風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

自然の恵みを生かす(1)

2011年04月23日 | エッセイ
日本の原発数は、現在54基で、アメリカ、フランスに次ぎ世界で3番目の原発保有国で、狭い国土と、世界有数の地震地帯にこれほどの数の原発を造り、これからも推進していくという意識は、もはや脅威の段階を過ぎ、狂態、狂乱というしかありません。常識的な判断、良識的な決断から乖離し、この乖離した姿勢から、このままでいけば、建設中、計画中を含めて将来69基になる予定です。福島の4基が、事実上廃炉のなることや、今後、老朽化から廃炉なる可能性のものまで含めて、多少の減少はあるかもしれませんが、原発を容認する人たちは、将来も含めてこうした事実を考えていただきたいですね。
前回、原発がひとつもなくても、火力と水力だけで賄えると言いましたが、加えて言えば、現在運転中の原子炉は、23基です。だけど停電することなく、電気は被災地を除けば、日本国中行き渡っています。
原発が無くなれば、「日本経済は破綻する」「一億総玉砕」などと過激な無知ぶりを発揮している人もいますが、よく現実を見ていただきたい。

しかしながら、「今すぐ原発を同時に止めるべきだ」という意見も現実的ではありません。だいたい「~すべきだ」という、そこから先のことは放り投げてしまうような言い回しは止めてもらいたい。特に政治家の「~すべき」という発言には嫌悪感を覚える。どうも僕は「べき論」というものを信用できない。僕も使うことあるけれど、そういう時って、たいてい確信が持てない時で、同じ意見への摺り寄り同調的な時が多い。
いろんな人の文章を読むと、信念を持ち思考内容が研ぎ澄まされている人ほど「~すべきだ」という言葉が、見当たらない。
「~すべきだ」だと乱発する人ほど、にわか仕込みの知識に頼っているように感じます。

さて「今すぐすべての原発を止めることは、現実的ではない」というのは、原発で働いている人たち。原発で成り立っている市町村の経済をクリアしなければ、少なくとも方向づけ政策化しなければ、新たな破綻が、日本のあちこちで生まれてしまうからです。経済的破綻の恐怖は、おそらく原発への恐怖と匹敵するくらいのものだと思います。現実的には。
福島で実際被曝を余儀なくされながら、原発の恐怖と不安を感じながら生活している人たちと、そうでない人たちの現実的恐怖感は、かなり差があります。同じように経済破綻による生活の崩壊を現実的に迎えようとしている人たちと、そうでない人たちでは、大きな差が生まれるはずです。
こうした差を現実的に埋められないことには、脱原発は、絵に描いた餅になり下がります。

こんな単純なことは今思い付いたことではなく、ずっと前から気づいていました。そのためには、社会通念上罷り通っている意識と、そこから生まれるシステムを変えなければだめだって。
有限資源である化石燃料や危険なウラン燃料の使用に裏付けられた社会システムを求め続ければ、いずれ社会が崩壊する。循環型社会。持続可能なシステムを自分の範疇の中で作ることが、せめて自分できることだと思いました。

僕は住まいとその周辺を設計し、施工することを生業としています。mixiは、趣味的なもので、仕事から離れた時の息き抜きで、日常の自分と違う自分を表現する場だと思っているので、これまで仕事や家庭について、日常について書いたことは、ほとんどありませんでした。
しかしながら、批判ばかりしていたのでは、説得力に欠けます。それこそ笑いものにもなりかねない。ですから仕事上で得たことを、今さらながらですが、書くことで多少の説得力や、既存のシステムを変えるヒントにもなるのではないかと思い、書くに至りました。
一度で書ききれるものではないので、時々日記欄に登場させたいと思います。

住宅建材でもなんでもそうですが、私たちの身の周りにあるものは、自然界にあるものを原料とし、科学的に手が加えられ、私たちの元へ届けられます。その過程では、やはり自然から得たエネルギーが使われていることは、子供だって解かることです。またそのエネルギー源の種類も分かる。何が持続可能のもので、何が有限なものなのかも解かる。でもどのくらい使われているのかは、知らされていません。
しかしながら、ドイツでは、建材一覧表みたいなものがあって、建材になるまで消費されたエネルギー量を電力量(ワット)に換算して、個々に明示されているんですね。
つまり設計者が、住まいの省エネのイニシャルコストを簡単に解かる仕組みになっているのです。
さすが環境先進国ドイツで、電力量に換算し、数値化するところもドイツ人気質が現れていますね。
一棟の住宅に使用される建材の生産過程、流通過程で使われるエネルギーが膨大な量になることは、その仕事に従事していなくても想像に難くないでしょう。そこで省エネが図られることは、とても大きな貢献になるのです。それまでの住まい造りのシステムを、変えることにも繋がってきます。

