光のかけ橋

心と癒しの世界

全カルマの解除?

2010-05-30 19:46:43 | Weblog
天に唾吐けば己に降りかかり、天に石を投げれば己に帰って来る。

捲いた種は自分で刈り取らねばならない。           
 
蒔かぬ種は生えぬ。自分が蒔いた種は自分が刈り取ると言う事は自然の論理ではないでしょうか?

それに自分が行ったものはブーメランの如く山彦のように自分に返って来ます。

それは今世の中で返って来るか、来世で返って来るか解からないですが、

これも真実だと思います。


イエス様も神理の中に、因果の法を語られています。

循環の法則を示されているのではないでしょうか?

すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり

汝ら人を裁くな、審かれざらんためなり

汝ら人の過失を免さば、汝らの天の父も汝ら免し給わん


教祖が信者の代わりに業をかぶる。人の罪を背負うと言う事を聞いた事があります。

はたしてどうだろう?

人の悲しみが自分の苦しみに繋がる場合もあるかもしれません。

人の罪を背負って犠牲を払う事もあるでしょ。

人の悲しみや苦しみや罪を背負ったとしても、肩代わりはできないと思います。

自分を救うものは自分しかないと思います。



地球での輪廻転生中、今まで積み重ねてきたすべてのカルマを解除するみたいな目的のワークがありますね。

全カルマ解除浄化ワーク?

今まで地球上に転生してきた分、そして今世の「今」の時点までの、

全てのカルマを解消・消滅させることを可能にするテクニックだと言われているものがあります。

はたして本当だろうか?

高額な金額によって、全カルマの解除ができて、お金のない方は全カルマの解除ができないの?

そんな事を天は示されているのでしょうか?

自分が創ったものは自分で刈り取ると言ったキリスト様は偽りだったのでしょうか?

それとも時代が変わり、今はそれが出来る時代と言うことですかね?

アセッションの時代に近づいていて、地球が四次元に突入して波動が高くなっていくから

今は地球規模のカルマ解除が出来ると言っている方もいますが、

自分あらゆるカルマ解除を行って来ましたが、そんなインスタントみたいなものはなかった。


滅罪行〔罪障消滅〕仏教系では一定期間を般若心経などお経を唱えて罪障消滅を修法して、

自分の罪障を除法してくださいと願う滅罪行や神道系でも祈願法と言って、同じように一定期間に祝詞をあげて罪障消滅を修法すると言うものがあります。


インドではシヴァやアガスティア聖者などによって、カルマの解消があります。

カルマの解消を行えば、10あったものが、カルマの解消を行ったら2~3ぐらいになるとか、

大けがになる予定だったのが、カルマの解消を行えば、打撲程度になると聞きました。

  
今世で輪廻転生持ち越したアセンションプロセスと言って、アメリカで行われているセッションがあります。

それによるとカルマが50パーセント75パーセントが浄化されると言われいます。

殆どの団体や聖者などは他の方に代って、全解除ができるとは言っていないようです。


バーソロミューの中に記載されています。

カルマなどというものはありません。

ただあるのは、過去の瞬間の記録として人がこの瞬間に持ち込むものだけです。

あなた方は人生を体験する為に創造しているのですから、どうぞ充分に体験してください。

カルマの一時的なものです。

過去の行為にもとづいてカルマを創りたければ、この瞬間、どのような状態でも好きなものを確実に創る事ができます。

あなたはあらゆる瞬間に(自分)を創造しているのです。

あなたは一瞬にして機嫌を直して愛を受け入れ、現在の瞬間に意識を置く事ができます。


こうみてくると業はかぶるものではなく、自分がつくるものだと思います。

信者の業を教祖が肩代わりし、

その為に教祖が人の悲しみや苦しみや罪を背負ったとしても、肩代わりはできないと思います。

信者が業を肩代わりして貰って、安心して安らぐ事ができると言う事は、真実や現実からかけ離れているのではないでしょうか?

結局は、自分を救う者は自分しかいないことだと思います。







■ 真理追求の厳しさ

2010-05-28 22:18:52 | Weblog
山頂を目指して、登るのにどの方角から登っても結局は同じ山頂にたどりつけると思っています

真っ直ぐに登りつける者やいつまでも道に迷っている者やそれに間違っている道だと気がついて引き返す者

それでもいつかは同じ山頂に登りつける事ができると思います。


心ない教祖やまやかしの団体にそれにネガティブなオカルト信者によって、宗教と言う名前に手垢が付けられたと思います。

本来の宗教は太陽の如く満遍なく降り注ぐ光のようなものだと思いますが、その光があれば闇夜を渡るカンテラのようなものです。

闇夜の航海に出るには、必要な羅針盤のようにキリスト様やゴータマ・ブッダの教えの真理が光輝いています。

その光があれば危険な険しい道でも進んでいけるものだと思います。、


今の時代は本来の宗教は捻じ曲げられ、末法の時代だと言われていますが、

人は皆、あらゆる時代を通って学び体験し、少しずつ人間完成に近づいていけるものだと思っています。

その遥か彼方にいるキリスト様やゴ―タマ・ブッタや開祖の通って行った足跡を辿って行く事が大切だと思います。

その真理、正道の大切な事が解からないと、いつまで経っても同じ所を堂々巡りして、

混乱な人生をいつまで経っても抜けて行く事ができません。

宇宙の真理を説いているキリスト様やゴーダマ・ブッタの正法を学び正道を実践してこそ霊性が高まると思います。


このキリスト様やゴーダマ・ブッダの真理を伝えたい気持が強くありますが、

自分はまだ正道を実践出来てないからこそ、もどかしさを感じています。

宗教はもう~古いしそんな時代ではないと言っている方もいますが、

真理はいつの時代になっても変わる事はないと思っています。


仏教は本来明るく誰でも理解できる広いものです。

仏の教えは人間完成への事を教えていると思います。

自分はどの宗教も属していませんが、その仏教やキリスト教とか言われているエネルギーに属しているから仕方がないと思っています。

線香臭いと言われようが宗教に入っていると勘違いされようが、

開祖が通って行った道を、少しでも伝えられたら自分が生まれた来た目的に近づいていけるかなと思います。


この地球に生まれ、誰もが皆一列でスタートしたと思います。

宗教に限らず、どの分野にしても人間完成に近づいて行けるものと思います。

輪廻転生を繰り返しながら、魂が渇望するまで、あらゆるものを体験し続ける事になると思います。


それには自分が何者か言う事を思い出す事が大切だと思います。

人間は皆神の子なんです。本質が同じで、同じ能力・資質を持っています。

例え神の子で、本質が同じで能力も資質を持っていても原石のままでは光輝く事はできません。

それがもしそうであるならば、人間完成に近づいて行ける為には何をしなければならないと、自ずから解かって来ると思います。


ルカの副音書6障あるような真理を実践出来てこそ、山頂に辿りつけると思っていますが、

それも夢のまた夢かもしれません。

まだ往くたびも輪廻転生をかさねながらいつかは、山頂に登りつけれるかもしれません。

それにはまず真理の実践です(汗)




ルカの福音書6章27-38節  「あなたがしたように、あなたにもされる。
 

luk6:27 しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。

luk6:28 あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。

luk6:29 あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。

luk6:30 すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。

luk6:31 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。

luk6:32 自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。

luk6:33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。

luk6:34 返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。

luk6:35 ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。

luk6:36 あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。

luk6:37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。

luk6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

■ 魔にまけるな。

2010-05-25 14:06:37 | Weblog
チャネリングとか通して、沢山の方がリ―ディングのメッセージを貰ったりしていますが、

本当に天使のメッセージか?それとも魔のメッセージがよくよく本質を見ないといけないと思っています。。

ガイドか?それとも闇の存在か?

