風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

「未知の領域」で考える―日本人の寛容と協調にはらむ危険

2011年03月26日 | 政治・時事

以前日本人の宗教観を見つめながら、その特徴みたいなものを3回にわたり書いたことがあります。その中で宗教観と日本人の寛容性にふれ、その根源は、自然を構成する存在と森羅万象に神が宿るという自然崇拝――アニミズム――に発しているのではないかと書きました。
アニミズムはやがて八百万の神々を創造し、神道の基礎となり、外来宗教である仏教にも大きな影響を与え、日本仏教を育てました。たとえば、『草木国土悉皆成仏』という考え方が仏教にあります。これは「心を持たない草や木、土や岩石などにも仏性が宿り、成仏する」という意味で、僕はインド発中国経由の仏典の一節かと思っていましたが、実は密教が神道の自然崇拝を取り入れていくうちに生まれた、日本独特の仏教概念です。
このように日本の仏教は、縄文時代から悠久に続くアニミズムを包括しながら進化していきます。
これを可能にしたのは、仏教がインドの多神教的な要素を加えながら進化し拡がっていったことに加え、変化が著しく、類稀な美しい日本の四季が、多様性を生み出し、その多様性の中で暮らしてきた日本人に必然性を持って寛容な心をもたらしたからです。
砂漠のように荒涼な景観と過酷な環境の中では、絶対的なものを求めます。だから砂漠の神として唯一絶対神が生まれやく、その宗教概念も排他的で異端を生み、異端に対しては攻撃的で、非常に取り巻く壁が高い。非寛容の壁です。

日本の四季に発し、アミニズムを包括しながら暮らしてきた寛容な私たちは、自然の脅威に遭遇し、多くの犠牲が生まれ、怯え怖れる時、「神が与えた試練」という観念が生まれ、すべてを受け入れます。自然の脅威は猛威となり、もたらした被害が甚大で、人間が太刀打ちできるものではなく、神の仕業としか思えないからです。まさにアニミズムですね。
自然は膨大な恵みを人間に与えるけれど、ある時は人間と人間が作ったものとその土壌を破壊します。
ここに「畏れ」という意識が生まれ、一方では感謝し、一方では鎮魂に努めます。
また、「試練」とするのは、こうした自然の猛威の後に、人は知恵を生むからです。授けられるという言い方も可能かもしれません。自然の猛威がなければ、新たな知恵が生まれなかったかもしれないという認識が、再生を果たした後生まれるからです。そして喪失を乗り越え、再生へ向かってきた歴史があり、喪失以前よりも強い社会、高い文化を形成してきました。まさに試練でした。

しかし、僕はこうした考え方に警鐘を鳴らします。現代科学文明以前ならそれでもよかったかもしれません。現代科学文明は、いったん何らかの力が加われば、人間がコントロールすることが不可能なすこぶる危険なものまで生み出してしまい、常に自ら作りだした危険と背中合わせの中で生活を営んでいるからです。作用の大きなものは反作用、副作用も大きく、現代科学文明より前と比べものにならないからです。
たぶん、比喩的に「神が与えし苦難。試練。神が教えたいもの」と言っているのだと思いますが、すべてをそこに閉じ込めてしまうわけにはいきません。
最大の理由は、自然の脅威は、常に人災を引き連れてくるからです。現代科学文明は、一方で自然の脅威を防御し緩和させます。しかし、人災がもたらすリスクも高くなっている。
もはや、神のせいにしてはならない、「人間の責任の領域」に入っています。

福島第一原発で起っていることと、地震と津波の被害を同一視してはいけません。地震と津波は天災でも、原発事故は明らかに人災で、「人間の責任の領域」です。
マグニチュード9.0の地震は、確率的に1000年に一度かもしれません。「それに耐えた原発を誇るべきだ」と経団連会長は、会見で「べき論」で言っていましたが、福島の原発のある場所の震度は6で、これは想定内で耐えて当たり前です。
また想定外の津波、未曾有の津波のせいにしていますが、未曾有であっても、想定外と言うにはあまりに杜撰な想定です。
わずか100年前の明治の三陸沖地震では、三陸海岸に38m、24m、14mという津波を記録し、理科年表にも載っているほどです。
鎌倉時代の150年の間には、伊豆・相模湾を震源としたマグニチュード7~8クラスの地震が2度襲い、鎌倉を崩壊させています。もちろん揺れだけではなく津波も襲っています。
室町時代にはわずか30年ほどの間に同規模の地震がこの地方を襲い、この時の津波は大きく、高徳院の大仏殿を流してしまい、鎌倉は全滅しました。以来「鎌倉の大仏」は、屋根のない、「露座の大仏」として、現代に至っています。

