南米のウルグアイ東方共和国 モンテビデオ市の住民より

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ウルグアイ大統領来日 帝国ホテルの先客

2015-10-31 | 社会 政治


ウルグアイ大統領タバレ バスケス氏が、財界 企業の代表を引き連れ11月3日から6日の予定で日本を訪問する。
モンテヴィデオからパリへ向かうエアーフランス機内で、ナッツアレルギーによる窒息状態の重篤患者の命を救った大統領、昨年結婚50周年を祝った家族思いで、釣りが好きな医者でもある。景気の良さに甘んじて行き過ぎた投資の数々、政治手腕でないところで有名になった前大統領の大きな穴とツケの修正の為にメスを入れ始め、非常に重要なミッションを追っての2期目となる。

そのタバレ バスケス大統領の日本の宿泊予定先は、帝国ホテル 東京。

今から108年前の1907年にウルグアイ人夫婦が同ホテルに滞在していたことを知る人は皆無かもしれない。
その宿泊客のウルグアイ人も、一人の人生を大きく変えた。

そのウルグアイ人宿泊客、アレハンドロ ウニエ氏と妻。ウニエ氏が書き残した世界一周新婚旅行日誌に、当時宿泊した部屋のバルコニーから見た伊藤博文と推測される要人を出迎えるホテルの玄関先の様子を1907年8月19日のページに書き残している。



ウルグアイの地方県でで牧場経営するウニエ家の長男アレハンドラ氏、結婚式の翌日1907年2月20日世界一周の新婚旅行に出発。メルセデスからブエノスアイレスへ船、チリまで車と列車を乗り継ぎ太平洋に出てからは客船で北米などに立ち寄り横浜に上陸。事細かにそれぞれの寄港地での様子が日記に書き込まれている。もちろん日本国内においても、横浜、日光、東京、名古屋を見聞し、日本人少年と運命の出会いをしたのは、古都 京都だった。

京都の宿泊先ホテルである日、レセプションから部屋を移動するように懇願される。理由は、夜中に拳銃を所持した泥棒が進入する情報があるという。実際、翌日に、隣室で待機していた警察に泥棒は逮捕されるという顛末。ウニエ氏はホテルのスタッフに「どうして泥棒が入ることがわかったのか?」と。それは、ホテル玄関先で靴磨きをしている少年が、泥棒たちの会話を聞きレセプションに届け出たとのこと。感動したウニエ氏は直接彼に会って御礼を述べたいと通訳と共に、その少年の自宅、京都駅からほど近い枳殻邸前の河原町へ赴く。

手狭な長屋にたくさんの子供が住む様子を見たウニエ氏。話しの展開は、生存するウニエ氏の孫や親族の証言によるが、日本人少年 テルオ君は、ウニエ氏の祖国ウルグアイへ移り住む、移住することを自ら決意したという。雨が降りそうな曇りの1907年8月28日、日本旅券を発給したとウニエ氏が日誌につずっている。テルオ君の年齢に関しては旅券には11歳と表記されているが、ウルグアイ到着後、当地では8歳と伝聞されている。

その後新婚旅行は続くが、イタリアにて新妻が病に倒れ他界。ウニエ氏とテルオ少年2人となり、家族同然になった2人は生涯、ウルグアイで過ごすことになる。決して使用人ではなく子供の一人のように育てられ、牧場経営に従事し、親族にウニエ氏は「彼は命の恩人なんだ」と、幾度となく語ったという。
日本人テルオ少年は、ガウチョ ハポネス、日本人ガウチョと呼ばれ現地の人々に知られるようになり、地元紙の社交覧にも度々掲載され、多くの子孫を残した。そして二度と京都に戻ることなく当地ウルグアイで他界。ウニエ家はかつてのテルオ少年のための墓を用意し手厚く葬った。