魔と言う者はいつの間にかうまくこちらに入り込んでくる。

虚栄心ある方にはあなたは特別な存在だ、あなたはミカエルの生まれ変わりとか、高次の名前を使ってくるのです。

あらゆる手を使って、少しずつ隙間から入り込んできます。

またはメシアであって、この地球を救う運命を持っているとかあります。


一番始末が悪いのは、本人は騙されている事がまったく気づかないし、反省や悔い改めも顧みないのです。

一念三千どこにでも通じる心の波長の原理によって、魔にも天も近よってくるみたいですね。

心の不調和の時など瞑想したり、心がからっぽの時などは特に注意をしないと憑依さね兼ねません。

天使が入って来たと思っても、実は蛇の動物霊だったと言う事にもなりますからね。

一念三千どこに心が向いているか?たえず、自分の心をいつも見張らないと魔に支配されます。



欲が生じたり、おごる、金儲けの手段に使いますと守護霊はその方についていれず離れていきます。

そのすきに動物霊や魔王が入ってくるのです。

そのおごる気持が動物霊や魔王と同通するのです。

スピリチャルなものを求める方は普通の方よりも、イエス様やお釈迦様の正法を常に行じてゆくように心掛けないといけないと思います。


その低次元からのメッセージだと見破る為には判断できる方法があると言われています。

高次元のメッセージには愛の香りがすると言われています。

愛だけしか使わないと言われています。判断基準は愛だけみたいです。

それに引き換え、低次元の存在は虚栄心。不安、恐れ、強制など使って来ます。

ネガティブなものがメッセージに入って来た場合は相手にしない事が大切です。


自分の事を言うのも気がとがめますが、今まで沢山のティチャ―やマスターとの面識がありますが、

スピリチャルティチャ―から良く言われます。創造主からあらゆる神仏や天使がそうぞろいして、お仕事をしなさいとか?

自分はお役目とか使命と言う言葉の響きが好きではありません。

これからも誰に言われようが、自分のしたいようにするだけです。

でも、そう言っても正道を伝えたい思いは、とても強く心の中で掻き消せないものがあります(汗)


○○太子・○○菩薩・○○○ヨハネ・神会からやって来た知恵を持った者または妖精とか今まで沢山の事を言われてきました。

それも同じように虚栄心を満足させられるものは充分にあると思います。

もしそれが本当であったとしても、何事も囚われたり、執着しないと言う事が大切です。

こう言ったところから自分の理性が負けて、魔に支配される事になると思います。

そうならない為らは思いを手放すと言う事が必要になってきます。


チベット仏教のダライラマさんが、観音様の生まれ変わりだと言われていますが、

その影響力は計り知れないぐらい大きくて、世中を駆け巡っていると思います。

松下幸之助さんはキリストの弟子の一人、ルカと言われていた方と言われてます。

世の中の為に社会全体に影響力があって、貢献した方ばかりです。

凡人には到底達成できる事ではないと思いますが、自分ら凡人は身の回りから少しずつ思いと行いを通して、社会に貢献したいものです。


こんなたとえ話しをある教師から聞いた事がありました。

真実かどうかわからないですがね!?

お金持ちはありあまる大金の中からほんの少しをイエス様に渡されたけど、

マグラダのマリア様は何もあげる事がないから、自分の髪を切って、これで油代にしてくださいと言われたといいます。

女の命と言われるとおとい髪を切って、キリスト様に差し上げたと言われがありますからね。



過去世を知って、悪い業(カルマ・心の傾向性)を修正することは、人生修行の目的でありますが、

過去世がどのような人であろうと、今生(こんじょう)は今生であり、大切であることを忘れてはならないと思います。 

永遠の中の今を生きているんだから、永遠の今を見つめていかないといけませんね。


自分はクンダリ二―覚醒や悟り(見性)と言って、スピリチャルな世界でも珍しいと言われる体験をしています(汗)

インドでも聖者の類と言われている体験をしていて、如来とか菩薩の再来だとだと言われていますが、

でも、ほんと今まで体験して来た事は心の進化の過程であって、広大無辺な悟りの中ではほんの少し入り口に入っただけです。

それには右にも左にも偏らず中道を通して、八正道を実践出来てこそ、本物だと言われるかもしれませんね。


八正道は己の心を中道という調和に引き戻す神の模範、心が自然についていける自分自身になった時に初めて菩薩の行が整ってくると言われています。

八正道も知らず、心の調和も為し得ない者には菩薩行は為し得ないと、高橋信次先生や園頭広周師がおっしゃていますね。


実際この八正道を実践していけば行くほどとても困難な事に気が付きます。

サイの河原と言う例え話がありますが、積み重ねられた石が一瞬にて崩れてしまいます。

この自分も積み上げられたと思ったら、また崩れ落ちてしまったと言う繰り返しなんです。



正法が流布される時には、必ず魔が競い立つと言われています。

魔はお釈迦様の教団内に暗躍を重ねて、弟子達の心の中に入り込み、手を変え、品を変え、ゆさぶり続けたと言われています。


イエス様の時代もそまざまな妨害がイエス様の身辺に起こり、常に薄水を踏む毎日であったみたいです。

またモーゼ様の場合でも、外部から直接攻撃があったと思うと、今度は内部から動揺が起こり、神様を信じる人々の心の動揺が広がったと言われがあります。

それらを考えますと、とても自分などの凡人はひとたまりもなく呑み込まれてしまいます。


魔にとって、正法は大敵であって、地上に浸透してき、人々の心をあやつり、地上の欲望を果たしていくみたです。

一念三千のに心はどこへでも通じるように出来ています。

人はみな、天使と悪魔の両方を併せ持っているみたいですからね。

魔は良く自分の心にある、内から外へ。外から内に向かって、常に揺れ動くものです。

魔に支配されそうな人は金銭欲、地位名誉、権力、虚栄心を満たそうとする人々です。

■ 魂の友の続編

2010-05-23 13:08:38 | Weblog
若い時に、ふと思ったことがありました。

自分のソウルメイトは、ある地域でこんな職業している方ではないかと思った事がありました。

まぁ~ふと思った幻想だから、気にもとめませんでした。

それはまだ見ぬソウルメイトでした。

それが後から現実になろうとは夢にも思えませんでした。


ある実家の近くにあるお店に行った時に、その方と偶然出会ったのが始まりました。

それからというものは幻想に悩まされましたね(笑)

