南米のウルグアイ東方共和国 モンテビデオ市の住民より

モンテヴィデオ住民 メディア リサーチャー・コ-ディネ-ションしながらつぶやいてます・・・

今日のお昼 ご褒美 フレンチ食堂

2015-07-30 | 食べ物 飲み物
旧市街地 モンテヴィデオの創設者
第23代ラ・プラタ副王領 総督サバラの銅像広場から
すぐそばのAlzaibar1316番地 。
外見も内装も一見食堂、それがまた食欲を一層増す空気。
ひっそりあるLa Petite Cuisine
お若いウルグアイ人シェフが腕を振るいます。



着席してメディオ イ メディオの
ウルグアイ食前酒のサービスを頂戴しながらメニューをチョイス
やはりお得な今日のセットメニュー

レモン&オレンジ orジンジャー&ミントorシナモンウオーターをチョイス
先付けのサーモンパテ、暖かなパンは一人ずつ小袋に入れてサーブ。
お茄子ベースのクリームとパプリカのバターが登場すると
パンをペロリと頂きたいところをグット我慢



そしてスープをチョイス。
ふわりとバジルのエスプマ、なんともシットリ上品な
パンプキンスープ どうやって作ったんだろう?と
プロの技が光る一皿



メインは丁寧に漉して作られたなめらかなポテトピューレの上に、
赤ワインで長時間煮込んだホロホロビーフのソース添え+五種類のお野菜も



デザートは洋ナシのコンポートに
ヨーグルトベースで黒糖などを使ったホットソース、
お腹に優しい冬仕立て



日替わりメニュー
オリジナルウオーター+ミニボカディート+
サラダorスープ+メインディッシュ+デザートで、
あり得ないお値段14ドル 。
とうとうブログに載せてしまいました、
旧市街地トップ3のお気に入りのプチレストラン。
当日、予約なしで空席あればラッキー。
日替わりメニューは月から金
営業12:00-17:00 月曜日から土曜日 予約2914ー8501




パン アメリカン競技大会 ウルグアイ金メンダル!

2015-07-26 | スポーツ

トロントで開催中の南北アメリカ41カ国が参加する
スポーツの祭典 パン アメリカン競技大会で
サッカーウルグアイ代表 準決勝でブラジルに勝ち決勝に進出。
そして今日、決勝でメキシコと対戦して優勝!金メダル獲得






Fabian Felicitaciones!

コイト監督おめでとうございます


他にウルグアイは、銀メダルはセーリング、
銅メダルは走り幅跳び、400mハードル、女子ハンドボールの3個を獲得。

オペラ 羅生門 ビリオッティ氏

2015-07-25 | 文化


最近お気に入りの劇場カフェで
羅生門の作曲家ビリオッティ氏とゲネプロ当日鉢合わせ。
「何飲む?」と二つ目のオペラ作曲中の
テーブルに誘われ着席。
西洋映画ではない初めての東洋の映画、
羅生門を20歳の時に見た衝撃と感動をいつか
音で表現したかったと今年で86歳の彼。




昨年の定期演奏会で既に交響曲として
フルオケで演奏され大好評を博した。
今回はそこからの抜粋で編曲、歌詞はスペイン語。
編曲は基本四重奏に管楽器、打楽器を加えた小編成。
他のオペラにはない打楽器の存在感が
幻想的な世界へと導きます。




オペラ実現には、
予算的な問題もあり構想から三年の月日を要した。
近年、マリア ホセ シーリ筆頭に本場の欧州や米国などで活躍する
ウルグアイ人歌手が増えて
国内では人選が音域的に難しかったとか。
大音量の叫けびの歌声は、作曲者が意図する
音楽的効果を時折壊してしまうが、南米の
観衆者は勘違いをしてしまうこと多々。
二音域で裏声を持つ繊細な声質の持ち主、
そして特に演技力が要求されるメディウム役は、
彼自身が丁寧に発掘と強調。
確かにその妖艶な演技は
1時間40分短編オペラの後半のハイライトに


初公演は、お孫さんを連れて
家族総出で観劇するそうです。
コルタードご馳走様でした!
今年は 愛の妙薬 、オテロなどのオペラがまだまだ楽しめます!

