光のかけ橋

心と癒しの世界

あらゆる体験

2011-01-31 22:13:55 | Weblog
バーソロミューの旅日記(上)に記載されています。

何を対しても魅力も罪悪感も感じなくなった人が人間業を完了した人と書いています。

こうして見るとあらゆる面を体験し、何ものにも囚われないと言う事が大切なんだと思いました

この世は合格、不合格はないと光のかけ橋の日記に書きましたが、

この世に生まれてくる時に人生の中で不運、挫折を味わい

これ以上ない苦難によって魂が目覚める体験を設定して生まれてきた者もいます。

失敗体験は成功に至るスティツプでもあり右もあれば左もあるし上があれば、

下もあるまた善もあれば悪もある成功、挫折も二面的なもので、

調度コインの裏表みたいですし両方(裏表)を使って完成すると思います。

偉大なる覚醒者が言うのには自分の中で消化されないものがあるから何度も生まれて、

同じ事を繰り返したり何度も同じ境遇がやってきたり、

そこで得られる理解を得たら今度は別のものを渇望して

体験するように自分を駆り立てると言われますし、

もう二度と体験する必要がなくなればここにいる必要がなくなると言っていました。

沢山の方が眠っていると言われます。

これ以上ない人生の苦難によって、魂が目覚め真理生き方の方向性の向きを変えて、

消化されていないものと向き合わせになり、自分が何者かと知る時がきっと来ると思います


バーソロミューの旅日記〈上〉日本編 [単行本]

あなたはあらゆる種類の人間を演じてきました。

まだしていない人はこれからそうするでしょう。

最終的には、人生のにあらゆる面をすべて体験し、数々の人生経験を通して悟りを得、何を対しても魅力も

罪悪感も感じなくなった人が人間業を完了した人と言えるでしょう。

その人たちは好き嫌いを超えた次元にいるのです。

自分がそんな事をするなんて夢にも考えられないと思うほど嫌悪するという行為がまだ存在する人は、

いつかその行為を体験しなければならないかもしれません。

それをしなくてすむ為には,嫌悪する行為をする傾向が自分にだってほんの少しはあるかもしれないと考えてみ

て、そうした行為にたいする罪悪感を少しずつ和らげることです。

嫌悪するものと自分がまったく無関係の別々のものではないかもしれないと感じはじめると、

嫌悪する行為を生む心理が理解できます。

そうして、はじめて、人は人間の可能性のすべてを含んだ全面的に完全な人間になれます。

自分に嫌悪感を感じさせるものを充分に体験します。

もはや嫌悪感は未来への怖れではなくなり、単に潜在的な可能性の一つになります。


バーソロミューの旅日記〈上〉日本編 [単行本]
バーソロミュー (著), Bartholomew (著), Mary‐Margaret Moore (原著), ヒューイ 陽子 (翻訳), メアリーマーガレット ムーア

蒔かぬ種は生えぬ。

2011-01-22 09:33:58 | Weblog
天に唾吐けば己に降りかかり、天に石を投げれば己に帰って来る

捲いた種は自分で刈り取らねばならない。           
 
蒔かぬ種は生えぬ。自分が蒔いた種は自分が刈り取ると言う事は自然の論理だと思います

それに自分が行ったものはブーメランの如く山彦のように自分に返って来ます。

それは今世の中で返って来るか、来世で返って来るか解からないですが、

これらは真実だと思っています。


人の意識はテープレコーダーと同じように、二十四時間テープが回転し、

その方の想念と行為を記憶し続けています。

この想念体の中に宿っているエネルギーはカルマの巣だと思います。

その想念体にあるカルマの巣を浄化する事がとても大切だと思っています。

それには、正道を実践しておられる師の元で修行し、釈迦様キリスト様が説いておられる正法や正道を実践する事が大切ですね。

それと八正道を実践する事がなによりも大事な事だと思います


毎日、生活して行く中に良い種を蒔き、悪い種は極力蒔かずに、

正道に叶った思いと行いを実践されたらいいんです。

片寄った考え方、ものの見方が執着となり、苦しみの原因を作ってしまいますから、

明るく調和された生活をして行く事が大事なんだと思っています。


バーソロミューの中に記載されています。

カルマなどというものはありません。

ただあるのは、過去の瞬間の記録として人がこの瞬間に持ち込むものだけです。

あなた方は人生を体験する為に創造しているのですから、どうぞ充分に体験してください。

カルマの一時的なものです。

過去の行為にもとづいてカルマを創りたければ、この瞬間、どのような状態でも好きなものを確実に創る事ができます。

あなたはあらゆる瞬間に(自分)を創造しているのです。

あなたは一瞬にして機嫌を直して愛を受け入れ、現在の瞬間に意識を置く事ができます。


こうみてくると業はかぶるものではなく、自分がつくるものだと思います。

信者の業を教祖が肩代わりし、

その為に教祖が人の悲しみや苦しみや罪を背負ったとしても、肩代わりはできないと思います。

信者が業を肩代わりして貰って、安心して安らぐ事ができると言う事は、真実や現実からかけ離れているのではないでしょうか?