それから偶然、近くの○○に○を連れて行った時に、偶然その方がいました。

その方が職業を変えていたのか?偶然また出会ってしまいました。


その後にその方の勤めている○○に母を連れて行かないといけない事態が発生しました。

現在の母と前世の母が二人前に居て、それに自分がいました。


この女性の事は一切解からない状態でしたが、後から解かった事なんですが、

なんと住んでいる所と職種も昔、ふと思った事が偶然同じでありました。

それと夢の中に意識が保たれた時に炎の鏡を見たら、この方はソウルメイトだと気づきました。

その方が今、時空を飛び越えて自分の眼の前に姿を現している。なんとも不思議なものでした。

実際、自分の前世の母だったんではないかと思っています。

前世の母とあって、強く引きつけられるものがありました。

自分の心の中にあるものや理想像とか言うものをこの方には持っていました。

もう~彼女は嫁いでいますしね。

今だから言えることなんだと思っていますが、、自分だけの秘密の宝物と思って封印していました。

そりゃ~なんの根拠もない妄想の世界ですのでね。

はるか何百年の時空を超えての出会いであったと自分は思ってます。


縁と言うものはほんと不思議でもありますね。

前世のゆかりの方(前世の母、恋人、子供も妻)と今世で出会って、電気が走るほどの衝撃を受ける事があります。

前世での繋がりが親子であったり、夫婦だったりした場合は現世でも同じような関係を繰り返すと言われています。


つまり前世で母親だったのが現世では妻だったり、娘が現在の妻だったりして、

同じソウルグループ同士がお互いの役割を通しながら学び、成長していくみたいですね。

前世のゆかりの人に強く引かれる要素はあると思いますが、

その時の意識レベルが相応しい方を決めて行くのだろうと思います。


前にも言った事がありますが、運命の相手は決まってるのかと良く言われますが、

ある程度は決まっていると言えるかもしれませんね。

遊園地に入ると決まっている時に、ジェットコースターから乗るのか?

それともメリーゴーランドや観覧車から?

乗る順番は自由ですが、遊園地に入ると決まっているのは変わりがないですからね。


それとどれから乗るのか?乗る順番は自由意識にまかされるだろうと思いますが、

それも偶然ではなくて、乗る順番も必然かもしれませんね。

犬が鎖に繋がれている範囲の自由があると言えると前の日記にも書いています。


もしかしたら自分の乗る順番が違っていたらどうなっていたのでしょうかね?

でも、相手も自由意識がありますし、選択次第で結果は随分変わっていただろうなと?思いました。

観覧車を乗ろうと決めていたけど、何らかの事情でジェットコースターを乗らずにおれないものだったらどうだろう?

乗り間違えたのではなくて、選択したものがそのような結果を招いたことかもしれませんが、

あくまでもこれも運命だったのでしょね~(汗)



運命のは決まっているわけではなくて、これも自分の魂レベルに合う人が引き寄せられて、

その自分の波動に近い人が運命の人になるのではと思います。

どう言う体験をすれば最初も自分らしく成長できるのかと言うことが一番大切だと思いますね。


どうやら自分の意識レベルの近い人が運命の人になりそうですね。

結局は自分が出している波動次第で、自分が運命の相手を手繰り寄せて行くのでしょうね。

類は友を呼ぶ法則がありますからね。

縁と言うものはほんと不思議でもあります。



■ 信念体系領域

2010-05-22 15:49:07 | Weblog
ラムサのホワイトブックの書籍に記載されています

地獄とは何のことだか知っているだろうか?

それは古代ユダヤ王国において、地面を浅く掘っただけの墓の事を指すのに使われた言葉だ。

ラムサは言う。

この燃えさかる火の海なるものを見つける為に、あなた方の世界の奥深く、つまり地球の中心を覗き込んだ事があるが、

そんなものはなかった。


この責苦を受ける場所を見つける為にあなた方の宇宙の端まで行ってみたが、そこには何もなかった。

同じ場所でも悪魔も探してみたが、どこにもなかった。

そして戻った時に、悪魔や地獄を信じる人間達の心の中にそれを見つけたのだ。

しかしそのような場所があるわけではない。


神との対話にも記載されています。第一に、彼は(ヒトラー)彼は地獄に行っていない。地獄と言うものがないからだ。


結局は地獄や天国は自分が作りだしているみたいですね

人間は神の子と言われています。

その神から同質のものを持っていて、創造を与えられたと聞きます。

非物質界では、想像したものが現実すると言われていますから、自分の信念によって、創りだされる現実は真実となるのでしょうね。

思いは幻想、結果は化けてくると言った老師がいましたが、まさに自分の信念が創りだして結果が現れてくるみたいです。

天国も地獄も自分達の信念によって具現化してしまいます。


この三次元では荒い波動だから、結果はすぐに現れないみたいだけど、非物質界では一瞬にて思った事が現実になると聞きます。

非物質界では人を殺して、貶しめている事を想像をしても現実になるみたいです。

思ったことが一瞬で現実になるみたいですね。


この三次元では荒い波動だから結果はすぐに現れないみたいだから、すぐに反省して、修正すれば浄化できると言われます。

でも、心の中で人を殺めることを想像したら、殺人と同じようなものだと聞きました。

この三次元世界では荒い波動の世界に住んでいるんだし、人間だから喜怒哀楽を持っているのだから仕方がないかもしれません。

二面的なものがある世界だから、自分で選択して、望む現実を再構築していけたら良いと思います。

今までの自分の常識的な信念だと思っていた信念を一度見直して、掴んでいる信念を手放して想像しなおすのも非常に大切だろうなと思いますけどね。

それには心の指示が何処に向いているかが大切だと思います


宗教の世界では亡くなったら、生前良い事をしていたら天国に行くよと良くいいます。

その反対に犯罪とか悪い行いをしていたら、地獄に行くといいますよね。

その自分達の信じた信念がそういうところを具現化してしまいます。


ある老師のお話に、人は死ぬ間近に悟って、自分の通って来た人生は間違っていたと反省したら天国に行けるかと言う問いがありました。

実際死ぬ間近に悟って、人生の間違いに気が付いたら天国にいけるかもしれないけど、

その死ぬ間近に悟れる事は絶無にないだろうと言われました。

殆どの方が生前の犯した過ちの罪の大きさにおし潰されると言っていました。


間違っていたら、ごめんなさい。小さい時に聞いた覚えがあります。

親鸞聖人の言葉の中に罪びとは、自分の犯した罪が解かっているから、一言助けてほしいと言うことで救われると聞きました。

善人と思っている善人は自分が正しいと思っているから、決して間違っていなかったと反省しないし、

一言助けてほしいと言わないから救われないと定かではないですが、こんな事を覚えていた記憶があります。

確かにその善人は間違った事をしなかったかもしれませんが、良いことをしたかといいますとどうだろうか?

宇宙が進化するように人もまた進化して行くでしょ。

この世に生まれて、間違った事をしなかっても、良いことをしなかったら、これは後退を意味するのではないでしょうか?



確かに悪いことをしていなかったから天国に行けると思っていたら、信念によって地獄にはいかないものと思いますが、

死んだら幻想が剥がれていきますから、真実が現れて来ます。

その時におのずと自分の行くべき場所が解かって行くのではないでしょうか?

