骨系or突拍男子のぶっ飛びに大勢を大けん制な文明提言丸は遥か未来に向けて中長期的に突然変異させる思想コンセプト準備塔

時代流れリベラルに流されず超流主義と創造or突然変異主義で旧パラダイムを時代転換創造する下士階級の元気気概Ideaブログ

左っ右同盟。全右に部左。全部統合。反フェミ米で龍馬流こそ国かたち反細分専門化科学思考

2014-02-08 | 国・経世済民・教育を探求する超流日誌
題名は僕が両陣営を見た戦後印象である。別角度から観点の移動つまり創造。
(所で気まぐれ日記ランキングに詫びたい。何てのどかなんでしょうと感嘆文で。まるでペリーの江戸の感じで済まない気分になってもうた。しかしそれもこれもそうじゃあいつらフェミらーが悪いんじゃ!!笑)。(反フェミズム運動に呼応)。
以下はズレこそ創造。優等生連中には分からないだろうが敢えてそう言うぶっ飛び流儀で。

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全右?。そう言えば漫画世界史で「僕、突然、右」という中国名武将の登場。
全体主義、政治学で定義する言葉、なにゆえこれが悪い言葉か理解でき(なかった(Global世界全体主義ならいいのか。地球全体主義は世界流れ?。世界共産革命の進行中。歴史は現代)。共通主義と言い換えれば両者統合に。後述。
     しかし全体主義はこの現代、Smith古典というか旧経済の一元主義こそだ既にある、言わば前に申した海獣ファシズム。心理科学的分析以外の意思はつまり人間はいったん外部経済?に置いておいて(ここに既に不安が出る。国でなし。日本の武田信玄の「人は城」に見る広さがない)(人間排除の狭い科学主義をバックにしてるSmith資本経済のゆえん。科学的社会主義も同じだろう)、そのくせ人々を力学運動的に外面行動的に統一全体市場に強制動員徴兵かき回すAlieNation疎外国体制は忘古維新世界で言った、無=存在は排除して有だけを認めるまあ頭の足りないめくらな虐殺経済。これこそずっと巧妙で悪質な全体主義ではないかとっくに。Smithすら実は利己主義を説いたのではなく共感と道徳を留保にしたが、現代はそれすら心もとない勘違い、個人主義の限界。翻ってHegelは言わば国家心本主義の面と、存在は置いて生存だけの力学原理批判した深さがあった意外や東洋的・・つまり国でありだ力学原理批判した深さがあった意外や東洋的・・つまり国でありだ。そう見れば昨今の市場の空しさのせいでの男女の右傾化も無理ないというかその兆しか。国しか歴史しか高貴なIDはないしな当然である、言わば臣に対する連か。あるいは各創作IDとする土壌に大海ドラマぶっ飛び提言でもするかComingSoon。ヒントは感想欄で見た大河終盤台詞「皆、この時代を懸命に生きたのじゃ・・」。言うのは早すぎるがこういう相対化の器は重要。
追加。逆説世界史関連。ざっと調べたが儒教批判は大したことない狭い。創造性が何たるかを分かってない。ゴシップか近代西洋信仰資本主義だけで批判。あれじゃ東洋の勝ちだな。ジョーシキの流布公式は疑った方がいいようである。

ここで題名。全体と部分。
・・・とくればそう言えばホロン革命の以後である。敢えて科学を混ぜる別観点で。創造科学関連で教えてもらったアーサーケストラーのパラダイム転換。13ユダヤ人追及本の後に変死した?と言う曰くつき科学思想家である。ところで全然関係ないが世界史漫画「ヘンシーンと赤くなる」「わーチエコが狂った」「プラハにも空がないと言うたげなー」。左右どっちでも変身であるな。仮面ライダー明治も変身だろう。
      戻りホロンはHolos全体とOn部分の合体語らしい。全体と部分の統合。つまり全部!!笑(こういう日本語があったじゃねーか何やってんだよ日本人は、実にドイツ的論理がない国)。哲学で言えば俗に言う相互作用の関係性哲学に近いようである。仏教の空でもあろう。やはり真実肉迫の科学思想家だったか。。
      今はこれ以後の時代なのである。しかし不問風景。知的には別として。科学哲学の問いは進んではいるが少数。自分が神となってると思う唯物論弊害を警鐘せよ、問われて久しいが。。神とはすべて含むTotalVisionであるCIAテキvisionよ。
