良平通信 <GOOD FLAT COMMUNICATION>

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ロマンチックなのをひとつ。

2009-05-28 23:54:26 | writings(japanese)
ロマンチックなのをひとつ。
なんかこう、トロッとしてて、
ジューシーなのをみっつ、よっつ。
臭いの残らないやつを、こっちに置いといて、
男と女が静かにしてるような感じで。
あと10年もしたら無くなってしまう飲み物を飲んで、
昨日から煮ているカレーを食べよう。
一秒ごとに少しづつ薄くなっていくシナリオを読んで、
一分おきに変わる信号を渡ろう。
真っ暗闇で見えないのと、
眩し過ぎて見えないのはどっちがいい?
手探りでどこかにたどり着いたそこは、どこ?
雨が降ってるから電車の窓の水滴が最高。
悔しい顔しないで。
唇噛まないで。
残念に思わないで。

しないで、まないで、わないで。

温かいおそばを食べよう。
食べよう、食べよう。

佐藤雅彦とピタゴラスイッチ。

2009-05-28 01:10:31 | writings(japanese)
さ。
しゃきしゃき持ってこーぜ。
ランダムに、マンダムに、ガンダムが、汐留に。
耳の穴かっぽじって、聞こうぜ。
蟻とか、蜂とか、梨とか、Qとか。
50音プラス濁音、半濁音の組み合わせ、神経衰弱、七並べ、ダウト、ババ抜き。

ピタゴラスイッチで観た、「なぞなぞうた」が秀逸。
お見事な出来栄え。
同じものを繰り返しているようにも見えるピタゴラスイッチだが、
定期的に新しいものをスッと忍ばせてくる、挟んでくる。
クオリティ高いねー。
さすがだねー。
見えないがそこにある、
コトバでは言い表せない「アイデア」や「概念」みたいなモノの表し方をひたすら
かき集めている。
わかりやすく。
たのしく。
いつも、「ほぇー」と驚くような事を見せてくれるが、何がスゴイんだかよくわからない。
ただ、なんか、すごく、オモシロイ。
これは大変なことですよ。
シンプルなだけに。
「ただ、なんか、すごく、オモシロイ」ものを創るのは。
ピタゴラスイッチはもう、ほとんど「創作」というよりは「発見」で、
そこら辺、番組名が表しているように数学的なのね。
あとは、いかに美しいプレゼンをするかで、佐藤雅彦スゴ過ぎてちょっとイラっとする。
閃きを効率よく、降ってこさせるプロセスを心得ていて、それをキャッチする器もやり方も、
持ってるし、知っている。そして実行する。
平たくいうと、天才。
むかつく。
むかついてどうする。
多分、閃きの抽出の仕方というのはある程度、具体的に方法がある。
でも、それは基本的には毎日の鍛錬の賜物であって、
性格的に出来る人と出来ない人がいると思う。
佐藤雅彦はその性格とクリエイティブの方向がうまい具合に作用している。
あの表現形態は俺には出来ない。
どこから来ているのかはわかる。
でも、あんな風にストイックに、
シンプルに、無駄を省いて、あるアイデアとそのバリエーションを、
ひとつづつ、順番に並べて、昇華させていくというのは俺の最も苦手とする分野だ。
脳が違う。
常に蛇足を求め、
とっ散らかった脳内フィールドに漂ってくる、
閃きのカスをテケトーに寄せ集めてなんだかよくわからないが、
自分に気持ちいい落としどころを見つけて、
捻り出すのが、俺の表現形態。
だから、明確な意味がない。

佐藤雅彦の表し方とはほぼ、対極。

佐藤雅彦の多くは「知」に訴えてはくるが、「感情」に訴えてはこない。
(ちょっと言い過ぎ。でも「感情」は比率としては多くはない。)

かといって、俺のが「感情」に訴えてくるかっつーと、そうでもないんだよな。
今のところ出来るからやっているというのが強い。
俺の作品は、「なんでもない」のが多い。
猛烈に表したい、何かというのはあんまりない。
俺の作品の中身はほとんど「俺」しかない。
「田中良平が創った、田中良平エキスの入った、田中良平的なモノ」
しか出来ない。
だから「何でもない」。
それで今のところはいい。
というか、やっとその辺に辿りついてきた。
大学生の時には見えなかった場所だ。
俺のアプローチで作品の質を上げるには、
あとはもう、自らを濃く、深くさせていくだけ。
アトピーもそれを助けるでしょ。
作品の上で「俺」が現れるのであったら、
その質を上げるには「俺」がいいものにならねば、ならんでしょ。
あと量。
それは単純。
ひたすら多く、吸収し、開放、創り続ければおっけー。
気負わず、ストレス溜めず、でも怠けず。
深呼吸して。

「ただ、なんか、すごく、オモシロイ」ものを、
創れたらオモシロイと思う。

目指しているトコロは案外、近い。

道が違う。