風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

価値観とシステムの大転換が求められる原発の行方

2011年04月17日 | 政治・時事
日本の原子力発電の創生期については、前々回、94年に放映されたNHKドキュメント『原発へのシナリオ』を起こし、肉づけしながら書きました。
日本は原子力の研究は、すでに戦前始まっていて、湯川秀樹や仁科芳雄、長岡半太郎らの基礎研究(理論研究)は、世界でもトップクラスで、戦争が始まると、軍から『新型爆弾』の開発命令を受けていました。
こうした原子力の研究は、軍事目的だけではなく、医療、エネルギーにも向けられていましたが、敗戦によってすべて喪失することになります。
占領したGHQが、各研究所、大学から原子力に関わるすべての資料を奪ったからです。そして占領期間中は、原子力研究はご法度にされたのです。

やがて52年、サンフランシスコ講和条約が、連合国との間で締結され戦争が終結。原子力の研究は解禁されたものの、7年間の占領期に世界の原子力研究水準から、日本は20年分くらいの差ができていました。
こうした白紙状態の中で、前々回書いたように日本の『原発へのシナリオ』が、形成され現在に至ります。

余談ですが、仁科芳雄博士は、理化学研究所=理研(科学技術の水準の向上を図ることを目的とし、日本で唯一の自然科学の総合研究所として、物理学、工学、化学、生物学、医科学などにおよぶ広い分野で研究活動を1917年から法人化して行い、現在は文部科学省管轄の独立行政法人)に戦前から戦後しばらく務めており、戦後は所長(やがて社長)にも就任。その頃、新潟の片田舎から上京したばかりの若き日の田中角栄の事実上の身元引受人でした。田中角栄が田中土建工業を興してからも、研究所内の仕事を請け負わせるなど、田中角栄を可愛がっていたようです。田中角栄の能力を見抜き、政治家になることを奨めたのも仁科芳雄だと言われています。

推測の域を出ませんが、田中角栄の卓越した進取の気鋭。特にエネルギー政策にみせた、広い見識――原子力政策、石油戦略において対米一辺倒ではなかったこと。広く全方位的に向いていたこと――は、仁科の影響があったからかもしれません。
そしてここからは推測ではなく事実です。田中のエネルギー政策――原子炉の技術輸入を巡る抗争の構図の中――でアメリカの軍産複合体から反感を買い、ロッキード事件が仕掛けられ失脚させられたことは、ますますアメリカの核の傘下に組み入れられ、属国化への道に拍車をかけました。よく言われる、日中友好を推し進めたことが、アメリカの反感を買ったから、ということも事実ですが、もっと深いところにあったのが、田中角栄のエネルギー政策へのアメリカの(軍産複合体)不信と怒りでした。

もとに戻ります。
世界から遅れてしまった状態で、もたらされたのが、『原子力の平和利用』です。アメリカと技術締結した日本は、アメリカの技術に委ね、原子炉を次々に作っていきます。
日本が委ねたアメリカの企業は、

◇WH(Westinghouse Electric Corporation)加圧水炉型原子炉
当時は、老舗の電力、電気製品巨大メーカーで、初の原子力潜水艦ノーチラス号に原子炉を載せたメーカー。WHの下に、三菱重工がつきます。

◇GE(General Electric)沸騰水炉型原子炉
世界最大のコングロマリット。インフラストラクチャ―、電気、メディア、IT、航空機、宇宙産業に至る軍産複合体。
GEの下に、東芝、日立がつきます。

この二つのJVが中心となり、電力会社の依頼を受け、交互に原子力設備を作ってきました。
その数、この狭い日本に55基。
しかし、90年以降、それまで毎年のように受注があったのが、停滞状態になります。
さまざまな要因がありますが、日本経済の停滞。建設予定地での反対運動が大きな要因だと思われます。これでは、三菱、東芝、日立といった国内原子力メーカーは、大きな打撃を受けることになり、何らかの打開策を見いださなくてはならない。
まず、東芝が動きました。一時期の勢いを失い、分野ごとに身売りしていた、WHの原子力分野を買い取ります。これが現在の東芝WHです。

それまでWHと提携していた三菱は、提携先を失いますが、ただでは起きません。
フランスのアレヴァ (仏:AREVA SA:世界最大の原子力複合企業)と提携します。
福島原発事故で、フランスのサルコジ大統領と、アレヴァのアンヌ・ロベルジョンCEO(最高経営責任者)が、いち早く来日しましたが、アルヴァは、フランスの政府機関が9割の株を取得している事実上の国営企業で、日本の原子力の行く末によっては、自国企業が大打撃を受ける……
と懸念したからでしょう。表向きは支援ですが、それ以上に企業の利益が優先します。

