意外意表な題名?。
まあ選挙後の社っ会のテーマとしてはこれが全う。題の通りです。骨系男子としては細かな肉の具体は省きこのSimple一行に尽きる。はい今日のブログはこれで終わり!!。
・・じゃいかんので。
戻りやはり理想頭ない戦後は俯いている・・。現実性に偏重のこの国はますますメス化してると言うべき。なぜ誰も言わなかった。ボケ!!。
狩人雄大不在。抑圧国。そうオバマ的な雄大な21世紀演説の理想再現はとてもない、大陸に対する壮とした命名感覚なくして「日本は取り戻せ」ない!!。立ち上がれ日本、取り戻せ日本。(片やAmerika命名・・はあるいはガンダム時代の到来を意味したのか今思えば、いな表意文字にも見える。片や銀河鉄道999は素朴な野生と機械宇宙への反乱、誰かが999こそ最高傑作映画と書いていた同感。戻りそして逆差別を告発したRockyの名字はバルボアだった。しかし素人が国歌を作った国である。次はやはり「新新世界」こそだ。or新世界って途上の秩序か、新世界すら見えてない日本。その中にいる)。選挙、龍馬流にはこんまい風景だった(コビズミゆーうっせーより遥かにましだが)。後は推して知るべしと言うところ。
「頭は政治は政経は創造工作は宗主国担当デース。経済だけ担当の戦後平和」。「日本はいや月本国は植民地は何も考えんでよろしい!!。ディーテイルこんまいことだけ考えろ!!。だから褒美にノーベル賞やる。二番でいろ!!。日本の事変は×。米国の事変は○!!」。戦前日本気概を恐れる米国ともいうが。そう言えば「日本」共産党、日本における共産主義と言う意味だろうが、外交的にはまるで対米に壮とせよとの日本原点を思わせる。対米屈従、日本自民党にはならぬのか、いわずもがなか、それでいいのか日本的。この象徴的な図式はまるで漫画ではないか。
外交ではそう。しかし日本の当時、中大兄らより蘇我入鹿の方が慎重だったとも言われる。そして白村江・・。類似指摘は緑にも言った、戦巻き込まれ拙攻にならないのかと。つまり真珠湾の罠説を忘れては危険との論陣いまもなお重い。素人目に見ても黒船と渡り合うのは単純ではなかろう(自由な人工国家の策謀は何でも自由に人為でやると見えるので、無神論的に、道徳の制御がなさそう。先住民で米国人を襲撃とかの唖然策謀の歴史。陰謀国家)。となれば二重の正に「政治的」思考こそ必須。その意味で対米も感情的な慰安婦バシングも愚直な正論一点張りの共産党は、政治としては、まるで八重桜会津のような危うさを見る。理想論のようで感情的なメス化政党、確かに実に日本的だ。
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共産党は池上テレビ東京選挙特番で芸能人らも不自然なぐらいにヨイショ。闘争とか結構この戦後の価値観にウマ合ってると思ったようである。「へー共産党って結構普通いい」とか言いだしそう。しかし共産Marx党の原理はな・・経済政策は良さそうでも原理は御免。それに資本主義批判の手立てはMarxだけでもないだろう(資本主義批判したら左翼と短絡するバカ無知を見かけたので触れた。正論さえ資本主義批判したことある)。Marxは日本じゃないようで機械的で受け付けなかった、狭い。最も人間味あると言われる「経済学批判」でさえちょっとと言う感じだな読んだけど。「家族の起源」で引っかかった、何か偏りねえ?と女尊の一夫多妻だけ言及箇所に。男尊のIndainもいるのにな。女尊主義に、見かけるフェミストのルサンチマンを見たと言うか・・ここに源流あったかと。多くの人も指摘している。だからああまでバシングに余念がない。現に共産党赤旗は八木秀次氏の「父性母性」「良妻賢母」との全うな提示を何と「驚くべき」と紹介・・(マルフェミ派閥の間だけで通じる攻撃偏見)。調子に乗ってる共産党はやはり危ないな。仮に政権取ったら異なる思想を徹底攻撃して弾圧しそう。政党としての器がない。成長しねえ党だ。自称「新しい」未来が全て進歩が全てと信仰しているらしい、産業社会主義。温古知新がない。ゆえ共産党は本音で夫婦別姓で家族を破壊しようとする、個だけの画一社会主義。
そう江戸「専門家」の田中優子が、江戸は夫婦別姓だと単純乱暴に言い切ったそうだ、学者とは思えない政治的扇動。保守派の言う「伝統」への反論で「ReActionで」言ったらしい。こっちこそ伝統だと、「日本」だと。あれれ?。今やってる大河八重桜、川崎八重はどうなんだ、明治以前の江戸時代だな、女尊の会津でさえ末期でさえ。山本覚馬の妻の山本うらは。山川大蔵と登勢は。梶原平馬と二葉は。松平容保の妻の照は。今年大河は嘘か?(庶民だけが江戸だと部分誇張してるのか。いやそも苗字自体ほとんどなかったんと違うのか)。こんまい史実実証に力入れたと作者本人が言ってるんだがなあ。櫻井よしこの新島八重論見ても間違いないと思うが。どうやら左の政治勢力が伝統を悪用してるだけらしい。Netの大量知的歴史生産を引用するまでもなく、マスコミはマスコミをもって制するべき例。これぞ野生の思考。江戸の三井高利流。
関連で見過ごせぬは繰り返し大河八重。同じProducerによる天地人のような底響きがあった回はまるで別ドラマのようだったが。鶴ヶ城落城はいいたいことあるんだが、それより「会津大河」。しかし・・少しお涙させて「今だ!」と予告またナギナタパタン切っ先の三度目の卑劣「卑怯」の「非会津」は本当は西洋的(まるで「日本敗戦。今だ占領政策してやれチャンス!」。殆ど人間のクズ)。被害者は即に加害者となると言う人間真理逆説知らぬ実にフェミ的脚本(被害者だー。で明治ゾーンになったら、後は何やっても天下御免ってか?)。この大河、実に官軍薩長批判してて実は本音では、会津の顔をした薩長官軍ドラマの西洋せせら笑い、国賊放送の国民に対する「卑怯」戦争。ここまでくれば悪魔の所業と言ってよいだろう。会津誇りや女体だのを口実に要するに何だかんだと理由を口実をつけて男性を倒したいのである、フェミコンセプト大河の本音と正体。本性現し始めた。日本の女は本当に人間クズとなっていると証明。