僕は木造住宅専門なので(ごく稀に鉄骨造の小規模な工場や倉庫の設計も手掛けますが)木造に限定して書きますが、木造住宅でもっとも多く使用される材料は、当たり前のことですが木材です。そして全国的に見ても木造住宅の割合は多い。森林国日本だから、伝統性からも、自然風土からも、それはごく当たり前のことなのですが、ここ40年ほどは、輸入材が8割を占め、国産材は2割という現実です。
建築現場では、米松が構造体の主体となり、フローリングなどの内装材も、南洋材や欧米材、最近では中国材が、市場を席巻している現実があります。国産材は、和室に使われる程度でごくわずかです。
遠い海の向こうから、石油を消費し、わざわざ運んでくるわけですが、国内になければ、それも解かるのですが、日本の国土の約70%を占める森林には、伐採木を迎えた良質な木が、飽和状態なのです。
さらに、遥か海の向こうから運んできた木材は、工場で加工され集成材や化粧合板となって、現場に運ばれます。現地で加工され輸入される建材も多いです。木質系ハウスメーカーのほとんどは、このような木質工業製品仕様です。供給の傾向として、大量のエネルギーと化学物質を使い、化学的処理された建材に、住まいは支配されているのです。これって不自然ではありませんか?

建築を学んだいた時に出会った貴重な本があります。法隆寺宮大工・故西岡常一棟梁と当時千葉大で人間工学を研究されていた小原二郎さんとの共著『法隆寺を支えた木(NHK出版)』です。(今は一部が教科書にも載っているようです)
この本には、明治以降、特に戦後主流であった建築学を根底から見つめ直さなければならないほどの、体験に基づく明晰な示唆と、実験に基づく現代建築への警鐘が、書かれています。
文明批評と言っていいかもしれません。

この中で西岡さんは、法隆寺宮大工家に伝わる家訓として「木を買わずに山を買え」ということを述べています。それも「近くの山を買え」と。
山には南も面も北の面もある。尾根や谷もある。それぞれ育った環境で、木の性格は一本いっぽん異なる。建物も同じように南面があり、北面がある。朝陽を浴びる面もあれば、西日を浴びる面もある。
だから、近くの山を買い、南面で育った木は、家の南に使い、陽の当らない北面に育った木は、家の北側に使え。その気候風土で育った木は、その条件下で、その場所で使うことが木を活かすことになる。法隆寺はそのように造られている。
さらに木は、生まれながらにして持っている性格がある。水に強い木もあれば、そうでない木もある。そうした性格も活かして木を使う。
法隆寺が1300年もの長い間、仏教の研究機関としての役割を果たして、それを支えてきたのは、日本特有の良質な桧と法隆寺を造った古代の工匠たち知恵の賜物である。
こうした木の使い方を、「適材適所」という。
その個所を要約するとこんな感じです。

僕は打たれました。まるで稲妻が身体を突き抜けたように。
それから約10年後、僕は使用材料の95%を国産材、それも県産材を使うようになり(100%使用も可能)、同時に化粧合板が、僕が設計し施工する住まいから消えました。同様にビニールクロス、石油系塗料、再使用不可能な断熱材などは一切使わず、無垢材(化学的処置を施さない木材)と天然の土壁(珪藻土、漆喰)、羊毛断熱材を使う、「自然素材の家」にようやく辿り着きました。
10年余りも時間を費やしたのは、既存システムが、このような手法を簡単に受け入れるほど寛容ではなかったことと、住まいを建てたい人たちの意識も、そこにほとんど注目していなかったからです。その当時で言えば、わずか40年ほど前には、ごく当たり前であった、住宅建築を取り巻く環境とシステムが、非効率的で古臭く、非科学的なものだと葬り去られていたのです。
しかし実際はどうだったんでしょうね。大切な何かを失い続けてきただけのことだったのではないでしょうか。

木材だけで言えば、こうした住まいを15件ほど造れば、ひとつの山が、飽和状態から再生され、循環し始めます。
こうした住まいは、省エネのイニシャルコストに貢献するだけではなく、ランニングコストも確実に抑えていきます。さらに自然環境に適しているから寿命も長い。寿命が長ければより貢献できる。さらに「自然素材の家」が、べらぼうにお金がかかるかと言えば、そうではないのです。

住まいを設計し施工する上で、「省エネ」とか「地産地消」という意識は、僕はかなり希薄です。そうした観点からアプローチをしたことはありません。僕の中にあるもっとも大きな概念は「自然の恵みを活かす」ことです。ここから副次的な効果が生まれ続けます。

とても小さな世界です。ささやかな取り組みです。しかし原発に頼るようなシステムからは、遠く離れています。
ただ批判するだけではなく、こうしたこともこれから書いていこうと思います。



武井繁明



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