日本から自らの意思を持ってウルグアイへ渡った最初の日本人。
ウルグアイと日本の真実の友好の話

かつてウルグアイの大地のことを牛の海と言われた時代に生きた、ウニエ氏とテルオ少年、
その自然豊かな大地で育った赤身牛肉、日本で食す価値はあるかも。

更にご興味のある方メールにて。

写真 国立国会図書館蔵









今日のお昼 カラスコの中華

2015-10-24 | 食べ物 飲み物

モンテビデオ市最東地区カラスコにある陳さんの中華レストラン
広東出身のご夫妻の料理、餃子の形も中身も日本人には
嬉しい一品。但し、蒸し餃子のみです!そこがこだわり。
ご主人の手打ち麺と丁寧に大鍋で作った鶏のスープは、
家庭では難しいお味。トッピングは、牛肉、鶏、豚、野菜と
チョイスできます。


餃子は辛味の効いたタレとお酢で熱いうちにペロリと頂き、
牛肉湯麺は、スープ一滴も残さず完食。
奥さんの陳さんのおしゃべりも楽しく、ご馳走様


Restaurante CHINO
Av.Gral. Rivera6688 esq. Arocena
Tel. 2600-7946


今日のお昼 ご近所Moshi Moshi

2015-10-18 | 食べ物 飲み物
Moshi Moshiはお店の名前。日系の方が始めた
フュージョン系日本レストラン。開店当初お邪魔してその後
デリバリーで何度かお世話になっていましたがお天気の良さもあり
歩いてレストランへ。これで日本酒も呑めます
奥さんが「少しずつお店のデコレーション良くなったでしょ」と。







前菜はペルー料理のセヴィッチェ。
ごく薄切りのピーマン、玉ねぎが食べやすく、
マリネのビネガーも適度でブエノ。
24ピースのお寿司は松花堂弁当に、36ピースは舟盛りで登場。
そして暖かいメニューは、この時期美味しい白身魚の
アバデッホの ソテーとチャーハンの組み合わせ。
寿司飯でのチャーハンは意外でしたが、
脂の乗ったお魚の付け合わせにはたまにはいいかも。
新鮮な白身魚のソテーは今日のヒットプレート


Moshi Moshi
住所 26 de Marzo 3353. Tel 2622-6040

ウルグアイ代表 50年ぶり

2015-10-13 | スポーツ
2018年FIFA南米予選
サッカー ウルグアイ代表 50年ぶりの開幕戦2連勝とか。
長期予選の開始はいつも危ない船出に慣れているので
セレステファンはいい意味で番狂わせ。
先週、標高3600mでの対ボリビア戦2-0
今週はホーム センテナリオスタジアムでの対コロンビア戦3-0での勝利
主将ゴディンの目覚ましい活躍!
カバーニは次の対エクアドル戦、スアレスはやっとその次の次の対ブラジル戦でご登場。
今日は、春のうららかな日中でしたが、
試合が始まる頃は、ウルグアイ経済大臣のように毛糸帽を被るほど
この2連勝で上昇気流になってくれたらと願うセレステファンたち。


ウルグアイ春のお祭り 国家文化遺産の日

2015-10-09 | 文化


毎年春の訪れと共にウルグアイ文化遺産の日が実施されます。今年は10,11日。毎年平均2日間で30万人以上の国民がこのイベントに参加する国挙げての大イベント。歴史文化遺産に指定されている建築物の公開、普段公開されない貴重な資料や施設の公表、踊りなどの実演また歴史、文化にまつわる講義などが19県の国中で一斉に実施。通常有料施設も無料公開。各地区の広場では踊りや屋台なども出店され、たくさんの家族連れで賑合い、特に街の中心部では行列ができます。
今年の文化遺産デーの題目は建築

共和国大学建築学部100周年を祝してのもの。日本とは異なりこの学部を卒業するとアーキテクチャとしてのタイトルが取得でき、クリエイティブな分野の能力も要求されます。ウルグアイは多くの著名な建築家を世界に輩出。建築物を通してその国の文化、法律、哲学を学べます。日本の新橋にある国際フォーラム、パリの新オペラ座はウルグアイ人建築家。今年は建築を主題にしているのでこのブログでも何度か紹介しているエラディオディエステ氏などの後世に影響を残した作品から、モンテビデオのランドマーク的存在 サルボ宮、公団住宅の先駆けとなったイスラ マラの価値も紹介される予定です。


詳細はこちらのサイトへ。
昨年度のお祭りの様子。

お天気にめぐまれますように