その典型例。松本人志のR100。女の暴力ゆえに(男→女への暴力やったら、勇気あると褒めてやるぜよ)マスコミ絶賛のキチガイな世界。冨永愛という女優の、正に名前に恥じる(おっと待った屁理屈ほざくなよ)驕れる女の暴力映画を絶賛のキチガイ戦時中「(自称)世界」とNetマスコミ、倫理と言う理想なくしてArtなし!!ただのヒョーゲンジユー戦後自由民権憲法(自民党が驕りとまでは言い過ぎ。逆だろう。寧ろ世界国連フェミストに屈する卑屈政権だ)。自称「才能」の驕り高ぶるAmericanDream時代の断末魔。追悼もあったはだしのゲン場面思い出し「皆はきちがいだ」。今度も驕れる時代が変わるのも近いだろう。いや待てよ・・眉ひそめてるSilentMajority多いのではないか。頭才の人物(しかし大日本人は面白かったかあ?全然)が流行の時代にて、心ある人がかつての反戦運動ほどは少数じゃないのが救いだな。希望はある。少数リベラルきちがいの跋扈した戦後月本国・・。松本はリベラルゆえマゾなんだろうなマッチョがない、男女の女のリベラルきちがいと言う公害を虐殺しまくったら勲章と言う制度こそ必要になってくるここまでくれば大量だと罪にならないらしいから(つまり戦争容認思想)、突拍男子は大まじめに提言する。しかもこのNet宣伝は不自然、出る杭打ちは犯罪ですと日本列車内放送すべき。マスコミネットはリベラル信者。自称アートで何でもジユ―戦後憲法。自由には責任が伴うと言う保守思想こそこれからの時代の原理、これが社っ会の結論・・。男卑女尊リベラル時代をパラダイム転換せよ。となればComingSoon。よって。
再度、本当に日本を取り戻すなら[男尊復古の大号令]こそ。
しかしそれがどうだ、驕りさえしない卑屈政権は・・。
狩人の遠くへの鋭敏さ超越が失われて、現実化つまり近代保守化やはり。狩人感覚こそ応用されればきめ細かな配慮ある伝統国になれるのではないか(それだけではない)。
(まあ東西文明転換論のポピュラーな見方ではピリピリ男性原理の浸透ともいえよう。が具体的なこの国では原理がすぐ具体実体の男女にすり替わるから「技術の」運用上、危険である)。
でやはり男性原理の応用となる。電車での母親見ても分かるが自分だけで周囲は見ない、やむを得ないが具体主観性。しかしそうなると代わりにやはり抽象的な「お役目」は男子が向いてるということになってくる。違憲してでもクオタで無理矢理女議員増やせの緑党が全滅したのを見ても明らか。
その意味であのあたりが全滅は一応ほっと安堵(同じこと考えてる人が意外と多かったかSilentMajorityがもの言ったか、綿菓子のような政治は御免と思ったか今更環境とダサく見たか知らないが)。これ以上の女権犯罪風靡国を阻止した日本人。国民は直感してる。リベラルフェミの欺瞞を。環境を隠れ蓑に日本破壊主義のフェミズムが紛れ込んでる、それを見抜かれた・・。未来党と同じ。
しかし伝統と破壊の同居の自己矛盾的な自民政権も緑に似る。最大ペテン安倍が言う輝く女の国は間違いなく、太陽の陽でなく電気の光のように冷たいことだろう(独国歌では女尊し過ぎ片手落ちの二番は歌わない配慮があるという)。光が冷たいのは私ワタシ自分らの西洋個人主義の為ゆえ、社会奉仕がないから、建前の義でなく本音の利だからだ。利が「経済」が本音が全面に出始める大奥的エゴ江戸時代の末期症状が今ではないか・・。冷たい月本国は陽を届かせない。出し惜しみ。ゆえすぐ限定にするサボリ感覚。アマニエルセンやドラッカーも言う21世紀原理たる正義はそこにない。利だけだ非日本。
エゴ時代。俗保守。自共の保守は近代保守の八重桜と同じ地平だろう。そう近代保守。保守保守保守保守ホシュホシュホシュと999号は機械圏内のアンドロメダ機械化星に走っていく、ますます冷たくなっていく・・創造のない産業社会主義・・。ますます絶望に進む「偉大な神の計画」だと想起させる絶望的論陣もある。いかなる手を。これまでの論考が必須となるはますます天下明白。「果たして日本か今は。太陽か」と。「今は日本じゃない!!」。
冷たくなる日本に反論は世界から?。ランキングのかの電車救出劇news。世界ではあり得ないと。しかしそう言うのを欠いて国が成り立つのかな。ドジは死ね自己責任というのが外国なのか、orそれだけ個人主義で心が荒んでるのか(曲がすこぶる明るく美しい英国古典TimeMachineと言う映画では、未来では誰も人を助けない。不思議そうに眺めてるだけ場面あり。そう言う危機感はあったのか。トマスモアのUtopia時代あたりから)。そう言えば日本人とアイルランド人とドイツ人は気遣い配慮が似ていると言われる。ドイツには行ったことあるが、一言、しかし日本よりも遥かに大人の国というか根底に愛情が行き渡ってる国と言うか。屋台でアップル(酒だった)を飲んでたら顔がぐんぐん赤くなる。やばいなと思ってたら、向かいの小さい少女が心配そうに顔を覗き込んでくるのでますますやばい(日本の少女はあくまで子供って感じ)。荷物持ってたら小さい子がわざわざ英語で「MayIHelpYou?」。更に見知らぬ人でも異性でも声をかけてちゃんと挨拶する(日本だと挨拶はおろか、非常時以外ではふてぶてしく「私の道」状態で譲らない。同性同士だけで固まる幼稚とは時折指摘される。非常時は仲間、それ以外は赤の他人。この落差と変わり身。それ以外は共同体の外だから。誰も指摘してないようだが)。ぶつかりそうになってもニッコリ(日本では不機嫌になる。明治で忙しい国になって以来ギスギス。本来ののんびり日本は消えたのか)。道教える時もすこぶる明るい(南部かな)。バスの止まり方までも何かが違う、芸術的と言うか。田舎の要素のある国ゆえか。ケルンの塔のケルヌノス?はゴーテックの天空希求。そういう客観がある国か。狩人の角の国って感じがした。そう美人の女の人が乗ってた車が来て、一瞬進もうか止まろうか迷って止まると、クスリと俯いてアクセルふかしてった。常に明るいと言うのか機嫌がいいと言うか。日本では考えられぬ、アクセルを不機嫌そうにうるさくふかして去ってく女が浮かぶなあ。America流自己中教育が悪いのかこの国が過酷なのか。どっちもだろう。
