光のかけ橋

心と癒しの世界

本来ニュートラル(中立的)なもの

2010-12-26 13:53:36 | Weblog
バシャールは言っていますね。

すべての物事というのは本来ニュートラル(中立的)なものであって、それ自体に意味はないのだといいますね。

ある物事に意味付けをしているのは、ほかでもない、

私たち自身なのだと言っています。


占いなどもそうだと思いますよ~

沢山の方は占い師から運勢が悪いと言われれば、運勢が悪い、

または運勢が良いと言われれば、運勢は良いと思いますよね?

これなんかは自分を生きていないのですよ~

占い師に運命を委ねて、舵とりも占い師に運命を委ねていますよね。

たとえ、占い師から占って貰って、良くない占い結果が出たとしても、

良い結果は受け入れ、ネガティヴなものは受け入れないでいいんですよ。

これはある女優が言っていました。


物事は中立なものであったとしても、何回も思念を繰り返していると深層意識に入り込み、

やがて心の奥深い所に宿る記憶の貯蔵庫から熟成されて、現実に踊り出てきます。

この深層意識は一切種子識(いっさいしゅうじしき)とも呼ばれ、そこに宿った思念は、

思いは結果、やがて化けて出てくると師匠が言っておられる事にもなると思いますね。

深層意識に沈んだ種子はどんなものでも、やがて開化し、実を結び実現するのです。


カルマなどもこの深層意識にエネルギーとしてあるのです。

直ぐに現れるのなら、自分でも解かると思いますが、熟成期にならないと、

自分では、理解ができないものだと思いますね。

今世で現れるか?来世で現れるかは、その方によって違ってきます。

自分の心の紐を解き、想念体に亀裂が入って、集めたもののエネルギーが、徐々に表れては消えて行く状態になって、

初めて、カルマとは何か?

理解できると思います。


たとえ、占いの結果が悪かったにせよ、その人にプラスになるように伝える事が、

占い師の腕の見せ所なのだと思います。

物事は常にニュートラル(中立)で、それを味付けするのは、ほかならぬ自分自身です。

多くのテレビ番組で「今日の占い」「今日の運勢」をしていますが、あくまでも、お遊びやゲームの一種なのです。

占いはあくまで、統計学だと思います。

運命学などもそうです。

運命だと言われても、決まりきったものなどはないのです。

いつ何時頃に運命の相手が現れると言われていても、運命の相手になれるかどうかは?

自分の行動にかかっています。

行動しないと、その運命は流される事になりますからね。


深層意識は一切種子識(いっさいしゅうじしき)とも呼ばれ、そこに宿った思念は、

必ず、熟成期には現実に現れてきますからね。

一念三千どこに心が向いているか?

たえず、自分の心をいつも見張っていないと、不運・不幸を人のせいにしたり、

それが運命だと言ったところで、仕方がないことです。


■ 実現されると言う法則  光のかけ橋 引用

Date: 2010-07-18 (Sun)

仏教の経典にアラヤ意識というものがあると言われます。

アラヤとというものは物をしまって貯蔵しておく蔵の事みたいです。


DVDの中には沢山のデタ―が入っていると思いますが、そのデタ―には沢山のイメージやビジョンが入っています。

そのDVDみたいに、デタ―を貯蔵しているおく蔵の事をアラヤ意識と言うのかもしれませんね。


深層意識の中にインプットされれば、それが未来において実現されると言う法則があると言われます。

ネガティブなものも、ポジティヴなものも深層意識にもろに飛び込んで来て、

自分の未来の元を作る事になると思います。


アラヤ意識の事を記憶種子とも言うみたいですね。

自分の深層意識に沈んだ記憶種子はいつかは異熟して行くと思います。

丁度、お米やこうじをいれたお酒を作る時にも似ています。

いくつかの原料を混ぜてポコボコと異熟されて行くと思います。


ある書物にの中に記載されていましたが、エマーソンはアメリカの哲学者と言われた人みたいでした。

とても面白い事を言っていました。

全ての現象は偶然に起きるのではなくて、後ろから押し出されてくると言う事と言われていました。


そういってみれば、運命の台本を書くのは自分です。

自分の未来を作るのも自分だと思います。

周りの環境のせいにするのではなくて、自分の意識で選択もできると思います。

こう言ってみれば、自分の不運も成功も自分が作っていると言えそうですね。


主の降誕前夜祭〈クリスマスイブ〉.

