骨系or突拍男子のぶっ飛びに大勢を大けん制な文明提言丸は遥か未来に向けて中長期的に突然変異させる思想コンセプト準備塔

時代流れリベラルに流されず超流主義と創造or突然変異主義で旧パラダイムを時代転換創造する下士階級の元気気概Ideaブログ

一億全体論>部分輝く還元論。常に全う主義。一億活躍より一億活力の生き生き根源エネジは男尊も含む大器

2016-03-26 | 国・経世済民・教育を探求する超流日誌
一億生き生き。この像だと輝くのような一部フェミ利権利害エゴイスト集団限定でなく、男尊も含む全体みーんなが対象に含まれる根源的認識となる。応援クリック願います!!人気ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
活躍は表層である現象的。経世済民のない部分的な経済至上主義は画一つんのめり進歩暴走で危うい反賢明。ここでもクリック願います!!教育・学校(その他) ブログランキングへにほんブログ村

一億活躍。これやたら力学的。存在根源が軽視されている画一社会世界観っぽいな。
       近代自由平等に代わる三原則。活力・公正・節度。例えばこういう像も投げられている。活躍よりもずっと根源的である。(一億生き生きとすれば全て含まれて、日本を歪ませてるMarxフェミズム主義の不純な自己中の動機も封じれる)。節度は有限でもある。トランプ支持の背景も有限経営感覚と言う。人と時間。限られた地球でいかにである。「狭き島国 江戸の知恵」。これが見渡せてこそ真の全体。一方が日偏国のように他方を押しのけては反共存の反全体である。
      そう。批判は一億でなく活躍の方なのである。意表こそ希望。
で一億という像。この言葉は像は国家と言うより殆ど宇宙である。一億が狭く経済活躍でなく広く大きく社会文明活力として安らいでいるか。常に治癒されているか。常治の必要。宇宙ぐらいの認識が必要Globe主義。経済よりも政治。政治論よりも国家文明論。この方が像が見える。学者よりもArt。当の近代国家創始者のHobbes流に言えば。
      宇宙崩壊阻止の意識から物語が始まるとの話。しかし・・その崩壊してから問題意識・・と流れる前に宇宙意識。宇宙維持CosmosSenseを常に、これこそだろうその尽力こそ常なる意識。問題意識では遅いのだネガテブ(類も近い理想論を言ってる)。常に治癒。常なるCosmos形成。これぐらい壮大なのである本来は責務は役割は知恵歴史物語は。私の権利で自由気ままと言うノリの思想ではいかん。宇宙はどこかよその星の自然科学の観察対象物ではない。すぐそこにあるもの人間がいるもの含まれるものの総体。これこそ全体論。常に原点全うとして背負うもの。これがない七細かい分断分裂の風景の見飽きた一億の小粒化。誰もこれ言わない腑抜けども。分裂病なんだろう。
      しかし片や全体論すらちゃかりTotalホリーにならないように持っていく部分的に抑え付けられる時も目立つ。全てを分野化に寸断。本来の頭を抑圧。心も。雄大も。ゴーテックへの抑圧。伸び伸び神道の抑圧。メス的な部分思考を強要して雄大を生かさないケチさ。近代問題。