神様から人間は想像を与えられていると言われますから、その想像によって現実になるんだと思います。


お墓には私はいませんと言う歌がありましたね。

昔の方は死んだら、お墓に入るとかお墓に眠ると良く言いますよね。その信念によってお墓に行くでしょうね。

私はお花畑が好きだから、死んだらお花畑に行くと言っている方は一杯あるお花畑けに行くと思います。

死んだらサイの河原に行くと言う方もサイの河原が具現化してくると思います。

自殺した人や、自分には罪があり地獄に落ちると思っている霊も同じくその信念によって、自分が創りだした世界に行くのでしょうね。

死んで、幻想から目覚めるのではなくて、生前のうちに幻想から目覚める事が大切なんだと思います


■ ソウルパートナー

2010-05-22 07:54:50 | Weblog
ソウルメイトだと思っても結ばれる相手とは限らない

輪廻転生の中には何百回や何千回の転生があると言われていますからね。

この世と言う大きな人生の舞台で、誰もが主役演じています。

人生と言う大きな舞台には悪役もいれば、脇役もいると思います。

お互い役割を通しながら学び、成長して行くだろうなと思います。

学びが終われば自然に離れて行き、また別の課題をクリアする為に出会いがあり、人生を織りなして行くのでしょうね。

どう言う舞台を演じて、最初も自分らしく成長できるかと言うことが大切だと思います。


ある有名な占星術師などは30本前後ぐらい運命の相手がいて、赤い糸の中にはいくつかの種類があると言っています。

[3~5本ぐらいは濃いくて太い運命の赤い糸]で、それと細い運命の赤い糸は20本前後存在しているみたいです。

細い赤い糸とは前世縁があったのみたいですが、特に縁が濃いとはいえない関係にあった人達みたいです。

だから、充分忙しく過ごせるだけの相手はいると思って、自分の理想に近づける自分でありたいものです。

自分の波動を高めていれば高い人が現れるでしょうし、自分の波動が低ければ、同じような相手が引きつけられるものと思います。

70億人の中で自分の運命の相手はたった一人しかいないと考えるのは可笑しいんです。


自分のマイミクさんの日記にも書いています。

≪結婚する人というのはあらかじめ決まっている”なんてことも言われますけど、それは本当なんですか?

「まあ、ある程度はね…。でも結局は本人の意思に委ねられるところも大きいね」

あう~~~~! じゃあ“運命の人”をみすみす自分から逃していたってこともあるわけですね…。

「結婚したいという強い意識のエネルギー同士が、そういう縁を引き寄せるのだよ。

だから口では結婚したいと言いながらなかなか結婚できない人もたくさんいるだろうけど、

そういう人は本音のところでは、そんなに結婚したいと強く思ってはいないのではないかな。

まだ自由でいたい。もっと遊びたい、いろんな異性と付き合ってみたい、という気持ちが心のどこかにあって、

なにがなんでも結婚したいという意識が、口で言うほどは強くないのかもしれないね。自分にその自覚がないという人もいるかもしれないだけで、≫


光のかけ橋の項目にも載せてあるんですよ(汗)

本当のパートナーは年収とか学歴とかではなくて、

愛のみしか必要でないので、それを引き寄せるには愛が大事なポイントになってくると思います。

本当のパートナーとは、心・魂で、感じているものであると思います。

魂に響くような出会いをするためには、自分のハートに、開く事が大切なんだと思います(汗)

それには、自分を愛するということが前提にないと、それ相応な相手と巡り会う事になると思います。

バシャールと言う知的生命体も言っていますが、自分には価値がない、自分には欠けてていると思ったなら、

欠けているとか価値がないと言う感覚を反映するようなパートナー相手を引きつけると言っています。

今は関わりあっているどんな相手であろうとも、自分が学ぶべき事を学んでいる限り、その関わりある期間中はソウルメイトみたいですね。

それとエクトンの書物にもありますが、ソウルレベルでは深く繋がっていると実感できる相手は数十人はいるそうです。

輪廻転生があると言う定義でお話をしますと、ソウルイトは結構いると言われています。

だから70億人の中で自分の運命の相手はたった一人しかいないと考えるのは可笑しいんです。

充分忙しく過ごせるだけの相手はいるそうです。


それと出会い別れは誰もが同じように必然で訪れます

地球には生まれた以上逃れる事ができないものの一つだと思います。

運命の相手は決まってるのかと良く言われていると思いますが、

ある程度は決まっていると言えるかもしれませんねぇ~

遊園地に入ると決まっている時に、ジェットコースターから乗るのか?

それともメリーゴーランドや観覧車から?

乗る順番は自由ですが、遊園地に入ると決まっているのは変わりがないですからね。

それとどれから乗るのか?乗る順番は自由意識にまかされるだろうと思いますが、

それも偶然ではなくて、乗る順番も必然かもしれませんね。

犬が鎖に繋がれている範囲の自由があると言えそうです。


運命のは決まっているわけではなくて、これも自分の魂レベルに合う人が引き寄せられて、

その自分の波動に近い人が運命の人になるのではと思います。

どう言う体験をすれば最初も自分らしく成長できるのかと言うことが一番大切だと思います


どうやら自分の意識レベルの近い人が運命の人になりそうですね。

結局は自分が出している波動次第で、自分が運命の相手を手繰り寄せて行くのでしょうね。

類は友を呼ぶ法則がありますからね。

縁と言うものは不思議でもあります。


前世のゆかりの方(前世の母、恋人、子供も妻)と今世で出会って、電気が走るほどの衝撃を受ける事があります。

前世での繋がりが親子であったり、夫婦だったりした場合は現世でも同じような関係を繰り返すと言われています。

つまり前世で母親だったのが現世では妻だったり、娘が現在の妻だったりして、

同じソウルグループ同士がお互いの役割を通しながら学び、成長していくみたいです。

前世のゆかりの人に強く引かれる要素はあると思いますが、その時の意識レベルが相応しい方を決めて行くのだろうと思います。


自分のおかれた課題がクリアして、学びが終われば自然に離れて行き、また別の課題を克服する為に新たな出会いが待っていそうですね。

それと世代ごと、それぞれの役割が変わって行くのでしょうね

■ 光の経文

2010-05-17 15:14:02 | Weblog
※経文の意味を理解し実践している者が唱える言葉は言霊(ことだま)の発する言葉の一つ一つが、光の玉となって空間に流れ出て行く。




