光のかけ橋

心と癒しの世界

マニプラチャクラが目覚める

2011-10-30 18:29:24 | Weblog
このマニプラチャクラ(ソ―ラプレクサス)が目覚める事はとても身体に良い影響があります。

内臓のあまり良くない方はマニプラを活性化するといいですね。

日本中にヨガ講師が沢山いますが、あまり体験を語るティチャ―がいないですから

自分の体験した事を少し書きたいと思います。

自分はヨガの講師ではないですから、

ヨガの講師に主事されたらいいですね。

でも、自分の体験した事が少しでも参考になれば嬉しいですね。


もう~随分昔になりましたね(笑)

まず、いつものように呼吸を整えていました。

その後にプラナの気とアパナの気がマニプラに合流するイメージを使って続けていると、

爆発ではないんですが、そういう感覚や衝撃がありました。

竜巻(ボルティクス)がマニプラの上に現れて、

それがマニプラの中に入っていったというか?

沈んでいったような感覚を持ちました。

その気と気のぶつかり合いと言うか?

衝撃の大きさには少し不安になりました。

あえて例えるのなら雷がマニプラ付近に落ちて、その振動で内臓全体が、

振動している感じです。

その時の感覚はこれでは膵臓(ホルモン)を痛めるかなぁ~?

痛める可能性があると感じがしました。

人間の身体はほんと不思議なものですね。

これを言うと語弊があるかもしれませんが、マニプラへの精神集中か?

それともプラナとアパナの結合かわからないですが、実際膵蔵への影響は出来ましたね。

少し膵蔵の数値上がっていました(汗)

だから試みたい方は、経験豊富なヨガ講師に主事された方がいいですよ。


まぁ~これらの体験だけで目覚める言うのにはどうですかね。

まず心を解放をしないといけないんです。

心の浄化が大切だと思います。

蝶がガラスごとしに外に出でいこうと思っても出て行かれないのと同じなんです。

このガラスごしから自由になって、外に出ないといけないんですね。

意識が広がり、このガラスごとを破って、外の空間に出ていかないといけないのです。

その意識が広がっていかないといけませんね。

それには瞑想を続ける事が大切です。


本山博先生の書物に記載されています。  

へそでプラナとアパナを結合させるのを目的としています。

なぜなら、プラナとアパナの結合によってのみ、脊髄中のマニプラチャクラ(ソ―ラプレクサス)が真に目覚めるからなのです。

シッダナ―アーサナをとり、チャムドラをとって、眼を閉じ、鼻端を見て、眼球を鼻端の方向に集めます。

それから心をへそに集中し、行法第三部の方向にしたがって、吸う息と同時にプラナとアパナかへそに向かうと思念します。

次に息を止め、へそでプラナとアパナが結合すると思念します。

ついで、息を吐きす。この行法を20分~30~繰り返すとよいでしょう。


密教ヨーガ―タントラヨーガの本質と秘法 [単行本]
本山 博 (著)

■ 経典の中にある明けの明星

2011-10-25 09:13:28 | Weblog
明けの明星とは金星は自ら光っているわけではないのだけど、

地球から見るとどの恒星よりも明るく輝いていると言われています。

「一番星」「よいの明星」「あけの明星」などの名で親しまれていますね。

これから自分がいう明け明星は夜空に輝く金星の輝きやまたたきの事を言っているのではありません。

お釈迦様や弘法大師空海が残している経典の中にある明けの明星の事についてです。


お釈迦様は今からおよそ2500年前南インドにて、12月8日の暁、

菩提樹の繁みの下であけの明星のきらめく頃、悪魔を退け悟りを開かれた言われています。

1000年前に高名な弘法大師空海が阿波の大滝に登り、

土佐の室戸埼で、求聞持法の修業に励んだところ、谷はこだまし明星があらわれたと言われがあります。


また密教超能力の秘密の書物に記載されていますが、空に星が現れるのではない。

内的霊視を物語っいると書かれています。

弘法大師空海が阿波の大滝にのぼり、土佐の室戸崎でこの法の修業に励んだところ、谷はこだまし明星があらわれると。この法即ち、求聞持法のことであるが、これを鵜呑みにしてはならない。これは内的霊視を物語っているのであって、実際に空に星が現れることをいっているのではない。
(密教超能力の秘密)桐山靖雄著、

もし、それか本当ならサードアイの開花の事を言っているのでしょうかね?