となれば関連。当然に広島少女の信号無視注意の朝日声欄はどうなるか。そう勿論、察しの通り戦後エゴ教育が基底にあるから嫌味なのはもとより、朝日フェミストは子供を少女を使って男性を黙らせることを「これだ」と思い付いて久しい。この鼻に突く「改変編集」記述声を見ても「月本国」の少女には上記のような愛情は見られない、いいことしたという戦後個人主義の自己満足が動機、先ず自分・・。あなたと呼ばせてお人よしにも男性頭下げ少女は満足するという図式、実に朝日フェミストが最も自己中「満足」するネタだ。卑劣の二文字の朝日新聞。生きるな!!。
戻り奇しくも同じく田舎都会の京都にいた時、バスで突然窓のすぐ外にかすってバックトウザフューチャーのデロリアンが登場したような事故?に初めて出くわした。単車の女の人が転んでたので即座に事故現場に助けようとしたら浮いてしまった。あれで大した事故じゃなかったようだ驚いたことに。あのデロリアン登場感覚は一体何だったのだ。本当にBTFみたいに火花が散ってたぞ。本当に未来から来たんとちゃうか。窓側の数名はそうそうない体験をしたのであった。
片や都会に傾斜する日本。999は何処に向かってる。あるいは実はもう999号じゃないのじゃないか・・この国は日本か・・。どこですり替わった・・。皆が気がつかぬうちに変わった。SceneChange。気づいてることが多くある・・とすればそれは真実じゃない、大本営発表。言葉を超えた奥。東洋流の思考。明治合理主義は出城だ!!。(俺も荒んでるのか。荒みもするぜっての。少々のことは簡単に綺麗ごとになってしまう時流だ。日本人の心はとうに破壊されてるからな。震災でも差別で男性の健康状態危機その他諸々。安易な美化というかドラマ願望的なマスコミ主導空気には過度に乗らず、冷静に現状を見据えるべき)。
そう。飛んで戻り、選挙。例の改憲ファシズム選挙論。いや改憲だとかの上からよりも下からのファシズムが深刻だろう。この個人大衆「私人」の暴走を国家憲法でなくてどうやって制御するのだ!!道徳見下しのリベラル派よ!!。
ここでComingSoon。突拍子男子の明言「真のファシズムとは、ファシズムとしてさえ語れない空気Kである!!・・」。先ず何よりも眼前に大手を振って、電車インスタントファシズム含むレデイスファシズムによるとさつ・・(士農工商の何とのどかなことだろう・・人間は一応生きれた。一応国の底辺の辺があるのである)。これが最も根源的だろう(検察とかマニュアル権力批判で誤魔化すな)。まだ誰も言ってない。ジェンダーアパルトヘイトと言ってる人士はいるそうだが。また。そう、神と悪魔の闘争は遥かに悪魔が優っている、この国は・・今のところ・・。
ところで麻生氏のナチス発言関連。しかし異なる価値観尊重と言いつつ同じ文化でと言うダブルスタンダードの、自己矛盾の西洋民主主義国がまたも。何かおかしかね?。しかし赤旗でナチスは女尊なのになにゆえフェミストがしゃしゃり出てくる。ここぞとばかりドサクサに女の「権利」を主張の米田女史。そも遠大雄大抽象的な大義お役目に男子は尽くす、そういう男子を素直に尊敬して女子は男子に尽くした。その日本的役割分担チームワーク図式は現代戦後に比べれば少なくとも遥かに「美しい国」とも見れるんだが。負けたからと言ってコロッと恨み節、ちと人情に欠ける一部非日本的裏切り女子ってのが実情。恨むならそう追い込んだ西洋列強の鬼畜政策もではないのか。日本だけ悪い男だけ悪いとのフェミスト的思考はやはり幼稚い大人じゃない。(あと赤旗で引き延ばして挙句無礼に電話を一方的に切る応答があった。唯物論の党は道徳を軽視してるのかやはり)。
そう選挙後と言うことで再度の久々。
かく勝手に[社っ会]をやってます。実に合理的。国会が合理的な西洋機関神道というか、情のない知の領域と言う感じで西洋抑圧的(まさにルーツで言う、ほーりつホーリツの量産)。社とは通説的には自然が絡む領域だったという(杜は神社)、これを追い出す人工構造、よって雄大に息がしにくい。鯨族は息潜めてる。
しかし緑の勢力連中の言う、人間忘れの自然科学パラダイムでなく、そこに大自然エナジーあるじゃん。とさつされてる、♂の底力という「自燃」が・・このアスペルガーエナジーを抑圧してる国会機械。正にこのブログテーマ。底辺性の底力で突然変異。これを消去する空気K風景が日本を落ち込ませていると骨系男子は確信するゆえ、底辺からでこそ社っ会。究極の理想主義・・は江戸建前。
そう言えば関連。民主党のレクイエムじゃないんだが。かつては大変威勢が良かったようです。確か民主党が「場外国会」を盗聴法成立(どんどん増えてるな。ルーツ流にはほーりつが)の時に?特設だっけか。それを見て驚いた元幹事長だった森元首相が確か
「あいつら民主党は頭がおかしくなったか。さては我が神の国を混乱に陥れて潰す気か。これは大変だ。早く何とかしてあいつらの目を覚まさせてやらねばならない」(ちょっと違うかいや趣旨は合ってる)。でもこれ聞いた時は僕にはギャグに聞こえてしまった。目をさまさせてやらねばってまるで民主党がアホーみたいではないか。なんということだろう。こうまで森元首相を恐れさせるほど野党は元気だったらしい。
しかし真面目に。今の国は・・□の下の線がない・・底の辺がない感じだ、陸でない大西洋only。次の声欄じゃないが。江戸理想主義未満に成り下がった国、戦後は理想頭がない、確かにない(朝日新聞が節操ない歴史家を使ってすぐ戦前を、「独り善がりな理想の暴走だ」と勝手に意味づけしようと関係ないそれはすり替えだ。会津をなぜか悪にしたがってもいたしな)。国の字が丸く描けてない。日本本来の全体理想がない部分末端国、やはり植民地なのか。江戸にはあった一応の理想建前が消えた、あるのは大奥のような短絡的な本音だらけエントロゲップー、香水の酔っ払い。底辺性が沈んでるし抹殺されてる・・それがどんどん当たり前になってる怖さ、正にTimeMachineの未来。どんどんAmericanize。国に非ず。正に「奇兵隊のようには身分が広くない」経済。やはり日本じゃない、月本国だろう間違いねえ・・。そのぐらい言って丁度いい。日本国が改造されてる。勘(因みに八重桜信者の女の俺への勘は大外れだった。おめでとう!!。大本営宣伝はやはりあてにならぬなあ)。
