光のかけ橋

心と癒しの世界

想念体の紐が解かれる時

2011-07-22 18:40:05 | Weblog
高橋信次先生の言われているように、想念体の紐が解かれた時はテープレコーダーのように、

今まで体験したすべての想念と記憶したものがエネルギーとして理解できるようになります。


人の深層意識はテープレコーダーと同じように、二十四時間、テープが回転し、その方の想念と行為を記憶し続けています。(高橋信次著 『心の発見 科学篇』 113頁)


光のかけ橋にも載せていますが、この世はあっという間に終わりがやって来ます。

誰であろうともいつかは死を向かざるおえません。

私達がこの世を去るときには、経済も地位も名誉も持っていくことができないんです。


この世に生まれて来る目的は、自分の欠けている課題を克服する為に生まれて来ていると言われもありますね。

多くの人々は、心の宝を眠らせたまま、五官に振り回され、一生過ごしてしまうと言われています。


今世の原因が清算されない時には、あの世に持ち越し、来世でおさらいしなければなりません。

もう一度、今世と同じような環境の下で修行し、己の魂をもう一度テストしなければならないのです。

こうしたところ原因があり、悪循環からなかなか抜け出せないのですね。

高橋信次先生などは、悪循環の最たるものは、愚痴、怒り、足る事をしらぬ欲望だと言っています。

この心の山毒をよくよく心してしなければなりません。


宗教やスピリチャルな名前に手垢を付けられたと非常に残念です。

本来の仏教は本来明るく誰でも理解できる広いものです。

一部のよこしまな団体やオカルトによって、聖なるものに手垢が付けられてしまったと思いますが、

それらに惑わされず、心の進化・心の浄化を努めてほしいんですよ。

何故なら動物的習性を取り除き、人間的あることを超越して、進化した完璧な人間としてまた戻って来なければなりません。

精神的に感情的に霊的に自由を持った存在にならなければなりません。

誰であろうとも例外はなく、同じ目的地・神の懐に戻る事を目指すものと思います。

進化の旅は終わる事無く、常に常勝して行くものかもしれません。

人は皆、あらゆる時代を通って学び体験し、少しずつ人間完成に近づいていけるものだと思っています。

何にしても本物と偽物がある思います。

その本物を見る心を養ってほしいんです。

宗教という名前にあまり囚われて、心を置き去りにしていると、

あの世に帰って、シマッタと気ずいても遅いのです。

だから私達は一日一日を最善の努力で悔いなくすごすべきだと思います。

片寄った考え方、ものの見方が執着となり、苦しみの原因を作ってしまいますから、

明るく調和された生活をして行く事が大事なんですね。


高橋信次先生の心の発見にも記載されていますが、

常に反省する心は、人間を執着から放して行き、魂の浄化にもなるということである。

私達は日常の生活の中から、怒り、そしり、むさぼり、愚かな心を離れ、一切の苦しみの原因を断ち切らなくてはならない。

心の中に悪にとらわれないことが大切なのだ。

心の中の悪にとらわれから離れるということは、利欲、栄華に惹かれる煩悩を捨て、

一念三千の心を常に光の世界すなわち調和の世界におき、利害損得、情欲、地位、名誉、などの執着から離れることである。

すべて、自ら求めることなく、自然な人徳によって与えられる人々は、己に厳しく、常に謙虚であり、誤りのない正法を実践している人々と言える

高橋信次 心の発見(科学篇)
三宝出版



瞑想から三昧へと心のカラをを破って機が熟したなら

想念体に亀裂が入り、

その想念体の中から、カルマ〔因縁〕がサイダーの泡如く湧き出してきます。

そのチャクラに対応しているカルマの影響で不純物のエネルギーがいっぱい詰まっています。

そのサイダーの泡如くカルマ〔因縁〕の泡如く噴出しているものをほったらかしにしていたら、

いつかは綺麗な湖面のように、月を移す鏡のように綺麗になれば、想念体にある想念も澄んでくると思います。

それによって、本来の自己が現れてくると思います。、

原因不明の病気とか今の科学では立証できないカルマ〔因縁〕エネルギーの解消などを取り組む事がとても大切だと思っています。


 (光のかけ橋)

深層意識の内部には日頃溜めつづけたネガティブなもの(恐怖、悲しみ、不安、怒り、)あまりお目に関りたくないドロドロしているものをいっぱい積め込んでいます。

このネガティブなものをいっぱい積め込んでる者は疲れやすいと言われています。

なんにもしなくても疲れやすいですし、または原因不明の病気とかあるいは自律神経に影響を及ぼし(心身の不調)誤魔化して生きていかないといけなくなると思います。

この深層意識の積め込んでいるネガティブなものを意識上に開放してあげて、ほったらかしにしておけば心の掃除にもなりますし心が澄んできます。

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、出っ放しにしておけば泡もなくなり、

だんだん弱いあぶくのようになり、全て出尽くしてしまえば、

波のたたない湖面のように穏やかになります。

この想念体の紐をとき意識上にあげるのはなかなか難しいと思います。

自分の体験上、瞑想(他のワーク)とかしていて機が熟したなら

想念体に亀裂が入り(見性、悟り)とかいわれている事が起り深層意識から今まで生きて来て、

集めたものが意識上の表れてきます。

これは自分と向き合わないといけないから辛い体験だと思います。

瞑想、座禅とか(座り)修業していればおのずと表れ消えて行くものだと思いますから瞑想、座禅の本道目的にそって、行うようにしてください。

がんの特効薬は発見済みだ?

