ある有名なスピリチャルティチャ―が言うのには、
憑依体質の方は 知らずにチャネリングをしているそうです。
そして、約チャネリングする方の80%は 憑依されていると言っています
天の声を聞きたいと思うエゴがあるから その声を聞かせる
低い波動の存在(蛇や龍)が来て
貴方は選ばれた存在です。人類を救う使命があります。
人類を救いなさいなどと囁き
本人を騙して 低い波動の存在が乗っ取りや誘導があると言われます。
聴こえてしまうので 信じてしまう方も多いでしょう 。
高い存在は 【人類を救いなさい】などと基本的に言いません 。
人類にあまり介入しないのが 宇宙の法則でもあるからです
素晴らしい部分は受け入れても100%の言葉を受け入れることはないそうです
一念三千どこに心が向いているか?たえず、自分の心をいつも見張らないと魔に支配されます。
一番始末が悪いのは、本人は騙されている事がまったく気づかないし、反省や悔い改めも顧みないのです。
心の不調和の時など瞑想したり、心がからっぽの時などは特に注意をしないと憑依さね兼ねません。
天使が入って来たと思っても、実は蛇の動物霊だったと言う事にもなりますからね。
本当に天使のメッセージか?それとも魔のメッセージがよくよく本質を見ないといけないと思っています。。
魔と言う者はいつの間にかうまくこちらに入り込んでくる。
虚栄心ある方にはあなたは特別な存在だ、あなたはミカエルの生まれ変わりとか、高次の名前を使ってくるのです。
あらゆる手を使って、少しずつ隙間から入り込んできます。
またはメシアであって、この地球を救う運命を持っているとかあります。
スピリチャルなものを求める方は普通の方よりも、イエス様やお釈迦様の正法を常に行じてゆくように心掛けないといけないと思っています。。
■ 六波羅蜜
彼岸とは(ひがん)=迷いも苦しみもない岸
では、現実私たちが生きて六波羅蜜とは六つの行いをすることによってその此岸から
彼岸に渡らせてくれる行いのことだと聞いた事があります。
彼岸とは(ひがん)=迷いも苦しみもない岸
では、現実私たちが生きて六波羅蜜とは六つの行いをすることによってその此岸から
彼岸に渡らせてくれる行いのことだと聞いた事があります。
この七施のうちで1~6までは、日常生活の中で、実行は可能ではと思います。
見かえりを求めないで、実行すると言う事が大切だと思います。
実行していくと、いつかは自分の癖として身に付いているかもしれません。
七施のうちで1~6を行っていると、天の蔵に徳を積む事にもなるかもしれませんね。
それには見返りを求めない事が大切ですね。
無財の七施
1.眼施(がんせ)
慈眼施ともいい、慈しみに満ちた優しいまなざしで、すべてに接することをいいます。温かい心は、自らの目を通して相手に伝わるのです。
2.和顔施(わげんせ)
和顔悦色施ともいいます。いつもなごやかで穏やかな顔つきで人や物に接する行為です。喜びを素直に顔の表情にあらわしましょう。
3.愛語施(あいごせ)
言辞施(ごんじせ)の別称もあります。文字通り優しい言葉、思いやりのある態度で言葉を交わす行いをいいます。
4.身施(しんせ)
捨身施ともいいます。自分の体で奉仕をすること。身体で示すことをさし、自ら進んで他のために尽くす気持ちが大切です。
5.心施(しんせ)
心慮施。他のために心をくばり、心底から共に喜び共に悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れる心持。
6.牀座施(しょうざせ)
たとえば自分が疲れていても電車の中で喜んで席を譲る行為。また競争相手にさえも自分の地位を譲って悔いなく過ごせることをいいます。
7.房舎施(ぼうしゃせ)
風や雨露をしのぐ所を与えること。自分が半身濡れながらも、相手に雨がかからないように傘を差し掛ける思いやりの行為など。
■八正道・人間の八つの正しい道
中道の道を歩むための、心と生活の基準である中道の生き方を教えるもの。
八正道・八つの正しい道とは何か
正見 (正しく見る)
正思 (正しく思う)
正語 (正しく語る)
正業 (正しく働く)
正命 (正しく生活する)
正進 (正しく人と調和する)
正念 (正しい目的意識を持つ)