関連追加。朝日の声はやはりな、言っちゃ悪いが。俺は底辺性を定義してるのに、「底辺」をWorkingPoor女子だけを底辺と思わせる印象操作の声欄を取り上げ(同じ声が男子だったら取り上げただろうか、体制派の朝日新聞が珍しく)。底辺はNetHomelessではないのか、声出せるのはまだ底辺じゃない、底辺は声にならぬ声である、沈黙層。下層は女子だとの大本営的決めつけフェミスト思考マニュアルがあるんだろう「朝日教」には。その意味ではTVの方がレベル高くなる時がある。男性復権運動マーキュリズムはフェミストの視野の狭さと違って、Homelessまで広く視野に入れてる、幕末の奇兵隊の思考だろう。あと日本全体や改憲問題とかは非有権者にしゃべらせる。恰も天皇や将軍のような全体論は専門論よりも幼稚と言わんばかりだな。全体頭を抑え付けるGHQ新聞。戦後日本は果たして日本か。明治日本は日本か。本来の日本はもっと驚きを驚嘆をもって眺められる筈である。
あと週刊朝日は時代時代とうるさい。時代遅れての抵抗こそ創造と言うぜよ。
雑誌一個人がやたらヨイショしてる、霊友会の先祖供養って結局は私ら主義ある種のエゴに見えるんだが。大本や幸福のUtopiaの方が人の心に触れるのではないか。あるいは個人にまで踏み込むのは冒涜と言うか・・。
フロク。週刊ポストは男=逆切れ嫉妬と印象操作。女のボーナス文句こそ嫉妬だろう。森永卓郎の偏りベラルは論外として。小川オバハンこそ逆切れ、何でも男性社員に責任かぶせるリベラルパタン。リベラルは道徳心がない歪み。
Aeraが卵活で精子ドナー云々。しかしドナーは病気の人。「自分の」人生都合ではエゴ時代風景に見えるなあ。そもナチス科学派閥と関連のその類、安売りどころでないタダは人権侵害。ホテル代全部女が負担ってのがまだも救い。
あとIsraelってArab人を虐殺して造った国・・じゃなかったけか。野蛮?なIslamやIndianは殺していいのか、それを追認するリベラルとエセホシュ連中。根本的におかしい。いずれ昭和のようなしっぺ返しに?。
戻り、それに米国のチョムスキー氏も「民主主義」は「見物と支持が許される」体制と定義してるらしい、米国発の類似の政治学を読んだことある。社っ会の根拠。そりゃそうだな、名前書く参加なんてよく考えたら子供だまし(新潮の選挙行くなは少し共鳴。そこには体制の選択なし、金の運用だけと。どれも一緒で意味ないと。皆、デモクラシーと言う神に当時の流行に土下座してるのだろう。戻り、西郷隆盛も似たこと言ってる)。誰かへの支持が許されるだけ。そこには日本的な目安箱的思考は本音ではない。代表者を通じて「行動を」規制せよと憲法にもある。何という聳え太憲法か。戦後憲法と言う帝国。
この時代、再度の龍馬流はあり得るか・・。
因みに[戦中さん策]・・に政治権・・。しかしそれには無限でない、いやが応でも有限条件が来るな、この狭い国地球。個人主義や私主義を英米式の議論を超克AufHeben止揚、Hegelの言う一分間の個人王を超えること。共通を常に見出す努力労力。この少し難しい遠大な、ちと流行らない少し長き労力作業をもって疑似労働とすべしこと・・これが基礎。自己主張は所詮はエゴ、時には趣味。だから。当然に全体見ない部分的な主張は格下となる。専門は総合に従え。天は上。
戻り関連。そう言えばクリントンのIに対して、オバマのWeの広さは記憶に新た21世紀演説。みんな。龍馬伝もみんな。最近は狭い奴らが器のない政治いや政策連中が目立つように見えるので改めてこの演説を思った、バックに旧対ソ強硬派閥がいることはまた別問題として。
戦前は明治は一応壮大思考だったと言う、一応日本だったゆえか。更に江戸人は教育が独創的で西洋の抑え付け末端でない分もっと伸び伸びしていたとか、思考自体が。それこそ自然な国。真の保守はこの認識からでなくしてあり得ない。西洋から輸入で借り受けた、左右の不毛なコップと言うコンセプトはぶっ壊せ!!。マニュアルいらない。機械国会。独創国家で何が悪い!!。
ここで[戦後の風景]そのいち
「She sits on the grass。この訳はだな・・rだから芝生だ」。「コップに座る奴なんていないよなあ!!」「爆笑」「ケツが痛くてしょうがない」。
もうひとつ[戦後の風景]
「やい。俺は東大だ!。ボカ!!」。だから何だってんだよ。この国には明るいニュース造り隊でもいるのか(明るいかよ)。まるで「あ!分かった。アメリカの航空・・」「ボカーン!!」みたいだな。
そして丸川珠代似の女が「私は東大です。愚か者!。ピシャ!!」これはなぜかギャグのように笑えないななぜか冷えてくる。しかし愚か者暴言は自分を上に上にするAmericanDream構造の中の愚か。ガンガンガンガンバキューンデモクラシー。間がない間抜け者!!。
じゃ早大出身ならこうか「やい。俺は早大だ。今から十数えるうちに東西文明を調和させないと叩くぞ。ワン、ナイン、天、ダー!!」。
「アー、ハッ!!」はい東西文明の調和完成。FronTierung戦略これだ。「これだ」って・・。略。いや「言葉をも超えた所に真髄はあるのだ・・!!」。またComingSoon。
しかし従来の東西調和論は文化交流っぽいな、お儀式というか。要は表層でなく西洋魂を輸入できるか。それには唯一神的な雄大感覚が必須なのは余りに天下明白。俄か的な流行江戸には盲点がある。江戸文明よし。しかしやはり維新の心までは否定できないだろう。となればいつか言ったように江戸維新!!(いや。猿真似表層部分な体裁強制の西洋化を否定せよ)、これ自体が調和。正に龍馬の尊皇開国の統合原理のように。これが日本流だ。調和こそ聖徳太子以来の日本教育。和は基礎だろう。これ否定する公式は屁理屈に見えるな。個人主義じゃ挙句に外国のように荒むだろう。
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しかし選挙終わって一安心と思いきや、また少し分量が増えてしまう御免。