自然の脅威は、ある線を超えると防ぎようがないかもしれません。しかし人災は防がなくてはなりません。天災が引き連れてくるリスクが異常に高い人災は、閾値ゼロにしなければならないのです。それが科学です。科学を注ぎこんで生まれる判断です。
多くの人たちが、とてつもない脅威の前に、冷静に判断しましょう。と呼びかけています。
その呼びかけを受け入れ、冷静に判断すれば、「原発は必要ない」という判断が生まれるはずです。

原発への依存度は、全電力の30%ほどで、原発に依頼するため、火力、水力発電を抑制しています。フル活動させるのは、メンテナンスを考えれば現実的ではありませんが、潜在能力として、原発を使わずとも現在の消費電力をカバーできます。
03年には、東電管内の原発を止めた時もありましたが、この時停電は起っていません。
今すぐ、すべての原発を止めろとは言わない。しかし、非常に危険性の高い浜岡原発は、すぐに運転停止しなければいけないし、上関原発の工事を始め計画中の原発は、白紙に戻さなければいけません。「白紙に戻すべきだ」などという不確定的な判断ではなく、僕の確定判断です。
地震列島日本で、TEPCOの「災害に強い、世界に誇れる発電所(原発)を目指して」というコピーは、砂上の楼閣に等しいのです。

ドイツは、原発を止めていました。近々再開する予定でしたが、福島の事故で再開を見わせています。そのドイツでは、シナリオどおり事が進めば、後10年で自然エネルギーによる電力量が、40%に達するそうです。
http://www.bmu.de/english/current_press_releases/pm/47124.php

ニューヨークタイムズは、福島原発事故以来、ウランの価格が30%暴落し、天然ガスに高い注目が集まっている世界の動向から、「福島の原発事故は、基本的に世界のエネルギーの取組みの形状を変えることになるだろう」と論じています。

一方、「危機的な未知の領域」を作ってしまった日本は、未だ“危機的な未知の領域”から、脱出する道を切り拓けていないにもかかわらず、原発推進路線を継続していくことを早くも保安院が会見で述べました。この国の官僚は、国民の生命を考慮の対象から外しているようです。
財界も同じです。この期に及んで原発推進です。

僕が怖れているのは、このような動きに対する、日本人の寛容性です。地震発生直後、「地震でも高いモラルの日本人」として冷静で協調的な対応が、世界から高い評価を受け、称賛されました。たしかにそうなんでしょう。僕もそう思います。
しかし、日本人の寛容性と協調性を考えた時、寛容と協調の中には、同調圧力に強いられてきた歴史があります。そこに生れたのが「長いものには巻かれろ」という処世術で、概して臆病であり、悪い方に同調して正しいことを葬り去ってきた事実もあります。少数の正しい意見を封殺し、多数の誤った判断を受け入れてきた歴史です。

「今福島で何が起っているのか」。この主題に対し政・財・官・報の4つの権力は、誠実に応えていません。3号機の格納容器が破壊している可能性が高い、という発表でMOX燃料が、どうなっているのか?という問いに答えられず、もっとも危険な放射性物質、プルトニウムに言及できないどころか、モニタリングもしていない現実。こうした危機を既存メディアは、踏み込んで伝えないどころか、プルトニウムに関する記事が、さらに少なくなっている現実。
(あまりにも危険な状態であるため、隠蔽している可能性すらある)

福島原発は、首の皮一枚で持っているようなものです。1~3号機で燃料棒の融解の進捗は確実で、冷却を繰り返しても、設計条件を超える圧力と温度が、繰り返し起っている。
2号機でも、格納容器の破壊が一部で起こった可能性が高く、4号炉の使用済み核燃料プールで再臨界が起った可能性も高い。設計条件を超える圧力と温度は、最後の砦である格納容器から、放射能をリークする。破壊していればなおさらのことです。止むことのない放射能の拡がりは、リークしているからです。爆発だけのものではありません。

そして電源が繋がり、冷却装置が働いたとしても、濃度の高い放射能の中で破損を修復することが可能なのか?
冷却装置が働き、格納容器の破損も修復され、炉心冷却が維持されても安定化するまでには、月単位を要する。炉心が冷え、炉心状態が明らかにされるには、年単位、それも7~10年要することが、スリーマイル島の事例をみても明らかです。
その間、濃度の推移はあっても、放射能が漏れ続ける可能性は否定できず、周辺の人たちの暮らしは成り立ちません。