正定 (正しい反省と瞑想、禅定(ぜんじょう)する)
正見、正思、正語はこれらの中でも最も大事な基本である。この八つの規範に当てはめて毎日を生活すること。
正道の目的
生老病死の迷いを消滅させ、恵みを与え悲しみを取り除く慈悲の心で、
他を生かし助け合う愛の行為を自然に行えるようになることであり、八正道を学ぶことは即ち法を学ぶこと。
それは又、中道の心の具現にあるのである。
八正道にそった生き方
善を思い、善を行う生活をすることである。慈悲の心で愛の行為をすることが、八正道にそった生き方となる。
なぜ中道でなければならないか
自然界の生命を育む条件というものは、自然界そのものが常に右にも左にも片寄らない中道の道を歩んでいるからで、
空気、水、太陽の熱、光…等、全てのものが外れることなく調和されている。
気温は暑すぎても寒すぎても生きてはいけないし、空気の組成が少し変わっても生きてはいけない。
全て、ほどほどでなければならない。このように人間もこの自然界を構成する一つに過ぎないのだから中道でなければならないのである。
自然界の調和にみる中道
人間を含めた大宇宙は常に相互に関係し合って動いている。太陽系一つをとっても、
太陽を中心に九つの惑星が相互に関係し、太陽系という体を形作っている。地上の生活にしても動・植・鉱の相互関係がなければ成り立たない。
その相互関係は何に起因するのだろう。
それは大自然の意識(心)なのである。秩序整然とした意識の働きがあればこそ、大宇宙も、地上の生活環境も、調和されている。
地球という球体が出来上がったのは、今から三十三億年前(高橋信次)のことである。
その頃は火の玉であり、太陽のように燃えさかっていた。生物が住めるようになったのは今から約六億年前のことである。
そして,その軌道は昔も今も変わりない。偶然にしては余りにできすぎていると思うのは当然である。
大宇宙には意識(心)が存在する。客観的にこれを説明すると、太陽の熱・光に強弱がない、空気に増減がない、
一日に昼と夜があって、決して一方に片寄らない。
例えば太陽の熱・光が強くなったり、弱くなったりしたらどうなるだろう。地上の生命は生きていられないだろう。
空気が増えたり減ったりしても同じことがいえる。我々の生活態度も食べ過ぎれば腹をこわし、
惰眠をむさぼれば体力に抵抗力を失い、もっと体に影響を与えるものは心である。心配事があれば食欲は減退し、
睡眠はさまたげられる。どなったり、腹を立てれば血行は悪くなる。人間の体も無理はいけないし、怠惰もいけない。
人間は大宇宙、大自然界の中で生活している一構成員に過ぎない。
このように、大自然の心は、私達に中道という調和ある秩序を教えているということになり、大自然は調和という中道の心を教えているのである。
人生の目的は何か
人生の目的は魂(霊、生命、意識、心)を成長させることにある。すべての宗教は何かあると、
調和しなさい感謝しなさいと、「調和」と「感謝」を教義にするが、調和と感謝が人生の目的ではない。
人生の目的は人間は神と一体である神の子であるという自覚を、頭で知ることではなく身体全体で、
魂のどん底で自覚すること、つまり大宇宙と一体となる「宇宙即我」(うちゅうそくわれ)に到達することなのである。
この宇宙即我に到達していくには、その人の心の段階があるといって良いが、
この宇宙即我を体験する唯一の方法が禅定(ぜんじょう)である。
調和し感謝したときの安らかな心の状態で禅定しないと本当の禅定にならず、宇宙即我への道を進んでいけないからである。
調和と感謝はただその入口に立っただけで、人生の目的は宇宙即我への道を歩み到達することである。
つまり、神の心の継承者である神の子の私達は、本来、宇宙と同じ大きさの心を持っているのだが、
それを小さく自己限定してしまうところに苦しみ悩みが始まるのだ。人生の目的は、それは人生の目的を知ることにある。
決して人間は、金銭欲、名誉欲、地位欲、支配欲、ましてや、食欲、性欲などを満たすために生まれてきたのではない。
肉体の欲望はみたされても、心の渇きは癒されない。心の渇きを癒すものこそ人生の目的とするのであり、
人生の目的を知るために人は生きなければならないのである。
(宇宙即我は「宇宙即我に至る道」園頭広周著 正法出版社を参照)