光のかけ橋

心と癒しの世界

宗教体験

2008-04-13 19:55:29 | Weblog
宗教体験

宗教も属してない自分が宗教を語るのは心苦しくてなりません。
山頂を目指して、登るのにどの方角から登っても結局同じ山頂にたどりつけると思っています。

真っ直ぐに登りつける者やいつまでも道に迷っている者やそれに間違っている道だと気がついて引き返す者
それでもいつかは同じ山頂に登りつける事ができると思います。

どの宗教にも属していない自分が宗教体験を話しするのはおこがましくてなりません。
宗教体験を話したいと思ったのは正道を少しでも伝えたらと思いました。

それに内山興正禅師の流れをくむ山寺の和尚さんに座禅を教えて頂き
正道とは何か修業とは何か生きるとは何かを教えて頂きました。

禅宗でも厳しくて有名な兵庫県にある安泰寺にて、ただ、座禅するために何十年も過したそうです。

ただ、何も考えず座禅三昧の日々はとても充実していたそうですが、
心の中では遠く残した家族や友人それに同じ年頃の人は給料を貰い結婚したりして、
それに比べて自分はお金も給料もないみすぼらしい坊主
まして、結婚どころか一銭もない。あるのはこの座禅だけ
日が昇ればまた安泰寺の修行、思いを手放し筋肉と骨組をもっていきいきと狙うすべてを任せきって、
思いを手放しただ、座禅を行っていたと言われました。


戦後最大の宗教犯罪とか起こした団体もありますし
それに沢山の若者が覚醒を目指したりあるいはオカルト志向にはしったり
または超能力信仰にはしったりしています。

その宗教とオカルト志向の違いを少し話しできたらと思っています。

オカルト信仰は超能力を持ち普通ではない自分超人を目指していますが、
正道を通して、宗教体験者は普通の者が普通になるだけみたいな感じがします。

何者になるのではなく本来の自分が現れ自分が自分になるだけだと思います。

正道を通した宗教体験は明るくまんべんなく降り注ぎ偏りのない自分に目覚めます。

それにはやはり師の恩恵がなかったなら悟りは現れないし
正道を通した宗教体験もできないかと思います。

偏りのない自分に指導してくれる師と言うものは丁度、火鉢に似ていると思います。
近寄らないと温かさは感じないし近づき過ぎると火傷をおいます。


自分の体験を話すのはとてもおこがましいですが、
少しでもライトワーカーや覚醒を目指している者の参考になればと思ってあえて書きました。

自分の心の中にはチャクラの目覚めクンダリニーの覚醒で、
瞑想の達人ぐらいの思いが少なからずあったと思います。

クンダリニーヨガとか密教とかにのめり込み禅と言うのは手足のない抜けがら座禅と思っていました。
それにお釈迦様が一人で悟りを開かれたと言われますからこんな老坊主に頼らなくても悟ってみせると思っていました。

まぁ、老坊主がいて、咳とかしたりして、禅の警策の変わりにはなるだろうぐらいしか期待はしていませんでした。

クンダリニー覚醒を目指して、丁度20日ぐらいで、クンダリニーが覚醒をし山寺では2日で、悟り(見性)の体験をしました。
自分とは何か自分は何者かとか有頂天になっていた自分に師匠の一括で、目を覚まさせられました。

精神集中から瞑想の段階に入りある程度自分の殻が破れてくると破れた自我からいろんな霊や魔が入ってきやすくなります。
心の進化を始めるとその進化をやめさせようと邪魔をする魔と言うものが現れてきます。

キリストがシナイ山の山頂に座って断食をして、神人合一の状態に達する時にサタンが現れ修行の邪魔をしたという事が伝えられています。
お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開く寸前には悪魔が綺麗な女の姿で現れたり恐ろしい化け物の姿をして殺そうとしたなどが伝えられています。


天台小止観の中にも十二支の動物、ネズミやウシやトラなどの化け物が出て人を脅かすと言う事が書かれています。

心の進化の途中で現れる魔の正体とはいったい何なのでしょうか?