2010-12-24 07:38:54 | Weblog
“マリアは月が満ちて初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。”(ルカ2・7)

2000年前に、イスラエルのベツレヘムという小さな町で、小さな命としてマリア様から生れた救い主は
イエスと名づけられました。神は貧しい幼子の姿で私たちのもとに来られたのです。


イエスがなぜこの世に生まれたのかについて、イエスの言葉があります。

イエスはユダヤ教の大祭司らに捕らえられ死刑にするようにとの訴えで、

時のローマ総督ピラトの前に引き出されます。

そのピラトの「いったい何をしたのか」との質問に答えたのです。

「わたしは真理を伝えるためにこの世に生まれ、そのためにこの世に来たのです」

以上ヨハネによる福音18章より

イエスはこの世に真理を伝えるために来たと言っています。

イエスのこの言葉は、その後そのとおりに実現することになりました。

イエスの死(復活、昇天)後から現在に至るまで、イエスの言葉(真理)は世界中に述べ伝えられているのです。

さらには、この言葉の持つ一つの大きな意味は、イエスがこの世に生まれる以前もまたイエスがこの世を去った以後も、

イエスの説いた(伝えた)教えは変わらずに普遍に存在する真理であるということにあるのです。

「見ざる聞かざる言わざる」の格言

2010-12-23 16:12:07 | Weblog
日光東照宮に有名な三猿がありますね。

見ざる、言わざる、聞かざるの意味

見ざる・・・・・・・目に良いことだけを見る

聞かざる・・・・・耳に良いことだけを聞く

言わざる・・・・・口は良いことだけを話す~だそうです。


「オーラの泉」ゲストの回での美輪明宏さんのお話です。

世の中には人の悪口で溢れていますが、悪口の話をされても
違う話を振ったり、自分からは悪口を言わないようにすれば、

嫌な気持ちにならず、楽な気持ちでいることができます。

人の悪口を言って憂さを晴らそうとしても、逆に嫌な気持ちに
なってしまいます。

自ら気持ちを切り替えることが大事だそうです。

自分に都合の悪いもの(自分の心をまどわすもの)や、他人の欠点は、

見ない、聞かない、言わない、に越したことはない!という意味です。


無能唱元師も言っていますね。

気分が悪くなるような情景は見ないことだ。また、そういう話題を聞かないことだ。

そして、また、話題として、話さないことだ。私は、すぐさまチャンネルを他に切り替える。


運命の台本を書くのは自分ですよね?

自分の未来を作るのも自分だと思います。

周りの環境のせいにするのではなくて、自分の意識で取捨選択ができると思います。

自分の不運も成功も自分が作っていると言えそうですね。

光のかけ橋の日記にも書いていますが、

お釈迦様の言う八正道の中に最初の3つがあります。

正見 (正しく見る) 正思 (正しく思う)正語 (正しく語る)


日光東照宮の「見ざる・聞かざる・言わざる」はお釈迦様の八正道の通じるものがありますね。

お釈迦様がおっしゃっています。

苦を滅する事ができると言う八正道がありますが、その中に正しくと言う事が書かれています。

その正しくとは何か?

そこで正しいと言うのが問題になってきます。八正道の正しい基準は何か?

高橋信次先生の書物の中に記載されていますね。

正しさとは、自分の立場を離れて、常に第三者の立場で、ものを見る、聞く、語る事が大切で、心の安らぎと全体との調和と言うことみたいです。

その調和は、より高い次元の調和を尺度とする事だと言われています。

正道を通して、実践している沢山の修行者が八正道なくして悟りへの道は開かれないと言われていますから、

「見ざる聞かざる言わざる」すなわち正見 (正しく見る) 正思 (正しく思う)正語 (正しく語る)

