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台湾の女流作家の草分け、林海音

2010年04月30日 23時14分02秒 | 文化

林海音(1918-2001)は、 台湾の女流作家の草分けであり、編集者としても活躍した文学者です。
日本ではほとんど知られていない林海音ですが、台湾現代文学に大きな貢献をした人です。
両親は台湾の人ですが、日本の大阪に生まれ、5歳の時に北京に移ってそこで教育を受けて結婚し、30歳で台湾へ移りました。
北京では新聞社で最初の女性記者となり、台湾では国語日報や聯合報で編集の仕事をしながら、散文や小説を書きました。

 

現在、林海音を紹介する「林海音文学展」が開催中です。
会場は、台北市の「紀州庵新館」という新しい建物です。
紀州庵は、日本統治時代の1928年に高級料亭として建てられた日本建築で、戦後は政府職員の宿舎となり、小説家が住んだり小説の舞台にもなったことから、文学とのゆかりが深い場所となっています。

 

紀州庵は台北市定古蹟となっていますが、傷みが激しいまま修復されておらず、現在は保護のための屋根で覆われています。
紀州庵新館は、このすぐ横に建てられています。

 

展示は林海音の手書き原稿、写真、出版物、書斎や客間の再現、生前の林海音を知る人の話、ドキュメンタリー映像などがあります。
「城南旧事」は林海音の代表作で、北京で過ごした幼年時代の記憶を元に、封建的な時代に生きた女性とその結婚生活をテーマにした小説です。

 

林海音は「純文学」という文芸誌を発行していました。
その出版社「純文学出版社」は400冊あまりの文芸書を出版、1995年、林海音が77歳の時まで経営が続けられました。
こちらは、純文学出版社の店構えを再現したコーナーです。

 

4人の子供をもうけて円満な家庭を築いた林海音は、いつも文学関係者を家に招いて手料理でもてなし、彼女の家は台湾の文学サロンとなっていたそうです。

 

林海音はなぜか象が好きで、象の様々なグッズを1000点以上もコレクションしていたそうです。 
児童文学の翻訳をしたり、青少年向けの本を出版したりもしました。


父が客家人で、母がミンナン人だった林海音は、30歳で台湾に移るまで、ほとんど故郷である台湾のことを知らずに育ちましたが、台湾に戻ってからは台湾のことを知るために、日本統治時代に台湾を愛する日台の民族学者らによって発行されていた日本語の雑誌「民俗台湾」を図書館で愛読し、内容をノートに書き写したりしていたそうです。

また、林海音は台湾の大手新聞、聯合報の副刊の編集長を10年間務めましたが、掲載したある短い詩が「蒋介石総統を暗に侮辱している」と解釈されて問題になり、その責任を取って辞職しています。

戦後の台湾を考える時、元から台湾に住んでいた人(本省人)と、戦後中国大陸から台湾へ移った人(外省人)とを二分してつい単純に考えがちですが、どちらにも当てはまらない林海音のような人もいたことを思うと、実際はそれほど単純なものではないということがわかります。

台湾文学の観点からだけでなく、戦前、戦後の日本、台湾、中国大陸の重層的な関係を考える上でも、興味深い人生を送った人ではないでしょうか。(尾)

 

林海音文学展 http://blog.xuite.net/wenhsun7/wenhsun
2010年4月29日―8月1日
場所:紀州庵新館(台北市同安街107号)
交通:台北新交通システムMRT新店線古亭駅2番出口
同安街を直進、徒歩7分
開放時間:10:00-17:00(月、火 休館)
入館無料

※2010年4月30日(金)の番組「文化の台湾」では、林海音の人生をご紹介しています。

番組を聴くには、上のバナーをクリック→4月30日をクリック→「文化の台湾」横のアイコンをクリックしてください。



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