     最大の全体の上の全体は結局は未知になるということは上は神だろう。無神論は傲慢。氏の根底には専門細分化科学や物質還元主義な世界観人間観への批判があった。この原点の問いなしだらけ風景。ごま化してるのかと。あるいは真実をかく乱してるのかと。体制維持。現にその本音が垣間見える。意味づけする側が実は権力?。
     現に追加はアエラ表紙。リケイは利系の時代と言ってるように見えるぞSmith古典経済で旧いな。何か他に言おうとしたとしたら笑止千万。よくある大抵の扇動は当たっていないことが多い大勢体制保守雑誌。「利系」の時代だな。現に貨幣教育と言い、いつもながら理想光のない雑誌だ。そう言えば派遣難民にならない為の教育?記事あったな。唖然とした。「派遣難民。ああなっちゃだめよー」ってか?。実に失礼無礼な自己保身全面全開の「実は保守」の雑誌の逆説(そういうのは節度持つのが人間だが。さもなくばHobbesの警鐘で結局は国家主義に。現代に続く)。上にー上にー。下に―下に―蹴落としステイタス時代体制保守雑誌。
      しかし追加は週刊新潮で不自然な批評。祭り上げる偶像科学を水ぶっかけではなく、新潮は歴史刻む人間を変人を単に嘲笑したかったらしいそれこそ痛いアレント的な凡人的。じゃ反対だな。文学的センスがないと見える。これも実に今どきだ。そこには理想の光はない。 
       そもパラダイムChangeのない否、ないかのごとき既視感は心を捉えない。人民の底辺の意思と心を汲み上げない経済全体主義回転AlieNationのGoldRushはビルを見ずに山を見ずに穴に入るモグラSystem(それは汚い非Art国を・・これが多神教の国・・。忘古維新世界の時代)、ナチスと手を組んだシュミットの実にSimpleな文明論的提起でもあった。そしてケストラーの提言を聞いてない日本。心本主義の提言のゆえん。
      更に縦の全体善悪教育の否定は結局は、横からの経済マスコミ教育になったCIA的Vision目線、唯物生命科学教育の風靡(これが全てと神と言わんばかり)。この歴史否定deジユー回転は自ずとジェンダーフリー映像風景の醜さをも生み出す寒々風景(女にも厳しくと留保が付く時点でいかに戦後が女権か分かる。ある大御所俳優も見かねて「若い女子ばかりがちやほや国」と苦言。フェミズムはまるでタブーのように支配浸透。後述)。自由はあるが同時の慈優がない。遅れた自国製である、西洋直輸入の自由民権憲法の盲点。配慮遠慮節度謙虚etcと言う日本伝統と切り離された、非国民革命体制・・と言わざるを得ない。オルテガの言う歴史を断絶した国家主義。それこそが戦後レジーム。その破壊風景。
      ここで追加。元朝日記者がいわゆるネット右翼批判を出しにして「プアホワイトも精神脆いゆえに人種差別するとも」とそれこそ逆人種差別扇動は反マンデラ(これこそ徹底的に抗議叩かれるべきだろう)。あれれれ?社民朝日って貧困弱者の味方でなかったっけか?。偽善。白人etcと来れば自動的に強者扱いの思考停止(映画Rockyが逆差別に立ち上がったことも思いもよらぬらしい)。そういう朝日リベラル教科書公式が嫌悪されてると気付かぬそれこそリテラシーなし、鵜呑み啓蒙社員教育洗脳?。
        しかし興ざめ追加は五輪で朝日が夢?。図々しくも夢・・笑止千万(じゃ天下布夢とでも言ってやろうか。夢とは造りごとではない!!)。まあ朝日新聞の不純動機のせいだろうかねえまるでナチズムがフェミズムに変わっただけの宣伝いわゆる3S政策の極みに見えてしまった(戦前つまり日本人は恐らく総合思考があったから、こう命名する洞察力があったのだろう)。何とは言わぬがある面を見て、下流社会論で有名な論を敷衍すれば殆ど自分さえ楽しければよければいい幸せ―今どきノリの動物虐待の時代とは当たってるなと思った。たかが3Sの一部門がフェミズムの汚染を受けてねえ筈ねえじゃん(旗は男が持たねばパッとせんだろう。男とは粘土を貫く針金である!!。キマッタ。専門バカは役割分担考えろこの人間錯誤)。正にAD時代は真の夢が専門家によって出る杭打ちされる風景に久しい。朝日新聞がここぞとばかり持論党是で便乗するから純粋になれた気がした心が興ざめに汚されるって訳だSee?。