その入る時や出る時の思考をしっかり押さえておく事を、日々心して実践したいものです。

心がけを正すという正道

2010-12-15 11:54:29 | Weblog
スピリチャルなものや能力開花を目指している方や、一般の方にも必要な事が書かれていますね。

自分の心がけを正すと言う正道なくして、成長はないと思います。

自分の心を振り返り、心を正すだけでいいのです。


天空編NO2017 (天使のつぶやき)引用

こう記載されています。


お母さんを結界で守るという話しです。

これは、やめましょう。

といういのは、これをしてしまうとお母さんが、幻聴が聞こえるような状態になったことから抜け出ることができないからです。

こうゆう状態は、悪霊が憑いて起こる現象です。

でも、悪霊が憑いていても、心を明るくして素直になれば、悪霊は離れていきます。

素直になるには、心を反省して、自分の心の欠点を減らしていけばいいのです。

とっても難しいように感じますが、やっていけばできないことはないのです。

それをPさんが結界などで、介入するようにすると、一番の原因である、お母さんの心の状態が変化しません。

そうなるとPさんのしたことはお母さんの心の成長を阻害したことになってしまいます。

心を変えることなしで、

「裏の世界」

のものに頼ろうとする風潮があります。

占星術にしても、パワーストーンにしても、○○占い、霊能者の霊視などにしても、

「裏の世界」

の話です。

ヘビの祟りの話しも、あまりそちらの方へ目を向ける習慣を捨てるようにしてください。

霊視などをする人はほとんどが、キツネやタヌキが憑いてしゃべっています。

そしてヘビの祟りなどと教えます。

でも、卵などを供えて一時的によくなっても、こんどは霊視をしたキツネやタヌキが憑いてきます。

これからは結界に頼ることはほどほどにして、まず心を穏やかにして、日頃のありかたを反省するようにしてみてください。

考えてみたら結界はお守りではありません。

正しい心を持った人を悪霊や月人の攻撃から護ってくれるのが結界ですので、乱用は慎んだほうがいいようです


心を明るく素直にしてしまえばいいのです。

明るい素直な心というのは、悪霊の波動とは全然別ですので接点がありません。

家に悪い波動があっても、それを感じることができなくて自分の良い波動が、その家を明るく浄化してしまいます。


「反省することがどれほどの力を発揮するか」

を知る時なのでしょう。

反省するためには、まず自分の心を見つめなければなりません。

見つめる時に

「被害妄想症候群」

があったり

「自己憐憫症候群」

があると、反省ができません。

理屈をつけて自分をかばってしまいます。

まず、自分をかばうことを止めて、自分の欠点や日頃の心の使い方をじっと見つめてください。

自分をかばう気持ちを見つけたら、一刻も早くそれらと縁を切るようにしてください。

そうゆう悪い精神状態と縁を切るわけです。

縁を切ることは今まで習慣になっていない場合は急には難しいのですが、

「心には大きな力がある」


天使はいつも、三日月藻が天使の心に近づこうと努力してトライしようとするのを期待されています。

悪霊というのは、心が素直で明るい人には、寄って行くのが辛いのです。

だから、悪霊は、悪い波動を出している人にだけ寄っていきます。

もし悪霊に寄ってきて欲しくなかったら、自分の心を素直に明るくするだけでいいのです。

Pさんを悩ましているのは月人が関わっているのかと思っていましたが、現象が長すぎるようです。

月人は、三日月藻を長くいじめるほど暇ではありません。

そんな長期にわたる悪行をするのは、そこらへんにウロウロしている悪霊の手下の動物霊ぐらいです。

こんなものを追い払うのは、超簡単です。

心を素直にして、ハハハと明るく笑っていればいいのです。

ミカさんもそれで成功しておられます。

「○○の仕業」

「○○が邪魔している」

「○○に狙われている」

などの発想に陥ると、より、自分を守ろうとする意識が強くなりすぎるために、 自分の心以外のものに頼ろうとしてしまいます。


まず心がけを正すという正道でいきましょう。

自分の心を振り返り、心を正すだけでいいのです。

「自分の心を省みて磨くこと」


天空編NO2017 引用
(天使のつぶやき)

http://slicer93.real-sound.net/0-z-space-2017.html




気功の基本?

2010-12-12 19:10:19 | Weblog
ぷるぷる健康法は、太霊道や神道の振魂(ふりたま)という行法に通ずるものがあると思います
張永祥先生の中国式気功 「ぷるぷる健康法」引用