心行」について

「心行」は、大宇宙の相互間系と人間関係、そして、すべてのものが循環され、この循環が大宇宙の心、中道を軸にして回転

し、人間の魂もまたこうした正しい循環の過程の中で育まれ、調和という目標に向かって転生輪廻を重ねて行く永遠の生命体

であることを、きわめて平易に、端的に文字で表したものである。


「心行」の柱となるものは

1、大自然という神の心2、永遠の生命体を維持する循環の法3、慈悲と愛の三つである。この三つが「心行」を形作り、私

達を生かし続けているものであり、「心行」はそれゆえに心の教えであり生活の規範である。

したがって、これは暗記するも

のではなく、これを理解し実践して行くものだ。実践の過程を通して大宇宙の中道の心に調和され、真の安らぎが体得できる

ものである。


言葉は波動である経文もただ読み上げるだけでは意味を持たないが経文の意味を理解し実践している者が唱える

時はその言葉の波動はあの世の天上界まで通じ人々を感動させる。

言葉は言霊(ことだま)と言って光の粒子からできており、言葉を発する人の心の在り方いかんでは、言葉の一つ一つが、光の玉となって空間に流れ出て行く。

人の話に感動する、ないしは笑いや怒りが出てくる場合は、話す側の心と、これを受け取る人の精神状態によっても違うが、

しかし、純な心で話す場合は、これを受け取る側に邪心があっても、消えてしまう。

また、話はスジが通ってわかるが、サッパリ気持ちが付いていかないということもあるであろう。

これは話す人の心の在り方が聞き手に大きな影響を与える。


純な心は光であり、わだかまりがあると光が黒い塊となって相手に伝わって行くので、反作用を起こすことになる。

ちょつとした寺には釣鐘があるが、常日頃心の研鑚を怠っていなければ、鐘をツク人の心の在り方によってはゴーンという鐘の音の波動もあの世の天上界にまで

達し、その人に返ってくるばかりか、その鐘の波動は人々の心を浄化してくれる。

経文の朗読もこれと同じで、正しき心と行為をしている者がすると心の統一、安らぎを尚一層助長していく。


「心行」の朗読はそうした意味では大切であり、しない限り良いということになるが、書かれている意味もわからず、拝めばご利益があるということでは駄目である。

般若心経はどこでも読まれているありがたいお経であるとされている。

写経も良し読経もまたご利益があると伝えられている。

しかしその意味も分からず行為のないものが朝晩あげても光は届かない。


今日の仏教は、経文をあげたり写経自体にウエイトがかかり、日ごろの想念と行為については問題にしていないところに問題がある。

「心行」は真意をよく理解して、それを現実の生活の上に現し、その心で朗読されるならば、一の言霊はニになり、三になって心の安らぎは増していくであろう。

「心行」の意味を理解され、夜眠る前に床の上で静かに朗読されその日一日の想念行為を反省し、過ちを正し中道の心に一日も早く修正されることを

望むものである。

「心行」は宇宙の神理、人間の心を言霊によって表現したものである。それゆえ「心行」は読むものでも、暗記するも

のでもなく、これを理解し行うものである。正法は実践の中にこそ生命が宿ることを知れ。


 


心行         高橋信次



《心行は 宇宙の神理 人間の心を

言霊によって表現したものである

それゆえ心行は

拝むものでも 暗記するものでもなく

これを理解し 行うものである

正法は 実践のなかにこそ

生命が宿ることを知れ》



われいま見聞し

正法に帰依することを得たり

広大なる宇宙体は

万生万物の根元にして

万生万物相互の作用により

転生輪廻の法に従う

大宇宙大自然界に意識あり

意識は大宇宙体を支配し

万生万物をして調和の姿を示さん

万生万物は広大無辺な大慈悲なり

大宇宙体は意識の当体にして

意識の中心は心なり

心は慈悲と愛の塊にして

当体・意識は不二なることを悟るべし

この大意識こそ

大宇宙大神霊・仏なるべし

神仏なるがゆえに 当体は大神体なり

この現象界における太陽系は

大宇宙体の

小さな諸器官のひとつにすぎず

地球は

小さな細胞体なることを知るべし

当体の細胞なるがゆえに

細胞に意識あり

かくのごとく 万物すべて生命にして

エネルギーの塊りなることを悟るべし

大宇宙体は大神体なるがゆえに

この現象界の地球も神体なり

神体なるがゆえに 大神殿なるべし

大神殿は 万生 魂の修行所なり

もろもろの諸霊 みなここに集まれり

諸霊の輪廻は 三生の流転

この現象界で己の魂を磨き

神意に添った仏国土・ユートピアを

建設せんがためなり

さらに 宇宙体万生が 神意にかなう

調和のとれた世界を建設せんがため

己の魂を修行せることを悟るべし

過去世 現世 来世の三世は

生命流転の過程にして

永久に不変なることを知るべし

過去世は 己が修行せし前世

すなわち

過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり

現世は生命・物質不二の現象界

この世界のことなり

熱 光 環境 いっさいを含めて

エネルギーの塊りにして

われら生命意識の修行所なり

神仏より与えられし

慈悲と愛の環境なることを感謝すべし

来世は次元の異なる世界にして

現象界の肉体を去りし諸霊の世界なり

意識の調和度により 段階あり

この段階は

神仏の心と己の心の調和度による

光の量の区域なり

神仏と表裏一体の諸霊は 光明に満ち

実在の世界にあって

諸々の諸霊を善導する光の天使なり

光の天使 すなわち

諸如来 諸菩薩のことなり

この現象界は

神仏よりいっさいの権限を

光の天使に委ねしところなり

光の天使は慈悲と愛の塊りにして

あの世 この世の諸霊を導かん

さらに 諸天善神あり

諸々の諸霊を いっさいの魔より守り

正しき衆生を擁護せん

肉体を有する現世の天使は

諸々の衆生に正法神理を説き

調和の光明へ導かん

この現象界におけるわれらは

過去世において

己が望み 両親より与えられし

肉体という船に乗り

人生行路の海原へ

己の意識・魂を磨き

神意の仏国土を造らんがため

生まれ出でたることを悟るべし

肉体の支配者は 己の意識なり

己の意識の中心は心なり

心は実在の世界に通じ

己の守護・指導霊が

常に善導せることを忘れるべからず

善導せるがために 己の心は

己自身に忠実なることを知るべし

しかるに 諸々の衆生は

己の肉体に 意識・心が支配され

己が前世の約束を忘れ

自己保存 自我我欲に明け暮れて

己の心の魔に支配され 神意に反し

この現象界を過ぎ行かん

また 生老病死の苦しみを受け

己の本性も忘れ去るものなり

その原因は煩悩なり

煩悩は

眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が根元なり

六根の調和は 常に中道を根本として

己の正しい心に問うことなり

己の正しい心に問うことは反省にして

反省の心は

己の魂が浄化されることを悟るべし

己自身は孤独に非ず

意識のなかに己に関連せし

守護・指導霊の存在を知るべし

守護・指導霊に感謝し さらに反省は

己の守護・指導霊の

導きを受けることを知るべし

六根あるがゆえに 己が悟れば

菩提と化すことを悟るべし

神仏の大慈悲に感謝し

万生相互の調和の心が

神意なることを悟るべし

肉体先祖に報恩供養の心を忘れず

両親に対しては 孝養を尽すべし

心身を調和し 常に健全な生活をし

平和な環境を造るべし

肉体保存のエネルギー源は

万生を含め 動物・植物・鉱物なり

このエネルギー源に感謝の心を忘れず

日々の生活のなかにおいて

己の魂を修行すべし

己の心・意識のエネルギー源は

調和のとれた日々の生活のなかに

神仏より与えられることを悟るべし

己の肉体が苦しめば 心悩乱し

わが身楽になれば 情欲に愛着す

苦楽はともに正道成就の根本に非ず

苦楽の両極を捨て 中道に入り

自己保存 自我我欲の煩悩を捨てるべし

いっさいの諸現象に対し

正しく見 正しく思い 正しく語り

正しく仕事をなし 正しく生き

正しく道に精進し 正しく念じ

正しく定に入るべし

かくのごとき正法の生活のなかにこそ

神仏の光明を得 迷いの岸より

悟りの彼岸に到達するものなり

このときに

神仏の心と己の心が調和され

心に安らぎを生ぜん

心は光明の世界に入り

三昧の境涯に到達せん



《この諸説は 末法万年の神理なることを悟り

日々の生活の師とすべし》



◎古庵は個人はここにある宗教、団体とか一切関係はありません。

◎経済的にお困りの方や身体障害の方にはヒーリングを無償で行いたいと思います。
お気軽に問い合わせください。


三宝出版 高橋信次

http://www.sampoh.co.jp/takahashishinji/index.html

  