オリンピックの時ぐらいマンヘイトはやめようぜ朝日新聞よ(NHK委員会には例の長谷川三千子女史の民族派テロ擁護発言問題について、今まで度々指摘したように朝日新聞はフェミズムや無神唯物論等々で日本を妙に汚染し歪ませ気落ちさせる新聞、天誅加えたくなる気持ち自体は分かると弁護せり。文句あっか)。フェミ震源の最低保守読売はもっと露骨なんかな。まあ商業主義やさる識者も見抜いた(女が増えたせいもだろうなあ)軽い今どきエゴイズムノリもさることながら、今どきオリンピックを夢だ?と純粋に見てるおめでたいお花畑低能は減ってるだろうが。おおかたエゴ時代の風景のようである。そう五輪で朝日新聞、母親選手を異常片手落ちヨイショの次の日に何とだ。以下。
        フロク。ハウス食品とフェミ読売の母に感謝いつまでも元気でコンサートって前々から思うけどおかしかね。じゃ父親は早く死んでとまるで一部男卑女尊netか、そこまで考えるのが大人じゃね?。満州国論すら批判で申した男卑女尊が戦後のようである。満州と言う戦後日本。
     フロク。また五輪朝日社説の女尊。まるでsportsまで自社の革命戦争の道具にしたいらしい。数が増えたワーイと朝日の男女機会均等以来の自作自演予言が当たったと喜んでるみたいだ、長谷川女史の例の批判忘れたか。オリンピックの時ぐらい戦争はマンヘイト戦争は止めろと言う苦言を一切聞かずのそれこそ度量と器の狭さ。そう言う新聞。
   となれば。そう朝日新聞男女論女コラムニストよ、無理矢理に女を多様化した愚策の現実とそれこそ先ず認めろ。ゆえ女はすぐセクハラ(しかし女なら結婚勧誘はセクハラか。男も同じじゃん。どんだけマスコミに広告に男の方がそういうセクハラどころか明らかな嫌がらせされてるか)と女がギスギスして非寛容になった国は愛嬌がない、外国の方がのどかで女は愛嬌あって大人で寛容と井上氏は良くぞ言った。朝日にしては珍しい。理想の片鱗が残ってるか。
            追加。週刊ポストで、妊活を批判すると古いと言われる空気Kと。じゃこう言えばいい、古新は善悪の基準じゃない!!。あんまりわがまま言わぬはエゴを戒めるは時代普遍道徳である。前者に傾斜は自ずと唯物生命論の思想になる。現実はある程度は分かるが思想まで全部がそうなっては人間は終わりである。あるいは一番いいのは先週の長谷川女史、伝統的なSimple男女役割分担に戻れば一番いいじゃん。

戻り、戦後の細分化は科学のみならず自ずと政治も同じ。大政治を忘れた政策ではポピュリズム迎合の風景。根底問いは置いておいての空気である。本を不問。三島の道から石原の術の時代へとも言われるが。心より頭。動機の純度が落ちてる。

となればやはり部分と全体。全部。この統合。
       全と部。先のホロン革命。実はこれが左右統合っぽい(もうひとりのKarlが全体主義を社会学に適用には慎重だったことも踏まえて、全部統合)。例えば確か、共産党は部分の政策はいいが全体でみるともう一つなことをハト派自民党幹部すらが指摘(確か今は共産党を応援)。別のページでも同じ指摘あり、つまり部分実証だけで歴史観としては見えにくい片輪と、つまりここ掘れワンワンで終わってるのだ。確かに左の本は唸らせるが非常に何か見えにくい、木を見て森を見ずというか緻密分析メス主義的で人間的じゃない機械的。科学分析社会主義だからなそうなる。言うなれば「日本民族よ所詮はお前もタンパク質唯物物質に過ぎないだろ所詮はDNAの乗り物だろ」と断じてるようなもの。「普遍真理の科学のメスで分析解体すればそうなるんだぞフェイザーガンだー、日本よ死ね」と。そこには何もないArt形成にならない。八紘一宇家族国家の意味も聞こえない「そんなの理想論の綺麗ごと」と曲げて取る。いかにも戦後唯物的。ただ筋金入りMarxistは日本に大Israel主義を見ていたようにも見えた。これ果たして・・。
       都知事候補の舛添氏は政治はArtだと言ったことあるが、全体がArtである・・奇しくも司馬氏の本は「この国のかたち」・・そうだ西郷は改革よりも国造りごわすと。marxよりHegelが芸術国。これなくして政治はない、国がシュミットの言うように解体される。
        そこへ行くと近代の日本を規定した、龍馬伝での船中八策は多くの知見の総合的なまとめであった。正に元祖の総合理想ではないか。龍馬帝国・・の船中の日本・・。