まあ選挙後の社っ会のテーマとしてはこれが全う。題の通りです。骨系男子としては細かな肉の具体は省きこのSimple一行に尽きる。はい今日のブログはこれで終わり!!。
・・じゃいかんので。
戻りやはり理想頭ない戦後は俯いている・・。現実性に偏重のこの国はますますメス化してると言うべき。なぜ誰も言わなかった。ボケ!!。
狩人雄大不在。抑圧国。そうオバマ的な雄大な21世紀演説の理想再現はとてもない、大陸に対する壮とした命名感覚なくして「日本は取り戻せ」ない!!。立ち上がれ日本、取り戻せ日本。(片やAmerika命名・・はあるいはガンダム時代の到来を意味したのか今思えば、いな表意文字にも見える。片や銀河鉄道999は素朴な野生と機械宇宙への反乱、誰かが999こそ最高傑作映画と書いていた同感。戻りそして逆差別を告発したRockyの名字はバルボアだった。しかし素人が国歌を作った国である。次はやはり「新新世界」こそだ。or新世界って途上の秩序か、新世界すら見えてない日本。その中にいる)。選挙、龍馬流にはこんまい風景だった(コビズミゆーうっせーより遥かにましだが)。後は推して知るべしと言うところ。
「頭は政治は政経は創造工作は宗主国担当デース。経済だけ担当の戦後平和」。「日本はいや月本国は植民地は何も考えんでよろしい!!。ディーテイルこんまいことだけ考えろ!!。だから褒美にノーベル賞やる。二番でいろ!!。日本の事変は×。米国の事変は○!!」。戦前日本気概を恐れる米国ともいうが。そう言えば「日本」共産党、日本における共産主義と言う意味だろうが、外交的にはまるで対米に壮とせよとの日本原点を思わせる。対米屈従、日本自民党にはならぬのか、いわずもがなか、それでいいのか日本的。この象徴的な図式はまるで漫画ではないか。
外交ではそう。しかし日本の当時、中大兄らより蘇我入鹿の方が慎重だったとも言われる。そして白村江・・。類似指摘は緑にも言った、戦巻き込まれ拙攻にならないのかと。つまり真珠湾の罠説を忘れては危険との論陣いまもなお重い。素人目に見ても黒船と渡り合うのは単純ではなかろう(自由な人工国家の策謀は何でも自由に人為でやると見えるので、無神論的に、道徳の制御がなさそう。先住民で米国人を襲撃とかの唖然策謀の歴史。陰謀国家)。となれば二重の正に「政治的」思考こそ必須。その意味で対米も感情的な慰安婦バシングも愚直な正論一点張りの共産党は、政治としては、まるで八重桜会津のような危うさを見る。理想論のようで感情的なメス化政党、確かに実に日本的だ。
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共産党は池上テレビ東京選挙特番で芸能人らも不自然なぐらいにヨイショ。闘争とか結構この戦後の価値観にウマ合ってると思ったようである。「へー共産党って結構普通いい」とか言いだしそう。しかし共産Marx党の原理はな・・経済政策は良さそうでも原理は御免。それに資本主義批判の手立てはMarxだけでもないだろう(資本主義批判したら左翼と短絡するバカ無知を見かけたので触れた。正論さえ資本主義批判したことある)。Marxは日本じゃないようで機械的で受け付けなかった、狭い。最も人間味あると言われる「経済学批判」でさえちょっとと言う感じだな読んだけど。「家族の起源」で引っかかった、何か偏りねえ?と女尊の一夫多妻だけ言及箇所に。男尊のIndainもいるのにな。女尊主義に、見かけるフェミストのルサンチマンを見たと言うか・・ここに源流あったかと。多くの人も指摘している。だからああまでバシングに余念がない。現に共産党赤旗は八木秀次氏の「父性母性」「良妻賢母」との全うな提示を何と「驚くべき」と紹介・・(マルフェミ派閥の間だけで通じる攻撃偏見)。調子に乗ってる共産党はやはり危ないな。仮に政権取ったら異なる思想を徹底攻撃して弾圧しそう。政党としての器がない。成長しねえ党だ。自称「新しい」未来が全て進歩が全てと信仰しているらしい、産業社会主義。温古知新がない。ゆえ共産党は本音で夫婦別姓で家族を破壊しようとする、個だけの画一社会主義。
そう江戸「専門家」の田中優子が、江戸は夫婦別姓だと単純乱暴に言い切ったそうだ、学者とは思えない政治的扇動。保守派の言う「伝統」への反論で「ReActionで」言ったらしい。こっちこそ伝統だと、「日本」だと。あれれ?。今やってる大河八重桜、川崎八重はどうなんだ、明治以前の江戸時代だな、女尊の会津でさえ末期でさえ。山本覚馬の妻の山本うらは。山川大蔵と登勢は。梶原平馬と二葉は。松平容保の妻の照は。今年大河は嘘か?(庶民だけが江戸だと部分誇張してるのか。いやそも苗字自体ほとんどなかったんと違うのか)。こんまい史実実証に力入れたと作者本人が言ってるんだがなあ。櫻井よしこの新島八重論見ても間違いないと思うが。どうやら左の政治勢力が伝統を悪用してるだけらしい。Netの大量知的歴史生産を引用するまでもなく、マスコミはマスコミをもって制するべき例。これぞ野生の思考。江戸の三井高利流。
関連で見過ごせぬは繰り返し大河八重。同じProducerによる天地人のような底響きがあった回はまるで別ドラマのようだったが。鶴ヶ城落城はいいたいことあるんだが、それより「会津大河」。しかし・・少しお涙させて「今だ!」と予告またナギナタパタン切っ先の三度目の卑劣「卑怯」の「非会津」は本当は西洋的(まるで「日本敗戦。今だ占領政策してやれチャンス!」。殆ど人間のクズ)。被害者は即に加害者となると言う人間真理逆説知らぬ実にフェミ的脚本(被害者だー。で明治ゾーンになったら、後は何やっても天下御免ってか?)。この大河、実に官軍薩長批判してて実は本音では、会津の顔をした薩長官軍ドラマの西洋せせら笑い、国賊放送の国民に対する「卑怯」戦争。ここまでくれば悪魔の所業と言ってよいだろう。会津誇りや女体だのを口実に要するに何だかんだと理由を口実をつけて男性を倒したいのである、フェミコンセプト大河の本音と正体。本性現し始めた。日本の女は本当に人間クズとなっていると証明。