■ 光を入れる実際の方法」  園頭広周師指導

2010-05-17 10:49:04 | Weblog
病気はその人の歪められた心の現われであり、心の持ち方を変えればかわるものである。病気という動かすべからざる頑とした存在がそこにあるのではない。

だから、動かし難い病気というものが、その人の肉体の中にあるという固定的な観念を持ってはならないのである。

 
一、光を入れる前に瞑想、禅定して心を調和させ、愛で心を満たす。

 
二、相手を仰臥させ、額に手をふれる。また坐ってやる場合は前頭部と後頭部に手をあてて、次の祈願文を唱える。

 
「大宇宙大神霊、仏よ、この人の心に安らぎをお与え下さい。この人の体に光をお与え下さい。

実在界の諸如来諸菩薩、光の天使、この人の心に安らぎをお与え下さい。この人の体に光をお与え下さい。

守護、指導霊よ、この人がこの肉体を持って生まれてこられました使命を充分に果たすことができますように、心の内より正しくお導き下さい。」

(このように、天上界からの導きを祈るのである。祈願文を唱える理由は前述した通り。)

                        三、肉体を支配している本人の意識(霊)に向って次のように説得する。

「肉体を支配しているこの人の霊よ。あなたは罪の子ではない。あなたは神の子です。あなたはこの肉体を持って霊の修業のために現われた霊であることを自覚して下さい。あなたは完全にこの肉体を支配して、この世に生まれてきた使命を果たさなければならないのです。」


(このように念じて、その人が完全に肉体を支配している状態を思念する。)

 

四、ついで患部に手を当てる。

例えば胃が悪い場合、一方の手を胃の上に、一方の手を背に当てる。

仰臥している場合は、一方の手だけ胃の上に当ててもよい。この時に、「ここに悪い胃がある」と思ってはならない。

「既にそこが光に満たされて健全である」と思念する。そして、手を当てて次のように念ずる。

「胃の細胞よ。あなた達も神の子である。あなたたちは神の子として、この人が霊の修業のためこの肉体を持つ時に、あなた達はこの人の肉体の細胞となって、この人がこの世にあらわれた使命を十分に果たすことができるように、この人に協力するために現われてきた筈です。あなた達はそこにおいて、このように不調和を来してはならない。あなた達はあなた達として使命を自覚して、神から与えられた使命を自覚して本来の機能を回復しなさい。」

この言葉の通りでなくても、自分の心にもっともぴったりとくる言葉で念ずればよい。

胃を病気にしたのは本人なのですから、この時本人は、心の中で次のように念ずることである。

「本来、健全であったあなた達を自分の不調和、不心得によって知らず知らずのうちにあなた達(胃の細胞)を不調和にし、申し訳ありません。私は今、反省しました。私は今、健全な調和された心になりました。だから、あなた達も光を受けて早く健全になって下さい。」

そのように念じて既に胃が健全である状態をアリアリと心の中に描く。

手を当てている人も、既に胃が完全であることをアリアリと心の中に画いて、息を吸う時に、単に空気を吸うと思わないで「神の光」を吸うと念じて下腹に一杯息を吸う。

下腹に一杯吸った時に、自分の全身が光に満たされて輝いている状態を想念する。

息を吐く時に、自分の体内に満ち満ちていた神の光が、手を通してその人に流れ入り、その人の患部が癒され、全身が光に満ち満ちている状態を想念する。

この時にその人の体内の悪いものは、体内が光に満たされてゆくと同時に、足の爪先からみな流れ出ると想念する。

この場合、大事なことは、何度も言うように自分がしているのであるという心にならないことである。

神がすべてのものを生かし、愛さんとしているその神の愛の完全な通路になることで ある。

強力に光を送らなければと力む必要はないのである。光を入れる 

時間は一日三十分位が良い。


Youtube-GLA関西本部

http://www.shoho.com/
 


アガスティアの葉

2010-05-17 10:47:02 | Weblog
アガスティアの葉とは、聖者アガスティアが5000年くらいに昔にシバ神やガネーシャを拝んで神の声を聞き、個人の未来を書き残した個人レベルの預言書と言われているものです。

知り合いにナヴラグラハのプ―ジャの祈願を依頼した時に、聖者アガスティアが残した個人の予言書と言うものがあると聞きまして、

ナヴラグラハプ―ジャとついでにアガスティアの検索も依頼したら、安くなると言う事でしたので、アガスティアの葉の代行もついでに依頼しました。

もう~随分昔の事だし、今更言うのもどうかなぁと思いましたが、今だに検索を代行して貰っている方が沢山いるみたいですね。

良心的な料金ならともかく高額な金額を請求される、ナディリダーもいると思いますので、多少参考になれたならと思っています。




知り合いの代行者から連絡がありましが、第13室の救済法(カルマの解消)は○○○○年○月○○日(金)に完了しました。

カルマの解消は日本にある仏教のお寺に行って、自分の年齢と同じ数だけのロウソクを立ててお祈りをしなければならないと言うことでした。

アガスティアの予言の事は一番下の欄に詳しく検索画像がありますので、そちらを見てください。


自分の知り合い関係に天台宗の住職がいるから、この方に事情を説明してカルマの解放祈願して貰う事になりました。。

この住職さんはテレビに出ていたみたいでしたが、霊能力とかは持っていませんでした。

それなのにテレビ出ていて、徐霊を行っていたのはお教の力だったのかなぁ?思います。



お寺ではアガスティアの葉の第13章のカルマの解消分の自分の年齢のロウソク数だけを供えて、祭壇に祭って祈願して貰いました。

祈願が済み話に花が咲いて、とうとう自分が作って持って行ったロウソク立ての土台にロウソクの炎が移ってしまい。

そのお寺の教台まで燃やしてしまった。

ほんと火事になりそうなぐらいの火の大きさに驚いて、住職と二人が慌てて外に教台持って出まして、そのまま海に投げ込みました(笑)

自作で作ったヘボな手作りのロウソク立てだから、仕方がなかったと反省もしましたが後の祭り。

結局祈願料と燃やしてしまった教台分と合わせて、3万円わたして帰る事になったんですよ(涙)


そりゃー教台が燃えるのも解かりますよ。

話が長いんだものねぇ~祈願が済んでも熱く語りあったのがいけなかった。

でも、第13章のカルマの解消は無事に終了する事になりましたが、

カルマの解消というよりも、祈願と言った方が良いように思う。

だから自分としては、お不動さんの前で行われたカルマの解消と言うのは

祈願と思っています⁉

このアガスティアの検索に言われているようにカルマの解消を行う事によって、災難は過ぎ去り人生の向上、発展になるであろうと言う事みたいです?

