破李拳竜・日記

ここでは私・破李拳竜が行ってきた仕事やお遊びとかの日記を、つらつらと載せてあります。

米澤嘉博さんの葬儀・告別式

2006年10月09日 01時30分04秒 | Weblog
  米澤嘉博さんの葬儀・告別式へ行き、最期の別れをしてきた。通夜にも私は行きたかったのだが、豪雨のため電車事情で断念し、告別式に参列となった。それで前日の台風の影響による激しい豪雨から一転し、今日は台風一過の晴天。場所もオシャレな麻布十番にある麻布山善福寺なので、街中の雰囲気もスタイリッシュだ。
 式場には開田裕治さん、開田あやさん夫婦やコミケ常連客の知人も来られていた。そしてバックには故人がコミックマーケット代表らしく、「リボンの騎士」などヨネさん世代のアニメの音楽が流されていた。
  ・・・しかし飾られた遺影を見ると、嫌でもヨネさんが死んだという事実を突きつけられる。。「死は誰にもおとずれる。」という、あたりまえの自然の摂理と分かっていても、やはり辛いものがある。
  喪主のベルさんこと奥方・米澤英子さんが気丈にも挨拶、そして私にも懐かしいコミケの昔話をしてくれた。・・・思えばコミケを既成に無い表現の場として、極力何でも受け入れようという精神を主張したのは米澤さんで、私が勝手にヒーローショーみたいな事をやり始めたら、当然、準備会としては迷惑な話なのに、「面白いからいいじゃん!」と容認して「破李拳竜ショー」としてコミケ・イベントの一つにしてくれて、本来客に対しての整理等も我々が行う責任があるところ、わざわざ準備会スタッフが協力してくれたり、私が監督した作品「印刷せよ!共信マン」は「コミケット・スペシャル」とのコラボ企画でもあったので、快く出演してくれたり、「SF大会」の時、かつてコミケで同人誌としてヒットを飛ばした「人形姫」を「今度、商業誌として出そうと思うんですよ。」と言ったらひっくり返っていたけど、「人形姫ミレニアム」として発売された時は、ちゃんと一文を寄せてくれたりと、受けた恩は大きい。
  出棺の時も米澤さん50歳誕生日の時の祝い唄、「マツケンサンバ」の替え歌「ヨネさんサンバ」で送り出したのもコミックマーケット代表らしい。これは良いほうに解釈すれば、誤解をまねくかも知れないが「ヨネさんサンバ」で送り出し、「明るく楽しい葬式」を行えたと思う。集まった大勢の弔問者から拍手で送り出された。
  そしてまた、これら葬儀の手伝いをコミケット準備会スタッフが行ったので、警備士も要らず、さすが大勢の人間を手際よくサバく様は見事!式場側からも、「大勢の人間が来たのに、こんなに手際良い葬式は初めてだ。」と言われていた。送り出してからスタッフは「ヨネやんの個人行事は終わったけど、反省会が残ってるからね。」と、いつものコミケでやってる会話で和ましていた。
  やはり世界に広まったオタク文化の立役者の一人であるから、彼の死を惜しむ声明が、世界中から送られて来ているそうだ。それだけ偉大な人だった。
  
  今までも、分裂騒動や、様々な危機を乗り越えてきたコミケだ、米澤さん亡き後も、奥様のベルさんこと米澤英子さんを励まし、古参の安田かほる さん達が米澤さんの意志を継いで、これからのコミケを頑張って運営していって、頑張ってもらいたいと願う。

  告別式が終わってから自分の目元が湿っているのに気がついた。この俺が涙でも流したのか?これで個人的にも米澤さんとの26年間の交流を、無事完結させる事が出来た。

    「さようならヨネさん。」