で一億の全体原点。
部分と全体。これ分かり易く大河のテーマで言えば真田丸が手頃だろう。戦と民全体である。戦そのものよりも(現代で言えば戦は政治環境利用闘争や金稼ぎ経済戦争競争や経済活躍だろうか。あー流血の戦や革命がない良かった平和だーではバカ丸出しの戦後レジーム戦争構造である)それよりも民の暮らし共同体全体を保つ良くすると言う本来の武士の役割の大きな広い目的原点がテーマだった。
現代で言えば政治機構制度崇拝の民主主義の威圧・・自体を目的で見るのでなくて、民を人間を心を根底から忘れない至誠。民主資本主義より人間主義だろう。真田なら武田信玄流には人は城。石垣。
     本来全体目的を忘れたら日本国憲法の部分権利による全体アレルギーとなり民主主義スローガンや御大層な機構制度自体の聳えるを見ていい世だと洗脳に目くらましに錯覚。天井が民主主義でゴール。
     もっと明瞭には、国なる探求が政治政策論争に落ちてしまう、民全体という原点を忘れ。人間を民を見ずに政策機構制度論争で敵倒す揚げ足取りはよく知られる見かける。一億は戦前回帰だとかアレルギーを助長する扇動が最も典型。全体を嫌う。全体アレルギー。政治という戦の構造が目的化。まるで全体の経世済民を忘れた部分経済専門である。
     戦は経済戦争もだ。明瞭にはポランニー流に経済と社会の図。経済を資本主義のみを過剰に見過ぎて本来社会を忘れたmarx派も含む。見過ぎるゆえに資本主義を肥大に大前提してしまう狭さの逆説。新世界思考や当時常識通念を信仰の派閥。個人先行の経済戦争への部分的な流されとなる。共同体形成責務よりも戦の権利に流れる。戦国の戦の次元に部分化。先週触れたように全体忘れる個人先行行動思考の民主主義構造ゆえの経済悪効用。数字儲け戦争の個人人生を個と正当化、皆を国民を人間の顔心を忘れない経世済民とそれへの常なる不断努力憲法な根源調整行動を忘れる無責任権利。理想の苦しみを嫌う。要は思想的に人間への眼差しが人間愛がないのだ精神修養がなってない民主市場民。民主主義と言う機構制度が好きなのだろうそこで止まる。政治までで終わり。大きく全体にいい国までは考えない。共産主義アレルギーよりも国家アレルギー。昔のような仁愛がない。情けない。
自由平等競争戦争の部分で思考途中停止して本来社会の全体根源の像までを忘れる。そこには部分感覚しかいない狭い。経世済民のない部分な経済は生存権が生存戦争権である。戦だけと言う図式と似る。(因みに類のブログでも、資本主義は絶対に共同体のことは言わないと分析洞察あり。上記のポランニーの着眼を否定が資本主義である)。
     しかし武士の人間の本来目的は、武を止めると書くように個人戦争対決でなくて本来は全体国民の誰もの役割存在の宇宙包括状態の形成と、ある種の劇場国家の志向ではないか。死と近い故の正にその北斗の星信仰が生きる可能性土壌である。武士道は新渡戸が言うようにまだ途上未完なのだろう。言わば正義公正の状態それが大理想の根源宇宙。その再生。これの有無の差となろう。部分気楽か全体苦悩か。
    

本来社会状態と宇宙での役割と言う全体論。総合理想。

ここで全体論の模範論を参照に拡散。ホリステック科学の論によれば以下。
      生き物の認識や水と土etc。これを見ても確かに自然科学を学ばずとも全体で物事はほぼ正確に見える(男女も含めて。ジェンダー科学の過ち)。細胞から出来てるから生物だと言う厳密に部分的な細かい顕微鏡のミニマムの見方が全てではない。全体は必要である。当たり前だ。これなくしては人間で生物でいる気がしないではないか。更に全体認識も主観だけでなく客観存在であるのかと言う問いもあるようである。この世は深い。
全体認識は有用。外界の複雑化を縮減して適応する人間ゆえと。
   つまりある程度は人間を信じると言う事だろう。概ね人は賢いのだ。ただし謙虚に限界あれば上と神となる、みんな協力近代となる総がかりという謙虚。個人主義は私はこうだ自分が絶対である、神は上はいない自分が一番と自惚れ。片やキリスト圏でもでも信心深いとか冷やかす風潮あり。無神論こそ思考停止の典型。

講義記憶でも全体と部分。細かく厳密に正しくても全体方向が間違える人がいると。原点が出発点が視野が前提が。みんなでなく狭いとそうなる。輝くとか。フェミニストの古典の本でも一方的に一面だけで見る器のなさがよく見える。
(社会荒廃ブログでも、被害面だけを国連に過剰に言い立てるつまり讒言のフェミ集団の誇張証言と。男女平等憲法のベアテの戦法を真似してるのだろう。読売新聞はちゃんと批判してるよう。両面複眼を見ない自己中のフェミ集団。実に部分的な利益集団そのものである)。
いかにもMarx的の偏重思考が伺える。その子分のフェミニズムもだ。
     (フェミニズムは知的支配の知識階級層では容認して当然それが紳士試験?みたいな唖然のペテン構造があると見えた。この言葉だけでは騙されると言うか表層で問題ないと信じ込む動かない人も少なくない体たらく、言わば他の「重要な」「硬派な」問題で忙しいからこれだけは別問題の聖域としてフリーパスさせるような唖然の見易い子供だましトリック。例えば自民党女性代議士で敷衍「外交経済行政のハードな問題はみなさんお得意ですが、ソフトな文化的な家族的な日本破壊崩壊工作の問題は全く盲点の手薄状態です」。ネットも含めてこれが現状だろう。硬派で格好つけてるか人類根源思考から逃げてるか、過去歴史は怖くなくても現代はフェミスト思想支配は怖いのか分からないが。
このマンヘイトな狭い利益集団には類流に言えば「エゴ時代AdamSmithは自己中は人類の敵」と別の言葉で一喝すべき。全体の社会の敵と。えフェミニズムそれでいいんじゃないの?というお人好しな勘違いも多いのであまり有効な言葉Toolじゃないと思える)。
戻り。遠くからの一神教がない部分思考の戦後レジームにて雄大に方向を見据えるべき。全体を背負うこと。この苦悩が正義への道で武士道と宇宙。苦悩ない部分思考は狭い。