その典型例。松本人志のR100。女の暴力ゆえに(男→女への暴力やったら、勇気あると褒めてやるぜよ)マスコミ絶賛のキチガイな世界。冨永愛という女優の、正に名前に恥じる(おっと待った屁理屈ほざくなよ)驕れる女の暴力映画を絶賛のキチガイ戦時中「(自称)世界」とNetマスコミ、倫理と言う理想なくしてArtなし!!ただのヒョーゲンジユー戦後自由民権憲法(自民党が驕りとまでは言い過ぎ。逆だろう。寧ろ世界国連フェミストに屈する卑屈政権だ)。自称「才能」の驕り高ぶるAmericanDream時代の断末魔。追悼もあったはだしのゲン場面思い出し「皆はきちがいだ」。今度も驕れる時代が変わるのも近いだろう。いや待てよ・・眉ひそめてるSilentMajority多いのではないか。頭才の人物(しかし大日本人は面白かったかあ?全然)が流行の時代にて、心ある人がかつての反戦運動ほどは少数じゃないのが救いだな。希望はある。少数リベラルきちがいの跋扈した戦後月本国・・。松本はリベラルゆえマゾなんだろうなマッチョがない、男女の女のリベラルきちがいと言う公害を虐殺しまくったら勲章と言う制度こそ必要になってくるここまでくれば大量だと罪にならないらしいから(つまり戦争容認思想)、突拍男子は大まじめに提言する。しかもこのNet宣伝は不自然、出る杭打ちは犯罪ですと日本列車内放送すべき。マスコミネットはリベラル信者。自称アートで何でもジユ―戦後憲法。自由には責任が伴うと言う保守思想こそこれからの時代の原理、これが社っ会の結論・・。男卑女尊リベラル時代をパラダイム転換せよ。となればComingSoon。よって。
再度、本当に日本を取り戻すなら[男尊復古の大号令]こそ。
しかしそれがどうだ、驕りさえしない卑屈政権は・・。
狩人の遠くへの鋭敏さ超越が失われて、現実化つまり近代保守化やはり。狩人感覚こそ応用されればきめ細かな配慮ある伝統国になれるのではないか(それだけではない)。
(まあ東西文明転換論のポピュラーな見方ではピリピリ男性原理の浸透ともいえよう。が具体的なこの国では原理がすぐ具体実体の男女にすり替わるから「技術の」運用上、危険である)。
でやはり男性原理の応用となる。電車での母親見ても分かるが自分だけで周囲は見ない、やむを得ないが具体主観性。しかしそうなると代わりにやはり抽象的な「お役目」は男子が向いてるということになってくる。違憲してでもクオタで無理矢理女議員増やせの緑党が全滅したのを見ても明らか。
その意味であのあたりが全滅は一応ほっと安堵(同じこと考えてる人が意外と多かったかSilentMajorityがもの言ったか、綿菓子のような政治は御免と思ったか今更環境とダサく見たか知らないが)。これ以上の女権犯罪風靡国を阻止した日本人。国民は直感してる。リベラルフェミの欺瞞を。環境を隠れ蓑に日本破壊主義のフェミズムが紛れ込んでる、それを見抜かれた・・。未来党と同じ。
しかし伝統と破壊の同居の自己矛盾的な自民政権も緑に似る。最大ペテン安倍が言う輝く女の国は間違いなく、太陽の陽でなく電気の光のように冷たいことだろう(独国歌では女尊し過ぎ片手落ちの二番は歌わない配慮があるという)。光が冷たいのは私ワタシ自分らの西洋個人主義の為ゆえ、社会奉仕がないから、建前の義でなく本音の利だからだ。利が「経済」が本音が全面に出始める大奥的エゴ江戸時代の末期症状が今ではないか・・。冷たい月本国は陽を届かせない。出し惜しみ。ゆえすぐ限定にするサボリ感覚。アマニエルセンやドラッカーも言う21世紀原理たる正義はそこにない。利だけだ非日本。
エゴ時代。俗保守。自共の保守は近代保守の八重桜と同じ地平だろう。そう近代保守。保守保守保守保守ホシュホシュホシュと999号は機械圏内のアンドロメダ機械化星に走っていく、ますます冷たくなっていく・・創造のない産業社会主義・・。ますます絶望に進む「偉大な神の計画」だと想起させる絶望的論陣もある。いかなる手を。これまでの論考が必須となるはますます天下明白。「果たして日本か今は。太陽か」と。「今は日本じゃない!!」。
冷たくなる日本に反論は世界から?。ランキングのかの電車救出劇news。世界ではあり得ないと。しかしそう言うのを欠いて国が成り立つのかな。ドジは死ね自己責任というのが外国なのか、orそれだけ個人主義で心が荒んでるのか(曲がすこぶる明るく美しい英国古典TimeMachineと言う映画では、未来では誰も人を助けない。不思議そうに眺めてるだけ場面あり。そう言う危機感はあったのか。トマスモアのUtopia時代あたりから)。そう言えば日本人とアイルランド人とドイツ人は気遣い配慮が似ていると言われる。ドイツには行ったことあるが、一言、しかし日本よりも遥かに大人の国というか根底に愛情が行き渡ってる国と言うか。屋台でアップル(酒だった)を飲んでたら顔がぐんぐん赤くなる。やばいなと思ってたら、向かいの小さい少女が心配そうに顔を覗き込んでくるのでますますやばい(日本の少女はあくまで子供って感じ)。荷物持ってたら小さい子がわざわざ英語で「MayIHelpYou?」。更に見知らぬ人でも異性でも声をかけてちゃんと挨拶する(日本だと挨拶はおろか、非常時以外ではふてぶてしく「私の道」状態で譲らない。同性同士だけで固まる幼稚とは時折指摘される。非常時は仲間、それ以外は赤の他人。この落差と変わり身。それ以外は共同体の外だから。誰も指摘してないようだが)。ぶつかりそうになってもニッコリ(日本では不機嫌になる。明治で忙しい国になって以来ギスギス。本来ののんびり日本は消えたのか)。道教える時もすこぶる明るい(南部かな)。バスの止まり方までも何かが違う、芸術的と言うか。田舎の要素のある国ゆえか。ケルンの塔のケルヌノス?はゴーテックの天空希求。そういう客観がある国か。狩人の角の国って感じがした。そう美人の女の人が乗ってた車が来て、一瞬進もうか止まろうか迷って止まると、クスリと俯いてアクセルふかしてった。常に明るいと言うのか機嫌がいいと言うか。日本では考えられぬ、アクセルを不機嫌そうにうるさくふかして去ってく女が浮かぶなあ。America流自己中教育が悪いのかこの国が過酷なのか。どっちもだろう。