お釈迦様の絵や像を見た事があると思いますが、

お釈迦様の額に、小さなボタンのようなものがついていると思います。

これは眉間にアジナチャクラ(サードアイ)が開花して現れたものを白毫と呼ばれているみたいですね。


第三の眼が開花する前には眉間に蟻のくすぐり、眉間あたりからスースするような感覚があったりするかなと思います。

入浴時に湯船につかって居る時やリラックスしている時などは光点がポツリと出現したりします。


深い澄み切った瞑想状態に入る前には悪魔とか蛇、サソリやいろいろな魔境が現れると言われがあります。

お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開く寸前には、悪魔がきれいな女の姿で出て来て盛んに誘惑したり、

恐ろしい化け物の姿をして殺そうとしたことなどが伝えられています。

心の進化の途中では必ず邪魔をする魔が現れたりします

魔の対処の仕方は、この魔はいつかは滅びるもの、どんなに怖くても恐ろしくても、

アワヅブのような存在しかないし、いつかは消えていなくなるものと平気でいる事が大切なんですね。。


自分もあけの明星のままたきの前には、蛇や大蛇、サソリとか得体のしれないものが現れましたね。

これは禅などでは、魔境と言われるものですね。

昔から相手にしなさんなと言われるものだと思います。


そしてとても澄みきった状態になっていたその時に、

暗闇から一筋の紫色の光が眉間の中央に注入して来て、光がまたたき始めました。

この感覚は筆舌に尽くしがたいですね

人間とは何か?

何者か?と思いましたね。

この紫色のまたたきは、生きているアメーバ―のように少しずつ変化しながら、形が変わって行きました。

そして密教などの曼荼羅の絵がありますが、その曼荼羅の絵と同じような感じです。

密教などの曼荼羅絵は宇宙観を表しているのでしょうかね。

その曼荼羅絵のような明星のまたたきは、自分の眉間の奥からはもう~二度と消える事はありませんでした。

眼を開けていても、閉じていても第三の眼の渦は自分の器官の一部になっています。



虚空蔵菩薩求聞持法

御大師様(弘法大師空海)