あるいは。
経済論文の作法で。以下抜粋拡散。
ここまでの作業をクリアーすれば、あなたの論文としての形態はひとまず整っていると考えられる。これまでは論文の部分的な記述方法に関心があったので、論文の一つ一つのパーツについての作法を考えてきた。部分的に見た場合に、たとえば文章における一文一文が完璧に書かれているとしても、論文を全体像としてとらえるならば、全く魅力がないということも大いにあり得る。この節では論文としての全体像を捕まえることで、よりわかりやすい論文を指向する方法を検討する。
以上。
そう言う論はしんぶん赤旗が浮かぶな。保守派の言う虹のないH2Oの物質歴史観が漂う、そういうのが充満の左派。とにかく面白くない。英雄の偉業がいない数字のみで心が寒々とする魅力のない機械文である散文。ソビエト経済論も米国より高度だがどこか退屈だった。惜しいのだが。

ブログ[全体見ず日本に圧力。切り取りメス思考は人類を短絡に歪ませる部分全体主義の欧米学者。暗い反文明]より。
以下にも全体論。
[左右同盟の全部]。
となればやはり部分と全体。全部。この統合。
(流行りの全体連呼が、全部のような俳句思考になってないゆえ)
       全と部。先のホロン革命。実はこれが左右統合っぽい(もうひとりのKarlが全体主義を社会学に適用には慎重だったことも踏まえて、全部統合)。例えば確か、共産党は部分の政策はいいが全体でみるともう一つなことをハト派自民党幹部すらが指摘(確か今は共産党を応援)。別のページでも同じ指摘あり、つまり部分実証だけで歴史観としては見えにくい片輪と、つまりここ掘れワンワンで終わってる近眼なのだ。確かに左の本は唸らせるが非常に何か見えにくい、木を見て森を見ずというか緻密分析メス主義的で人間的じゃない機械的。科学分析社会主義だからなそうなるのだろう。言うなれば「日本民族よ所詮はお前もタンパク質唯物物質に過ぎないだろ所詮はDNAの乗り物だろ」と断じて解体してるようなもの。「普遍真理の科学のメスで分析解体すればそうなるんだぞ知らないの?。フェイザーガンだー、日本よ死ね」と。そこには何もない虚無で空しい。Art形成にならない。八紘一宇家族国家の意味も聞こえない「そんなの理想論の綺麗ごと」と曲げて取る。いかにも戦後唯物的。
以上加筆修正。
こういう日本否定は反全体目線。部分目線。大きそうで小さい。ここに巧妙なからくりがある。まるで手品だ。
執拗に部分は置いて全体と言っている。しかし部分全体だな。片方ばかり言うは部分ではないか。全体でない。
狭い七細かい部分的であるものを、全体だと言われたら人類は抑圧されて苦しくなるわな。実にSimple・・。
歴史全体全貌と言いつつ結局は慰安婦論で自称未来で禁欲抑圧デストピアを造りたいのだろう。
以上抜粋。

ネットで[問題解決のスキル]
前回の記事は、「物事の全体像を見極めて構成要素を整理すること」(=構造化)について解説しました。構成要素の関係を整理したら、次はどの要素が重要なのか、どの要素なら無視しても大丈夫なのか、その「ボリューム」を素早く見分ける必要があります。それが加わることで、単に定性的に構造化した場合に比べ、問題解決の難易度や方向性が分かりやすくなります。
全体像を見極めてから細部に目を配る
 極論すれば、あらゆる事象はすべて前回紹介したような構造図に整理できます。しかし、あまりに細かい情報を厳密に整理しようとすることは、本来の目的を考えるとむしろ逆効果になります。
 なぜなら、それは複雑な事象を複雑なままとらえることになってしまい、問題解決のヒントを得にくくなったり、ささいなことに時間を費やす羽目に陥ってしまうからです。物事を構造的にとらえる意義は、本来、全体像の見通しをよくすることにありますから、その目的に立ち返り、「厳密性にこだわり過ぎることはむしろマイナス」と考えた方がいいでしょう。ある程度、ささいな部分は割り切り、全体の構造を大まかに把握することが肝要です。
以上。