今は、安定しているわけでもなければ、膠着状態でもなく、一時期に比べ、最悪のシナリオが起る可能性が、ほんのわずかに減っただけの状態です。

『今福島第一原発で何が起っているのか』『危険な未知の領域』を今後作らないために私たちはどうしたらいいか。人に流されず判断しなければいけません。


武井繁明



http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/japan_one_week_later.html





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6 コメント

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考え深いものですね (竜/Gさん)
2011-04-08 15:59:31
感慨深いものですね。

日記を読ませていただき、人は、身近に今回のような事が起こると改めて人間の歴史を振り替えるものだなと、感じています。

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竜/Gさん (武井)
2011-04-08 16:00:24
こんばんは。コメントありがとうございます。

この大震災を通して、考えさせられることが次から次へ出てきます。
僕は日本人の宗教的寛容性を持ち出しました。日本の文化はそうした寛容性によって育まれてきたことはとても重要なことだと思っています。
ここに日本らしさがあると思います。
しかし一方で長所とも言える寛容性が、時と場合によっては大きなマイナスとなり、道を誤らせる場合があります。

長くなるので書きませんでしたが、日本の原子力政策の成り立ちがまさにそうであったと僕は思っています。

日本の原子力政策は、米ソ核開発の競争原理の中で、アメリカが、唯一の被爆国である日本に巧みに持ちこんだものです。
アメリカは、核の平和利用という側面を出し、核兵器開発を推し進めましたが、想定外の事故が起こりました。
ビキニ環礁で極秘裏に行った水爆実験で、日本の漁船第五福竜丸が被爆し、日本国内で反核運動が起こってしまったのです。この事件はあっという間に世界に拡がりました。これは米にとって想定していた以上の運動で、衝撃でした。このままではソ連に核開発で後れを取る……
これを鎮めないことには、核兵器開発を含む、米の核戦略は挫折します。
そこで行われたのは、報道による核の平和利用の推進です。米の依頼受けて行ったのが、正力松太郎で、正力は、日本テレビ網を作り、読売新聞とともに核の平和利用キャンペーンを行い、同時に戦前につぎ、二度目の政界に進出し、政界でも工作を行いました。たしか岸内閣で科学技術庁長官と原子力委員会委員長を務めたはずです。

そしてまんまと国民は、その寛容性を持って原発を受け入れてしまいました。
唯一の被爆国であること。それから20年も経っていないこと。第五福竜丸事件があったにもかかわらずです。
日本が核平和利用の名の下に原発を受け入れれば、世界の核に対する意識も変わる。寛容になる。これがアメリカのテーマでした。そして成功した。

これほど寛容な国民がいるでしょうか?

こうしたことを僕は、今危惧しています。

返信する
自らの意思を強力に主張すべき時を迎えています。 (Sam)
2011-04-08 16:02:24
ご指摘、その通りですね。

人災はゼロにはできません。
不謹慎と思われるかもしれませんが、私たちは交通事故や飛行機事故は無くなりはしない、と暗黙の裡に了解しています。もちろん、あってはならないしゼロにすべく常に最大限の努力はするべきだと誰もが考え行動はしています。それでもなくなることはないだろう、と誰もが暗黙のうちに考えているのです。
ですが、原発の場合は話が異なります。
人が作り、人が運用し、そしてそれが大自然の中にさらされている限り、事故は必ず起こります。
一度大きな事故が起これば、取り返しのつかない、下手をすれば未来永劫立ち直れないほどのダメージを私たち、そして子々孫々に与えます。だからこそ、事故は絶対にあってはならないと考えるのが良識ある人の判断だろうと思います。当然ながら私は原発には反対です。
こんな小さな狭い国にひしめきあうように暮らす私たちのすぐそばに、そのような原発を建設するのは、どう考えても異常です。それに加え、いうまでもなく、この国は地震大国。常に動き続けるプレートが沈み込む、その真上に住んでいるのです。
私たちは自らの意思を強力に主張すべき時を迎えています。
人が作ったものは人の手によって変えることができます。私たちの社会は私たちの手によって変えるのです。これが近代社会というものだから。