     ところで右には親米と反米とあるが。左の人は右は絶対に反米にならないと思い込んでる人も多いが。しかしれっきと反米保守これが最も思慮あると僕には見える。
          ここで追加。初めてリベラルな雑誌世界で共鳴。成長超える経済の方が視野が広い。やはりaペテンは狭くて旧いようである。近代信者だな。古いようで中途に新しい笑。
       ここで武士の義で田母神氏を弁護。支持する人は恐らくいわゆるSilentMajorityと見える(黙ってるから支持だと政治家が早とちりするケースでなくもっと主体的に。まあドクター両人にしろ変人は政治には歓迎されないが。政治としてはと躊躇がある、どっかあらぬ方向に持ってかれるんちゃうかと笑。冒険もいいがね。見ようによっては細川氏の理想論こそ冒険だが。向こうに何がある?。保守的空気の中)。細川氏と違ってその項目は参加せずにざっと読んでみただけ、だが皆が真剣に元気ない日本を再生しようと願ってる肉声(支持者ちゃんと見てるか。そういう極左の悪口侮辱罪よりも少なくとも相当に皆、大人だぞ老若男女ともごく普通の人、そういずれが下等なのかは皆さんの判断に任せる。あれじゃ総殴り総スカン食うんちゃうか)。冷静に見ればどうやら左傾のNoisyMinorityマスコミ空気に反発してあるいは戦後の体制に、石原流には毒素を感じ取って皆は問い始めてるってのが実情のようである(共産党は氏のこの戦後根底問いに答えずだった。残念であった。ゆえ入れず。分かってるってそれこそ鵜呑みするなよ。有権者の成熟の前に人間成熟が大事。建て前思考が成熟人間。本音バーではそれこそ戦争になる。薩摩は現実的と言うよりも建前の政治的だったのだ。脱原発やまやまでも日本国の外交立場上は相当に困難と専門家も言っている)。更に工作は左翼こそもっと公然と大々的にやってると分析もなされて久しい、政治的には右でも社会的には左と言う図式がずっと続く(更に建前と違ってナチズム右翼と共産主義左翼は同じとは知られる、正に資本主義と共産主義が実は近代同根と言うのと同じ。右のHitler自身が左の「闘争」主義に親和性を見ていたのである。近衛文麿もそう見ていたゆえに期待した。何があった・・藪の中)(よってバカバカ言ってる奴が一番バカというパラドクス逆説は既視感左翼的。敵をバカにしてなめたら日本的謙虚さ消えて終わり非武士道的非日本的。ある漫画でも自分に自信あれば侮辱をしないとのセリフあり)。(そう言えば「道を誤った悪魔め」とAnakinSkywalkerにオビワンケノビはStarWars。そう言えばそういうStarWars的革命戦争論を否定する詞を書いたっけかな、Goldsmithの曲を軸に。先住民殲滅の犠牲ある革命戦争が正義か?それこそフェミズムも含む目的暴力革命。実に自分主義的。映画みたいで臭う時代)(それに米流の選挙ネガキャン誹謗中傷合戦は非武士道の卑怯とも言うわな。やはり戦後レジームはAmericanizeか?この大勢体制)。
      前後。左右。反原発陣も含めて、靖国や神風特攻隊は「史上初の反米」として評価してる立場も見えるそれは敵ながら天晴れだったと。左右統合はまだ少ない。これからの境界Frontierだ。
       そう先に触れたように先ず認めるべきは、戦後への理想反乱は意外や慢心のリベラルでなく実は野党だった保守からだった現実・・。SilentMajorityは政治体制を超えて、憲法の内面の思想その起動原理にまで切り込んでいる。戦後体制護持だけを戦後教のように声高にお経叫んでる左翼よりも進歩している(左翼は焦ってるように見える土着魂じゃない輸入な分)。その全体考察の一部には危うさもあるけどね、基本ラインは全うである、原点の問い浅い右にはちと警戒、深さなくして保守なし!!。片や左はセカイと言う大風呂敷で無限大分析科学に泳いでいる感。戻り要は皆SilentMajorityは戦後原理が、俺の言葉で言えば、人間錯誤をしていたのではないかと問うてるのだ、そして対米従属。小林氏も「Marx左派は人間を分かっていないような気がしてな」と。その子のフェミズムはもっと人間破壊主義。