2011-07-21 16:07:00 | Weblog
アマゾンのおすすめ商品にがんの特効薬は発見済みだ! [単行本] が載っていました。
アマゾンで本を注文したり、購入する事が多くて良くみています

がんの特効薬が発見されている?
アマゾンのレビューを見てみるとガンの特効薬はベンズアルデヒドである!
ベンズアルデヒドは、生アーモンドに含まれておりという事なんだそうです。
実際にこの本を見てないからなんとも言えないんですけどね。
もしそれが本当の事だとしたら?

エドガーケーシの人生を変える健康法に記載されていますよ。
アーモンドを食べるのは、ケーシ・リーディングを暮らしに活かす人たちの楽しい義務である。
「一日に二、三個のアーモンドを食べる人は、決してガンを恐れる必要はない」(一一五八ー三一)

アーモンドはとても健康によい成分が入っていると前にテレビで特集をしていました。
時どきアーモンドを購入して食べたりしていましたが、、続けて食べたりはしていなくてね。
もしそれで健康が保たれるのなら、とても安い買い物だと思います。

でも、内心は思考パターンの切り替えや遺伝子の組み換えに心の想念の中にあるカルマのエネルギーを解放・浄化しないといけないと思っています。
特に自分が思っているのは、想念体の中に溜まっている・ネガティヴな思考のエネルギーの解放の事を強く思っています。
この想念体と言われるものの中に今まで沢山集めてきたネガティヴな思考のエネルギーやポジティヴなエネルギーもあります。
まぁ~ぞくに言うカルマの事です。

このカルマの解消を行っている団体も実際ありますね。
インスタントみたいにカルマの解消がハイこれで終わりました。
地球までのカルマの解消が済みました。
そんなバカな事はありません。
何故なら、自分が体験して一番解っていますよ。

カルマの解消を実際出来ていなくて、また行ったりしていない者にはカルマの事は理解できないと思いますよ。

そんな偽りに騙されて、大金をはたいても何にもなりません。
もし本当なら、自分が実験材料になりますよ。
話はそれましたが、またこう言った手ごろで安く健康の為になれるのなら、併用にしたら良いのかもしれませんね。


レビュー対象商品: がんの特効薬は発見済みだ! (単行本)
ふむふむ、、、ガンの特効薬はベンズアルデヒドである!
ベンズアルデヒドは、生アーモンドに含まれており、毎日、30個から50個の生アーモンドを食べれば、初期のガンは治ります!
さっそくアーモンドを購入だー!がんじゃないけど、、、。
愛犬のシロにもあげていれば、、、。
最後に、若さを保つ健康法として、固ゆでタマゴを10個(できれば20個)たべればよい。
そんなに食べれません!ほんまでっか!?でもそれでも買い推奨!

本の内容

がんには、安全に、安価で治せる特効薬があるのに、なぜそれが医学界で黙視され続けてきたのか?。京大医学部を卒業後、アメリカと日本で半世紀近く医療の第一線で活躍してきた著者が、医学界に遺す“遺書”として書き下ろした、衝撃の一冊。

目次

1 本書を出版する理由
2 「がん特効薬」の発見者
3 「特効薬」を認めない背景
4 がん細胞「発生と抑制」のメカニズム
5 特効薬の中味と信頼性
6 治療体験者の「カルテ」
7 「エドガー・ケイシー」の夢予知
巻末付録 若さを保つ、ラクラク健康法

がんの特効薬は発見済みだ! [単行本]
岡崎 公彦 (著)

心の進化とは

2011-07-01 08:02:41 | Weblog
クンダリニー覚醒やサハスラーラ・チァクラに到達することによって、甘露を呼び起こすことや

(悦)の状態の体験をした事によって、

覚者や聖者になったという修行者などは少数いると言われていますが、

それでも幻想や勘違いしているみたいな方は結構いると言われています。

またそんな体験があったとしても、それに囚われず、修行をして行く事が大切な事なんだと言われもあります。


至高体験をして聖者になったと話している方の中には、心の浄化や、心の解放をしたとか?

また想念体に亀裂が入って、心の自由を得たとか言う方はあまりいないんですね。

一部のオカルト主義の方や犯罪を犯したり、また起こしそうな団体などは、

聖書の中にある真理の実践や仏の教えの実践の事もあまり語らず、神秘体験や能力開花に重点においている感じがしてなりません。


それに教祖や巷の拝み屋と言われる方の中にも、ワイセツや高額な金銭要求する犯罪もあとを絶ちません。

まぁ~これは約一部の外道と言われている方のせいで、真剣に求道を追求している方にとっては悲惨なものになっています。

ほんと約一部のよこしまな者によって、全部が同じようなイメージを持たれてしまいそうで悲しいものです。

スピリチャルな道に足を踏み入れてこういった犯罪を犯すものは、本当の意味で良く解かってないんだと思ってしまいます。

聖書の中にある真理や仏教を実践していないのかなぁと?思つたりもしますね。

聖書の真理を心に強く思ったり、また実践して行こうとする過程では、

とてもそんなワイセツなことや高額な金銭要求するような犯罪を犯す事はしません。

弱みに付け込むような事はしないものです。


良心もありますからね、普通なら心が苦しむ事になるのが当たり前だと思います。

自分の中には嘘のつけない心がありますからね。

心の浄化や心の解放を主においてないせいですかね?