ちなみに、C-moonさんが指摘する(悪の側面としての)寛容とは、言葉を変えれば、日本の伝統的イデオロギー、本居宣長や小林秀雄が強調し育んだ『自然(じねん)』という概念とも通じているように思えます(それは既成の体制を温存するイデオロギーです)。
あたかも人間の意思とは別に自然にそう成ってしまったかのように装う詐術。
場の空気と言ってもよいでしょう。
この詐術に騙されないように気を付けましょう。


もう一つ。
原発内の水の放射線レベルもプルトニウムのモニタリングもしていなかったと聞き、私も愕然としました。
燃料棒が一部溶け出して崩れていると予測されていましたから、放射性物質が水に溶けだしている可能性は十分に考えられました。また、プルトニウムの毒性は半端なものではありませんし、その放射能は強力でα線(放射線を出す物質)ですから、内部被爆すれば悲惨です。その上、半減期が24000年ですからね!
てっきり、単純に都合の悪いことを隠しているのか、と思っていたのですが、状況はもっとひどく、現場では問題の本質をとらえ、作業員の安全のことを配慮する体制になっていないということがわかりました。これは極めて深刻です。現場責任者の能力に問題があるのか、指揮命令系統が破綻しているのか、どちらかでしょう。
復旧作業の邪魔になるから批判はするな、という人がいますが、これはちゃんと批判しないと、とんでもないことになります。
相変わらずマス・メディアはあてにならないので、しつこくしつこく言い続けることにしましょう。

返信する
Samさん (武井)
2011-04-08 16:03:31
こんにちは。仰るとおりですね。
私たちは、事故や人災をまさか自分の身の周りでは起きないだろうと楽観しながらも、一方でいつ起こってもおかしくない、という暗黙の承知の中で、せめて自分で事故は起こすまい。という覚悟で常にリスクを背負いながら暮らしているのが現実です。

そのような現実の中で、避けられない人災もある。だから科学は閾値を下げて、閾値を超えない工夫をしています。より安全に。というのが大前提です。
しかし、原発だけは、閾値ゼロでなければならない。
いったん事故が起こると、人間が可能なコントロール状態をなんなく破壊し、数値では量れない何世代にもわたり、甚大な被害を広範囲にもたらすからです。

今、「想定外」「未曾有」「1000年に一度」という言葉に集約されそうな気配がありますが、確率論から導き出す、「不確かな安全」は、原発に適応できないと思います。
かなり不謹慎ですが、千葉の製油所の火災は、犠牲者も出し、とても悲惨な災害でしたが、短時間で消し止められ、復旧も短時間で行われました。
このような、人間のコントロール可能な施設は、閾値をゼロにしてしまえば、人間の生活は成り立ちません。
しかし、原発は……ということだと思います。

さらに事故だけではなく、通常運転でも原発は、周辺の人たちの健康を蝕んでいるようです。長年広島で、被爆者を診ておられた、肥田舜太郎医師の話では、原発の周辺数十kmの人たちが、内部被曝をじわじわと受けているだろう、とのことです。
このことは、アメリカの疫学調査で明らかにされているようです。
でもアメリカ政府は、発表しません。日本の有識者も知っているはずなのに声にしません。
なぜなら、狭い国土に54基の原発が分散しているわけで、影響を及ぼす距離をあてはめると、日本では安全な場所が、ほとんどなくなってしまうからです。

すでに、事故以前の問題として、原発はあってはならないものだと思います。

しかし、東電、保安院、既存メディアは、肝心のことを伝えていませんね。少なくとも歪曲しているように思います。
昨日、元原子炉設計者(東芝)二人の緊急記者会見が開かれました。
ご存知でしたら、スルーしてください。

これは、官邸WEBサイトに掲載された資料をもとに、推察した話ですが、1号炉は、これまで人類が経験したことがない、スリーマイル島と種類の異なる「冷却材喪失事故」ではないかとのことです。

その資料はこれです。
http://cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1057

ここから判ることは、爆発以降始まった注水の成果がほとんどないこと。炉内水位は常時マイナス1500mmで変わりません。

地震時直後にECCSを作動しなければいけなかったのですが、11日の16:36に作動不能状態と記録。つまりECCS作動しようとしたのが地震2時間後という事実。

それからほぼ24時間後に水素爆発が起こったこと。
この24時間の政府、東電、保安院の会見から、異常なほどの楽観視が判ると思います。「安全です」と言っていたわけですから。