      そもそも田母神氏は確か日本濡れ衣冤罪論で登場。確かに民族派でなくとも日米本でさえも、太平洋戦争は米国圏従属への防衛抵抗の面あったと書いてる、米国の追い詰めもさることながら。ある脳科学者も戦後米国の歴史洗脳を指摘。完全支持じゃないが、あれは金の本ゆえ若年層にも相当に浸透だろう、上手い商才。更に先住民を数々の陰謀で排除した背景を見れば現代は・・明らか。更にその無限近代宇宙は際限ない消費人工空間の個人主義の王様と女王。その延長で更に敗戦国からリターン要求と同本でも、次は日本を収奪、気鋭の政治学者もこの分析と一致。月並みだがやはりここは龍馬流、日本人同士争ってる場合ではないようである。こんまい各論だらけ。ReAct2nd風景である。誰もが同意する総論がない器がない。皮肉って言うが。
      
よって皮肉って社会風刺で「左右の器」を問う。あっちの世界を提示した大御所俳優は日本は合の国と認定されたようであると。Hegelの問いが一層重い。
       で、龍馬なら反米の為の左っ右同盟を言うだろな(大河龍馬伝では西郷がなんじゃっち?と呆れていた。龍馬は元祖突拍男子だったか)。即ちアメリカ幕府に否Americanize(エゴイズム個人主義や画一市場社会フェミズム扇動や格差自由や暴力思想や無限思想等々)による、あるいは大西洋(StarWars流「Columbs船団の恐怖した暗黒海は生きている!!」。ペリーも日本に悪いと思っての西洋開国)、あるいは新約Satan(地震災害交通事故や冤罪罠etc)による日本崩壊破壊に対抗する為に・・日本再生(朝生で監督が「昔は災害が起きたらこれは天罰じゃないかという世界観があったんだよ!!」。ということは。あれは陰謀だ。いや絶対に陰謀じゃない。「いえ両方論陣が問題と思いますね」とHegel流、じゃ「陰謀か!?」。世界の解釈である)。大河篤姫で「双方の言い分を聞いてこそと言う」と。左右同盟の根拠でもある。
       そう反米左右同盟・・は「米幕府に、Americanizeフェミズム一元化画一市場主義de日本滅ぼしに、大西洋暗黒海の呑みこみに、Satan宇宙機械世界化に対抗するために、いっそ左っ右同盟なんてどうすか?・・」。なんじゃっち?。冗談でしょ?(この冗談はどっちへの問いなんだ)。つーか・・?。
       そして最後はギリギリで幕府Amerika西洋AbendLand(夕陽の大地)文明の中核と手を握る妥協戦略・・が龍馬らしいか。これを誰も言わない、挙国一致で日本取戻しすら言わない経済一色画一主義aペテン国。あるいはもしや左右は戦後近代の座標と土俵か・・左にはこれ、右にはこれと与えられた思考。これが戦後レジームいや近代レジームAncient。しかしぶっ壊す仏革命はよくない。容易に混乱多大な犠牲なった歴史の前例あるゆえaペテンも同じ。歴史主義の必要。言っておくがいわゆる運命予定終末歴史主義ではない。これ同様に人間の理性を理系は信仰してるのか。それこそ科学教の傲慢。神になれると思ってるか?。
    しかし「大体です!∞」講義(笑)は京大ダイタイ先生伝説である。で関連、代替エネルギー経済社会論の申し分ないが新しいようでなぜか旧来的な既視感は何故か・・(先ずさんざいわれてることだしな正に実践だけで慢心の独り歩き。原発政策は留保する。判断は慎重にと言う人も右でなくても普通でも多いぞ。が広く長期に見れば創造社会方向が正しいだろう、国民の安全保障は当然の国責務である経世済民の理想論。しかし推進側も現場交渉的な責任感の重みがある、自民党のように。ある人が原発には議論がないから不安と言っていたが、これはマスコミ暴力革命転覆主義の危険を直感してのことだろう。反対派は他との全体的関連を忘れてるように僕には見える、一足飛びの理想論の混乱危険は。絶対主義の危険。ともかくこれさえ実現すればバラ色ユトピア待ってます万歳勝利マンション、こういうのには与せない。ただし理想方向は望むところだ安心しろ。しかしその目的の為の手段犠牲について「道義」について言っている。Marx、ただしStepをと朝日新聞でも)。あの領域は「それはとても貴重ですね」何が足りない。実に不自然なにわか環境問題ブームと同じで輸入的な大西洋だからだろう、リベラル世界の死角は独創がない砂漠。これもやはりAlieNationの危険・・何も変わっちゃいない。(関が原合戦での島津隊流「あれではパラダイムは何も変わらぬわ・・!!」。このセリフ郵政選挙の時も過ったな、あの熱気は物凄かったが。直感当たりどころか悪化。そして同じ殆ど漫画的な軍師コビズミである・・。環境問題さえ商人の利得の道具になってる偽善。まして嵌めルーンの笛吹のようなそよ風な殿?何がどんな芝居があってもおかしくないと考えてこそ慎重)。心捉えず意外と関心薄い。そう何故Hitlerはあれだけ支持熱狂された。冷ややかに見てただ中傷して国連化してこの20世紀大問題は解決するか。国連時代はバカと記録されるだろう。
