光のかけ橋

心と癒しの世界

覚醒体験

2011-02-24 23:21:35 | Weblog
バーソロミューの書籍に記載されています。

もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。

その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。

その鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったのです。


お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりません。

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこりほほ笑まれました。

このお釈迦様が一輪の蓮の花をお示しになり、見てにっこりされたと言う事は、

お釈迦様の悟りが摩詞迦葉尊者の心から心に伝わっていったものだと思います。

そこに居た大勢の修行者の方はみんな理解できてなかったというものです。


山田無門老師こう述べています。

隠室に独参して、門答する為に入室しての帰りに、本堂のイチョウを見たときに、飛び上がるほど驚いた。

私の心は忽然ととして開けた。

無は爆発して妙有の世界が現前したのです。

隠寮に走って、参禅したら、公案の問題は出せれたが、その場で解決された。

すべては新しい。すべては美しい。すべては真実です。

すべては光っている、そしてすべては自己である。


これは覚醒体験を述べられていると思います。

スピリチャルな事をしていたり、またそれを目指している方がいっぱいいますが、

こういた体験は極めて稀なことだと言われています。

それは正道を実践されている師の下で、ご指導を仰ぎながら正法を学び、正道を実践する以外は道は開けないものだと思います。

一人よがりの覚醒や霊的目的ばかりを追求していては、危険なゆえに自己満足の世界に浸り、

進化の過程を遅らす事にもなりかねません。

お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになった意味も、

鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったその意味が解かったとしても、

クンダリニー覚醒をした秘伝者は日本いや世界でも滅多にない体験だと言われても、

覚醒や悟り(見性)体験しても、体験したから霊性が高いと言う事ではないと思います。

体験はあくまでも体験だと思います。

失礼があったらいけないから、これはあえていいますが、古庵個人の見解です。

西遊記の話の中に孫悟空が雲に乗ったりして遠く走り、そこで見つけた柱に自分の名前を書いて得意になって、

帰ってきて報告をしたらそれはお釈迦さまの指に書いた名前だったと言う話がありました。

所詮威張ってみても、やってることは小さいと諭した話がありました。

イエス様の愛やお釈迦様の慈悲を説いておられる、実践してこそ霊性が高くなるものだと思っています。

古庵個人の見解は心の進化の過程であって、広大無辺な悟りの中ではほんの少し入り口に入っただけだと思っています

今まで体験した事は西遊記の話の中のように、お釈迦様の手の中のちっぽけな存在です。


高橋信次先生は言っておられます。

八正道は己の心を中道という調和に引き戻す神の模範、心が自然についていける自分自身になった時に初めて菩薩の行が整ってくると言われています。

八正道も知らず、心の調和も為し得ない者には菩薩行は為し得ないと、高橋信次先生や園頭広周師がおっしゃる理由がまさにここにあります。

八正道は小乗であって、小さな悟りと言われているそうですが、正法には大乗も小乗もないそうです。

八正道が実践できてこそ、霊性が高いと言われるものだと思っています。



人生は思っているよりも短い

2011-02-15 08:09:44 | Weblog
今年の大河ドラマが始まっていますが、信長が江との会話のひとコマの中に、

信長は江の前に進み出て、じっと目を見て、言いました。

「己の信じる道を行け、江」

「思うておるより、時は早い。人生は、短いぞ」というものがありました。

そう~人生というものはとかく短いものだと思います。

ほんと思っているよりも早いものだと感じています。


多くの人々は、心の宝を眠らせたまま、五官に振り回され、一生過ごしてしまっていると言われています。

人の深層意識はテープレコーダーと同じように、二十四時間、テープが回転し、その方の想念と行為を記憶し続けています。

あの世へ持って帰れるものは、人生航路で経験した一切の善と悪、記憶された想念と行為である。
だから私達は、一日一日を最善の努力で悔いなくすごすべきなのだ。
(高橋信次著 『心の発見 科学篇』 46頁)

私達がこの世を去るときには、経済も地位も名誉も持っていくことができないこと、人生経験の善悪に対する一切が記憶された意識、すなわち魂を持っていくのみであることを悟るならば、
(高橋信次著 『心の発見 科学篇』 113頁)

あの世に帰って、シマッタと気ずいても遅いのです。

片寄った考え方、ものの見方が執着となり、苦しみの原因を作ってしまいますから、

明るく調和された生活をして行く事が大事なんだと思っています。

まずは、良い種を蒔き、悪い種は極力蒔かずに、

正道に叶った思いと行いを実践されたらと思っています。

お釈迦様の教え

2011-02-14 21:24:31 | Weblog
○ 人は人に与えた喜び、悲しみだけをもってあの世に逝くのだ・・・釈迦

  釈迦は来世のために今、世の中に善い事をたくさんして功徳を積めと説かれています。

○ 人間の修行とは、他人に喜びを与えることである

○ 心を作るのは言葉、言葉は心のあらわれ

  人の心を楽にする言葉をいつも心がけて使うことが大切です

○ 心を磨くとは、周囲に感謝し、人に喜ばれる存在になる。

○ 心とからだにいいことをしよう


  ★ 身体にいい事(暴飲・暴食に気をつける。禁煙・適度な運動・バランスのいい食事・休養・など)

  ★ 心にいい事(プラス思考・ストレスを残さない・皆さんに喜んでもらえることをする。
正しい行い・正しい言葉使い・苦難を感謝の心でうけとめる等)

  ★ 仏心(魂)が一番喜ぶ心とは・・・・慈悲の心(他に対する思いやりの心)感謝の心など。
 
  ★ 仏心(魂)が一番嫌う心とは・・・・欲望・怒り・愚痴(道理をわきまえない愚かな心の事)

  ◎ 仏心とは、本来一切の衆生(しゅじょう)に本来備わっている仏性のことで、自分のことはさておいても、
           世のため人のためにつくそうという心です。自分を中心とするから苦しむのです。
           仏心に目覚めれば苦労も生き甲斐に変わるのです。

  ★ 衆生(しゅじょう)とは、この世に生を受けたもの全てを意味する仏教用語。
                特に、業の深き人間を指すことが多い。

   ◎思うままにならないことを思うままにしようとすると、四苦八苦 になるわけですよ。
    思うままにならないことを思うままにしようとしなければ、
    それなりに 楽しく生きる 方法はあるわけです。

(著者:ひろ さちや こころが軽くなる御仏の智恵 より)


高橋信次先生などは、悪循環の最たるものは、愚痴、怒り、足る事をしらぬ欲望だと言っています。

今世の原因が清算されない時には、あの世に持ち越し、来世でおさらいしなければなりません。

もう一度、今世と同じような環境の下で修行し、己の魂をもう一度テストしなければならないのです。

こうしたところ原因があり、悪循環からなかなか抜け出せないのです。

この心の山毒をよくよく心してしなければなりません。

自分の失敗や罪を隠そうとしてはなりません。

内なる神の生命を表現すると言う試練に失敗したということなのですから、

成功するまで試みればよいのです。

だから反省しなければいけないが、いつまでも罪を嘆く必要はないのです。

倒れても起き上がれ、それでも倒れたらまた起き上がれ、あなたはついにそのことを成功するのです。