光のかけ橋

心と癒しの世界

悔い改めや反省

2011-10-01 19:38:40 | Weblog
常勝思考を実践されている方や光明思考の実践されている方も沢山いると思います。

自分としては、カトリックの悔い改めや仏教の反省をおもんじています。

光明思想を取り入れている方がいましたが、その方が言うのには、

光明思考には自分の心を曇らさずとも、光明思考光一色になれば心の曇りもないと言われる方もいましたね。

自分が感じた事は、常勝思考と光明思想がごっちゃまぜになっているような感じがしましたけど、

それはその方が心が調和に叶った方だからそう言えると思いましたが、

凡人には何処が間違っているのかさえ解からなくなり、とても危険な事もあると思います。

それはその方の思想でありますから、全ての方が光明思想に適しているとは限らないと思いますよ。

暴走するタイプの方には常勝思考や光明思考はあまり適さないと思いましたね。

そんな方はお釈迦様の言われるような、右にも左にも片寄らない中道の道を歩んで行く事が大切だと思います。

はやく言えば極端に偏らない事なんだと思います。

アクセルだけの自動車は危険だから、自動車にはブレーキもアクセルもいるからと、

昔、常勝思想を取り入れて、実践している方に言った事がありましたね。

その方は常勝思想などは明ると照らせば、影は消えてなくなる。

だから悔い改めも反省もいらないと言っていました。

これは確かに一理はあると思います。

どの思想を持つかは、これは人それぞれの選択ですからね。


昔飲み屋でよく見かけましたが、先輩が後輩におまえのこう言うところがいけないんだ。

くどくど説教じみた事を話していましたが、また何かを言うとお前のこう言ったところが駄目なんだ、

反省しろの繰り返しで、もぐら叩きみたいなものだなぁ~

側から見ていると、呆気に囚われてしまいました。

これじゃあ~後輩は何も言われないですよね。

ただ先輩の言っている事にハイハイと合わせないと永遠に説教が続きますからね。

またこう言った事を言いますと、批判と取られてしまいそうですが、

あくまで自分の見解ですからね。

スピリチャルなものに足をツっ込んだりした方によくいるんですね。

何かにつけて、あげ足を取ったり、批判したり、自分の考えを言えばまた、あげ足を取る方がいるんです。

だからあまり書けなくなる時もあります。

自分としてはこう言った方とは、お付き合いはしないですね。

外野の声は聞かないんです(笑)

こう言った方とはまったく合わないですからね。

自分は自分の道をゆくでいいです。


常勝思考や光明思考と言われるものも、もちろん使ったりしていますが、ネガティブな思考になっている時などは特に使ったりします。

振り子の原理ではないですけど、バランスを取り戻さなといけません。

本来の自分を取り戻さないといけませんからね。

でも、良く脱線していますが(涙)

悔い改めや反省のことなんですけど、反省して、ネガティヴになってもっと不安になったという方がいまして、

反省は心暗くなるから駄目だと言っていましたが、自分を向上するようにして行くような反省が大切なんだと思います。

瞑想する時には瞑想して、お酒をのんでワイワイする時はワイワイして、仕事する時にはきちんと仕事をして、
一つ一つをきちんと考え事をしないで、やるという事が大事な事なんですね。

まるで禅の食事の時のようなものです。

自分は食事の時に無意識で、考え事をしていまして、よく和尚さんに怒られました(汗)

それだから座禅中に考え事をするんだ、一つ一つきちんとしなさいと言われましたね。

これは非常に大切な事だとつくづく思いました。


高橋信次師は反省の事についてこう言っています。

釈迦の瞑想の目的は反省にあって一日二十四時間の、正しい生活をめざすものであったと高橋信次師は教えた。

瞑想のための瞑想ではない瞑想的反省は、こうした心のゆがみを修正して本来の丸い豊かな心にするためにあるのである。

反省する場合に大事なことは、まず自分の善い所、長所をしっかりと知り、

自分にはこういうよい所があることを確認した上で、悪い所欠点はないか、ということを反省することである。

そのような反省をすると、欠点を長所に置き替えることが楽になる。

ところが反省というと、悪い欠点だけを探そうとするから、反省することが苦しくなり、

自分がいやになる。そして、悪い所だけ、不満足な点だけを見つけて探し出しているから人生が暗くなり、

自殺者が出たりするのは、そういう反省をするからであると知らねばならない。

 
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