ここで日本の原子力産業の構図が再編されたことになります。
WH・東芝  GE・日立  アレヴァ・三菱……まるで三国時代のような構図です。魏・呉・蜀三国鼎立。

しかし再編されただけでは、利益を生みません。企業の自家発電開発が盛んになる中で、電気料金を下げ、エンドユーザーを隷属化させるオール電化システムの大キャンペーンを行います。
そして安全神話の推進。さらに「クリーン、クリーン!」と叫び、政権交代を果たそうとしていた、民主党のクリーン旋風に原発までクリーンだと便乗し、さらに世界的な命題であるCO2削減の風に乗ってその立場をさらに確立してしまうんですね。
長い自民党支配の中で生まれ、成長してきた原子力産業は、政党を選びません。利益にさえなればなんでもいい。水力よりも火力よりも儲かって仕方がない原発を止めることはできない。
国内にも増設しよう。それでは飽き足らず、発展途上にある国に原発を輸出しよう!
これは民主党と相乗りですが、自民党が政権を持続していれば、もっと積極的に行われたでしょう。

海外への原発輸出……これが再編された原子力産業の21世紀の戦略です。

しかし、これまでもっと先に利益になるはずの仕事が舞い込んできました。
それは『廃炉』です。
原発の耐用年数は、およそ30年と言われていますが、(もちろん点検整備を重ねながら)福島第一のように30年を越えて運転しているケースもあります。
廃炉に向けては、運転停止、燃料棒の搬出を経て、その間放射線物質を放出させないことが絶対条件ですが、大々的に体験していないのが日本の原子力産業です。
当然ながら、将来に向けた廃炉技術を『想定』し、ノウハウを作っていると思われますが、ほとんどの部分は、アメリカの企業に委ねることになるはずです。
今、GE・日立と東芝WHが、福島第一の廃炉に向けて検討を始めましたが、これは事実上のアメリカ企業への丸投げだと指摘する専門家も少なくありません。
もちろんここには、莫大な資金が投入され、アメリカの企業―軍産複合体―が潤う仕組みになっています。

石油、天然ガスが、枯渇され始めるのは諸説様々ですが、どうも原子力燃料のウランの枯渇が、先になりそうです。京大・原子力研究所の小出裕章助教によれば、大雑把にですが、ウラン燃料は50年。石油、天然ガスなどの化石燃料は100年と見通しています。

実は、成立から廃炉までの期間を考慮すると、原発は、利益が次から次へ沸いてくる魔法の泉のような存在なのです。

このように建設、運営する側が儲かって仕方がない原発は、果たして日本に必要だったのか?
「発電量の30%を原発で補っているのだから必要不可欠。もし脱原発を唱えるなら代替エネルギーを示してから言え。今のところの太陽光発電にしても風力にしても微々たるものだろう」
と原発信奉者は言います。

実際はどうでしょう?
たしかに原発は、全発電量の30%を占めていますが、実は、火力発電は、震災があったからではなく、ずっと48%しか稼働しておらず、水力はそれ以下です。ずっと休ませていたのです。
では、原発を仮に一斉に止めたらどうなるかと言えば、火力発電所を70%稼働させれば済むことです。
さらに、半分程度に抑えられてきた火力と水力の発電量を越える需要があったのは、これまでの日本の発電の歴史の中でわずか数度で、それも夏場の暑い時期の数日の午後だけで、あとはすべて火力と水力の発電量で賄えてきたのです。

原発が無くなれば、産業が滅び、生活水準も低下してしまうというのも、実は神話なのです。

だからといって、省エネ政策と省エネ生活の必要でないわけではありません。国家と生命を奈落の底に落してしまう原発をスムーズに廃止していくためにも必要ですし、速やかな自然エネルギーへの移行は、これまで以上に求められます。
そして、怠っていけないのは、原子力産業への監視です。これらと一体となっている勢力への監視です。
何よりも求められるものは、価値観とシステムの転換です。その原動力のひとりになることです。

必要でないものを高いカネで強制的に買わされ続け、結果的に絶望的な不安の中での生活を強いられるなんてたまったものではありません。
結局は、こうした原子力産業を受容し続けてきた私たちの責任でもあるわけですけど……


脳が硬直している原発信奉者の方も、そうではないしなやかな脳の持ち主の方も時間のある時にこちらを見て、聞いていただけると幸いです。
http://hiroakikoide.wordpress.com/


僕は30年前から原発には、強い不信感と悪意を感じていました。だから推進には反対の立場をずっと取ってきましたが、積極的に反対運動をしていたわけでもなく、環境共生社会とそのシステムの一端のそのまた一端くらいを設計し、実践してきたに過ぎません。
また原発推進と知りながら、民主党の一部を積極的に応援してきた経緯もあります。今も応援しています。
言ってみれば、消極的にではあったにせよ、原発を容認してきたことになるのです。そういう意味では、福島の事故の微々たる一部の責任はあるのです。そう自覚しています。
今さらながらということになりますが、いろんな観点から、原発の問題点をこれからも発信していきたいと思います。
ここしばらくは、他のことは書けないかもしれない……
他のことを書こうとしても言葉が生まれないのです。そんなことで、みなさんの日記へのコメントも躊躇いがちです。言葉が生まれないからどうしようもないのです。


武井繁明


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月が綺麗な夜は、この曲を聴きたくなります。
今日、夜明け前に目が覚め、西の窓に薄明かりが見えたので窓を開けてみると
山稜に近いところに月が、光っていました。昨夜は待宵月だったようです。
晴れていれば、今夜も月は綺麗です。望月に向かいます……
(曲を聴かれる方は、お手数ですが2度クリックしてください)

スタン・ゲッツのMisty


Misty - Stan Getz


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