でも断定はしてない〜

あくまであろうと言うことみたいですね🖐️


めでたし、めでたしかな?




<第1室>


救済法を行うことによって、人生の向上、発展があるであろう。(救在法を行う事が前提みたいですね。)

数え年○○~○○歳の時に、人生で何か良いことがあるであろう。


○○の財産<本人が財産と思うものは何でも>から何か恩恵を得るだろう。

その○○が、この者にもっと恩恵をもたらすだろう。

○○のことは何も問題はないだろう。


数え歳○~○のとき、女性から幸福がもたされるだろう。

数え歳○~○のとき、~

数え歳○~○のとき、~

数え歳○~○のとき、~

数え歳○~○歳の、楽しい人生を送るであろう。そして、数え歳○○歳以上生きるだろう。


以下省略




<第7室>

聖者アガスティアは神の足元にひれ伏し祈りを捧げた後、この者もの[第7室]内容を語りはじめる。


神の恩恵によって、数え年○歳のとき、良い事が起こるであろう。

また、女性から望みどおり愛情や友情に恵まれるだろう。

その後、自らの努力によって結婚するだろう。そして家庭を持つだろう。(自らの努力よって?努力なしでは何も発展はないそうです。)

本来の妻は、良い体型をしていて、身長この者と同じぐらいだろう。

彼女家は、この者の家から見て○から○○の方向にあるだろう。(自分の生まれた実家の方角から見ての事です。)

この者の家から彼女の家までは○時間半くらい距離があるだろう。
(5000年前のインドから見て、今の乗り物は解からないし、インドでは徒歩の可能性もあると言うことみたいです。)

彼女の家のある通りは○○に走っているだろう。

家の付近には、家から良く見える所に神社や工場があるだろう。

彼女は、父親か母親のサポートや援助を得ているだろう。

彼女は○子ではない。

彼女の右手[右手指先から右腕の付け根]か顔には目立つ○があるだろう。(大体もアガスティアの検索にはこのような内容の事が出ていると思います。)

彼女の名前は現代風な○だろう。

そして、名前のどこかに、[○行]の文字があるだろう。

この者は、このようなホロスコ―プを持つ人とは結婚し、二人は長生きするだろう。

そして、良い家庭を送るだろう。



アガスティアの葉に記された名前の発音はタミール語の知識がいるみたいです。

カ行はハ行

ア行はヤ行

サ行はサ行 ジャ行はサ行、ガ行はカ行 バ行はハ行

日本語のハ行の音がなくカ行になったりすると言われています。


(例)例ひろみときろみは同じように聞こえたり、インド的にはひはイの発音に近いと知り合いの方は行っていました。

結局第13章の救済法(カルマの解消)を行って、自ら努力によって、発展、向上が起こるであろうと言うことみたいですね。
(起こるであろうと言うことですが、断定はしてませんねぇ~)

努力なくして、発展・向上は無理と言う事なんだと思います。

ちなみに自分はこのカルマの解消を行いましたが、それらしい人物とは出会ってなかったです?

自らの努力がなかったかもしれませんね(笑)


財が少し好転したのは事実ですが、これも併用して、マハ―ラクシュミー・ヤントラの小さな祭壇を自分の家に祭った影響もあると思います。

でも、くれぐれも気を付けてくださいね。

何十万も支払っても良いと思われる方以外はお進めできません。

自分は知り合いの方がいて、ナヴラグラハプ―ジャーと併用して、とても安くしてくれたから行う事ができました。

まぁ~何でも体験したい好奇心と心の渇きが満たされるものならば、抑えきれない自分がいます(汗)


※この知り合いのアガスティアの代行者とは議論を結構しました。

彼女が言うのにはたぶん、今は意味がわからないだろうし、

偽物しかないとお考えのようですが、

そのうち、時間がくれば分かると思います。

ただ、今は準備段階であり、時とタイミングを見ている時間。

○○さんが二章開いて、いい勉強が出来たといいますが、

本当はこれから一番いい勉強ができるチャンスが訪れる事でしょうと言うことでした。



カルマは必ず向かい合わなくてはならないと聞きますが、今世ではなくて来世にでも巡り巡って来るのでしょうかね?
偽物とか本物とかよりも学ぶ体験が自分には必要であったと思っています。
彼女の言うようにあれから随分時も経ち、一番いい勉強ができたチャンスが訪れたかもしれませんね。

ちなみにシヴァの検索内容とアガスティアの検索内容はまったく正反対の内容でありました。
どちらが本物か?偽物か?それとも両方とも本物?偽物?
自分の見解は・・・



アガスティアの葉の検索画像

http://www.youtube.com/watch?v=2-8DHorK3pY

http://www.youtube.com/watch?v=EMx5TPQ8B6I


アガスティア・シヴァの葉」、そして「インド占星学」について、研究をしているみやぢさんのHPです。
http://gazone.jp/agaga01.htm






■ シヴァの葉の検索

2010-05-11 19:58:13 | Weblog
若い時に自分はインドにとても興味がありまして、

知っている方に星の改善にナヴラハマホ―マやプ―ジャーとか頼んだ事がありました。

その知り合いの代行者にインドにて星の祈願を頼みました。

星の改善ができると言う祈願のナヴラハマホ―マは良心的で、2500円で自分と家族の星の改善祈願をして貰いました

他の代行者に頼んだら3万ぐらいかかるみたいでした。

この差額は一体なんだろうか?

こう言った悪徳なビジネスが横行しているのでしょうね?


その知り合いの代行者によると日本でもマスコミに取り上げられたアガスティアの葉と言って、

聖者アガスティアが残した個人の予言書と言うものがあると聞きました。

ナヴラグラハのプ―ジャーのついでにアガスティアの検索も依頼したら、安くなると言う事でしたので、

アガスティアの葉の代行もついでに知り合いの方に依頼しました。


アガスティアの葉とは、聖者アガスティアが5000年くらいに昔にシバ神やガネーシャを拝んで神の声を聞き、

個人の未来を書き残した個人レベルの預言書と言われているものです。

このアガスティアの葉の検索内容はまたいつかお話をしたいと思っています。



話は変わりますが、そのアガスティア葉の予言よりもさらにグレードアップした別のシヴァの予言書があると聞きました。

そのアガスティア葉の予言よりもシヴァの葉の予言書の内容が濃いくて、もっと多く情報が載せられていると言う事みたいです。

シヴァの館では膨大な葉っぱの中から個人の葉っぱを探し出すのに親指の指紋を取り、はい,いいえ形式の質問を受けるみたいです。

予言は約5千年前に書かれ、そこに読みに来る人だけの予言書が存在しているという。

両親の名前、自分の名前、仕事などを言い当てられ自分の葉っぱに行き当るそうです。

文字は古代タミル語で書かれていて、それを専門に読み取るナディーリダ―がインドでは居るらしい。



この予言書も因縁解消の祈願をインドにて行うとそのように良い結果が現れるであろう?と言う事みたいです。

自分の見解は高額な金額まで出して、インドの寺院にして貰わなくても、日本でも因縁解消の祈願はできると言う持論を持っています。

一応、カルマ解消は行う事はしませんでしたが、その当時は第1室と第7室を知り合いに依頼しました。

知り合いの代行者に頼んだ検索の内容に該当すると思われる人物2名を知り合いの方が割り出してくれました。

会ってお茶でもしてきなさいと言っていましたが、ご期待に背きそのままにしていました(笑)