重要とは融合である。全てをの集約点が重要である。融合点。つまりみんな全体論の総合理想。貨幣のみ経済のみ法律のみジェンダー女のみetcの議論は重層がなく重要とは言えない末端。常なるブレンド融合こそ共通である。日本風土。

全体目的。罪人をも底辺から救う最大多数だろうベンサム流に言えば。前提は広く。しかしこれに加えるに「底辺と頂点と平均」という基準の併存も加えるべきである、より広く前向きに雄大に真の西洋思想一神教。多数妥協どころか更に進んで全てへの挑戦Total照である。総合理想の全体論。
政治も言論もより上の認識に従うべきだろう、まるで天の脳にCosmosSense。一端はユトピア流に保留としても。そういう方向への努力は義務である。ベンサムをも超えて。
一神教は永遠向上である。





フロク集。

木曜朝日のピケテイのイスラム論。イスラム男性というだけで不利はやはり底辺性の証。つまり犯罪との境界に立たされる存在にこそ配慮が逆に必要である神まるでナイフのように脆い存在に。西洋流にはベンサム流で底上げの必要。

追加フロクは月曜朝日社説の民進党。しかし格差と言うなら、ちょうど脳本もあるが男女脳の格差こそ深刻である。男性の自殺しやすさも関連。脆弱で脆い方に調整配慮するのが社会公正さである。固定思考の党は危うい。複眼思考のない浅い党は所詮は一面改造の共産党が戦後レジームの保守親分。。単眼の俗論派よりも複眼の正義派こそである。

追加フロク。火曜朝日ハフィの女の広告論で男が女を者扱いと。しかしズバリ。男は女をモノ化するほど余裕はない女ほど贅沢存在ではない。曲解冤罪である。死んでいる男たちは生き生きしたいだけである。ゆえに男も女も贅沢存在同じと画一フェミの安直判断は改めて人間錯誤と証明される。シュミレーション練習の人類活性化は性こそ必要。OnOff分裂病は出来るだけない方がいいのだ反自然。エロ性はそれを超える積極可能性の潤滑油。善である。フェミ左派の狭隘。

追加フロク。太田出版の本。痴女を褒めるは容易い馬鹿でも優等生でもできる(しかし痴女は痴漢的何なのもいるが)。しかしゆえに痴漢を正義漢と褒めて江戸化して男女的な冤罪ゼロにと言えばこそ文明勲章だな。大らか文明への道。

フロク。日曜3/27BS日テレ久米書店は倉本層の情けないリベラル。生物事実を言ってメス史観に屈している。じゃあリベラル派は生命史は人類史も男損女肥だと認めるか。それなら筋は通る。ご都合理屈の俗論は捨てろ。Marx左派の一面偏重史観である。
しかしそういうメス帝国の事実を超える♂の幻想性は空白性つまり創造性である。生命だけで見るから自虐史観になる。三島は生命だけでなく魂も言った。飢える性ゆえに見えた。武士も命と紙一重ゆえに浄土信仰と北斗星信仰の創造。正に哀れゆえに逆に燦然と燃える輝くのである幻想性。逆説パラドクス科学。
とすれば確かにリベラルは愚者だ。すぐ表層判断で自虐的になるメス化帝国加担。情けない奴らばかりだ。
その前は世界史・・は日本発のジンギスカン以来と言われるが世界史の誕生。世界とは雄大である。地球とはGlobe主義である。
BS141日曜書店。しかし日本史からは理想と経世済民の境地ボランタリー経済がある。外国だとすぐコルホーズになる。西洋原理の個だからだ。個人主義でない融和次元のある日本では本来は貨幣は必要ない。日本史こそ理想光とはユダヤ人も見る。利で動く世界では世の統治は立ち行かないエゴ時代。

追加フロクは水曜朝日インタビュー。
国谷には反権力を(本音では)気取る資格はない。人間のツボ重要問題を権力で検閲した国谷は自己中矛盾。他の面々はともかく。やはり女は大義正義公正でなく好悪で興味関心で動くエゴイストと証明そう言わざるを得ない。私主義。客観公正がない。十把ひとからげでは他の面々に失礼。

