南米のウルグアイ東方共和国 モンテビデオ市の住民より

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カルメロ 1527年

2011-07-01 | 歴史・世界遺産・国家遺産

ラプラタ河流域で最初の集落が作られた年。
スペイン探検隊イタリア人セバスティアン・ガボトによって現在のコロニア県カルメロの
ラス・バカス川にサン・ラサロ要塞が作られた。が、まもなくしてこの周辺に先住していた
チャナ族の激しい抵抗にあい撤去。亜国の対岸へ移住しブエノスアイレス周辺に集落ができる
きっかけとなる。が、再び歴史のターニングポイントとなるのは1715年。イギリス人が
牛革輸出の為の利権をカルメロの地で得る。それが、モンテヴィデオ誕生の要因にもつながることに。
写真はそのラス・バカス川、今は当時の遺跡は残されていない。



今日でもこのカルメロから
対岸アルゼンチンのティグレまで定期便が運航され、人の行き来は活発。



小じんまりしてコロニアの隠れ家的存在の雰囲気を持つこの街に一つ劇場がある。
ウルグアイ国内でも恐らくこの劇場のみでしょう、死語となったチャナ語の
名前を引用しているのは。カルメロの ウアマ劇場。
意味は”友達”。そのチャナ族、今は一人もいません。せめて言語だけでも
残している事に感銘。


カルメロは小さな街。周辺にはたくさんのワイナリーがあり、たくさんの外国人が
土地や建物を所有し保養地として知られている。世界遺産コロニアデサクラメントの隠れ屋。