光のかけ橋

心と癒しの世界

白隠禅師の健康法軟酥(なんそ)の法

2007-09-27 13:16:22 | Weblog
禅僧、白隠禅師は臨済宗の興の祖として知られた人物だそうです。
猛烈な禅修行を始めましたが、頭はのぼせ上り、身体が氷雪のように冷えて、心は疲れ切って、夜も眠ることができず、幻覚を生ずるようになりまして、頭脳暖にして火の如し」「両眼常に涙を帯ぶ」「食消化なし」「衣に暖気無し」など十二の病状が現れたという。いわゆる「禅病」であったと言うものです。やがて白隠禅師は山中に棲む白幽という仙人から、養生と病気の予防について『軟酥の法』を授けられて、やっと克服することができたそうです。

『軟酥の法』
卵ぐらいの大きさの軟酥の丸薬を頭上に乗せたとイメージする。酥とは牛乳や羊の乳を煮つめた練乳(バターのようなもの)頭全体を潤し、ヒタヒタと水が浸透するように下りてきて、丸薬が頭上から足の裏まで流れ込んでくると想像する。
香りの色や清らかな卵ぐらいの軟酥を頭上に乗せて、それが身体の下部、両肩、両腕、、乳房、胸、肺、肝臓、腸、胃、背骨、尾骨へと流れていくように観ずる。

基本的な考えは頭寒足熱(下腹部から下肢および足の裏まで温かくし本来の健康体に近付ける技法だと思います。
自分でアレンジ〔カラーセラピー、呼吸法〕などを組み合わせて行なうのも良いと思いますよ。
この『軟酥の法』健康法は、自己健康法としてもすぐれた健康法と考えまして、ここに紹介いたしました。
詳しくは坐禅和讃の専門書とか専門家に問い合わせしてみてください。








内臓の機能が良くなる技法

2007-09-19 13:27:14 | Weblog
内臓の機能が良くなる技法

自分は若い時から内臓の機能があまり強い方ではなくて、幼少の時から標準体重よりもかなり低くて、
生まれ付き無意識の影響があったと思います。まず、複式呼吸を何回かした後に鼻から息を抜きながら下腹に少し圧力をかけ内臓に気が集まるように何回かすると内臓全体が温かくなり内臓が活発になります。
それと食後1時間ぐらいはしないようにしてくださいね。
但し内臓が活発になり体重が著しく増えますので、自分で自己管理がいる事もあると思いますよ。
内臓に気ボールを作ると思ってしても良いと思います。
胃とかの内臓に潰瘍がある場合はこの技法は中止して、手、足全体に気を集めた方が良いと思います。
内臓に病気がある場合は係り付けの医師などに必ず相談してください。
作用、副作用も自分の体験上あると思います。
何事も中道が大切な事だしあまりやり過ぎるとホルモンバランスが崩れかねませんので、注意しながらしてくださいね。
良くチャクラの覚醒に集中瞑想とかして、チャクラの目覚めを目的にして、自己流でチャクラ開発を行なっている人がいますが、
内臓にチャクラ集中するとすい臓とかのバランスも崩れることもありますので、経験豊富な師匠とかヨガの導師とかそれに医師に必ず指導、相談を受けるようにしてくださいね。
例えば普通の放出量が10だとするとチャクラの目覚めた人は100~1000という大きな放出量が表れると言われます。
〔クンダリニー覚醒で、その道で知らない者はいないと言われる巨匠の本山博氏などもチャクラを測定したりチャラ覚醒のワークなどしてますから詳しく知りたい方は相談などしては良いと思います。〕
それもひっくるめて、ヨガの導師とか講師とかにちゃんと指導されるほうが良いと思いますので、問い合わせしてください。







内観瞑想

2007-09-18 09:56:57 | Weblog
内観瞑想

指導者から適切なアドバイスを受けることを進めます。
指導者から提出されるテーマにそって〔お世話になった事、していただいたこと〕〔お返ししたこと〕〔迷惑をかけたこと〕を順々に調べて行きます。
最初のテーマは母親、父親、兄弟、そして、今日まで、接してきた人々に一人ずつ順に追って調べていくと言うものです。
テーマにそって、調べていきますと考え方の癖、自己中心的な思いと行ない、カルマの傾向性とかつまり提出されたテーマを調べて行くと自分がどんな人間なのか客観的に知る事ができるようになりますし心を浄化させる事ができると思います。
客観的にもの事をみるようになると調和された人生になれると思いますし人間関係のトラブルが解消するとか仕事関係が順調になったり病気が改善された事とかいろいろ効果があるみたいです。
それには指導者からの適切なテーマを与えられて、その与えられたテーマの考えを指導者に伝えたりまたは考えかたの方向性が違った場合は指導者からの適切なアドバイスを与えられたりするそうです。
経験豊富な指導者に指導を仰ぐのが良いと思います。
詳しくは内観道場などに問い合わせしてみてください。