結局は、自分を救う者は自分しかいないことだと思います。

カルマの法則

2011-01-19 11:16:16 | Weblog
私達を導いてくれるのが「カルマの法則だと思います。

この法則が働いている限り、私達は逃れる事などできないと思いますよ。

それらを乗り越えて行った方がお釈迦様やキリスト様だと思います。

現成公案にもありますが、ひな鳥が親鳥の自由に天空に羽ばたくのを見て、

ひな鳥は羽根をパタパタと習う事であり、先仏を手本にして、後仏がそれ学ぶと言う事がありますが、

キリスト様やお釈迦様の通って行った、正法を学び、正道を実践して行かないと、

いつまで経っても、カルマの法則に縛られて、堂々巡りの状態に陥る事に成りかねないですね。


それでも、いつかは神の元に帰る事になるかもしれません。

どんな辛い出来事だとしても、カルマが返ってきたとしても、それはすべて、神の境地に近づくためのステップです。

「カルマの法則」は正しく成長していくように導いてくれる「愛の法則」なのかもしれません。


これらを実践することが魂の進化につながり、悟りの世界に近づくことになりそうです。

この世におきるすべての出来事は 魂の進化 のために必要な出来事ばかりです。

人生に何一つ無駄な出来事はありません。

苦しみは自分の心がつくり出しているに過ぎないものです。

この世に生まれた目的は魂の進化 (悟りの世界に到達する事)であるということを悟らなくてはならない。

それから、生まれたきた理由の一つとして、カルマの解消というものがあると言われがあります。

カルマを人に取ってもらったり、お金を払ってなくしてもらう事などできないと思います。

カルマは、自分で解消しなくてはならないのです。

あくまでも自分が蒔いた種は自分が刈り取ると言う法則があります。


イエス様も神理の中に、因果の法を語られています。

循環の法則を示されているのではないでしょうか?

すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり

汝ら人を裁くな、審かれざらんためなり

汝ら人の過失を免さば、汝らの天の父も汝ら免し給わん

これは夢物語ではなく、現実な真理だと実は思っています。


江原さんもカルマの法則の事に付いて記載されています。

「カルマの法則」を知ることで、自分に起こるすべてのことは、みずからがまいた種の結果だと思えるようになります。
種をまいたのは、ついさっきかもしれませんし、今は記憶にない前世でのことだったかもしれません。

それでも、この法則をきちんと受け止められた人は、「私は何も悪くないのに」という思いが消えて、

何事も人のせいにしなくなります。

それは、すべてが自分自身の魂から出ている事だとわかるからです。

そして、どんなに理不尽に思えるようなことでも、「これは起こるべくして起こった、私への課題なのだ」と理解できるようになります。

しっかりと現実現実を受け止め、逃げずに乗り越えることができるのです。


「私が悪かった」と思って落ち込んでしまうだけでは、本当に「カルマの法則」を理解したとはいえません。

さまざまな問題はすべて自分自身がつくったカルマだとわかったら、

今度はそれをよくしていくためのよいカルマを蒔こうと思うようになるのが本当なのです。

「カルマの法則」とは、「自分が蒔いた種は自分で刈り取ることになる」という法則です。

「カルマの法則」とは、自分の思い・言葉・行為のすべてが、

いつか必ず自分に返ってくる事で「因果の法則」とも言います。

この世には、奇跡も偶然もありません。

すべてが「カルマの法則」に基づいた必然なのです。

自分で蒔いた種は、必ず自分に返ってきます。

愛や思いやり、努力などのプラスのカルマを積めば、プラスのカルマが返ってくる。

逆もまた同じです。

カルマの法則」を知ると何事も人のせいにしなくなります。


-江原啓之 スピリチュアルメッセージより引用-






カルマ〔因縁〕サイダーの如く

2011-01-10 23:23:49 | Weblog
自分の見解は座禅とか瞑想修業が進んできますと想念体に亀裂が入って、

その想念体の中から、カルマ〔因縁〕がサイダーの泡如く湧き出してきます。

そのチャクラに対応しているカルマの影響で不純物のエネルギーがいっぱい詰まっています。

そのサイダーの泡如くカルマ〔因縁〕の泡如く噴出しているものをほったらかしにしていたら、

いつかは綺麗な湖面のように、月を移す鏡のように綺麗になれば、チャクラがより活性化されて、

健康や若返りも可能ではないかと思います。

原因不明の病気とか今の科学では立証できないカルマ〔因縁〕エネルギーの解消などを取り組む事がとても大切だと思います。


思いと行いの大切さ  (光のかけ橋)