となれば関連。当然に広島少女の信号無視注意の朝日声欄はどうなるか。そう勿論、察しの通り戦後エゴ教育が基底にあるから嫌味なのはもとより、朝日フェミストは子供を少女を使って男性を黙らせることを「これだ」と思い付いて久しい。この鼻に突く「改変編集」記述声を見ても「月本国」の少女には上記のような愛情は見られない、いいことしたという戦後個人主義の自己満足が動機、先ず自分・・。あなたと呼ばせてお人よしにも男性頭下げ少女は満足するという図式、実に朝日フェミストが最も自己中「満足」するネタだ。卑劣の二文字の朝日新聞。生きるな!!。
戻り奇しくも同じく田舎都会の京都にいた時、バスで突然窓のすぐ外にかすってバックトウザフューチャーのデロリアンが登場したような事故?に初めて出くわした。単車の女の人が転んでたので即座に事故現場に助けようとしたら浮いてしまった。あれで大した事故じゃなかったようだ驚いたことに。あのデロリアン登場感覚は一体何だったのだ。本当にBTFみたいに火花が散ってたぞ。本当に未来から来たんとちゃうか。窓側の数名はそうそうない体験をしたのであった。
片や都会に傾斜する日本。999は何処に向かってる。あるいは実はもう999号じゃないのじゃないか・・この国は日本か・・。どこですり替わった・・。皆が気がつかぬうちに変わった。SceneChange。気づいてることが多くある・・とすればそれは真実じゃない、大本営発表。言葉を超えた奥。東洋流の思考。明治合理主義は出城だ!!。(俺も荒んでるのか。荒みもするぜっての。少々のことは簡単に綺麗ごとになってしまう時流だ。日本人の心はとうに破壊されてるからな。震災でも差別で男性の健康状態危機その他諸々。安易な美化というかドラマ願望的なマスコミ主導空気には過度に乗らず、冷静に現状を見据えるべき)。
そう。飛んで戻り、選挙。例の改憲ファシズム選挙論。いや改憲だとかの上からよりも下からのファシズムが深刻だろう。この個人大衆「私人」の暴走を国家憲法でなくてどうやって制御するのだ!!道徳見下しのリベラル派よ!!。
ここでComingSoon。突拍子男子の明言「真のファシズムとは、ファシズムとしてさえ語れない空気Kである!!・・」。先ず何よりも眼前に大手を振って、電車インスタントファシズム含むレデイスファシズムによるとさつ・・(士農工商の何とのどかなことだろう・・人間は一応生きれた。一応国の底辺の辺があるのである)。これが最も根源的だろう(検察とかマニュアル権力批判で誤魔化すな)。まだ誰も言ってない。ジェンダーアパルトヘイトと言ってる人士はいるそうだが。また。そう、神と悪魔の闘争は遥かに悪魔が優っている、この国は・・今のところ・・。
ところで麻生氏のナチス発言関連。しかし異なる価値観尊重と言いつつ同じ文化でと言うダブルスタンダードの、自己矛盾の西洋民主主義国がまたも。何かおかしかね?。しかし赤旗でナチスは女尊なのになにゆえフェミストがしゃしゃり出てくる。ここぞとばかりドサクサに女の「権利」を主張の米田女史。そも遠大雄大抽象的な大義お役目に男子は尽くす、そういう男子を素直に尊敬して女子は男子に尽くした。その日本的役割分担チームワーク図式は現代戦後に比べれば少なくとも遥かに「美しい国」とも見れるんだが。負けたからと言ってコロッと恨み節、ちと人情に欠ける一部非日本的裏切り女子ってのが実情。恨むならそう追い込んだ西洋列強の鬼畜政策もではないのか。日本だけ悪い男だけ悪いとのフェミスト的思考はやはり幼稚い大人じゃない。(あと赤旗で引き延ばして挙句無礼に電話を一方的に切る応答があった。唯物論の党は道徳を軽視してるのかやはり)。
そう選挙後と言うことで再度の久々。
かく勝手に[社っ会]をやってます。実に合理的。国会が合理的な西洋機関神道というか、情のない知の領域と言う感じで西洋抑圧的(まさにルーツで言う、ほーりつホーリツの量産)。社とは通説的には自然が絡む領域だったという(杜は神社)、これを追い出す人工構造、よって雄大に息がしにくい。鯨族は息潜めてる。
しかし緑の勢力連中の言う、人間忘れの自然科学パラダイムでなく、そこに大自然エナジーあるじゃん。とさつされてる、♂の底力という「自燃」が・・このアスペルガーエナジーを抑圧してる国会機械。正にこのブログテーマ。底辺性の底力で突然変異。これを消去する空気K風景が日本を落ち込ませていると骨系男子は確信するゆえ、底辺からでこそ社っ会。究極の理想主義・・は江戸建前。
そう言えば関連。民主党のレクイエムじゃないんだが。かつては大変威勢が良かったようです。確か民主党が「場外国会」を盗聴法成立(どんどん増えてるな。ルーツ流にはほーりつが)の時に?特設だっけか。それを見て驚いた元幹事長だった森元首相が確か
「あいつら民主党は頭がおかしくなったか。さては我が神の国を混乱に陥れて潰す気か。これは大変だ。早く何とかしてあいつらの目を覚まさせてやらねばならない」(ちょっと違うかいや趣旨は合ってる)。でもこれ聞いた時は僕にはギャグに聞こえてしまった。目をさまさせてやらねばってまるで民主党がアホーみたいではないか。なんということだろう。こうまで森元首相を恐れさせるほど野党は元気だったらしい。
しかし真面目に。今の国は・・□の下の線がない・・底の辺がない感じだ、陸でない大西洋only。次の声欄じゃないが。江戸理想主義未満に成り下がった国、戦後は理想頭がない、確かにない(朝日新聞が節操ない歴史家を使ってすぐ戦前を、「独り善がりな理想の暴走だ」と勝手に意味づけしようと関係ないそれはすり替えだ。会津をなぜか悪にしたがってもいたしな)。国の字が丸く描けてない。日本本来の全体理想がない部分末端国、やはり植民地なのか。江戸にはあった一応の理想建前が消えた、あるのは大奥のような短絡的な本音だらけエントロゲップー、香水の酔っ払い。底辺性が沈んでるし抹殺されてる・・それがどんどん当たり前になってる怖さ、正にTimeMachineの未来。どんどんAmericanize。国に非ず。正に「奇兵隊のようには身分が広くない」経済。やはり日本じゃない、月本国だろう間違いねえ・・。そのぐらい言って丁度いい。日本国が改造されてる。勘(因みに八重桜信者の女の俺への勘は大外れだった。おめでとう!!。大本営宣伝はやはりあてにならぬなあ)。