       あと蛇足だが引用左派・・「不自然だよな・・」ここ「も」・・。政治原発都知事選震災を大義名分に、ちと僭越な態度と違うか・・?。ここでなぜMarx派を気許さないかと言ったらある会場で「あの、傘の袋は」と尋ねたら「え!?何!?」だけ・・まるで機械・・。翻訳「お前は革命の戦争に参加したんだから見た感じプチブルだから今日から同志の戦士だ部品だ。だからつべこべ言わすに敵を倒すために闘争しろ」。いきなり他人を明石家さんまか誰かの部下と思ってるらしい唖然。究極には「世界の国連ロックフェラーの部下になりかた。これを読め」?。よって傲慢は遠慮ぜよ。
     更に関連で深い意味はないが思い出した場面を以下に再現。大河の徳川葵だ。
使い番「島津殿!!。何をぐずぐずされてるかいますぐ出陣されよ!!急がれよ!!」。島津豊久「・・下馬せぬかー!!。叩っ殺すどー!!」。石田三成「先ほどは部下が失礼した」中略。「・・何と・・何を申される・・!!。今は、戦の最中ではござらぬか・・!!(今の日本はまだだけどね。いや戦中だよなあ確かに)」。(この場面で少し滑稽なテーマが流れる。確かに一面笑える、命名シリアス漫才。島津豊久のマジさが面白い)。その豊久「・・いかにも・・戦の最中!!。中略。しかし、おはんのあの時の傲慢さは今でも耳にこびりついておるわ!!。わしらは動かぬ!!。時を待つ・・。死なばその時まで!!・・」(ここで軍師官兵衛登場すれば「命を大切にされよ!!」か)(そうだなこのぶっ飛び提言ブログは既にフェミズム世界帝国を敵中突破でもある、考えようによっては笑)(ところで震災でも災後だのとちっとも変わらぬ日本)。「・・以上じゃ・・」「(三成も今こうしてつむじ曲げた青年武将と押し問答してる場合でもなく止む無く戻った)」(この場面は司馬氏特有のユモアだが。そうだな歴ドラマで爆笑は影武者家康以外にこれがあったな)。・・以上引用・・。今の気分と決してそのままイコールではないがねだが岩猿を得ない思い出したのさ(この大河コントがここで登場するとはな)。(あの上から目線の侍頭には武道はあっても武士道は理想心はなかったんだろう。ゆえ反感買った)。文なくして武なし!!。徳なくして政治なし!!。俺の血が言うんだ。なにゆえ将軍は天皇に敬意評したか。更に家康には厭離穢土欣求浄土と言う文があった、三成には大一大万大吉と言う文があった。いずれも当時の群を抜く文、思想である。ゆえああまでなった。現代はaペテン筆頭に根底の思想のない政策屋だらけである。(ついでに言えば、日本武士道風には敵陣にも敬意払うって伝統がある。ああまで右派を敵陣を罵倒することはあっていいのかとも思ってんじゃね?。それとも意識の遅れたとか辻本社民党的な進歩信仰の言いようか?)。以上は武士道と言うか人道だな。へりくだり謙虚さこそ日本流。上にー上にー時代をあるいは目的暴力革命論を吸ってるか。なにゆえ西洋猿真似日本が英米帝国に反感買ったかとも恐らく関連だろう(輸入した傲慢な目的革命論が背後に見え隠れするから話聞く方は白ける反感反発する。Roma帝国曰く、人よりも原理が重要)。いつか述べたが、俄か猿真似の帝国主義問題は文明的にも男女東西摩擦とも同問題だ。それが現代!!戦中。俺は右派ではない。左右なし。歴史主義はこういうのも入るのである。
  となればここで大河官兵衛感想引用。
大河王道は歓迎されどジェンダーフリー匂い  採点:4