さらにグラフから、水素爆発によって配管や格納容器、圧力抑制室が破損したのではなく、地震によって配管が損壊した可能性が高いらしいです。
つまり想定内の地震(あの辺りは震度6でしたから十分想定内)にも耐えられなかったと推測できそうです。

主に発表された田中三彦さんによれば、このデータから、専門家は起こるシナリオを一直線に描けたはずだ。とのことです。
事態は安定どころか、ますます悪化しているのが現実のようです。


この会見の模様は、できれば観た方がいいです。観ていたらごめんなさい。(念のために♪アーカイブがあれば、ここに掲載しておきます)

この会見には、外国特派員とフリーの記者の姿が見えました。記者クラブメディアはどうだったか……

いずれ波紋を起こすか、東電、保安院、政府にこれまでの楽観を修正する動きがあるかもしれません。

いずれにしても、発信し続けましょう!
返信する
今回ばかりは神を信じたい (this boy)
2011-04-08 16:04:45
>少数の正しい意見を封殺し、多数の誤った判断を
>受け入れてきた歴史です。

確かにそのとおりだと思います。

それにしても東電は全く当事者能力がないようなので
早く原発危機国家的プロジェクトを立ち上げて世界の
有識者を集めてこの問題にあたらないと大変な問題に
なる気がします。

今でも溶解が継続していて汚染水が太平洋に流れ出して
いるはずです。
2週間も経って一向に事態が改善するばかりか悪くなって
いるようで本当に恐ろしいことです。

19時のNHKニュースでさえ、原発専門家はこの事態は
非常事態だと言ってます。
そう言わざる得ない状況にまで深刻化している、事態
は相当危機的ということだと思います。

東電はこんな状態でありながら原油高騰で5月から値上げ
するよというくらい厚顔独占官僚的無責任体質ですから
もうどうしようもありません。

それにしても東電は何も出来ない。
分析結果も間違っていたという、全く信用できない
でたらめな企業。
そんな企業に「原発安全神話」を作られて、それに
押し流された日本人が不憫でなりません。
アクシデントマネジメントも全く考えていなかったと
思わざる得ない。

ああ早くこの東電から原発を切り離してもっと専門的な
人たちに危機除去をお願いしたい!

私は神を信じないけど今回ばかりは神を信じたいです。
返信する
this boyさん (武井)
2011-04-08 16:05:44
this boyさん♪>

おはようございます。

昨日あたりから、報道内容が変わってきましたね。
新たに事実が見つかったというより、これまで隠してきたことを小出しにしているように思います。
ただ放射線量の解説は相変わらずですが。

これは、後藤さん、田中さん、小出さんらが、現状を判りやすく解説し『今福島第一で何が起こっているか』が、じわじわと浸透してきたこと。海外の報道、外国政府からの圧力が、そうせざるを得ない状況を作ったからだと思います。
それから隠し通せる時期は過ぎたということ。

それだけ事態は悪化しているのだと思います。
なにしろ、首相と原子力安全委員会委員長の責任を問う声が、メディアに登場したくらいですから。

首相は簡単に辞めることはないと思いますが、この人が辞めない限り、救済と復旧に向けてのビジョンは出てこないだろうし、東電への政治主導は発揮できませんね。

結局、東電を動かすのは、東電自体ではなく、官僚であり政治家です。
緊急時、国家的な危機になればなるほど、一企業ができること。一企業が判断すること。決断することは困難になります。
一企業ができることなど限られてしまうからです。

東電が巨大企業でも、総資産は十数兆円でしょう。
これでできることは、国家的危機では微々たるもの。国家が介入しないわけにはいきません。

そんな状況で、この政府では心もとないどころか、ほとんど機能していないのが現実ですね。

これに対応するには、政権を変え、救国内閣を作るしかないと思います。
今は東電の姿勢がどうこうよりも、国家の姿勢が問われ早急に動かないことには、この国は滅亡してまいます。全部と言わないまでも、東日本は機能喪失状態になる可能性が高いです。

大胆な国家再生プロジェクトチームによる、国家再生ビジョンが求められ、実行しないことには終焉に向かうだけですね。
その中で東電も解体、再構築が図られたらいいと思います。

こういう時期こそ、剛腕なんですけど、検察と既存メディアと一部の政治家どもが、舞台を壊してしまいました。
あらためて責任の重大さを感じます。

やはりこの国は、主権在民意識が希薄なんですね。国民一人ひとりの意識が薄弱で、非力すぎます。

問題の根源は、そこにあるんですけどね……

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