関連追加。朝日の声はやはりな、言っちゃ悪いが。俺は底辺性を定義してるのに、「底辺」をWorkingPoor女子だけを底辺と思わせる印象操作の声欄を取り上げ(同じ声が男子だったら取り上げただろうか、体制派の朝日新聞が珍しく)。底辺はNetHomelessではないのか、声出せるのはまだ底辺じゃない、底辺は声にならぬ声である、沈黙層。下層は女子だとの大本営的決めつけフェミスト思考マニュアルがあるんだろう「朝日教」には。その意味ではTVの方がレベル高くなる時がある。男性復権運動マーキュリズムはフェミストの視野の狭さと違って、Homelessまで広く視野に入れてる、幕末の奇兵隊の思考だろう。あと日本全体や改憲問題とかは非有権者にしゃべらせる。恰も天皇や将軍のような全体論は専門論よりも幼稚と言わんばかりだな。全体頭を抑え付けるGHQ新聞。戦後日本は果たして日本か。明治日本は日本か。本来の日本はもっと驚きを驚嘆をもって眺められる筈である。
あと週刊朝日は時代時代とうるさい。時代遅れての抵抗こそ創造と言うぜよ。
雑誌一個人がやたらヨイショしてる、霊友会の先祖供養って結局は私ら主義ある種のエゴに見えるんだが。大本や幸福のUtopiaの方が人の心に触れるのではないか。あるいは個人にまで踏み込むのは冒涜と言うか・・。
フロク。週刊ポストは男=逆切れ嫉妬と印象操作。女のボーナス文句こそ嫉妬だろう。森永卓郎の偏りベラルは論外として。小川オバハンこそ逆切れ、何でも男性社員に責任かぶせるリベラルパタン。リベラルは道徳心がない歪み。
Aeraが卵活で精子ドナー云々。しかしドナーは病気の人。「自分の」人生都合ではエゴ時代風景に見えるなあ。そもナチス科学派閥と関連のその類、安売りどころでないタダは人権侵害。ホテル代全部女が負担ってのがまだも救い。
あとIsraelってArab人を虐殺して造った国・・じゃなかったけか。野蛮?なIslamやIndianは殺していいのか、それを追認するリベラルとエセホシュ連中。根本的におかしい。いずれ昭和のようなしっぺ返しに?。
戻り、それに米国のチョムスキー氏も「民主主義」は「見物と支持が許される」体制と定義してるらしい、米国発の類似の政治学を読んだことある。社っ会の根拠。そりゃそうだな、名前書く参加なんてよく考えたら子供だまし(新潮の選挙行くなは少し共鳴。そこには体制の選択なし、金の運用だけと。どれも一緒で意味ないと。皆、デモクラシーと言う神に当時の流行に土下座してるのだろう。戻り、西郷隆盛も似たこと言ってる)。誰かへの支持が許されるだけ。そこには日本的な目安箱的思考は本音ではない。代表者を通じて「行動を」規制せよと憲法にもある。何という聳え太憲法か。戦後憲法と言う帝国。
この時代、再度の龍馬流はあり得るか・・。
因みに[戦中さん策]・・に政治権・・。しかしそれには無限でない、いやが応でも有限条件が来るな、この狭い国地球。個人主義や私主義を英米式の議論を超克AufHeben止揚、Hegelの言う一分間の個人王を超えること。共通を常に見出す努力労力。この少し難しい遠大な、ちと流行らない少し長き労力作業をもって疑似労働とすべしこと・・これが基礎。自己主張は所詮はエゴ、時には趣味。だから。当然に全体見ない部分的な主張は格下となる。専門は総合に従え。天は上。
戻り関連。そう言えばクリントンのIに対して、オバマのWeの広さは記憶に新た21世紀演説。みんな。龍馬伝もみんな。最近は狭い奴らが器のない政治いや政策連中が目立つように見えるので改めてこの演説を思った、バックに旧対ソ強硬派閥がいることはまた別問題として。
戦前は明治は一応壮大思考だったと言う、一応日本だったゆえか。更に江戸人は教育が独創的で西洋の抑え付け末端でない分もっと伸び伸びしていたとか、思考自体が。それこそ自然な国。真の保守はこの認識からでなくしてあり得ない。西洋から輸入で借り受けた、左右の不毛なコップと言うコンセプトはぶっ壊せ!!。マニュアルいらない。機械国会。独創国家で何が悪い!!。
ここで[戦後の風景]そのいち
「She sits on the grass。この訳はだな・・rだから芝生だ」。「コップに座る奴なんていないよなあ!!」「爆笑」「ケツが痛くてしょうがない」。
もうひとつ[戦後の風景]
「やい。俺は東大だ!。ボカ!!」。だから何だってんだよ。この国には明るいニュース造り隊でもいるのか(明るいかよ)。まるで「あ!分かった。アメリカの航空・・」「ボカーン!!」みたいだな。
そして丸川珠代似の女が「私は東大です。愚か者!。ピシャ!!」これはなぜかギャグのように笑えないななぜか冷えてくる。しかし愚か者暴言は自分を上に上にするAmericanDream構造の中の愚か。ガンガンガンガンバキューンデモクラシー。間がない間抜け者!!。
じゃ早大出身ならこうか「やい。俺は早大だ。今から十数えるうちに東西文明を調和させないと叩くぞ。ワン、ナイン、天、ダー!!」。
「アー、ハッ!!」はい東西文明の調和完成。FronTierung戦略これだ。「これだ」って・・。略。いや「言葉をも超えた所に真髄はあるのだ・・!!」。またComingSoon。
しかし従来の東西調和論は文化交流っぽいな、お儀式というか。要は表層でなく西洋魂を輸入できるか。それには唯一神的な雄大感覚が必須なのは余りに天下明白。俄か的な流行江戸には盲点がある。江戸文明よし。しかしやはり維新の心までは否定できないだろう。となればいつか言ったように江戸維新!!(いや。猿真似表層部分な体裁強制の西洋化を否定せよ)、これ自体が調和。正に龍馬の尊皇開国の統合原理のように。これが日本流だ。調和こそ聖徳太子以来の日本教育。和は基礎だろう。これ否定する公式は屁理屈に見えるな。個人主義じゃ挙句に外国のように荒むだろう。
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しかし選挙終わって一安心と思いきや、また少し分量が増えてしまう御免。