まず健康には日頃の思いや行いが大切かと思います。

深層意識の内部には日頃溜めつづけたネガティブなもの(恐怖、悲しみ、不安、怒り、)あまりお目に関りたくないドロドロしているものをいっぱい積め込んでいます。

このネガティブなものをいっぱい積め込んでる者は疲れやすいと言われています。

なんにもしなくても疲れやすいですし、または原因不明の病気とかあるいは自律神経に影響を及ぼし(心身の不調)誤魔化して生きていかないといけなくなると思います。

この深層意識の積め込んでいるネガティブなものを意識上に開放してあげて、ほったらかしにしておけば心の掃除にもなりますし心が澄んできます。

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、出っ放しにしておけば泡もなくなり、

だんだん弱いあぶくのようになり全て出尽くしてしまえば、

波のたたない湖面のように穏やかになります。


この深層意識(無意識)いわれるものを意識上にあげるのはなかなか至難の技だと思います。

自分の体験上、瞑想(他のワーク)とかしていて機が熟したなら

想念体に亀裂が入り(見性、悟り)とかいわれている事が起り深層意識から今まで生きて来て、

集めたものが意識上の表れてきます。

これは自分と向き合わないといけないから辛い体験だと思います。

昔、ある師匠が催眠とかは暗示で押し込むからあまり良くないから瞑想とか開放した方が良いと言われました。

この説明は日々の思いと行いの正しさを書きましたけど、病気治しに瞑想、座禅をすれば外道の道になりますし、

瞑想、座禅とか(座り)修業していればおのずと表れ消えて行くものだと思いますから

瞑想、座禅の本道目的にそって、行うようにしてください。

自分の体験、言葉は少しでも病気や心の世界の一面を知って貰いたかったからあえて、タブーだったものをあえて書きました。

健康でバランス良く機能している身体

2011-01-10 22:24:09 | Weblog

健康な身体には、内観法、軟酥(なんそ)の法 で行っているような健康的で、バランス良く機能しているはずです。

その健康でバランス良く機能している身体に近づけて行く為の内観法だと思います。

この内観法をしている最中は、とても身体の状態が良くなって、気持ちが良いみたいです。

課題は内観法を行っていない時にどうやって、その健康な時のような状態に持って行く事が大切なんだと思います。

それには、ネガティヴな思考を止めて、溜めないと言う事が大切なんだと思います。

そのネガティヴな思考が深層意識に入って、自律神経のバランスをを崩して、

不健康な身体に陥っている方が大勢いると思っています。


白隠禅師の健康法軟酥(なんそ)の法

禅僧、白隠禅師は臨済宗の興の祖として知られた人物だそうです。

猛烈な禅修行を始めましたが、頭はのぼせ上り、身体が氷雪のように冷えて、心は疲れ切って、夜も眠ることができず、

幻覚を生ずるようになりまして、頭脳暖にして火の如し」「両眼常に涙を帯ぶ」「食消化なし」「衣に暖気無し」など十二の病状が現れたという。

いわゆる「禅病」であったと言うものです。やがて白隠禅師は山中に棲む白幽という仙人から、

養生と病気の予防について『軟酥の法』を授けられて、やっと克服することができたそうです。

『軟酥の法』
卵ぐらいの大きさの軟酥の丸薬を頭上に乗せたとイメージする。

酥とは牛乳や羊の乳を煮つめた練乳(バターのようなもの)頭全体を潤し、

ヒタヒタと水が浸透するように下りてきて、丸薬が頭上から足の裏まで流れ込んでくると想像する。

香りの色や清らかな卵ぐらいの軟酥を頭上に乗せて、それが身体の下部、両肩、両腕、、乳房、胸、肺、肝臓、腸、胃、背骨、尾骨へと流れていくように観ずる。

基本的な考えは頭寒足熱(下腹部から下肢および足の裏まで、

温かくし本来の健康体に近付ける技法だと思います。

自分でアレンジ〔カラーセラピー、呼吸法〕などを組み合わせて行なうのも良いと思いますよ。

この『軟酥の法』健康法は、自己健康法としてもすぐれた健康法と考えまして、ここに紹介いたしました。


バランスを取り戻すべき

2011-01-05 23:53:23 | Weblog
人生に重要な役割を果たしている人々は、みなそれぞれの理由があって出会っていると言われています。

沢山の方は現世での再会するのは、背負っている心の負債を返済するために魂が計画を立てて、