今日のお昼  旧市街地でシーフード

2015-07-17 | 食べ物 飲み物
旧市街地のカフェ・ランチの激戦区。
いつの頃から平日の昼のみ営業する
ブティックレストランが立並びモンテヴィデオの
グルメの発信地化している。
お気に入りのレストランは満席
歩行者天国サランディ-通りをさ迷っていると
魚介類の冷凍食品会社アルティコのファストフ-ド店が
開業しているのを発見!フラリ入場。
プンタデルエステでは既におなじみですが、この激戦区にあえて登場。
お肉ではなく魚介中心のメニュ-がこのお店の特徴。
なかでもイカリングフライは誰もが注文する人気メニュ-。
しかし!プンタデルエステのとは異なり塩ナシ仕立て。
モンテヴィデオ市の条例で
極力塩ナシメニュ-推進プロジェクトの一環とか。
生活習慣病改善の為
市内のレストランには卓上塩は置いていないとこ多し。
お願いすれば登場




店内、昔のカフェを改造しているので天井高くそれなりにお洒落、
座席も広く、フリ-ネットもあり長居ができます。



今日の日替わりランチセットは、
飲み物+シ-フ-ドのラザ-ニャ+
ポイント高いオレンジソ-スのかかったチョコム-ス
+ラヴァツッアのマシーンカフェ
自分が好きなタイミングで抽出できます
この内容でしめて13ドル。
さすが激戦区太っ腹プライス


Ártico. アルティコ 住所 Sarandi502 esq. treinta y tres
12:00-16:00 月~土

1950年W杯 ジッギア氏 他界

2015-07-16 | スポーツ
1950年サッカーW杯二度目の優勝を
ウルグアイにもたらした張本人 元ウ代表ジッキア氏が他界。
その日はまさに65年目の
優勝記念日だった。

もう随分前、T社が出来る前、
彼との最初の会話は
ゴールのことではなく、インタビューの対価について。
優勝決定打を決めた
永遠のヒーローとしか知らなかった当時、
そこから様々なことを
気つかせていただいた。


今日のサッカー界は莫大な契約金が動き
それを作り出すためのビジネスが動く。卵が先かニワトリか、、。
日本にとって負の遺産だったか否やか
元チームメイトのみ知るフォルランがペニャロールに移籍。
月額推定10万ドル支払う契約書の為に、
チームのアイドルを追い出し、在籍主要選手らの契約金を
半減、納得しないファンも多勢。
あり得ない大借金をかかえて
スタジアム建設中の
クラブにとっては数字合わせするしかない。


ジッギアの時代、選手にとって
車は高嶺の花。
自宅で練習着に着替えてランニングをして練習場に出かけた。
仲間によっては練習前に一仕事
終えてくるものもいた。
その当時、サッカー選手の
給料はほんの謝礼。
場合によっては出来高制。
サッカーのために他に職業を持ち
時には稼げる他の仕事のために練習を休まなければ
生活がなりたたなかった。50年のブラジル大会前、
まともにウルグアイ代表が
練習できていなかったことはそれに所以する。


「決勝戦前日、数日分の食費のみを
選手に残しウルグアイサッカー協会役員は
さっさとウルグアイヘ帰国した」事実。
多くの犠牲と苦しみを背負いブラジルに到着した選手たち。
全てがブラジルのために用意されていた大会の
対戦相手となったウルグアイ
だけで祖国に帰ることは、決して彼らたち自身が
許さなかった。誇りと反抗があった。


世間は、過去の栄光を讃え続けたが
その功績が作り出し導いたものに対してプロとしての対価の配慮が
できていなかった。数十年後、政府から日々の生活に
困らないよう年金が支給される。
その当時インタビューの対価を話した彼は、
50年代のサッカー事情をどれだけ知った上で
彼と話したいのか、
サッカー経済界の批判を我々に投げかけていたんだと
後になって理解した。


Q.D.E.P.