追加フロク。朝日の金曜土曜両方で。ミダス王経済。しかし西洋の個人主義分裂病は広岡浅子の言う、日本女子も得意な虚栄となり仏革命の怨嗟遠因となった。怨嗟は安倍本ですらも着眼である。その過ちを超えれない近代自由平等の矛盾暴走の経済。寧ろ近代の個人経済の行き詰まりの盲目贅沢病。人間に必要な贅沢のみに有限に限定すべきだ。近代無限経済でなく。
でWeber的な社会経済学の調整となる。定義はなし。総合科学の定義がないことと同じである。まだ閃きが足りない人類である。ハイコンセプト時代はまだ遠いようである。
あと東洋志向のHegelは大衆も王と見た。個人主義の王である。要は我儘エゴイズム。女王こそ裸である。
土曜の北原みのりを見ても朝日新聞は左派marxフェミズム主義の硬直した固定思考を柔軟に改めない絶対主義と証明実証された。大新聞の器のなさである。正当性もない。事実を言う。上下以下この固定思考に発する、それこそ構造的暴力である自覚してるかこの者どもは。


追加フロク土曜朝日の民進党論。あっさりフェミニストの視点と書いてるがしかしそうやってフェミストが男性をプアホワイトとして締め出してるではないか自己矛盾の欄。これは言論弾圧というか言論封じである。弾圧罪。強要罪である。どのツラ下げてか(現に国民の声は女のみだと言ってるに等しい筆致。わざとそう言う風に書いてるのだろう)。。それこそ固定思考の朝日新聞左派リベラル。日本死ねも喜んで取り上げる左翼。題名軽視はそれこそ戦争の土壌だ。

追加は金曜朝日の前文記事。主観先行の記事だ。和。助け合い。気概。こういう大一歩進んだ言葉の評価は一切言わない朝日的。まるで戦後の諸問題を守旧したいようだ。
戦後憲法はちまちまと左翼的。国民が部分思考になる。頭を押さえ抑圧しようとする意図が見える。人間関係の理想。この言葉は「私の理想はー」にまで堕している。よって和の方がいいだろう。理想は日本にとっくにあったのである。

ロンザ。根強い小保方同情論はSimple。女だからだ。前に男の例だと問答無用で悪者だった抹殺だった。。(小保方専門だけ女だけ見るから見えなくなる。ちょうどMarxが資本主義だけ見て却って見えずに部分化の複雑化したように。大きな視野がないリベラル左派。比較の視野こそである。自ずと男損女肥大が見える)。
マスコミは複雑に誤魔化すな。欺瞞思想擁護の立場は分からなくもないがこれも確かに詐欺的である笑。
火曜ハフィ。あの名前が差別的だ。異様だ。LGBTはホモで統一して団結すべきだろう。いちいち勘に来る反感を呼ぶ世論化のリベラル。


水曜。
追加は水曜朝日紙面委員。
正義の所有に対する苛立ち・・。苛立ち程度かあ?。そうやってまた日本国民を見下す。事はSimple。「自分たち朝日が正義だ」と言う驕りに対する疑義と否定である。それが正しくない可能性が十分にあるからだ一面的正義。
やはり左派の特徴が見える。理念の外的押しつけとなる。反感と仏革命の過ち。更にリベラルだと時代大勢迎合と流される。ただの裏返しただけ。ある意味で民進か。しかし満州も同じだった。やはり中庸こそ真実に近い。神は境界に宿る。
戦前は満州への日本改革改造とも言える。戦後の今度は日本破壊の改革だリベラル(慰安婦もその政治目的)。これも正反の裏返し暴走。中庸が統合の大構えがない一方的つまり左派。
リベラル現実主義?。今の時代風調そのまんまじゃん。それでどういう存在意義が。権力に。というより国民大勢の立場に過剰に立ち過ぎて満州過剰扇動が真実だろう。それは正しい面。しかし過剰絶対扇動に大勢迎合絶対主義が問題なのである。現代リベラルのエゴ時代に対してのように。
そう中庸の統合の大構えがない左派。
中庸なしで大胆に言え。不自然にまたずらしてすり替え(朝日はだいぶ遠慮なく言い過ぎてる。斎藤美奈子の言う基準だとまた記憶新たの過ち繰り返す)。それより朝日は言われるように、そういう巧妙でずっこい所を直すべきだ。更に政府にだけなら分かるが思い上がりに民間人までに言われると公器は凶器となると忘れるな。この前の校長バシング始め。権威だと古いと破壊というのではやはり、リベラルと言っても同じイデオロギー左派である天下明白。左もリベラルも同じだ。左から市民正義になる分、一層巧妙狡猾でタチが悪い危険とすら言えるだろう。左派扇動しておいてそれにより現状がリベラル化したから更にその既成事実の上に乗ってるだけ。満州の頃と同じことだ。
委員会論続き。相手側や対象に光あると見れば謙虚になる。光は正義は私達の側だ所有だとすれば外的押し付けの仏革命的暴力の西洋キリシタン主義になる。理想こそ共通(現実主義では主観化で小粒な戦後時代への迎合。いかにも体制が喜びそうな姿勢である。最近の既成事実化現実を正当化の為だろう)。利益リゾウにならないためには武士道の士というGlobe主義の全体共通の重みこそ必要。これ背負うが人間。個ではない。