もう~随分昔の事でしたから、今更いろいろ言うも可笑しいですが、もし興味があってインドにて検索を行って貰おうと思っている方がいましたら、
自分はお勧めはしたくないんですよ~

何十万も出しても良いと言う方は別にして、弱みに付け込まれない為にも自分の気持に負けないようにしてくださいね。

因縁解消(神への捧げものや恵まれない方に施しをして、沢山の方が喜ばれるから、その徳によって、罪が軽くなると言っていました。)

その為には高額な金額を請求されると言う事になると思います。

日本でも同じように祈願したら良いかなぁと?自分は思います。

ちなみに自分のカルマ解消の請求金額は何十万でした。

インドで検索するナディーリーダがそのような金額を提示していました。

その中の一部の料金が代行者に入るみたいなんです。

あまりにも高額だったのでカルマの解消祈願はキャンセルさして貰いました。



それとカルマの解消は他の方に変わって貰えないものと思っています。

何故なら今まで沢山のセッションとか行ってきましたが、カルマは徐々に浄化してはいっています。

でも、一遍に無くなりはしませんでした。

それは潜在能力の枠を開けている自分が一番良く解かっているからです。


良く全カルマの解除とかセッションを行っている団体とかありますが、自分は疑問に思っています。

自分はカルマの巣と言って、パンドラマの箱と開けています。

その想念体に亀裂が入って、その枠の中からカルマのエネルギーが湧き上がって、頭頂から解放されて行きます。

そのエネルギーの強さに為すすべもなく、現実を翻弄されながら今まで生きて来ました。

その体験がありますから、本当にすぐに無くなるのなら、是非行ってみたくて団体に問い合わせしたところ返事は貰えなかった。


もし全カルマの解除が偽りだったなら、受取りはその方に帰って行くものと思います。

それに該当すると思われる方がもし仮にあったとしても、運命の相手やソウルメイトだったとしても、

決まったものではないと思っています。

まぁ~こう言った事をいっていますから、今だにシングルと言われそうですね(笑)

でも、自由放浪的な性格があるのでしょうか?

○○の生まれ変わりと言われるゆえんの事ですかね(涙)

それでなくても、クンダリ二―覚醒や悟り(見性)で普通なら山里にしか生きて行くのが難しいと言われているぐらいです。

でも、普通の生活や幸せをどんなに望んでもなかなか自分には難しくてね。

ほんと生きると言う事はとても大変で、もう~二度々生まれて来たくない気持ちもあります。

ごく普通のように家庭を持って、生活をして行く上で霊性を高めて行くのが理想と思ってはいるんですけどね。



シヴァの葉の予言は該当者と思われる方の運命を変える事はしたくないので、解からないようにしました。

随分、昔の事だしもし仮にその該当者らしき方がいても、今は嫁いでいます。

そのような真実かどうかも解からない事に自分が運命を変える事はしてはならないと思っています。

検索結果は○の個所ばかりでごめんなさい。

当時この検索の事はあまり囚われないようにしていました。

それに何千年前にカシの葉に残したと言われるものですから、真実を証明するものもないし参考にしていただければと思って書きました。

ポイントは文章の中に殆どがあろうと言う事です。(断定はしていませんね)

そう言った流れになるかもしれないと言っているだけにすぎません。

(インド寺院にてカルマの解消祈願をすれば良い影響になるであろうと言う事みたいです。)

カルマの解消と言って、弱みに付け込まれない為にも、常識的な考えを持って貰いたいと思ってあえて検索結果を公開しました。

それに悪徳な商法者もいますし、何らかの参考になれればいいなと思っています。

でも、自分の検索結果を公開すると言う事はほんと勇気がいりますね(汗)




○○の検索結果

○○―○○歳の間に
> 彼の結婚は行われるであろう。

訪れるであろう花嫁となる人物は、神への帰依心と好ましい性格の持ち主である。

はじめに、彼は彼女を好きなり、後に結婚をするであろう。

彼はこのような女性と結婚をするであろう。

その花嫁となる者の家は彼の家から「北」 または 「北西」の方角にあるであろう。(生まれた場所から見た方角)

彼女の家までの道のりは2時間程であろう。(これは徒歩や鉄道、車の可能性もあるし、インドでも良く解かっていないとの事でした。)

彼女は神への帰依心の持ち主である。

彼女は仕事についている。彼女は神への帰依心を持ち、好ましい態度の人物であろう。

彼女の顔にはおそらくマークやMOLE(しみ・ほくろ・あざ)などがあるだろう。

彼女の手、足、首にはマークやMOLEなどがあるだろう。

彼女は○○の子供ではないであろう。彼女の両親は存命である。

彼女には3人以内の兄弟姉妹がいるであろう。

彼女良い収入を得ているであろう。

彼女の家は 「東西」の通りに位置しており、○向きの家であるだろう。

彼女は神への帰依心を持つ人物である。

彼女の家に行く途中には、4つの通りが交差した場所であるだろう。(生まれた場所からの位置)
(確かに自分の生まれた場所から4つの通りが交差している場所はあります。)

彼女家に行く途中には、寺院、学校などがあるだろう。

彼女の家は、 「市街地」 にあるであろう。(インドから見た日本の田舎でも市街地だそうです。)

始めに彼は、その好ましい女性との間に交友関係を持ち、

それから結婚をするであろう。

彼女の名前は 「○行」  で始まるかもしれない。そして次の文
字と最後の文字は 「○行」 または 「○行」 または 「○行」 または 「○
行」 または 「○行」 または 「○行」 または 「○行」 のいずれの文字が
来るかもしれない。彼女は現代的な名前と、ファミーり苗字をもつであろう。

彼女のホロスコープは彼女のラグナは木星、または、金星から数えて、「1番目」 または 「4番目」

または 「7番目」 または 「10番目」 の部屋に位置するだろう。太陽、水
星そして、金星はひとつの部屋に位置しているか、

隣り合った部屋に位置するだろ

う。土星はやぎ座に位置するであろう。

木星はうお座に位置するであろう。

このように彼はこれらの条件にふさわしく、ほとんどが一致するような好ましい娘と恋愛結婚をし、

平穏な生活に恵まれるであろう。(これは何回も言いますが、インドにてカルマの解消祈願すれば、こう言った流れになるであろうと言う事みたいです。)