大河王道復活兆しよし。勝鬨の嚆矢と光セリフで4(本当に重く響いた。これこそ大河王道だ)が唖然場面で3。感情的に武兵衛を一喝とはそれこそ女らしくないジェンダフリ公害的現代ドラマ迎合(男らしくと性差別しておいて自分は女らしくない自己矛盾漫才。あとケチは唖然無性に腹立った。男子半裸でまた女媚びのイヌHK)。因みに女尊だったという信長、前に雑誌「ここまで男性が(フェミストに)ボロカス言われるとは予見せずだろう」と誹謗に書かれた不名誉あり。いつも男が悪者になるが(Utopia曰く盗人出ずともいい社会環境を。秀吉風)。じゃ天地人信長風に「女なら社長が感情的になっても侮辱罪ヘイトしても許されるか?・」と一睨み。光、女なら東洋流の奥ゆかしさで迫れ。さすれば重みも出た。猿真似は軽いし男女摩擦を生む、戦前日米のように。かつて皇后が男女平等化は本質価値(陰陽だろう)を失うと予見した断面が見えてこそ日本人の生き残り。が家康風には「大河がこれでは日本人の先が思いやられる・・」。嚆矢の勝鬨が勿体ない霞む。ただ同場面は大きく大河原点名誉を回復したと言える。天晴れBravo。
       戻り、あるいはこれがマスコミ用だ。オウム返しに「震災で日本も変わる。災後」・・何かこれおかしかね?。じゃ犠牲者は改革の変革の人柱か。人の不幸を踏み台に日本を変えると言いだす?誰らが言いだしっぺか知らんが何か大事件起きたら突っついてくる感覚の無礼非礼。(上野フェミズム徹底批判リテラシーする大人な女の人でも鸚鵡返ししてた。前に引用の人様を幸不幸に神様守られそうでないに分ける女はもちろん論外中の論外)。島津豊久流にはこの空気にも無性にムカついておった。大事件をきっかけにするか?。それにReActionじゃん。ゆえに原発専門化が嵌められた関東軍の暴走にも見えなくもない。関東軍も善意で人工国合衆国を創ろうとした。そう進むも地獄、戻るも地獄の226事件感覚は戦後日本人は忘れてはならないのではないか。当時は現代である歴史である。足尾銅山での田中正造の働きかけを地元農民が結局頑として受け入れなかった心のひだ背景、これへの文学的想像力が欠けている。
      実は左派から前にもあったな不自然な流れが僭越。一方で右の方はseinで割と自然だった(他。フェミズム殲滅運動には加勢中。いつもは「社会の荒廃」で検索。フェミズム批判否定の鋭角論陣。リンクも多い。俺はちともっと広範囲からの角度が必要かと思っての方策中)(そう左派にはやはり神不在の特有の人為的な何らかの工作意図があるものと見える。連中には妙な感じのプライドある。他人より上に上にとは自信なさ弱さの裏返し謙虚なし。Marx天井を?上に超えるのはユルサナーイ的戦後。ゆえこの前の湯川れい子もそうだが他者を執拗に異常にまで尋常ないまでに貶める、実に左翼。これは教育問題。相手に「渡し」してるものが何かその不可視の作用を見据えれば、戦時中もそうだった「一見」正しそうなMarx目的暴力改革論には攪乱されない。そういう手段問わずの暴力暴言侮辱罪を(先の石田三成の親友の大谷吉嗣が「敵陣にも敵陣なりの理屈があろう」と苦言。あるいは右翼は国家権力の番犬?じゃ左翼は世界グローバル共産革命の番犬。原理的に同じ貉だ)を注意しないってのも情けない非武士道、文の蔑視の武では江戸創造は不可能な穢土時代の持続。来る明治時代の遺産になれない、維新直後で即効で暴走のそれこそ大戦争だろう(ここで細木おばさん登場、がそう言えば信長を傍若無人と批判。そして光秀を文武両道と評価。ちと信長派の俺個人的には複雑だったが珍しい勇気の場面。例えば雑誌で伊達政宗がたくさん人を殺めたのであの世で苦しんでると憑依伝令。供養続けると光になって飛んで行ったと。実は俺も大河秀吉で信長の「ああいうものは全て人をたぶらかす絵空事じゃ!!」と秀吉を殴る迫真鬼気迫る演技に感動共鳴して、心ならずも無神論に走りかけたことがある義の心で、その論も分かる、理由知ってるから。その時にあまり評判よくない団体だったがそれ気づかせたことあり。そっちはどうなんだ。今はそういうのじゃないな・・何か違うぞ・・)。妙なことに妙に寛容なのも戦後護持派の特徴であるリベラル。政治一致さえあればいい後はいいから一切不問の、割り切り消費ジユー空間というは実に近代共産党的(ある女のブログでもその分裂系は見かけたな。その政府への左翼的攻撃が政権後には次は人民に向かうと思った人もいるだろう)。手段犠牲の目的至上論には与さない、既視感。この前のMarxの教訓じゃん)。