追加フロク。金曜朝日農耕論で個人政治論。またリブなんざ取り上げてヨイショする朝日パタン。何気使ってるねん!!腑抜けなインテリどもめ。リベラルには反感である。
個人が政治。それ過ちエゴイズム。政治とは全体大義。政治の個人化が正しい筈がない。当たり前やろ。全体が政治である。私の私見主張などどうでもいい。個人民主主義の暴走が、私人の暴走による冤罪恐怖政治etcを生んでいる。個人が絶対思想では国が私物化される。個人が政治とは思い上がり。政治とは全体である。自己権力の全くの無自覚の驕り。どうりでこの朝日的なリベラル時代が混乱してる訳だ。いちいち挙げるまでもない。色々あるがもはや統治不能の原理なのは天下明白である。
自動的に他の民族も。それ言うなら消された先住民は。根源を考えるべき。
表層で自動的思考は原点忘れる。


あとネガテブ本は下流。ネガテブ本は非生産的。脅しの本はノストラダムス的。例の米国論でもあるように受け身となる。
創造こそ全てである。現実主義の終焉。


ついでのフロク。赤旗の文化欄のしつこさ品のない絵の非常識。
一貫して男性に負担させる固定思考marx派閥(担当は女らしい。なぜか休み。責任逃れ体質が伺える。自分ら身内には日本的に甘く他党他人には厳しい派閥らしい。日本嫌いの派閥は)。いかにも自称弱者を重視のmarx的固定思考。女の裸は一回もなし。自己中と言われるフェミストには性的作品には配慮するくせに自己中矛盾。共産党の好きなフェミストの言う性的な芸術には限定配慮して自粛する。規制する。一貫して自粛。
これは確かに性差別で問題だな。ジェンダー公正じゃない。or女の体には芸術価値がないと言う事かな。驚いた。赤旗共産党は女蔑視らしい。
待った。井上流にはしょうもないことを大真面目に。重要と称する問題を茶化す勇気と明るさ。である。


追加は朝日金曜に日本会議の家族論。不自然。性的退廃の箇所をここぞとばかりに何故か挙げてるが、寧ろ退廃と言うより性的抑圧で日本人が死んでいるのだ。「一見」問題なことは生かしようである。(要は日本流の節度である)。この性論は保守論者ですら言っている(別にこういう論陣だけではない。朝日の卑怯卑劣な印象操作の悪企みがまた始まった)。人間自然は悪ではないのだ。人間錯誤するな。

土曜赤旗の自民党批判。保保の近代身内喧嘩の平行線ってヤツだな。しかしこうも言える。感情先行で時代錯誤と思考停止せずにmarx思想原理が果たして本当に日本にいいのか冷静に思考する必要はあるのは確かである、この唯物思考洗脳の戦後国にて。原理的には時代が多少ずれても面白いし有効だが、人間錯誤の方が遥かに危険である。相対性論で言うように過去は再現できる。その方が豊かな社会になる。異時代の存在も国を社会を豊かにする。
木曜赤旗。しかし江戸時代に戻れば、一応ささいな男女なことによる人権戦争の冤罪はかなり減るだろう。自然肯定国なのでストレスもない。Marx否定国ではストレス国家となるだろう。見直し再評価もある異時代である。「まさか」という言葉で「進歩が絶対」と言う固定観念が伺える。














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