ぷるぷる健康法」のやり方の説明がのっています


藤木 晶敏 (ふじき あきとし)さんは張式気功の基本、「ぷるぷる健康法」を広めつつ気功施術も行っているそうです。

詳しくは、藤木 晶敏 (ふじき あきとし)さんにお問い合わせしてくださいね。
http://qigong.ti-da.net/e2632631.html


霊道法の方は光のかけ橋に載せてあります。

霊道健康法は現在では霊道術、霊道法と呼ばれているみたいです。

この霊道健康法という名前は自分が勝手に読んでいるだけですが、

自分が知る限りでは古代から伝わる布瑠部の術と聞きました。
呪文も道具もいらず簡単に実修できるもので、初心の方でも殆どの方が成功すると思います。

霊道といってもなんだか妖しく思われますが、憑依した霊が発動するのではなく自己の霊が発動し健康や霊道発揮の基本となるみたいです。

正しい霊道法は、霊の憑依現象とかではなく自己内部の衝動の発動によって起こる運動だと思います。
自分はヒーリングの一部として、霊道健康法を載せました。

自分で意識的に内部に起こる衝動を意識的に誘発して、運動せしめるものと思います。(現在では霊道健康法は自分は行っていません。)

◎詳しくは専門家や霊動法専門道場に師事される事を望みます。


マザーテレサはこんなことを言っています。

2010-12-09 19:17:48 | Weblog
どんな人にあっても、まずその人のなかにある、

美しいものを見るようにしています。



この人のなかで、いちばん素晴らしいものはなんだろう?

そこから始めようとしております。



そうしますと、かならず美しいところが見つかって、

そうすると私はその人を愛することができるようになって、

それが愛のはじまりとなります。

 ―― マザーテレサ ―― 

試される環境

2010-12-08 07:32:55 | Weblog
霊的に高い人ほど、試される環境に身を置かれる事が多いのかもしれませんね

辛い体験を選択して、生まれて来た者の中に強さを見てあげてほしいと言った聖人がいました。

その環境を通して、より優れた人格を築いていくためには、

あまい環境のなかでは、霊的に成長できる事は難しいと言われています。

苦しみを通して、魂を鍛えるものかもしれません


腹を立ててはならない

「兄弟(家族、仲間、同胞等)に腹を立てる者は裁きをうける。

兄弟をのろったり馬鹿呼ばわりするなら地獄の火に投げ込まれる」

イエスは互いに愛し合うようにと説きました。

人に腹を立てる事(怒り)をいましめています。

イエスは、あわれみ(真の愛)深い心と、あわれみ深い行いを、天の国に入るために大切な(必要な)ものと説いています。


イエスの説いた愛はアガペ(理性の愛、慈悲)とも呼ばれます。

イエスは、自分を愛するように人を愛しなさいと説きました。

この言葉には、真実の愛が表現されています。

自分を愛する事は大切な事なのです。

それは、真理に従って示される愛(真の愛、慈愛)を意味しています。

自分だけを大切に思う自己愛(利己愛)ではありません。

また、この世の命(肉体)だけに強く執着する自己愛でもありません。

自分を真に愛する(大切に思いやる)という事は、人間として自然で、当然のこととして、前提されているのです。


自分がつらく苦しい時には、自分をいたわるでしょう。

悲しい時には、なぐさめるでしょう。

さみしい時には、暖かく励ますでしょう。

傷つき痛みのある時には、優しくいやすでしょう。

うれしい事があった時には、心から喜こぶでしょう。

楽しい時には、心弾ませて笑うでしょう。

もしも、怒った時には、静かにいさめるでしょう。

人は、たとえ自分がどのような状況になっても、

その時、だれ一人思うような愛情をしめしてくれなくても、

自分は、精一杯の愛情を、今現在の自分に注ぐでしょう。


自分自身を真に愛せない人は、様々な事が身に起こるこの地上において、正しく生き抜く事が困難となるでしょう。
まして、天国に入る事は出来ないでしょう。

自分を愛せない人は、真に他の人を愛する事も出来ないでしょう。

イエスは、自分を愛しなさい、

そして、自分を愛するように人を愛しなさいと説きました。


天国に入る(永遠の命を得る)ためにそれが大切(必要)なことであると説いているのです。

神の掟(真理)は、愛を伴って行われるときに成就します。

イエスは、自分のしてほしいと思うことを、人にもしてあげなさい、と表現しています。

その真の愛は、欲望の情愛とは異なります。

一方、人をのろったり、軽蔑したり、侮辱したり、怒ったりする事は、天国へ入ることの反対の行いといえるでしょう。

イエスは強い言葉で、やがて地獄の火に投げ込まれると説いています。


k-style (引用)

http://www.fruits.ne.jp/~k-style/index.html#x3