仏教の覚知魔事に煩悩魔、陰入界魔、死魔、鬼神魔の四つを挙げているそうです。

その中にひとつに煩悩魔と言うのがあります。煩悩魔は人間の心の中にいるもう一人の自分、地位、名誉、財産や現世的欲望に執着
しょうとする自分の心だそうです。

自分の現世欲望からいろんな現象を作ると言われます。

超能力を開発して自分の欲望を満たしたり利益や欲望の為に使おうとしたらその人は煩悩魔から取りつかれていると言われます。

気違いは自分の事は気違いだとは思ってないのと同じくこの煩悩魔に取りつかれているとは本人も解らないと思います。
お釈迦様の言う無執着がとても大切だと自分はつくづく思いました。

この四つある魔の正体には経験豊富な師匠の指導なくして、乗り越える事は難しいと思います。
知らず知らずのうちに魔が入り込みその修行の邪魔をしたり心の進化の妨害とか必ず出てくると思います。

師匠のいない修行者はいつまでも山頂に届かないし道に迷っている事さえ解らない状態が続いていると思います。

美しい澄み切った心の持ち主なら師匠がいなくても自分にうち勝かもしれません。
でも我々は荒い波動の中で生活をしています。仕事の中や家庭又は社会ではいろいろな荒い波動の中にいます。


あのキリストさえ魔が現れ邪魔したとありますしお釈迦様だって、魔が現れて、悟りの邪魔をされたと伝えられています。
お釈迦様の言う執着を捨て、自分にうち勝つ事が大切だと思います。

針の穴を通すように自分の想念の管理がとても大切だと思っていますし
巨匠高橋信次氏のように心の思いと行いを指示にして、日々生活をしたいものです。















想念パワー

2008-04-12 11:40:06 | Weblog
人間は自分とは肉体の事だと思っている、想念の持つパワーを信じていないと言うことだそうです。
いつも考えている事が、自分が受け取る事だと聖フランチェスコは教えてくれているみたいです。

フランチェスコが聖痕を呼び寄せる事ができたのなら自分達も内なるパワーを使って、大いなる光を呼び寄せる事は可能だと言うのです。
フランチェスコが細胞組織の重い物質エネルギーを変容させる事ができるのだったら自分達も創造できるそうです。

最も強力なものの一つはあなたの心だそうです。

※ある一冊の書物にこう記されていました。
エイズウイルスに侵されて、死の淵から生還できたと言う体験が綴られていました。
その女性によると体内の内臓とかに黄色くどす黒いものみたいなものが見えて、
その汚いものをどうしても消したくて、
その黄色くどす黒いものをナイヤガラの滝のイメージで黄色くどす黒いものを洗い流したそうです。
そうして、黄色くどす黒いものも見えなくなりエイズウイルスも消え去り死の淵から生還できたと言うのです。

もう一つは友の体験です。C型肝炎ウイルスに侵されて、C型肝炎ウイルスから解放されたと言うのです。
ウイリスの型も難しくて、体内からウイルスを排除できる可能性は少ないと言われたそうです。

それでもインターフェロンの治療はやってみないと解らないと言うのが医師の見解だと言うのです。
そのインターフェロンの治療にウイルス排除の可能性をかけたそうです。

インターフェロンの治療はとても辛くて、食事は喉を通らず、食べて物を全部吐いたり
鼻血とか排便の出血とかあって、医者からは無理だと判断されて、インターフェロンの治療は中止だと宣告されたそうです。
もう一回だけこんな副作用が現れたら中止しますからと医師を説得したそうです。

どうにかこうにかインターフェロンの治療は引き続き行なう事になりました。

それでも副作用はとまらず、絶望の中で、いつしか自分が友に教えてあげたナイヤガラの滝の事を思い出したそうです。
かすかな希望を胸にしめて、人が出来たのに自分は出来ない事はないと
それからと言うものは取りつかれたようにベッドの上で、ナイヤガラの滝のイメージとかあらゆるリラックスセーションを試みたそうです。

彼によると一週間目の検査で、ウイルスの量が約半分以下になり一か月にはウイルスが消えてなくなったそうです。
そうして、C型肝炎からの解放されて、死の淵から生還できたと言う事だったみたいです。

その当時はC型肝炎ウイルスの排除は難しいとされていました。
今でこそ医学の進歩がありまして、C型肝炎の排除も可能となり殆どの患者が治るみたいです。

これこそが想念パワーを使って、運命を切り開いた例だと思います。
清流の上での綱渡り、運命はあるてん幅があり自分で選択できると言うものかもしれません。
ある聖人が人間には鎖に繋がれてる犬に等しいだけの自由があると言った事を思い出させます。
その鎖に繋がれている自由のなかで、選択を見極める事がとても大事だと思います。
フランチェスコは想念パワーによって、聖痕を纏ったように自分達も内なるパワーを使って、人生を創造したいものです。
いつも考えている事が、自分が受け取る事だと聖フランチェスコは教えてくれているみたいです。