「三教指帰」に「阿国大滝嶽に躋り攀ち、土州室戸崎に勤念す。谷響を惜しまず、明星来影す。」
御大師様(弘法大師空海)が求聞持法を修されたことが書かれております。

御真言(マントラ)壱百万遍、御唱えします。どんな御真言かと言いますと、虚空蔵菩薩の御真言です。

御真言はノウボウアカシャ ギャラバヤ オンアリ キャマリ ボ(ウ)リソワカと言います。

壱百万遍を百日間で唱えるとすると一日、一座一万遍唱えます。又は五十日、七十五日間などもあります。

五十日間で修行する方が多いようです。五十日間ですと一日、二座(二回拝む)一座一万遍で二万遍にな ります。

一座終わるには個人差が有りますが五~六時間程かかります。いろいろ細かいきまりがあります。

悔い改めや反省

2011-10-01 19:38:40 | Weblog
常勝思考を実践されている方や光明思考の実践されている方も沢山いると思います。

自分としては、カトリックの悔い改めや仏教の反省をおもんじています。

光明思想を取り入れている方がいましたが、その方が言うのには、

光明思考には自分の心を曇らさずとも、光明思考光一色になれば心の曇りもないと言われる方もいましたね。

自分が感じた事は、常勝思考と光明思想がごっちゃまぜになっているような感じがしましたけど、

それはその方が心が調和に叶った方だからそう言えると思いましたが、

凡人には何処が間違っているのかさえ解からなくなり、とても危険な事もあると思います。

それはその方の思想でありますから、全ての方が光明思想に適しているとは限らないと思いますよ。

暴走するタイプの方には常勝思考や光明思考はあまり適さないと思いましたね。

そんな方はお釈迦様の言われるような、右にも左にも片寄らない中道の道を歩んで行く事が大切だと思います。

はやく言えば極端に偏らない事なんだと思います。

アクセルだけの自動車は危険だから、自動車にはブレーキもアクセルもいるからと、

昔、常勝思想を取り入れて、実践している方に言った事がありましたね。

その方は常勝思想などは明ると照らせば、影は消えてなくなる。

だから悔い改めも反省もいらないと言っていました。

これは確かに一理はあると思います。

どの思想を持つかは、これは人それぞれの選択ですからね。


昔飲み屋でよく見かけましたが、先輩が後輩におまえのこう言うところがいけないんだ。

くどくど説教じみた事を話していましたが、また何かを言うとお前のこう言ったところが駄目なんだ、

反省しろの繰り返しで、もぐら叩きみたいなものだなぁ~

側から見ていると、呆気に囚われてしまいました。

これじゃあ~後輩は何も言われないですよね。

ただ先輩の言っている事にハイハイと合わせないと永遠に説教が続きますからね。

またこう言った事を言いますと、批判と取られてしまいそうですが、

あくまで自分の見解ですからね。

スピリチャルなものに足をツっ込んだりした方によくいるんですね。

何かにつけて、あげ足を取ったり、批判したり、自分の考えを言えばまた、あげ足を取る方がいるんです。

だからあまり書けなくなる時もあります。

自分としてはこう言った方とは、お付き合いはしないですね。

外野の声は聞かないんです(笑)

こう言った方とはまったく合わないですからね。

自分は自分の道をゆくでいいです。


常勝思考や光明思考と言われるものも、もちろん使ったりしていますが、ネガティブな思考になっている時などは特に使ったりします。

振り子の原理ではないですけど、バランスを取り戻さなといけません。

本来の自分を取り戻さないといけませんからね。

でも、良く脱線していますが(涙)

悔い改めや反省のことなんですけど、反省して、ネガティヴになってもっと不安になったという方がいまして、

反省は心暗くなるから駄目だと言っていましたが、自分を向上するようにして行くような反省が大切なんだと思います。

瞑想する時には瞑想して、お酒をのんでワイワイする時はワイワイして、仕事する時にはきちんと仕事をして、
一つ一つをきちんと考え事をしないで、やるという事が大事な事なんですね。

まるで禅の食事の時のようなものです。

自分は食事の時に無意識で、考え事をしていまして、よく和尚さんに怒られました(汗)

それだから座禅中に考え事をするんだ、一つ一つきちんとしなさいと言われましたね。

これは非常に大切な事だとつくづく思いました。


高橋信次師は反省の事についてこう言っています。

釈迦の瞑想の目的は反省にあって一日二十四時間の、正しい生活をめざすものであったと高橋信次師は教えた。

瞑想のための瞑想ではない瞑想的反省は、こうした心のゆがみを修正して本来の丸い豊かな心にするためにあるのである。

反省する場合に大事なことは、まず自分の善い所、長所をしっかりと知り、

自分にはこういうよい所があることを確認した上で、悪い所欠点はないか、ということを反省することである。

そのような反省をすると、欠点を長所に置き替えることが楽になる。

ところが反省というと、悪い欠点だけを探そうとするから、反省することが苦しくなり、

自分がいやになる。そして、悪い所だけ、不満足な点だけを見つけて探し出しているから人生が暗くなり、

自殺者が出たりするのは、そういう反省をするからであると知らねばならない。

 
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