今から20年ほど前に、伊勢の古族大鹿氏と由縁のある古墳とともに散在する大鹿三宅神社を訪れており、昨日はそれ以来となる訪問となりましたが、ネット上で表示される「大鹿三宅神社」に到着したものの、以前に訪れた場所とは全く違っていました。
それでも、正真正銘の大鹿三宅神社ではありましたが、20年前に訪れた場所を探して再度ネット検索すると、鈴鹿市国府町の三宅神社が表示され、「国府」ということで椿大神社から走ってきた道を戻って三宅神社へ走りました。

三宅神社
三重県鈴鹿市国府町1609

三宅神社の神額

境内

本殿

山ノ神

拝殿

ただし、ここも以前訪れた「大鹿三宅神社」ではありませんでした。

神館神明社
三重県鈴鹿市神戸町2-18-30
そんな訳で3ヶ所目に訪れた神館神明社は、大鹿の大の字も判らない神社だったため、周りのお寺をまわり、神社の隣にお住まいのご夫人に連絡を取ってもらい確認すると、かつての十日市町にあった「大鹿三宅神社」をここにまとめて合祀した神社とわかりました。
こうなると20年前に訪れた大鹿三宅神社が何処に存在するか全く判らなくなり、再度鈴鹿市を訪れて大鹿(おおか)氏の基本から調べることにしました。
「大鹿は三宅から来た」という伝承と、私の住む津島市の下切町に現存する「大鹿」家に残された、古に現在の鈴鹿地方から海路で津島市に来たと記された古文書から、現在の鈴鹿市にある三宅町周辺から来たと考えるのが自然で、ここに存在する三宅神社が20年前に訪れた場所であることを祈るばかりです。
「三宅」とは古代朝廷の直轄地である「屯田(みやけ)」に由来すると見られ、鈴鹿市三宅町の方が鈴鹿の屯倉および式内社「三宅神社」の所在としては妥当と思われます。
一方で、四日市市に近い鈴鹿市の国分町にある伊勢国分寺跡や、木田町には大鹿山1号墳や古墳群とともに鈴鹿市考古博物館が存在するため、今から千五百年以上前の古族大鹿氏や、第30代敏達天皇の孫で大鹿の血脈となる舒明天皇や天智天皇の時代から勉強しなおす必要も実感させられました。
大鹿のルーツを調べている人が、現地に問い合わせると「愛知県の大鹿さんが詳しい」と言われて全国から連絡を受けていた時期もありましたが、私の発信した「大鹿一族の歴史探訪」は最近全く更新されておらず、私自身も過去の記憶は全く喪失してしまいました。
一方では、かつては皇學館大学だけと思っていた伊勢大鹿氏の研究も、各地の大学関係者や鈴鹿市の考古博物館など研究者によって大鹿廃寺や古墳が調査されており、これからは鈴鹿市へ足を運んで伊勢の大鹿氏の全体像を勉強したいと思います。
また、一時は全国で活躍される大鹿さんとの交流も心がけていましたが、複数の先輩たちが鬼籍に入ってしまわれ、新たに活躍される大鹿さんの存在も把握していきたいと思います。