観察者

2007-09-16 21:18:49 | Weblog
日頃何を思っているか、心の中を見つめた事がありますか?
思った事感じた事に流されていませんか?
朝起きてから寝るまでの間に常に何かを思い感じながら生活をしていると思います。
我々は想像する自由を常に与えられていると思いますし消極的な生きかたまたは積極的な生きかたもみな平等に選択できます。
人はどんな事でも自由に思う事ができますし原因・結果の法則によりどんな思いでも実現してしまいます。
思いは現実、結果は化けてくると師匠に聞かされた事があります
一瞬、一瞬、無数に流れてくる思いを無意識に取捨選択しながら普段行動してると思います。
この繰り返される癖と言うかパターンを意識的に変えていく事が大切な事だと思います。
意識的に観察者になると心の中の魔物の餌食になる事はなくなると思いますしその瞬間に気付けば変わると思いますし気が付かなければ変われないと思いますよ。
習慣化した無意識を何度も何度も繰り返し続けています。
その習慣化したものが消化されないものとして、何度も何度も繰り返しながらこの世に戻ってくるのだろうか?
習慣化した無意識に取捨選択されるのがいいのか?それとも観察者になって現実を想像するほうに取り組むのが良いのか?
我々人間は想像する自由を常に与えられていると思います。


祈り

2007-09-15 22:27:49 | Weblog
祈りは神に届いていると言われます。
ドリーン・バチューのエンジェルメッセージの中に祈りの事について書かれています。
※〔あなたがたすべての祈りの言葉は、神に届いています。神は苦しみ、悩み、答えを求める人々の祈りをすべて聞いています。そして、ほぼ祈ると同時に答えがもたらされているのです。〕
※〔祈りがもたらすものは、幸福と愛です。それ以外はありません。あなたの心が打ちひしがれ、不安に翻弄され、孤独感で満たされていたとしても、つねにわたしたちが癒しをおこなっていることを忘れないでください。望んだ結果が得られないことに絶望したり通じていないと独断したりして、祈りをやめないでください。あなたの祈りの言葉は、その一つひとつが神にとって重要なものなのです。祈りがあなたの願望どおりに実現するためには、さまざまな要素が必要となります。タイミングやあなたの関わり合う人の思い、そしてあなたが心に抱いている幸福感が完全に調和しなければなりません。祈りの望みどおりに実現しないときは、このうちの何かが欠けているのです。〕

祈りについて、少しお話ししたいと思います。自分の体験したことについて話すのは少し気がとがめますけど、
自分の体験した事が少しでも人の為になればと思いまして、過去にあった体験を少しお話ししたいと思います。。
過去に突然のアクシデントから車からほうり投げ出されて、手首と鎖骨の骨折、打撲により入院した事があります。
その当時は心の殻が開いて、心のエネルギー〔カルマのエネルギー〕が噴出している最中でした。
その影響で随分、苦しみました。普通の事でも大変な事ですけど、そのカルマの噴出中での出来事は耐えがたい苦しみに伴って、自分を持ちこたえるのは大変な辛さだったと思います。
それも走っている車からほうり投げ出されてしまいまして、骨折とか打撲を体験した人なら解ると思いますが、一晩中苦しみました。
自分は毎日の生活過程で、瞑想は欠かせないものになっています。
骨折と打撲でとても瞑想は出来ない状態でしたけど、姿勢を整えて、ナイチンゲール及び天の医師団に祈りました。身体は激しい熱と痛みに身を任せて、一生懸命祈りました。
下半身から身体の痛みの微熱とまた違った熱が下半身から上にあがって行くのが解りました。
我に返ったときに眉間に今にも消えそうな光を見ました。
自分の意識を少し抜くとその光が消えてしまうぐらいな微妙なものです。
調度、手動の映写機を回してる感じで、力を抜くとスクリーンに写らないと同じような感じでした。
その光の中で、一人の女性が現れて、少し会話をしました。
その波動と言うかステージーと言うかそこには二人しかいなくて、それがすべてでした。
はっと我にかえり気ずくとナイチンゲールだったとその映像から思いました。
よく祈りとかは幻想だと言われますけど、それはそれで良いと思います。
自分には本当の幻想でも偽りの幻想でもどうでもいいんです。
若い時にお世話になった山寺の禅の師匠の教えには思いを手放すと言う言い付けの教えがあります。
それをいつまでも執着せずとらわれず思いを手放しにすると言う事が大事だと思います。
人は祈る事はできますし祈りは神に届いていると思いますし瞑想から対象との区別がなくなった状態になればもっと祈りがより身近に感じられるようになれると思いますよ。
人間は神性なるものを持って生まれて来たと言われますしより多くの人がそれに気が付かずに眠ったままこの世の幕を閉じるのは勿体無いと思います。
永遠の今を目覚めて生きて行きたいものですね。