魂レベルで失われたバランスを取り戻すべき相手と出会い成長し合って転生していると思っています。

袖振り合うも多生の縁と昔からよく言われていますよね。


ある強い感情を持つと言う事は、過去世の何処かで、関係に深みに入ってしまったように

理性では付き合うべき相手ではないと強く思ってみても、突き動かされる感情に翻弄され、

なすすべもない状態に陥ってしまう事もあるかもしれません。

それは契約に付き動かされるような契約を交わして、

現世で再会する相手との間にある困難なカルマのバランスを取り戻す為に出会い、転生しているのかもしれません。

転生している時には私利私欲のために、相手を傷をつけた過去があり、

それによってカルマの負債を背負ってしまって、悲劇や復讐によるカルマを作ってしまい、

その負債を返済という形で、バランスを取り戻し、克服することで強さを取り戻し、

自由な自己実現が出きるまで成長する為に、お互い役割をかえ克服するまで、出会いと別れを繰り返すものかもしれません。


二人の誕生前にお互いの(成長)の為に助け合うことを約束し合って転生していると良く聞きます。

バシャールの書物にも記載されています。

バシャールと言う知的生命体も言っていますが、自分には価値がない、自分には欠けてていると思ったなら、

欠けているとか価値がないと言う感覚を反映するようなパートナー相手を引きつけると言っています。

今は関わりあっているどんな相手であろうとも、自分が学ぶべき事を学んでいる限り、その関わりある期間中はみなソウルメイトだと言っています。

別の意味では、カルマメイトだと言う方もいますね。


天に唾吐けば己に降りかかり、天に石を投げれば己に帰って来る。

蒔いた種は自分で刈り取らねばならない。           
 
蒔かぬ種は生えぬ。自分が蒔いた種は自分が刈り取ると言う事は自然の論理ではないでしょうか?

それに自分が行ったものはブーメランの如く山彦のように自分に返って来ます。

それは今世の中で返って来るか、来世で返って来るか解からないですが、

これも真実だと思います。


イエス様も神理の中に、因果の法を語られています。

循環の法則を示されているのではないでしょうか?

すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり

汝ら人を裁くな、審かれざらんためなり

汝ら人の過失を免さば、汝らの天の父も汝ら免し給わん。


この世と言う大きな人生の舞台で、誰もが主役演じています。

人生と言う大きな舞台には悪役もいれば、脇役もいると思います。

お互い役割を通しながら学び、成長して行くだろうなと思います。

学びが終われば自然に離れて行き、また別の課題をクリアする為に出会いがあり、人生を織りなして行くのでしょうね。

どう言う舞台を演じて、最初も自分らしく成長できるかと言うことが大切だと思っています。


今世の原因が清算されない時には、あの世に持ち越し、来世でおさらいしなければなりません。

もう一度、今世と同じような環境の下で修行し、己の魂をもう一度テストしなければならないのです。

こうしたところ原因があり、悪循環からなかなか抜け出せないのですね。

高橋信次先生などは、悪循環の最たるものは、愚痴、怒り、足る事をしらぬ欲望だと言っています。

この心の山毒をよくよく心してしなければなりません。

多くの人々は、こうした心の宝を眠らせたまま、五官に振り回され、一生過ごしてしまいます。

人の意識はテープレコーダーと同じように、二十四時間、テープが回転し、その方の想念と行為を記憶し続けています。

この想念体の中に宿っているエネルギーはカルマの巣だと思っています。

その想念体にあるカルマの巣を浄化する事が大切だと思いますが、これは至難のワザかもしれません。

それには、正道を実践しておられる師の元で修行し、釈迦様の言われている八正道を実践する事が早道かもしれませんね。


人生は短いもので、あっと言う間に過ぎてしまうと言った方がいますが、あの世に帰って、シマッタと気ずいても遅いのです。

まず、それが無理だと思われるのなら、良い種を蒔き、悪い種は極力蒔かずに、

正道に叶った思いと行いを実践されたら良いと思います。

片寄った考え方、ものの見方が執着となり、苦しみの原因を作ってしまいますから、

明るく調和された生活をして行く事が大事なんだと思っています。