一般の方は瞑想や宗教とかスピリチャルな事を興味があったりしたら、そう言ったたぐいのレッテルをつけられているのも仕方がないのかもしれません。

全部の修行者が可笑しいのではなくて、約一部のよこしまな修行者によって、

宗教や心の進化を目指している求道や本来の聖なる宗教そのものに手垢が付けられた感じがしてなりません。

これが本当に残念でなりません。


人はみんな本来は心の成長・進化を目指して行かないといけないのにね。

それを惑わす方がいるんですよ。

それらに惑わされず、心の進化・心の浄化を努めてほしいんですよ。

何故なら動物的習性を取り除き、人間的あることを超越して、進化した完璧な人間としてまた戻って来なければなりません。

精神的に感情的に霊的に自由を持った存在にならなければなりません。

誰であろうとも例外はなく、同じ目的地・神の懐に戻る事を目指すものと思います。

進化の旅は終わる事無く、常に常勝して行くものかもしれません。


自分が思っているのは心の進化であって、高い霊性の事についてお話をしています。

その手本があります。マザーテレサやインドのガンジ・ヘレンケラーナイチンゲール・ダイアナ・ダライラマ・

まだ沢山の偉人と言われている方がいっぱいいます。

なにもスピリチャルな事をしなくても、自然に正道の法則を歩んでいて、世間には霊性の高い方がいます。

それに心の成長には手本がまた他にもありますよね?

お釈迦様の慈悲やキリスト様の愛の実践の手本がありますよ。


宗教の事を言ったり、話したりするとダブ―みたいな所が実際ありますよ。

本来の仏教やキリスト教は明るく誰でも解かり、幸せになれる事を伝えているものと思っています。


自然にそれに沿って、正道を実践できる方は良いと思いますが、

心の進化や高い霊性を身に付けたいと、少しでも思っている方は、

仏の教え、聖書の真理の実践が大切ですよ。


体験という事なら、勝ち組・負け組も合格も不合格も実際はないと思いますが、この世はあっという間に終わりがやって来ます。

この世に生命を受けて、誰でもいつかは死を向かざるおえません。

高橋信次先生もあの世へ持って帰れるものは、人生航路で経験した一切の善と悪、記憶された想念と行為であると言っています。

宗教という名前にあまり囚われて、心を置き去りにしていると、

あの世に帰って、しまったと思っても仕方がない事になってしまいます。

正道に沿った生き方を自然にしている方はよいのですが、粗い現実の生活の中では流されてしまう方が大半ではないのではないですか?


多くの人々は、心の宝を眠らせたまま、五官に振り回され、一生過ごしてしまうと言われています。

人の深層意識はテープレコーダーと同じように、二十四時間、テープが回転し、その方の想念と行為を記憶し続けています。

私達がこの世を去るときには、経済も地位も名誉も持っていくことができないこと、

人生経験の善悪に対する一切が記憶された意識、すなわち魂を持っていくのみであることを悟るならば、

私達は、一日一日を最善の努力で悔いなくすごすべきなのだ。

(高橋信次著 『心の発見 科学篇』 113頁)


あの世に帰って、シマッタと気ずいても遅いのです。

片寄った考え方、ものの見方が執着となり、苦しみの原因を作ってしまいますから、

明るく調和された生活をして行く事が大事なんですね。

良い種を蒔き、悪い種は極力蒔かずに、

正道に叶った思いと行いを実践して行く事が大切なんですね。

それにはお釈迦様の説いておられる仏の道。

キリスト様の残されている聖書の真理を実践して行く事が、すなわち高い霊性を身につける事になるのではないですか?


菩薩は仏教の教え、聖書の中にある真理を自然に出来てこそ、菩薩様と言われるものだと思っています。

正法や真理の実践が出来ていない者には修行者という肩書も使うことは許されません。


聖者でも菩薩でも、、またペテン師、詐欺やまやかし・と言われようが、実はどう思われようがどうでも良いんです。

聖書の中にある真理やお釈迦様の仏教を少しでも伝えられたらとそれで良いと思ってはいますが、

そんな事を言ったところで、自分は真理の実践を出来てはいません(涙)


仏の道や真理を知った者と言いたいですが、、しかし知っているとは言われないですね(汗)

本当の意味で知るという事は実践ができているという事ですからね?

これからも何も変わらずに、お釈迦様の説いておられる八正道や聖書の真理を実践して行く以外はないですね。


三宝出版 高橋信次の本

http://www.sampoh.co.jp/takahashishinji/index.html