯覚も覚えました。

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