     (しかしあの時の不自然片割れはもう少しうまかったぞ。何がこうさせるか考えたことある?。その瞬間、俺は見逃さない、手段蹂躙目的論。俺の批判の核だからなこれは絶対に譲れぬね。最も大事な歴史教訓である、意外や先の戦争をも含むだろう・・何があった当時・・?)。戦後レジームを超えるのが気に入らないか。共産党も皆も誤魔化してるな。(そうかなあ。Netの右いや保守はこの窒息戦後でまだしも日本の救いだろ。体制に反逆して本来の日本に目覚めようとしてること自体はいい傾向。俺は光を見たな。思慮のないマスコミの安直暴力とは全然世界が違う。まあ悪いのもちらと見かけるが微々たる。まだこれからかな)。
       そうここで朝日新聞でさえだったがある論者が、Marxは結局憎しみつまりヘイトで、要は空想社会主義(環境通貨運動)筆頭を内ゲバに攻撃した、ヘイト憎しみ思想だったと。左Marxには光が見えなかったからか、あるいはあっても噂通り与えられた人工の光だったからか。ゆえもう一人のKarl流には、平気で人間の尊厳を犠牲にしていく途中機能遂行の目的革命論で進軍する奴らにも原則乗らない(フェミズムはMarx以上にもっと狭隘に露骨に厚顔無恥に他者を犠牲にする唖然。現に警鐘は殆どフェミラー論。marxレーニンにあるいはフェミ小説に従っていずれ男性を虐殺しつくし、更に飽き足らず新たな敵を捜しての対外戦争軍拡へと東洋女性の警鐘。フェミラー。確かに原理とこの扇動風景様相を見れば大いにあり得る・・かつて類似があったんだしな。そうしようと小説にも書いてるじゃん。理系教授は文を蔑視で狭いからフェミズム史観を鵜呑みにする、これも文なくしての専門バカだな)。歴史伝統知恵が教える所、gradualな漸進主義か日本的調整調和主義こそ最も賢明、そして無神論でない微細な精霊の光が見えてこそ、石原莞爾が批判の満州コピー暴走させた輸入西洋高圧覇道の核兵器威嚇下心のない真の武士道である、実にSimple(実にあれじゃ旧時代の風景だ)。ああもなぜMarxは複雑にしたのか。なぜあの運動伝説は身内いわゆる内ゲバ暴力を「武力を」生んだのか、平和な共産国家には何が欠けていた。何を絶対視した。自由と平等いなWikiの言う図式ではないと思う。
      とにかく自由で平等であるという左右の不毛な上にいかにもいかがわしい偽善臭いの近代原理超え(orわざと紛争火種を世界に放ったのか。どっちかの側に付くをせずのゆえん。塔ブログは左右ない歴史主義である)。司馬遼太郎氏曰く、政治とは他者の抹殺。ということはそこに一神教の下での円環は和はない。UnitedShipArtはない。

全体部分で全部。「全」「部」統合。NewtonSmith信長ロボットの指揮を超えねばよ。部分部分個人個人に還元主義にならずに全体をも神をも含む、その労力、一人個々人で無力と謙虚に思うならUnitedShipArtでこの国の形を形成せねばならない。
       やはり先ずは全体主義を共通主義と言い換えてみることを提唱。Smith経済全体主義は市民の共感に期待した。しかしこれはあやふやすぎる、知価社会の悪い面は異常主観の楽に流れること、それこそコビズミ戦争。それより間に共通Commonを見出す客観状態の努力、それは法を見出すことでもある・・実にFrontierungだ(そうなってない一方的風景の短絡バカ国家。or天地人の伊達政宗流「Ruleとは心あるものが創っていくもの・・」)。程よい苦となる思考。これは個人主義思考に比べて完全な楽ではないGoldsmith的、創造作業のようでもある。ああでもこうでもとそれこそ細かく手の中を回転させる、そのうちサイコロの一が出る末に共通が見えてくる、実に根気の歴史主義。日本伝統経済にはちゃんとあった通貨相互作用の主体性ではないが、これを基礎原理とする経済を「発明」(笑)いな再現すべき温故知新。安直な原理は奉還すべし事。
     これが当初は僕のSimple実践理論だったが。どこで宙に浮いた?。記憶がない・・何を忘れた・・何で・・。俺・・?。こういう再生が物語りの必要。モノガタリ教ではない。おいおいと。
今回は余裕あったが義で書いたので若干流れて御免。誰かが政治を国と言わねばな。題名。国、経世済民、教育である。

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